第四話
石の足音が、背後から追ってくる。
ごつん。
ごつん。
ごつん。
人の足音ではない。
エルネは黒い本を抱えたまま、演習用ダンジョンの通路を走っていた。
「先生! あれ何!?」
『解析中です。対象は石材、魔力線、古い駆動術式によって構成されています。暫定分類、石造自律人形』
「つまり!?」
『石の人形です』
「最初からそう言って!」
エルネは角を曲がった。
青い誘導灯が壁を照らしている。
学院が管理している、安全な演習区域のはずだ。
なのに、背後から古い石の人形が追ってきている。
安全とは何か。
あとで学院に辞書を提出してほしい。
『補足します。演習区域の安全術式とは異なる系統です』
「学院の管理外ってこと!?」
『その可能性が高いです』
「最悪!」
『まだ最悪ではありません』
「今より悪くなるの!?」
『はい』
「黙って!」
背後で、どん、と壁が震えた。
エルネは思わず振り返る。
青い光の奥に、石の影が見えた。
人の形をしている。
だが、人ではない。
胴体は古い石板を積み重ねたようで、腕は太く、指は三本。
顔に目鼻はなく、額のあたりにひび割れた魔法陣だけが光っている。
石造自律人形。
ロゴはそう言った。
エルネから見れば、ただの怖い石である。
「止められないの!?」
『あなたの既製術式による攻撃成功率は二パーセント未満です』
「その数字、聞き飽きた!」
『専用術式を構築すれば、停止可能性があります』
「じゃあ作って!」
『対象情報が不足しています。逃げながら観察してください』
「無茶言う本ね!」
『私は本ではありません』
「そこは譲らないのね!」
エルネは前を向いた。
正面の通路は広い空間につながっている。
授業で配られた地図なら、発光苔の採取場所のはずだ。
「広い場所なら、どうにかなる?」
『観測範囲が広がる利点があります』
「欠点は?」
『対象も動きやすいです』
「先に言って!」
それでも、今さら戻れない。
エルネは広間へ飛び込んだ。
壁一面に発光苔が生え、淡い緑の光が空間を満たしている。
中央には小さな水場。
床には演習用の魔石片がいくつか落ちていた。
本来なら、ここで採取して課題を終える。
平和な場所のはずだった。
石造自律人形が、入口に現れるまでは。
『対象の駆動中枢は額部の魔法陣です。停止させれば動作を止められる可能性があります』
「あの光ってるところ?」
『はい』
「遠い!」
『第二案。対象を水場へ誘導し、足元の摩擦を低下させます』
「それ!」
『あなたが囮になります』
「却下って言いたい!」
『代替案は成功率が低下します』
「……分かったわよ!」
エルネは水場の向こう側へ走った。
「こっち!」
石人形の額が光る。
重い足音が近づく。
怖い。
ものすごく怖い。
けれど、逃げるだけでは駄目だ。
石の足が水場に入った。
『今です。水場周辺の床術式へ干渉してください』
「床術式って何!?」
『演習区域の排水制御式です。あなたには見えています』
その声は、妙に確信を持っていた。
エルネは歯を食いしばる。
見る。
床を見る。
水場の縁に、薄い術式があった。
水を溜める線。
流す線。
それから、安全演習用に転倒を防ぐ補助線。
そこだ。
「滑り止めを、ほどく!」
『正確には一時停止です』
「今はどっちでもいい!」
エルネは魔力を流した。
細く。
鋭く。
床の術式の隙間へ。
『魔力量を抑えてください。三割低下』
「はいはい!」
水場の床が、きらりと光った。
石人形の足が滑る。
ごん、と鈍い音。
石の巨体が横へ傾いた。
「やった!」
『未完です』
「え?」
石人形は倒れなかった。
片腕を床につき、強引に体勢を立て直そうとしている。
額の魔法陣が強く光った。
『対象の駆動出力が上昇しています』
「怒ってる!?」
『感情の有無は不明です。ただし挙動は怒りに近似しています』
「怒ってるじゃない!」
石人形が腕を振るった。
エルネは横へ飛び退く。
石の指が床を砕き、破片が頬をかすめた。
「痛っ!」
『損傷を確認。出血あり』
「今は大丈夫!」
指に、ほんの少し血がついた。
その瞬間、黒い本のページがざわりと揺れた。
それまで淡々と文字を浮かべていた紙面に、黒い線が走る。
一行。
二行。
三行。
まるで、誰かが怒りに任せて書き殴っているように。
『対象脅威度を更新』
「先生?」
エルネは、黒い本を見下ろした。
ロゴの声は、変わらず静かだった。
静かすぎた。
『対処案を再計算します』
ページの文字が、さらに増える。
読めないはずの文字なのに、意味だけが頭に刺さってくる。
破壊。
焼却。
封印式ごとの消去。
周辺構造の切断。
「……先生?」
『対象の完全破壊案を提示可能です』
その声に、エルネは初めて思った。
この本は、自分を助けようとしている。
たぶん。
けれど、その助け方を間違えたら。
この場所ごと、壊す。




