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第四十一話 敵を狙うな

 礼拝堂跡を映していた魔導投影盤が、唐突に乱れた。


 崩れかけた柱。


 ひび割れた石床。


 色褪せた祭壇。


 そこへ、礼拝堂にはないはずの光景が重なっていく。


 湿った石壁。


 天井の低い地下通路。


 床を流れる細い水。


 一瞬だけ、リシアとガイウスらしき人影まで映り込んだ。


 だが、次の瞬間には消えている。


「観測座標が混線しています!」


 投影術式を担当していた教員が声を上げた。


「礼拝堂跡と中央砦地下の情報が、同一地点として出力されています!」


「観測術式への妨害か?」


「いえ。術式そのものは正常です」


「正常だと?」


「取得した情報を、そのまま投影しています」


 ならば、観測術式が受け取っている情報の方が狂っている。


 盤面の中で、エルネが誰もいない方向へ振り返った。


 そのすぐ近くには、杖を構えたカレンがいる。


 カレンが何かを叫ぶ。


 だがエルネは、声が届いた方向とは反対側へ顔を向けた。


 次の瞬間。


 カレンが虚空へ炎を放つ。


 離れた場所にいたエルネが、その炎を避けるように身を伏せた。


 二人が見ている景色は同じではない。


 いや。


 見えているもの自体は、どちらも本物なのかもしれない。


 ただ、その位置と方向が一致していなかった。


「幻術反応は?」


「ありません」


「精神干渉もか?」


「既知の反応は検出されていません」


 観客席にざわめきが広がる。


 昨年と同じだった。


 誰もいない場所へ攻撃する。


 存在しない何かを避ける。


 すぐそばにいる味方へ、声を届けることすらできない。


 昨年、聖環学院は一年生一人だけを団体戦へ出場させた。


 ノア・ヴェイル。


 その一人に、リュゼリアの生徒会四人は何もできないまま崩された。


 魔導投影盤が激しく明滅する。


 エルネとカレンの姿が、砂嵐の中へ沈むように消えた。


     ◇


「エルネ!」


 声は背後から聞こえた。


 エルネは振り返る。


 誰もいない。


 崩れた壁と、半ば土へ埋もれた長椅子があるだけだ。


「返事をしてください!」


 今度は右側だった。


 柱の向こうに、カレンが立っている。


 杖を構え、周囲を警戒していた。


「カレンさん!」


 駆け寄ろうとした瞬間、外套を強く引かれた。


「どこへ行くつもりですか!」


 声は遠くの祭壇側から聞こえた。


 だが、実際のカレンはエルネのすぐ左にいた。


 片手で外套をつかみ、もう片方の手で杖を握っている。


 左肩をつかまれているように見える。


 けれど、締めつけられる感触は右手首にあった。


「カレンさん……そこにいるんですよね?」


「あなたの隣にいます」


 答えは頭上から降ってきた。


 カレンの姿は一つだけだった。


 カレンは、ちゃんとカレンに見える。


 しかし、その姿が見える場所と、声が聞こえる方向と、触れられている感覚と、魔力反応がすべて違っていた。


『視覚、聴覚、触覚、および外部魔力感知の参照位置に不整合を確認』


(見れば分かるよ……!)


