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第六十三話 流転軌《ベクトル・シフト》

「いくよ」


 シオンの指先に、細い氷柱が浮かんだ。


 エルネは訓練場の中央で息を整える。


 昨日教わった体裁きと、ロゴスが組み上げた新しい防御魔法。その最初の実験だった。


(先生、準備は?)


『完了しています。対象の進路を感知してください』


 氷柱そのものではなく、その内側を流れる魔力へ意識を向ける。


 前へ押し出そうとする力。


 その先にある、自分の右肩。


「お願いします」


 氷柱が放たれた。


 その瞬間、氷柱の先からエルネまで、淡青色の光が一直線に走った。


 攻撃がこれから通る道。


 光の途中に、小さな環が浮かぶ。


『干渉点を提示』


 エルネが魔力を流すと、環が横へ回った。


 直線だった光の道が、くい、と途中で折れる。


 氷柱も引かれるように軌道を変え――エルネの肩をかすめて背後へ刺さった。


「当たりました!」


「少しだけね」


「当たったことに変わりはありません!」


『干渉量が不足しました』


(分かってる!)


 防ぐのではない。


 相手の魔法を止めるのでも、壊すのでもない。


 走ってくる相手の肩を横からわずかに押す。それだけで、進む先は変わる。


 必要なのは、攻撃と同じだけの力ではない。


 向きを変えるための、小さな一押しだけ。


「もう一度」


 二本目の氷柱が放たれる。


 淡青色の道が伸びる。


 環が回る。


 今度は光の軌道が滑らかな弧を描き、氷柱も大きく横へ曲がった。


 エルネは半歩だけ身を引く。


 氷柱は頬の横を抜け、地面を削った。


「成功だね」


 シオンは消えていく光を見つめた。


「使った魔力も少ない。防壁を作るより、ずっと軽い」


「止めてませんから。少しだけ別の道を作って、あとは相手の勢いで進ませる……みたいです」


『概ね正確です』


(概ねなんだ)


 エルネは空中に残った淡青色の軌跡を見上げた。


(名前は?)


『ベクトル・シフト』


(分からない)


『進む力の向きを変更する、という意味です』


 届くはずだった攻撃の流れを、別の軌道へ転じる。


「流転軌《ベクトル・シフト》」


「いい名前だね」


「何してるの?」


 振り向くと、訓練場の入口にミュゼがいた。


 説明を聞くなり、彼女は指先に小さな風弾を作る。


「風にも効くか試そうよ」


「もう撃つ気ですよね?」


「いくよ」


「聞く前から決めてた!」


 背後から風弾が飛ぶ。


 見なくても、魔力の発生位置は分かった。


 その進路へ淡青色の道が走り、環が回る。


 光の道が上へ跳ねると、風弾も一緒に曲がった。


 ごうっ、と頭上で風が弾け、エルネの髪を大きく巻き上げる。


「面白い。魔法が光の道を走ってるみたい」


「成功したので終わりです」


「軽い攻撃だけでは試験にならん」


 今度はガイウスが現れた。


 その横に、拳ほどの石塊が浮かぶ。


「どうして皆さん増えてくるんですか?」


「重いものにも通用するか確認する」


「質問に答えてください」


 石弾が放たれた。


 淡青色の軌道が現れ、環が回る。


 だが、石弾はわずかに揺れただけだった。


『重量に対し干渉量が不足しています。左へ』


 エルネはさらに魔力を加え、同時に半歩左へ動く。


 石弾は肩の横を通過し、背後の地面へ激突した。


 轟音とともに土煙が舞う。


 ガイウスが目を細めた。


「完全には曲げず、自分も避けたか」


「全部を魔法でどうにかしない方がいいと、シオン先輩に教わったので」


「それでも消費は少ないな」


「曲げた分しか使ってません」


「私も加えてもらえるかしら」


 聞き慣れた声に、エルネの顔が引きつった。


 セレスティアが訓練場へ入ってくる。


「会長まで……」


「ミュゼと私は同じ風属性だけれど、魔法の性質は違うわ」


 彼女の周囲で、空気が細く研ぎ澄まされていく。


 ミュゼの風は形の曖昧な塊。


 セレスティアの風は、触れたものを断つ刃。


「試す価値はあるでしょう?」


「皆さんの好奇心を満たす試験になってません?」


「それも含めて訓練よ」


「含めないでください!」


 四人がエルネを囲む。


 シオンの氷槍。


 ミュゼの風弾。


 ガイウスの石弾。


 セレスティアの風刃。


 速さも重さも形も違う攻撃が、わずかな間を置いて連続で飛んでくる。


『四つの魔力反応を確認』


(全部、分かる)


「始めるよ」


 一度目は、二発目で崩れた。


 ミュゼの風弾を大きく曲げようとして、余計に魔力を使う。


 続く石弾にも同じような弧を作ろうとしたが、重さに押し返された。


 淡青色の軌道が震える。


 エルネが立て直す前に、シオンの氷槍が足元を塞いだ。


 最後の風刃が、巻き上がった白い霧を切り裂く。


「くっ――!」


 光の道は間に合った。


 だが、曲げ切れない。


 風刃が肩をかすめ、幻傷結界が強い光を放つ。


 エルネは衝撃に押され、地面を転がった。


「大丈夫?」


「結界がなかったら、大丈夫じゃなかったです……」


 シオンの手を借りて立ち上がる。


(全部、分かってたのに)


『感知に問題はありません。曲げすぎです』


(曲げすぎ?)


