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第六十二話 当たるなら、外せばいい

『新しく作ります』


 昨夜、ロゴスはそう言った。


 だからエルネは、新しい攻撃魔法の作り方をすぐに教えられるものだと思っていた。


「右」


「え?」


 返事をした時には、足元から細い氷柱が伸びていた。


「わっ!」


 慌てて後ろへ跳ぶ。


 勢いを殺しきれず、エルネはそのまま尻もちをついた。


「今のは、後ろじゃなくて右だよ」


 早朝の訓練場。


 向かいに立つシオンは、いつもと変わらない穏やかな顔をしていた。


「右に動いたら、当たってた気がします」


「当たらない位置に出したから大丈夫」


「本番だったら?」


「当たってたね」


「大丈夫じゃない!」


 腰をさすりながら立ち上がる。


 訓練を頼んだのは自分だが、始まってからまだ十分も経っていないのに、もう四回転んでいた。


「もう一度いくよ」


「少し待ってください」


「実戦で相手は待ってくれないよ」


「シオン先輩まで同じことを言う……」


「誰と?」


「学院の先生です!」


 エルネは慌てて言い直した。


 シオンはわずかに首を傾けたが、それ以上は追及しなかった。


「じゃあ、今度は大きく動かないように」


「大きく動かないと当たりませんか?」


「攻撃が通る場所から外れればいい。必要以上に離れる必要はないよ」


 シオンが片手を上げる。


 エルネは指先へ集中した。


 魔力が集まっていく。


 右か。


 それとも左か。


 そう考えた瞬間、背後に何かが膨らんだ。


 エルネは反射的に前へ飛び出す。


 直後、背中のすぐ後ろを冷気が通り抜けた。


 振り返れば、地面から氷柱が伸びている。


「今のは、僕の手を見ていたら避けられないはずなんだけど」


「後ろから来る気がしました」


「冷気が出る前に動いていたよ」


「じゃあ……なんとなくです」


 自分でも、うまく説明できない。


 氷も冷気も生まれていなかった。


 ただ、その場所に魔力が集まり、何かの形になろうとしていることだけが分かった。


 シオンは氷柱を消すと、今度は腕を下ろしたまま魔力を動かした。


 右。


 左。


 足元。


 エルネの視線が、その動きを追う。


 しかし魔法は発動しなかった。


「今は?」


「最初は右です。次が左で、最後は足元。でも、どれも途中で消えました」


「なるほど」


 シオンは顎へ手を添えた。


「もう一度試そう」


 今度は視線も動かさない。


 腕も杖も使わない。


 それでも、地面の下へ魔力が染み込んだ瞬間、エルネには分かった。


 右へ半歩。


 元いた場所から、細い氷の棘が飛び出した。


「……やっぱりだね」


「何がですか?」


「君は、魔法の発動に気づくのが速い」


「目がいいってことですか?」


「いや。目がいいというよりは、感知能力が高いんだと思う」


「私の?」


「うん。魔力が集まる場所だけじゃない。それが術式として形になるかどうかまで、かなり早い段階で感じ取っている」


 褒められた。


 思わず頬が緩みかける。


「でも、避け方はひどいね」


「先に褒めたまま終わってくれませんか?」


「実戦で転んだら、そのまま次の攻撃を受けるからね」


 やはり、素直には喜ばせてもらえなかった。


 シオンがエルネの正面へ立ち、肩へ手を伸ばす。


 エルネは大きく後ろへ跳んだ。


「動きすぎ」


「捕まりそうだったので」


「肩に触れられないだけなら、これで十分だよ」


 もう一度、手が伸びる。


 今度はシオンがエルネの肩を軽く押した。


 身体が半歩だけ横へずれる。


 指先が制服のすぐ脇を通り過ぎた。


「大きく逃げようとすると、次の動作が遅れる。攻撃が通る場所から、必要な分だけ身体を外すんだ」


「でも、近いです」


「接近された時の訓練だからね」


「怖いんですけど」


「怖いからこそ、身体が固まらないように練習する」


 黒い短剣が振り下ろされる光景が蘇る。


 何もできないエルネの前へ、カレンが飛び込んだ。


 身体が固くなる。


「エルネ」


 シオンの声は穏やかだった。


「今は、あの時とは違う」


 エルネは顔を上げた。


「君はもう、次に何をすべきか考え始めてる。それなら、練習すればいい」


「……はい」


「君に足りないのは、危険を見つける力じゃない。見つけた危険へ、身体を合わせる技術だ」


 シオンは少し距離を取った。


「本来、学生でいる間は幻傷結界があるから、ここまで気にされることは少ないんだ」


「幻傷結界があるから?」


「実技で攻撃を受けても、命を落とすことはない。だから授業では、自分の魔法を完成させることや、相手へ当てることが優先される」


 選抜戦でも、対抗戦でもそうだった。


 痛みはある。


 倒されれば敗北にもなる。


 けれど、本物の刃で身体を斬られるわけではない。


「冒険者になりたい魔導士なら、別かもしれないけどね。魔物との戦いには、幻傷結界なんてないから」


「シオン先輩たちは、どうやって身を守ってるんですか?」


「避けるだけが防御じゃないよ」


 シオンが片手を上げる。


 薄い水の膜が腕を包み、瞬く間に透明な氷へ変わった。


「防御魔法というものもある」


「氷の壁ですか?」