『平衡感覚にも継続的な偏差があります。姿勢を大きく修正しないでください』


 床が傾いた。


 そう感じた。


 エルネは倒れまいと右脚を踏み出す。


 だが、実際の石床は平らだった。


 身体が勢いよく横へ流れ、肩から柱へぶつかる。


「痛っ……!」


 幻傷印が赤く明滅する。


 ぶつかった感触は、わずかに遅れて反対側の肩から伝わってきた。


 胃が持ち上がる。


 頭の奥が揺れている。


 船酔いに似ていた。


 目を閉じても治まらない。


 閉じたはずの視界には、崩れた礼拝堂がまだ残っている。


 本当に目を閉じているのか。


 それとも、閉じているつもりになっているだけなのか。


 それさえ分からなかった。


「伏せてください!」


 カレンの声が正面から届く。


 同時に、背後で炎が弾けた。


 エルネは黒い本を抱え、反射的に身を伏せる。


 頭上を何かが通り過ぎた。


 右側の壁へ衝撃が走り、石片が飛び散る。


 だが、その破砕音は左側の柱から聞こえてきた。


「どこから……?」


 攻撃そのものは本物だった。


 見えている。


 聞こえている。


 魔力も感じている。


 それなのに、どこから飛んできたのかだけが分からない。


「エルネ、動かないでください!」


 カレンが杖を振るう。


 杖先から放たれた炎が、礼拝堂の奥へ走った。


 エルネには、何もない壁へ撃ったように見えた。


 しかし、その直後。


 カレンの炎とは違う、白い魔力の塊が、エルネのすぐ横を通過した。


 熱も音もない。


 ただ、通り過ぎた後から、強い風圧だけが遅れて届く。


「今のが……ノアの攻撃?」


 答えを確かめる暇はなかった。


 祭壇の前に、白に近い髪の少年が立っている。


 細い身体。


 眠たげな瞳。


 ノアだった。


 今度こそ間違いない。


 外部魔力感知も、そこに敵の反応があると告げている。


 エルネは右手を向けた。


 青い炎が指先へ収束する。


 魔力は正常に流れる。


 術式も正しく組み上がる。


「蒼炎針《アズール・ニードル》!」


 青い針が真っ直ぐ飛んだ。


 ノアの胸を貫く。


 そのはずだった。


「エルネ!」


 カレンの鋭い声が響く。


 蒼炎針の先に、カレンの姿があった。


 違う。


 カレンが飛び込んできたのではない。


 最初から、そこに立っていたのだ。


 エルネがノアだと思っていた位置に、実際にはカレンがいた。


「消えて!」


 エルネは慌てて術式を解く。


 蒼炎針が形を失い、青い火花となって散った。


 それでも一部がカレンの肩をかすめる。


 幻傷印が小さく赤く光った。


「カレンさん!」


「私は平気です!」


 声は背後から聞こえた。


 けれど、カレンはエルネの正面にいた。


 肩を押さえながらも、杖を下ろしてはいない。


「すみません。ノアが、そこに……」


「分かっています」


 カレンは短く答えた。


「私にも、あなたの近くに敵の魔力が見えました」


「見えた?」


「感じた、の方が正確ですね。ですが、今はどちらでも同じです」


 敵の魔力が、エルネの位置へ重なっている。


 攻撃の気配も、エルネのいる方向から届く。


 カレンには、エルネのそばにノアがいるように感じられているらしい。


「私から離れてください」


 カレンが言った。


「え?」


「あなたのそばに敵がいるように感じます。このままでは、攻撃へ巻き込む」


「でも、離れたら……」


 エルネは周囲を見た。


 カレンの姿は、すでに実際より遠くに見えている。


 今ここで離れれば、次にどこへいるのか分からなくなる。


「離れたら、合流できないかもしれません」


「……そうですね」


 カレンも理解していた。


 近くにいれば、ノアを狙った攻撃に味方を巻き込む。


 離れれば、声も位置も分からなくなる。


 どちらを選んでも危険だった。


 礼拝堂のどこかで、小さな音がした。


 正面。


 いや、左。


 敵性魔力はカレンの背後にある。


「カレンさん、後ろ!」


 エルネが叫ぶ。


 カレンは横へ跳んだ。


 だが、攻撃は来なかった。


 代わりに、エルネの背中へ衝撃が走る。


「きゃっ!」


 身体が石床へ投げ出された。


 幻傷印が赤く明滅する。


「エルネ!」


 カレンが駆け寄る。


 その足元で炎が爆ぜた。


 熱によって筋肉と関節を戦闘状態へ引き上げ、踏み込みを加速する。


 エルネには、そのカレンの背後に白い魔力反応が見えた。


「止まって!」


 蒼炎針を向ける。


 だが、撃てない。


 敵性魔力は確かにそこにある。


 しかし、撃てばカレンにも当たる。


「どうしました!」


「カレンさんの後ろに……でも、撃てません!」


 カレンが振り返る。


 杖を振るい、炎を放った。


 その攻撃がエルネへ迫る。


「えっ?」


 エルネは身を伏せた。


 赤い炎が頭上を抜け、背後の壁へ衝突する。


「すみません!」


 カレンがすぐに謝った。


「私には、あなたの後ろにいるように見えました!」


 互いに相手を攻撃したいわけではない。


 相手を疑っているわけでもない。


 守ろうとしている。


 ノアを狙っている。


 それなのに、敵へ向けたはずの攻撃が味方へ飛ぶ。


 エルネは立ち上がろうとした。


 だが、足元が沈んだように感じる。


 身体を前へ起こしたつもりが、実際には後ろへ仰け反っていた。


 何度も姿勢を直す。


 そのたびに脚と腰へ余計な力が入る。


 呼吸が浅くなっていく。


 まだ大きな魔法は一度しか使っていない。


 それなのに、全身が重い。


『魔力残量が継続的に低下しています』


(どうして……?)