『安全な場所まで遠ざけようとしています。必要なのは、あなたに当たらない軌道です』


 大きく外そうとするから、次の攻撃へ切り替えるのが遅れる。


 肩幅一つ。


 時には指一本分。


 自分も動けば、それだけで十分だった。


『流転軌の利点は、少ない魔力で繰り返せることです。完全な防御を求めれば、その利点を失います』


「次は、外すだけにします」


「十分休んでからでもいいんだよ」


「休んでいる間に、また誰か増えそうなので」


 エルネが周囲を見回す。


 今のところ、四人で止まっている。


「早めに終わらせましょう」


 四人が再び魔力を動かした。


 最初はミュゼ。


 見えにくい風弾の進路へ、淡青色の直線が走る。


 環が回り、光の道が上へ折れた。


 風弾が頭上へ跳ね、轟音とともに破裂する。


 次はガイウス。


 石弾の軌道をわずかに右へずらし、エルネ自身は左へ半歩。


 重い石塊が肩口を抜ける。


 その移動先へ、シオンの氷槍が滑り込んだ。


「避ける先を狙いましたね!」


「訓練だからね」


「便利な言葉にしないでください!」


 淡青色の道が地面へ折れ、氷槍が足元へ突き刺さる。


 氷が砕け、白い霧が視界を覆った。


 その向こうで、鋭い魔力が一点へ絞られる。


 見えなくても分かる。


 白い霧の中へ、淡青色の直線が浮かんだ。


 次の瞬間、セレスティアの風刃がその道を走ってくる。


「流転軌《ベクトル・シフト》!」


 一つ目の環が回る。


 軌道が少し上へ。


 二つ目が回り、さらに外へ。


 直線だった光の道が、大きな弧へ変わった。


 風刃もその曲線をなぞり、エルネの脇を通過する。


 背後の石壁へ斜めの線が走った。


 一拍遅れて、壁の上半分が轟音とともに滑り落ちる。


 風と土煙と氷片が訓練場を満たした。


 その中心で、エルネは立っていた。


「……全部、外した」


 ミュゼが呟く。


「四回使って、この消費か」


 ガイウスがエルネの魔力を探るように見る。


「攻撃を受け止めていないもの」


 セレスティアは崩れた壁を見て、楽しそうに笑った。


「相手の力で、相手の魔法を外させる。面白い防御ね」


(先生、成功したよ)


『連続使用を確認しました』


 エルネが息を吐いた、その時だった。


 訓練場から離れた校舎の上層。


 太い柱の陰で、魔力が収束する。


 先ほどまでとは密度が違う。


 熱を孕み、細く鋭く絞られた光。


 エルネの全身が粟立った。


 考えるより先に、顔が弾かれたように上を向く。


『高出力魔力反応――』


(分かってる!)


 柱の陰で、白金の光が生まれた。


 そこにいたルシアンと、目が合う。


 魔法が放たれるよりも前に。


 ルシアンの目が、大きく見開かれた。


 直後、白金の光熱が訓練場を貫く。


「エルネ!」


 シオンが叫んだ。


 白金の奔流の前へ、鮮烈な淡青色の道が走る。


「流転軌《ベクトル・シフト》!」


 一つ目の環が回る。


 ほとんど曲がらない。


 二つ目。三つ目。四つ目。


 淡青色の環が階段のように連なり、回転するたびに光の道を少しずつ持ち上げていく。


 白金の光線が、その巨大な曲線に沿って空へ反った。


 エルネは膝を沈め、半歩だけ左へ身体を外す。


 光熱の奔流が頭上すれすれを通過した。


 髪の先が焦げる。


 白金の光は幻傷結界の天蓋へ激突し、学院上空を真昼のように染め上げた。


 空へ伸びる淡青色の軌道を、白金の奔流が駆け抜ける。


 轟音。


 結界一面に幾重もの光輪が広がった。


 遅れて、空気が爆ぜる。


 崩れた石壁の破片と氷片が宙へ巻き上がり、白と淡青の渦を作った。


 校舎の窓が一斉に震える。


 猛烈な熱風が吹き下ろし、シオンが氷壁を立てる。


 ガイウスは腕で顔を覆い、ミュゼの風が飛散物を外へ押し流した。


 エルネは片膝をつく。


 それでも、魔力はまだ残っていた。


 あの高威力の魔法を止めたのではない。


 ただ、届かない方向へ曲げただけだから。


「ルシアン」


 セレスティアが校舎を見上げた。


 柱の陰から、ルシアンが姿を現す。


「すみません。不意を突かれても反応できるか、試しておきたかったんです」


「だから隠れていたの?」


「見えていては、試す意味がありませんから」


「先に言ってください!」


「先に言ったら、不意打ちにならないだろう?」


「終わったあとで、すぐ言ってください!」


「それは今言っている」


「そういうことじゃありません!」


 ルシアンは言葉を返しながらも、エルネを見つめたままだった。


 攻撃を防がれたことに驚いたのではない。


 まだ光も熱も生まれていなかった時には、エルネはすでにこちらを見ていた。


「発動前から、気づいていたのか……」


 その声には、隠し切れない驚きが滲んでいた。


 エルネは荒い息を吐き、その場へ座り込む。


 氷柱。


 風弾。


 石弾。


 風刃。


 そして、完全に意識の外から放たれた光熱魔法。


 全部を受け止めたわけではない。


 全部、当たらない場所へ送った。


『十分な試行となりました』


「わかってる」

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