第七十六話 残る杭はあと二本
残る誘導杭は、あと二本。
一つは町の北東。
もう一つは、湖岸近くの船着き場にある。
「次の角を左!」
マリエルを先頭に、三人は市場を駆け抜けた。
祭りの飾り布は泥水に浸かり、通りには壊れた屋台や荷車が転がっている。遠くから聞こえる警鐘と魔獣の咆哮が、町全体を揺らしていた。
「反応は?」
リシアが走りながら尋ねる。
「この先。別邸が並んでるところ」
エルネは、砕いた杭に残してきた磁界釦へ意識を向けた。
そこから伸びた魔力の線が、同じ反応を持つ杭の位置を頭の中へ伝えてくる。
「やはり、騒ぎに乗じて屋敷を狙ったのですね」
「湖の魔獣も、火事も、全部そのため……」
マリエルが唇を噛んだ。
角を曲がると、貴族の別邸が並ぶ区画へ出た。
正門を壊された屋敷。
庭から引きずり出された箱や調度品。
旅装の男たちが、奪った品を荷車へ積み込んでいる。
「早くしろ!」
「火を回せ! 残ってる奴は追い出せ!」
別の男が、屋敷の壁へ油を撒いていた。
「やめて!」
マリエルが叫ぶ。
男たちが振り返った。
「来たぞ!」
「あの本を持った学院生だ! 杭を壊して回ってやがる!」
六人の盗賊が武器を取る。
「マリエルは、屋敷に人が残っていないか確認してください」
リシアが水を周囲へ巡らせた。
「でも二人だけで――」
「戦うためではなく、助けるために来たのでしょう?」
マリエルは一瞬だけ迷い、頷いた。
「分かった、すぐ戻る!」
「一人で奥まで行かないで!」
エルネが声をかける。
「聞こえるところにいるから!」
マリエルが屋敷へ走る。
盗賊の一人が追おうとしたが、その足へ水の帯が巻きついた。
「行かせません」
リシアが腕を払う。
男の身体が宙へ浮き、荷車へ叩きつけられた。
「杭は?」
「荷車の向こう!」
積み上げられた鉄板の下から、赤黒い反応が漏れている。
盗賊たちは杭を隠すだけでなく、破壊されないよう鉄板で覆っていた。
「私が道を開きます」
リシアの水帯が二本、三本と枝分かれする。
剣を持った男の手首へ絡みつき、弓兵の足を払う。
エルネはその間を走った。
「通すか!」
大盾を構えた男が立ち塞がる。
盾の脇へ、小さな低圧領域を作る。
「虚圧弾!」
流れ込んだ空気に引かれ、盾が外側へ傾いた。
エルネは生まれた隙間を抜け、盾へ磁界釦を打ち込む。
大盾が石畳へ固定され、男だけが前へつんのめった。
荷車の裏へ回り込む。
鉄板は四隅を太い金具で留められていた。
(先生。留め具だけ壊す)
『照準を補正します』
一つ。
二つ。
連続して虚圧弾を撃ち込み、留め具を内側へ潰す。
三つ目を砕いたところで、背後から矢が飛んだ。
『右後方』
エルネは身を沈める。
矢が頭上を通り、屋敷の柱へ突き刺さった。
四つ目。
最後の留め具が外れ、鉄板が倒れる。
その下から、黒い誘導杭が姿を現した。
「杭を守れ!」
「遅いです」
盗賊たちの前へ、水の壁が立ち上がった。
「エルネさん!」
エルネは杭の継ぎ目へ掌を向ける。
「虚圧弾!」
空気が一点へ流れ込む。
ごきん、と黒い杭が折れ、赤黒い光が消えた。
湖の方角から、苦しげな鳴き声が響く。
その直後、町へ向いていた魔獣の影が横へ揺れた。
湖の中央へ戻ろうとしているように見える。
(自由になった?)
『否定します。進路を制御する刺激が減少しただけです』
魔獣の背で、主杭が強く明滅する。
巨体が大きく反り、再び岸へ向けられた。
『主杭からの刺激が増大しました』
「まだ痛めつけてる……」
エルネが呟く。
屋敷からマリエルが姿を現した。年老いた使用人と、小さな子供の手を引いている。
「中にいたのはこの二人だけ!」
「安全な道へ案内してください」
リシアが盗賊たちを水帯で拘束する。
「エルネさん。最後の杭は?」
「船着き場」
「急ぎましょう」
三人は避難する人々を自警団へ引き渡し、湖岸へ向かった。
◇
魔獣の尾が湖面を叩いた。
巻き上がった水が、船着き場へ壁となって押し寄せる。
セレスティアが腕を振る。
重ねられた風が水の壁を中央から割り、左右の湖岸へ押し流した。
船着き場には、まだ避難しきれていない住民がいる。
半壊した桟橋の先には、波に揺られる小舟も残っていた。
魔獣の背では、正体不明の杭が不規則に明滅している。
「雷を落とせれば早いのだけれど……」
セレスティアが小さく呟く。
だが、この状況で雷を放てば、湖面を通じてどこまで影響が広がるか分からない。
岸辺の住民や小舟を巻き込む危険がある。
何より、背中に刺さった杭が雷へどう反応するか判断できなかった。
「本当に、面倒なものを刺してくれたわね」
魔獣が口を開く。
湖水が集まり、圧縮された水塊となった。
セレスティアは前方へ幾重もの風を束ねる。
放たれた水弾が斜め上へ押し上げられ、湖上で破裂した。
「会長!」
水飛沫の向こうから、エルネの声が届いた。
セレスティアは魔獣から目を離さずに答える。
「町の方は?」
「魔獣を操ってる杭が、町の中にもありました!」
