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第五十九話 偽りの名を知る男

 事情聴取を終えた生徒たちが、会議室を出ていく。


 最後に席を立とうとしたセレスティアへ、学院長が声をかけた。


「少し残れ」


「ええ」


 教員たちも記録を抱えて退出し、重い扉が閉まる。


 室内に残ったのは、オルディスとセレスティアだけだった。


「皆の前では話せないことがあるのだろう」


「あら。分かっていたの?」


「お前が素直すぎた」


「ひどい評価ね」


 セレスティアは肩をすくめた。


 だが、すぐに笑みを消す。


「彼は知っていたわ」


 オルディスは黙って続きを待った。


「私の秘密を」


 学院長の目が僅かに細くなる。


「正確に話せ」


「私の名前を呼んだあと、こう言ったの。『その名が、偽りのものである程度は知っている』と」


「鎌をかけられた可能性は」


「あるかもしれない。でも、私の反応を確かめようとはしていなかった。すでに知っているように見えたわ」


 短い沈黙が落ちる。


 セレスティアの身元を知る者は限られている。


 学院内はもちろん、王国の中でも広く共有されている情報ではない。


「……であれば、王国の内部にいるな」


 オルディスが言った。


「内通者が」


「やっぱり、そう思う?」


「断定はできん。だが、可能性は高い」


「彼が知っていたのは、私のことだけではないわ」


 セレスティアは机の上に残された証言書を見る。


「エルネが、あの場にいることも知っていた」


「代表名簿を手に入れた可能性はある」


「それだけならね。でも、現れた時機がよすぎる」


 対抗戦は終盤。


 参加者は広域フィールドの各所に散らばり、多くが消耗していた。


「開始直後ではなく、終わり際を狙った」


「参加者が疲弊し、合流しにくい時機だな」


「ええ。それに」


 セレスティアは一度、言葉を切る。


「彼は最初にクラリスを狙っている」


「聖環側の生徒を、か」


「そこが分からないのよ。エルネが目的なら、クラリスを先に襲う理由がない」


 オルディスは目を伏せた。


「クラリスに、先に排除する理由があった」


「あるいは、口を封じる理由?」


「可能性はある」


「本人から話を聞く必要があるわね」


「聖環側が応じるか――クラリスが答えるかは分からんがな」


 セレスティアの表情が曇る。


 クラリスは被害者だ。


 だが、なぜ最初に狙われたのか。


 リュゼリア側には、その理由が見えない。


「彼らの狙いが、エルネだけとは限らないかもしれない?」


「そうなるな」


 短い返答だった。


「私も標的だった可能性がある?」


「標的とは限らん。確認対象かもしれん」


「どちらにしても、気分のいい話ではないわね」


「気分で判断するな」


「分かっているわ」


「王家には報告するの?」


「する。ただし、通常の経路は使わん」


「内通者がいるかもしれないから?」


「報告先を増やす理由はない」


「誰に伝えるの?」


「私が直接、情報を預けられる者だ」


「名前は?」


「伝える必要はない」


「私に関する話なのに?」


「だからこそだ。お前が知らなければ、漏らしようがない」


 セレスティアは数秒、学院長を見つめた。


 やがて、小さく息を吐く。


「相変わらずね」


「何がだ」


「信用している相手にも、必要以上のことは話さない」


「信用と情報管理は別だ」


「本当に嫌な言い方」


 それでも、反論はしなかった。


「エルネには?」


「話す必要はない」


「自分が狙われた理由に関係するかもしれないのに?」


「確証のない疑念を与えてどうする」


 エルネはすでに、単独行動を制限されている。


 黒い本についても監視対象になった。


 これ以上、不確かな不安を背負わせる必要はない。


「彼女には、すでに背負わせすぎている」


 セレスティアが少し意外そうに目を瞬いた。


「学院長が、そんなことを言うのね」


「私を何だと思っている」


「厳格で、融通が利かなくて、規則を優先する人」


「ずいぶんな評価だ」


「間違っている?」


「一部はな」


 セレスティアは僅かに笑った。


「では、私は何も知らない顔をしておくわ」


「そうしろ。余計な真似もするな」


「あら。信用していないの?」


「お前の好奇心を信用していない」


「それは正しいかもしれないわね」


 扉へ向かったセレスティアが、最後に振り返る。


「次は、どこを調べるの?」


「対抗戦が決まった経緯から洗い直す」


「見つかるかしら」


「見つからないように消えていれば、それも答えになる」


 セレスティアは頷き、会議室を出た。


     ◇


 ルシアンは、一人で渡り廊下を歩いていた。


 学院内は、表向きいつも通りだった。


 広域フィールドで何が起きたのか。


 カレンとクラリスが重傷を負ったことすら、ほとんどの生徒は知らない。


「少しいいかな」


 背後から声をかけられ、ルシアンは足を止める。


 振り返ると、シオンが立っていた。


「何でしょう、シオン先輩」


