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第七十五話 虚圧弾《インプロージョン・ボルト》

 男たちが一斉に踏み込んだ。


 エルネの掌の先で、空気が小さく歪む。


『低圧領域を形成します』


 黒い杭の継ぎ目へ、淡い光点が浮かんだ。


 周囲の埃が引き寄せられる。


 だが、次の瞬間。


 光点は形を保てず、弾けるように消えた。


「何だ、今のは!」


 先頭の男が剣を振り下ろす。


 エルネは身体をずらし、刃の軌道へ流転軌《ベクトル・シフト》を差し込んだ。


 剣先が外れ、石畳を叩く。


「失敗?」


 背後でマリエルが息を呑む。


(広すぎた?)


『肯定します。空気の流入が分散しました』


(もっと小さくする)


 二人目が横から迫る。


 エルネは男の足元へ磁界釦《エーテル・スタッド》を放った。


 片足が地面へ固定され、男の身体が大きく傾く。


「ぐっ!」


 三人目がその脇を抜け、マリエルへ向かった。


「下がって!」


 エルネが叫ぶ。


 マリエルは両手を前へ出し、短い風を放った。


 男の上着が膨らみ、踏み込みがわずかに遅れる。


 その隙に、エルネは杭へ向き直った。


 空気で満たされた場所に、小さな空白を作る。


 今度は、針の先ほどの狭さで。


『形成を開始』


 杭の継ぎ目がかすかに歪んだ。


「させるか!」


 先頭の男が再び剣を振り上げる。


『形成完了まで〇・六秒』


 エルネは動かない。


 刃が迫る。


『〇・二』


「エルネ!」


『形成完了』


 低圧領域が潰れた。


 周囲の空気が一斉に杭へ殺到する。


 外へ弾けるのではない。


 何もない一点へ、すべてが吸い込まれる。


 ごきん、と鈍い音がした。


 黒い杭の継ぎ目へ亀裂が走る。


 赤黒い文字が激しく明滅し、そのまま消えた。


 湖の方角から響いていた魔獣の悲鳴が途切れる。


「壊れた……!」


 マリエルが声を上げた。


 エルネは短く息を吐く。


『術式の成立を確認しました』


(名前)


『命名を推奨します』


 空っぽの場所へ、周囲が押し寄せる。


 外からではなく、内側へ向かって潰す力。


「虚圧弾」


 男の剣が目前へ迫った。


 エルネは刃の横へ掌を向ける。


「虚圧弾《インプロージョン・ボルト》!」


 極小の低圧点が生まれた。


 空気が横へ引かれ、剣の軌道が大きくずれる。


「なにっ!」


 男の腕が開いた。


 そこへ磁界釦を打ち込む。


 手首が壁へ固定され、剣が石畳へ落ちた。


 二人目が背後から斬りかかる。


『左後方』


 エルネは振り返らず、男の踏み込む足の横へ虚圧弾を作った。


 空気の流れに引かれ、足が滑る。


 男は体勢を崩し、仲間の背へ激突した。


「また二人まとめて!」


「数えなくていい!」


 三人目が腰の短剣を抜き、マリエルへ投げ放った。


「マリー!」


 飛ぶ短剣の進路、その少し上。


 エルネは小さな空白を作る。


 短剣は空気の流れへ引かれ、マリエルの頭上を越えた。


 木箱へ深く突き刺さる。


「今の、便利すぎない?」


「まだちゃんと使えるか分からないよ!」


 エルネは男へ駆け寄った。


 相手が拳を振り上げる。


 流転軌で腕を外側へ流し、肩へ磁界釦を打ち込む。


 男の上半身が壁へ固定された。


「離せ!」


 残る二人にも磁界釦を追加する。


 数秒後。


 三人は壁や石畳へ縫い止められ、身動きが取れなくなっていた。


『三名の行動不能を確認』


「終わった?」


 マリエルが恐る恐る尋ねる。


「今度こそ」


 エルネは砕けた杭へ目を向けた。


 赤黒い光は完全に消えている。


 湖から聞こえていた悲鳴も、この杭を壊してから止まっていた。


「エルネ、肩」


 マリエルが近づいてくる。


 服の一部が裂け、その下に細い赤い線が残っていた。


「服を掠っただけ」


「血が出てる」


「ほんの少しだよ」


「そういう人ほど、あとで痛いって言うんだから」


 マリエルは納得していない様子だったが、今は傷へ布を巻く余裕もない。


 エルネは砕けた杭へしゃがみ込んだ。


 内部に残る赤黒い魔力は、地中へ伸びる鎖へまだわずかにつながっている。


(先生。ほかの杭を探せる?)


『同一の魔力波形を追跡します』


(どうやって?)