「杭?」
「背中の杭とつながっていて、痛みで進む方向を決めてるみたいです。町にあった分は壊しました」
魔獣の攻撃がわずかに緩む。
その隙にセレスティアが振り返った。
「それで、先ほどから動きが変わっていたのね」
「残っている誘導杭は、船着き場の一本だけです」
「場所は?」
エルネが桟橋の端を指す。
盗賊たちに囲まれた黒い杭が、赤黒く明滅している。
「あれです」
「分かったわ。魔獣はこちらで抑える。あなたたちは杭を」
「簡単に言いますね!」
「壊す方法はあるのでしょう?」
「一応ありますけど!」
「では、成功させなさい」
セレスティアは再び湖へ向き直った。
「無茶を言いますね」
「よくも計画を台無しにしてくれたな」
船着き場の端で、レドガーが大剣を担いでいた。
周囲の男たちは、もう冒険者を装う気もないらしい。住民へ向けていた武器を、そのままエルネたちへ向ける。
「町の杭を壊したのは、お前らだな」
「残ってるのも壊す」
「それで全部終わると思ってるのか?」
レドガーが腰から、赤黒い石を取り出した。
杭と同じ文字が刻まれている。
「もう誘導なんざ必要ねえ」
手の中で石を握り潰す。
最後の誘導杭と、魔獣の背の主杭が同時に輝いた。
魔獣の絶叫が湖を揺らす。
水面が盛り上がり、桟橋が大きく軋んだ。
「何をしたの!」
「制御をやめたんだよ!」
レドガーが笑う。
「痛みで狂えば、あとは勝手に町を壊してくれる!」
魔獣が岸へ突進する。
「リシア!」
「はい!」
リシアが湖水を持ち上げ、太い水帯を魔獣の首へ巻きつける。
同時にセレスティアの風が巨体を正面から押し返した。
魔獣の動きが、一瞬だけ止まる。
「今です!」
エルネが桟橋を走る。
盗賊たちが立ち塞がった。
「マリーは下がって!」
「でも――」
「ここから先は危ない!」
マリエルは足を止めた。
その直後、壊れた桟橋の脇で倒れている老人を見つけ、そちらへ駆け出す。
「立てますか! ここから離れます!」
エルネへ剣が振り下ろされる。
流転軌で刃を外へ逸らし、男の足元へ磁界釦を打ち込む。
二人目が弓を引く。
弦の横へ虚圧弾を作ると、矢は大きく軌道を外れ、湖へ落ちた。
「エルネさん、前へ!」
リシアの水帯が男たちをまとめて薙ぎ払う。
道が開いた。
エルネは最後の杭へ掌を向ける。
『外殻の強度が、これまでの杭を上回っています』
(何回かに分ける)
一発目。
虚圧弾が外殻へ亀裂を入れる。
二発目。
亀裂の奥で空気を収束させ、内部の術式を潰す。
杭が激しく明滅した。
「まだ!」
地中へ伸びる鎖との接続部へ照準を合わせる。
(先生!)
『補正します』
「虚圧弾!」
三発目が炸裂した。
金属が引きちぎられる音とともに、誘導杭が根元から折れる。
赤黒い光が消えた。
魔獣の動きが止まる。
湖岸に、一瞬だけ静寂が落ちた。
「終わった……?」
老人を避難させたマリエルが、湖を見つめる。
しかし。
魔獣の背に刺さった主杭だけは、赤黒い光を失っていなかった。
行き先を失った魔力が、主杭へ一気に集まる。
黒い筋が魔獣の全身へ広がった。
苦痛に耐えかねた巨体が、湖岸へ身体を叩きつける。
桟橋が砕け、水飛沫と木片が空を埋めた。
「全部壊したのに!」
『誘導経路の消失により、主杭が無差別に刺激を放出しています』
(前より悪くなってる?)
『肯定します』
魔獣の尾が振り上げられる。
セレスティアの風が受け止めたが、その足が石畳の上を滑った。
「エルネ!」
リシアが水帯を維持しながら叫ぶ。
「背中の杭を壊さなければ止まりません!」
主杭は、厚い鱗の間へ深く食い込んでいる。
ここから虚圧弾を撃てば、杭だけでなく魔獣の身体まで傷つけるかもしれない。
(先生。杭だけ狙える?)
『現在の距離と角度では、精度を確保できません』
その時、マリエルが砕けた桟橋の端を覗き込んだ。
「エルネ!」
湖底へ沈む黒い鎖。
壊れた誘導杭から伸びていたものだ。
鎖は沖へ真っすぐ続かず、湖岸の岩場を回り込んでいる。
「この鎖、白杖様の祠の方へ伸びてる!」
「祠に?」
「あの辺りだけ湖底が浅いの! 魔獣をそこまで動かせれば、背中が水面近くまで出る!」
近くまで寄せられれば、主杭だけを狙えるかもしれない。
だが、暴れる魔獣を浅瀬へ動かす必要がある。
セレスティアがエルネたちの会話を聞き、湖岸の先へ視線を向けた。
「場所を示しなさい、マリエル」
「あの白い岩の手前です!」
「リシア。右から引きなさい」
「承知しました」
風と水が、再び魔獣の巨体へ絡みつく。
魔獣が苦しげに咆哮した。
その背で、主杭が赤黒く脈打つ。
エルネは湖へ向けて掌を開く。
(先生。次は、あの杭を壊す)
『水中では圧壊力が増大します。制御難度も上昇します』
(分かってる)
魔獣を浅瀬へ運ぶセレスティアとリシア。
場所を示すマリエル。
そして、苦痛を与え続ける最後の杭。
エルネは強く息を吸った。
(今度こそ)
震える掌を、魔獣の背へ向ける。
(あの痛みを終わらせる)