『術式発動による消費ではありません』


 ロゴスの声は、いつもと変わらず冷静だった。


『矛盾する知覚情報に対し、身体および魔力循環が補正を繰り返しています』


 傾いていない床で転ばないように、全身へ力を入れる。


 存在しない敵性魔力へ備え、無意識に防御へ魔力を回す。


 正しい位置を探そうとして、魔力感知を何度も広げ直す。


 何もしていなくても、体力と魔力を使わされている。


「カレンさん」


「何ですか」


「この結界、迷わせるだけじゃありません」


 エルネは荒い息を吐いた。


「感覚のずれを直そうとするほど、身体と魔力が削られています」


 カレンの表情が険しくなる。


 彼女の呼吸も荒かった。


 火属性の身体強化で、狂った姿勢を何度も強引に修正している。


 動ける分だけ、消耗も激しい。


「あと、どれくらい動けますか」


「分かりません」


「私もです」


 カレンは一度、杖を下ろしかけた。


 しかし、すぐに構え直す。


「ですが、攻撃をやめるわけにもいきません」


「でも、次は本当に当たるかもしれません」


 エルネの蒼炎針が。


 カレンの炎が。


 今度は途中で消せないかもしれない。


 カレンは周囲へ視線を巡らせた。


 その目にも、どこまで正しい景色が映っているのか分からない。


「私が前に出ます」


「だめです」


「あなたを巻き込むよりはいい」


「一人になったら、もっと狙われます」


「なら、どうしますか」


 答えられなかった。


 近くにいれば、攻撃できない。


 離れれば、守れない。


 立ち止まれば、体力と魔力を削られる。


 動けば、平衡感覚を狂わされて隙をさらす。


 敵の姿は見える。


 声も聞こえる。


 魔力も感じる。


 だが、どれ一つとして正しい位置を示していない。


「これが……」


 エルネは黒い本を強く抱いた。


「ノアの術式なんですか」


 昨年の記録を思い出す。


 何もない場所へ攻撃する上級生たち。


 味方の魔法から逃げ回る姿。


 どうして敵へ攻撃しないのか。


 どうして四人もいて、一人を倒せないのか。


 今なら分かる。


 攻撃しなかったのではない。


 攻撃できなかったのだ。


 敵を狙えば、仲間を巻き込む。


 仲間を守ろうとすれば、敵を狙えない。


 その迷いすら、体力と魔力を奪っていく。


「無理です」


 エルネの口から、言葉がこぼれた。


「敵がどこにいるのか分からないのに、どうやって攻撃を当てればいいんですか」


「諦めないでください」


 カレンの声は厳しかった。


 だが、そこに責める響きはなかった。


「カレンさんだって、攻撃できてないじゃないですか」


「ええ。できません」


 カレンはあっさり認めた。


「あなたを巻き込む可能性がある以上、迂闊には撃てない」


「じゃあ……」


「だから、あなたが考えてください」


 エルネは顔を上げた。


 カレンは杖を構えたまま、エルネの前へ立つ。


 敵の位置が分からない。


 攻撃の方向も分からない。


 それでも、エルネを守る位置だけは譲らない。


「私には、この術式を解く方法は分かりません」


 カレンの杖先に、小さな炎が灯る。


「ですが、敵の位置を正確に狙えないことくらいは分かります」


「それは……」


「なら、正確に狙わなくても当たる方法を考えてください」


 あまりにも無茶な言葉だった。


 敵がどこにいるか分からない。


 見えている場所も、感じる魔力も信用できない。


 それでも当たる魔法。


(そんなもの……)


 礼拝堂の奥で、また石を踏む音がした。


 音は背後から聞こえる。


 魔力反応は右。


 風圧は左から届いた。


 エルネは身を伏せる。


 今度は何も来なかった。


 代わりにカレンの足元で、石床が弾けた。


 カレンが炎を噴かせ、咄嗟にエルネをかばう。


 二人の身体が床を転がった。


 幻傷印が赤く明滅する。


 息が苦しい。


 魔力も、確実に減っている。


(どうすればいいの……)


『エルネ』


 ロゴスの声が響いた。


 狂った音の方向とも、外部魔力感知とも関係なく。


 その声だけは、いつもと同じ場所から届く。


『現状のまま戦闘を継続した場合、両名の脱落は避けられません』


(そんなこと、分かってるよ)


『はい』


 ロゴスは静かに答えた。


『したがって、敵を狙うという前提を破棄します』


 エルネは息を止めた。


『対抗手段を提案します』


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