「壁に限らない。僕なら水や氷で攻撃を受け止めたり、相手の動きを固定したりする。会長も風や雷を応用して身を守っている」


「二人とも、自分の属性を使ってるんですね」


「うん。得意な属性と戦い方を組み合わせて、自分に合った防御を作っている」


 シオンの細い目が、エルネへ向けられる。


「君にも、君にしかできない防御魔法があればいいんだけど」


「私にしかできない……」


「君は、攻撃が発動する前に気づける。その長所を使わないのは、もったいない」


「でも、気づいた後に何をすればいいか分かりません」


「だから、まず身体の動かし方を覚える」


 シオンが再び構えた。


「魔法については、僕のやり方をそのまま教えない方がいいだろうね」


「どうしてですか?」


「僕の防御は、水と氷を扱えることが前提だから。君が同じものを覚えても、君らしい魔法にはならない」


 足元に魔力が集まり始める。


「今は、魔法に頼らず避ける。君だけの防御を考えるのは、そのあとだ」


「はい」


「もう一度いくよ」


 魔力の流れが変わる。


 エルネは今度こそ大きく跳ばず、氷柱が伸びる場所から半歩だけ身体を外した。


     ◇


 訓練を終えたあと。


 エルネは訓練場の端へ腰を下ろし、膝の上で黒い本を開いた。


(先生)


『はい』


(私の感知能力が高いこと、知ってた?)


『魔力変化への反応が平均より早いことは観測していました』


(どうして教えてくれなかったの?)


『察知後の行動が遅く、実戦上の優位性が低いと判断していました』


(先に長所を教えてから、弱点を言ってくれない?)


『今後、報告順序を検討します』


(本当に?)


『検討すると回答しました』


 期待はしない方がよさそうだった。


(シオン先輩が、私にしかできない防御魔法があればいいって)


『記録しています』


(先生が作るのは、攻撃魔法じゃなかったの?)


『訂正します。攻撃と防御を分離する必要はありません』


(どういうこと?)


 黒いページに、人影が二つ浮かぶ。


 一方が踏み込み、剣を振り上げる。


 もう一方の前には、薄い壁が現れた。


『一般的な防御は、攻撃を受け止めます』


 剣が壁へぶつかり、止まる。


『しかし、攻撃を完全に停止させるには、大きな力が必要です』


 今度は壁が消えた。


 剣が振り下ろされる直前、人影の肩へ横から小さな力が加わる。


 体勢がわずかに崩れ、剣の軌道が外れた。


『相手を止める必要はありません。攻撃が外れるだけの変化を与えれば、防御は成立します』


(シオン先輩が教えてくれた避け方と同じだ)


『はい』


 大きく逃げる必要はない。


 攻撃が通る場所から、少しだけ外れる。


 同じように、相手を吹き飛ばす必要もない。


 攻撃が外れるだけ、相手の姿勢をずらせばいい。


(それを魔法でやるの?)


『はい』


(何属性になるの?)


『現時点では決定しません』


(決めなくていいの?)


『私はこれまで、火、水、風、土という既存の分類へ、私の知識を適合させようとしていました』


 ページに、蒼炎針、霧星糸、空律鋏、磁界釦が浮かぶ。


『しかし、順序が逆でした』


(順序?)


『先に属性を選ぶ必要はありません』


 四つの術式が消える。


 代わりに、石が落ちる軌道、水の流れ、揺れる木片、ぶつかり合う物体が描かれた。


『必要な結果を定め、そのために必要な現象を、魔力によって再現します』


(先生の世界で知られていたことを、魔法にする?)


『はい』


(でも、先生の世界とこっちは違うよね)


『魔力の有無を除き、これまで観測した物理現象に重大な差異はありません』


 石は落ちる。


 水は低い場所へ流れる。


 物を押せば動き、ぶつかれば衝撃が伝わる。


 魔力と魔法が存在していても、それ以外の法則まで別物というわけではない。


『私の知識を応用した魔法を設計します』


(それが四大属性の魔法になることもある?)


『はい。結果として風属性や火属性に分類される可能性はあります』


(どれにも当てはまらないことも?)


『その可能性もあります。分類は完成後に行います』


 先に属性を決めるのではない。


 何を起こしたいのかを決め、その方法を考える。


(最初は何を作るの?)


『要求される機能を整理します』


 黒いページに、文字が並んだ。


《短時間で発動可能》


《接近状態で使用可能》


《敵の攻撃軌道を変更》


《回避と反撃を同時に補助》


(防御魔法なの? 攻撃魔法なの?)


『どちらでもあります』


(そんな魔法、あるの?)


『確認できません』


(また新しく作るんだ)


『はい』


 ロゴスは、いつもと変わらない平坦な声で続けた。


『あなたの感知能力と、私の知識を接続します』


(それで、何ができるの?)


 黒いページの上で、振り下ろされた剣の軌道が、ほんのわずかに逸れた。


『敵が攻撃を開始した瞬間、その攻撃を外すために必要な現象を発生させます』


 受け止めない。


 逃げ切ろうともしない。


 ただ、届くはずだった一撃を届かなくする。


 それは、シオンにもセレスティアにも教えられない。


 ロゴスが知る法則と、エルネの魔力感知。


 二つがそろって、初めて形になる魔法だった。


『次の訓練から、術式の設計を開始します』

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