『磁界釦を中継点として使用してください』


 エルネは砕けた杭へ、新たに磁界釦を打ち込んだ。


 蒼い釦が黒い金属へ貼りつく。


 そこから細い魔力の線が地面を走り、石畳の下へ潜り込んだ。


 一本。


 二本。


 三本。


 暗い町の地図の上に、赤黒い光点が浮かぶような感覚が頭へ流れ込んでくる。


『同系統の反応を三基確認』


(場所は?)


『北東方向に一基。湖岸方向に一基。もう一基は市場南側です』


 市場南側。


 リシアが消火へ向かった方角だった。


「杭はまだ三本ある」


 エルネが立ち上がる。


「場所も分かるの?」


「この杭と同じ魔力を追いかけた」


「それで分かるんだ」


「一本は市場の南。リシアがいる方」


 遠くから、剣がぶつかる音が聞こえた。


 炎を消す水音に混じり、複数の怒声も響いている。


「リシアも襲われてる?」


「たぶん。知らせないと」


 マリエルが路地の先を指す。


「こっち。市場南側まで近道がある」


「この人たちは?」


「さっき逃がした人たちに、自警団を呼ぶよう頼んである」


 大通りの方から、複数の足音が近づいていた。


「行こう」


 二人は路地を飛び出した。


     ◇


 市場南側では、炎と水がぶつかり合っていた。


 リシアの操る水帯が燃える屋根を叩き、流れ落ちた水が道を塞ぐ盗賊たちの足へ絡みつく。


 消火と戦闘を同時に行っているため、普段のような余裕はない。


「リシア!」


 エルネが叫んだ。


 リシアがこちらを振り返る。


「エルネさん!」


 盗賊の一人が、その隙を狙って背後から斬りかかる。


「後ろ!」


 エルネは男の剣の横へ虚圧弾を作った。


 空気が引かれ、刃がリシアの肩を外れる。


 リシアの水帯が振り返りざまに男を巻き取り、そのまま地面へ叩きつけた。


「今の魔法は?」


「あとで説明する!」


 エルネたちはリシアのそばへ駆け寄る。


「この近くに黒い杭がある」


「黒い杭?」


「魔獣を操ってる道具。町の中に何本か打ち込まれてる」


 リシアの表情が引き締まった。


「魔獣の背にある杭と関係が?」


「つながってる。この辺りにも一本あるはず」


「位置は分かりますか?」


 エルネは磁界釦を通じて、頭の中に浮かぶ反応を確かめた。


「向こう」


 燃える倉庫と露店の間を指す。


 そこには数人の盗賊が集まり、積み上げた木箱を守るように立っていた。


「あれを守っているようですね」


「たぶん、後ろに杭がある」


 盗賊たちもエルネたちに気づく。


「路地の連中はどうした!」


「こいつが杭を壊したんだ!」


「近づけるな!」


 男たちが武器を構え、一斉に走り出した。


「リシア。少しだけ止められる?」


「少しでよいのですね」


 リシアが片手を振る。


 道を流れていた水が持ち上がり、六本の帯へ分かれた。


 盗賊たちの足首へ絡みつき、まとめて地面へ引き倒す。


「今です!」


 エルネとマリエルは木箱へ走った。


 二人で押し退ける。


 その後ろには、先ほどと同じ黒い杭が打ち込まれていた。


「これですか」


 リシアも追いつき、杭を見下ろす。


「これが魔獣に痛みを与えてる」


 エルネは杭へ掌を向けた。


 先ほど一度成功している。


 今度は迷わない。


 外殻の継ぎ目。


 最も薄い一点。


『照準を補正します』


(お願い)


「虚圧弾《インプロージョン・ボルト》!」


 空気が小さく沈む。


 次の瞬間、杭の内部で鈍い音が響いた。


 亀裂が走り、赤黒い光が消える。


 湖から、低い咆哮が届いた。


 先ほどまでの苦しげな悲鳴とは違う。


 長く息を吐き出すような、重い声だった。


「壊れましたね」


 リシアが杭を確認する。


「はい。残りはいくつですか?」


「町の中にあと一つ。湖岸にも一つある」


「そして、魔獣の背中の杭」


 それを壊さなければ、完全には解放できない。


 遠くで、ひときわ大きな轟音が響いた。


 湖岸の建物より高く、水柱が噴き上がる。


 セレスティアの風が、それを正面から押し返していた。


 水柱の向こうで、魔獣の背に刺さった主杭が赤黒く明滅している。


 残る誘導杭も、それに応じるように脈打った。


「急がないと」


 マリエルが言う。


 エルネは湖を見据えた。


「うん」


 虚圧弾を生み出した掌を、強く握る。


「全部壊す」

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