「対抗戦中の君の動きについて、少しね」


「事情聴取は終わったはずですが」


「個人的な興味だよ」


「答える義務は?」


「ない」


「そう言われると、断りづらいですね」


「それを期待している」


 シオンは穏やかに笑った。


「君の目的は、エルネ・フィルの観察……かな」


「ええ。隠すつもりは、もとよりありません」


「以前から?」


「はい。彼女の魔法について、上へ報告するよう求められていました」


「君の御父上……いや、禁書庫絡みかい」


「父から直接命じられたわけではありません」


「では、報告先が禁書庫に関係している?」


「否定はしません」


 ルシアンは淡々と答える。


「対抗戦では、合流より観察を優先しました。実戦に近い状況で、彼女がどう魔法を組み立てるのか確認する機会でしたから」


「結果として、代表としての動きから外れた」


「その点は認めます」


 シオンは少しだけ歩調を緩めた。


「僕は、こちら側の情報を流した人物がいるとにらんでいる」


 ルシアンが隣へ視線を向ける。


「なぜ、そう思うのですか?」


「僕でなくとも疑うさ。聖環側の作戦が、あまりにも上手くはまっていたものだからね」


 リュゼリア側の代表は、広域フィールドの各所へ分断された。


 能力に合わせるように相手を割り振られ、合流する機会も潰されている。


「こちらの代表構成や能力を、事前に把握していた可能性がある」


「そうですか」


 ルシアンは悪びれずに答えた。


 シオンが横目で見る。


「驚かないんだね」


「多少のイレギュラーがあっても、会長と副会長がいれば、対抗戦自体は問題ないでしょう」


「他人任せだね」


「自分の実力は、分かっているつもりです」


 シオンの笑みが、僅かに深くなる。


「それは、どちらの意味でだい?」


「どちらだと思いますか?」


「質問に質問で返すのは感心しないな」


「先輩に倣いました」


「それは困った。悪い影響を与えてしまったらしい」


 ルシアンは何も答えず、前へ視線を戻した。


「後悔は?」


「観察を優先した判断そのものが間違いだったとは思いません。ですが……礼拝堂で加勢しなかった点については、カレン先輩に申し訳なく思っています」


 シオンはルシアンを見た。


 隠している様子はない。


 自分の判断を飾りもせず、正当化もしない。


「黒い本について、何か分かった?」


「いいえ。既存の魔法体系に当てはまらない術式を使う。それ以上のことは」


「禁書だと思う?」


「判断材料が足りません」


「ヴァレルとの関係は?」


「分かりません。ただ、無関係とは考えにくくなりました」


「理由は?」


「エルネ・フィルは、自分でも分からない理由で狙われています。そして、彼女が持つ最大の特異性は、あの黒い本です」


「本人が特別という可能性もある」


「あります。だから、まだ断定できません」


 ルシアンは少し間を置く。


「思ったより、根が深そうです」


「黒い本が?」


「それを巡る問題が、です」


 未知の魔法。


 正体不明の侵入者。


 不気味な聖像。


 すべてが繋がっている証拠はない。


 だが、無関係と考えるのも難しい。


「それと、シオン先輩」


「何かな」


 ルシアンは足を止めた。


「断界のヴァレル。その名に、心当たりがあったのでは?」


 シオンは一度、目を瞬いた。


「なぜ、そう思うんだい?」


「名前を聞いた時、驚いていませんでした」


「僕は驚きを顔に出す方ではないからね」


「十分、表情は豊かだと思いますが」


「そうかな」


「では、知らなかったのですか?」


「少なくとも、僕が直接知る人物ではないよ」


「また、答えを限定しましたね」


「正確に答えただけさ」


 ルシアンはしばらくシオンを見つめた。


 穏やかな笑みは崩れない。


「分かりました」


「信じてくれた?」


「いいえ。ただ、これ以上聞いても答えないことは分かりました」


「僕は答えているつもりだけれど」


「シオン先輩が、疑われるような答え方をするからです」


「性格なんだ」


 二人は再び歩き出す。


「今回のことも、報告するのかな」


「確認できた事実は」


「僕との会話も?」


「必要があれば」


「それは困ったな」


「何か都合の悪いことでも?」


「後輩を捕まえて、意味のない質問をしていたと思われる」


「実際、その通りでは?」


 ルシアンが僅かに笑う。


「シオン先輩も、何か分かったら教えてください」


「僕が?」


「ええ。断界について」


「考えておくよ」


「教えるとは言わないのですね」


「正確さを重視しているからね」


 二人は分かれ道で足を止めた。


「では、失礼します」


「ああ。またね」


 ルシアンが去っていく。


 シオンは笑顔のまま、その背中を見送った。


「困った後輩だね」


 小さな呟きを聞く者は、誰もいなかった。

申し訳ありません、話の修正を誤り同じ話を投稿してしまいました。

以後、気をつけます。

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