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第四十話 戦場は三つに割れる

 ジル・レイフォードは、崩れた旧街道を駆けていた。


 足元で風が弾ける。


 石畳を蹴るたび、青白い放電が尾を引いた。


 追ってくる気配はない。


 カレンは、エルネを置いてまで追ってこなかったらしい。


 それでいい。


 ノアが現れた場所へ、わざわざ戻る理由などない。


「よし。逃げ切った」


 ジルが息を吐いた、その瞬間。


 踏み込んだ石畳が、白く凍った。


「おっと!」


 風歩《エア・ステップ》の起点が滑る。


 だが、ジルは倒れなかった。


 身体を低く沈め、片手を地面につく。


 滑った勢いをそのまま回転へ変え、青白い放電をまとった蹴りを前方へ放った。


 風の斬撃が、石畳の上を走る。


 凍結した地面が砕け、白い破片が舞い上がった。


 その向こうに、一人の青年が立っている。


 シオン・レイヴァン。


 乱れのない制服。


 冷静な表情。


 その周囲には、細かな氷の粒が静かに浮いていた。


「……今度は副会長か」


 ジルは口元をつり上げる。


 ノアを見た時の焦りは、もう薄れていた。


 目の前にいるのは、戦える相手だ。


「今日、当たり多くない?」


「あなたが走り回っているからでしょう」


「それもそうか」


 ジルの足元で放電が弾けた。


 次の瞬間、姿が消える。


 逃走ではない。


 シオンの正面へ、最短距離で踏み込んだ。


 右脚が振り抜かれる。


 シオンは半歩だけ下がり、眼前へ薄い氷板を展開した。


 蹴りが氷へ突き刺さる。


 亀裂が走った。


「砕けろ!」


 ジルが放電を叩き込む。


 氷板が爆ぜた。


 舞い散る破片の中へ、ジルは自分から飛び込んでいく。


 二撃目。


 三撃目。


 左右の蹴りが、風と放電をまとってシオンへ迫る。


 シオンは氷板を重ね、ひとつずつ受け流した。


 砕けるたび、次の氷が生まれる。


 ジルは最後の一枚を蹴り抜き、その反動で空中へ跳んだ。


「逃げ足には自信がありそうですね」


「逃げ足だけじゃないよ」


 ジルは崩れた壁を蹴る。


 上からシオンへ襲いかかった。


 途中で伸びた氷柱を踏み台にし、軌道を変える。


 敵の術式すら足場にして、シオンの側面へ回り込んだ。


 放電をまとった踵が、肩口を狙う。


 シオンは腕を上げる。


 薄い氷が幾重にも重なり、蹴りを受け止めた。


 衝撃で氷が砕ける。


 シオンの身体が、半歩だけ押された。


「副会長、ちゃんと硬いじゃん」


「褒め言葉として受け取っておきます」


 シオンの指が動く。


 砕けた氷片が空中で止まった。


 すべての切っ先が、ジルへ向く。


「こわ!」


 氷片が一斉に放たれる。


 ジルは地面を蹴った。


 一つを避ける。


 二つ目を蹴り砕く。


 三つ目を身体をひねってかわす。


 四つ目が頬をかすめ、幻傷の光が散った。


 それでも速度は落ちない。


 ジルは氷片の間を抜け、再びシオンの懐へ飛び込んだ。


「一つ、確認します」


「いま?」


「答えそうですので」


「どういう評価?」


 ジルの蹴りと、シオンの氷壁が衝突する。


 放電が白い氷の表面を走った。


「誰と接触しましたか」


「それ言うと思う?」


 ジルは氷壁を蹴り、反動で宙返りする。


 着地と同時に、足元から風の刃を放った。


 シオンは斜めに氷柱を立て、風を上空へ受け流す。


「答えられない内容ではないはずです」


「……まあいっか。黒い本の一年と、風紀委員長」


「エルネ・フィルとカレン・ヴァーミリオンですね」


 シオンが一歩進む。


 その足元から、白い線が地面を走った。


 ジルは退かず、凍る寸前の石畳を蹴る。


 氷の線を飛び越え、そのままシオンの脇腹を狙った。


 氷板が滑り込み、蹴りを受け止める。


「確認しながら止めるの、性格悪くない?」


「攻撃しながら答える方に言われたくありません」


「俺はちゃんと戦ってるからね!」


 ジルは蹴りを引かず、風を爆発させる。


 氷板が砕けた。


 だが、その足首へ薄い氷の輪が絡みつく。


 シオンが腕を引いた。


 ジルの体勢が崩れる。


「うわっ」


 ジルは空中で身体を回し、反対側の足で氷輪を蹴り砕いた。


 そのまま後方へ着地する。


 そこは、ジルが走ってきた方向だった。


「なぜ逃げていましたか」


「逃げたんじゃなくて、戦略的移動」


 ジルは笑い、再び地面を蹴った。


 右から見せて、左。


 左から見せて、真上。


 放電の軌跡が複雑に交差する。


 シオンの周囲で、氷壁が次々と立ち上がった。


 だが、ジルは壁を避けない。


 蹴る。


 砕く。


 踏み台にする。


 氷の破片と風を足場に、さらに加速した。


「警戒しても、もう遅いけどね!」


 ジルの蹴りが氷壁を貫く。


 その奥にいたシオンへ届く寸前、足首が凍った。


 動きが一瞬止まる。


 シオンは静かに横へずれた。


 ジルの身体だけが、勢いのまま前へ流れる。


「聖環の代表ですか」


「そう!」


 ジルは凍った足へ放電を叩き込み、氷を破壊する。


 手を地面につき、回転蹴りを放った。


 シオンが身を沈める。


 蹴りが髪を揺らす。


 ジルの軸足が、再び白く凍った。


「ノアパイセンだよ!」


 風が爆発する。


 ジルは強引に足を引き抜き、後方へ跳んだ。


「ノア・ヴェイルですね」


「知ってんでしょ?」


「昨年見ましたから」


 ジルは笑いながら着地する。


 また一歩、来た方向へ戻っていた。


 シオンは走っていない。


 それでも、戦場は確実に移動している。


「エルネさんとカレンさんは、その場に残っていますか」


「残ってたよ。たぶん」


 答えながら、ジルは低く踏み込む。


 シオンの足元を狙った蹴り。


 地面から伸びた氷柱が、その軌道を上へ持ち上げる。


 ジルは氷柱を蹴り、今度は頭上から踵を落とした。


「ノア・ヴェイルが現れ、あなたは一人で離脱した」


「役目が終わったからね!」


「彼に退くよう言われたのでは?」


 ジルの踵が、一瞬だけ止まった。


 氷の帯が足へ絡みつく。


「……どっちでもいいだろ!」


 ジルは風を爆発させ、氷帯を引きちぎった。


 後方へ着地する。


 また来た道へ戻された。


 ジルは周囲を見回す。


 右は凍っている。


 左には氷柱。


 前へ進めば、足場が白く染まる。


 空中にも冷気が満ち、風歩の起点を乱している。


 反対に、背後だけは氷が薄い。


「……あれ?」


「どうしました」


「俺、戻されてない?」


「気づきましたか」


 シオンは淡々と答えた。


「あなたを止めること。あなたが来た場所を確認すること。その両方を同時に行っています」


「器用すぎない?」


「副会長ですので」


「その役職、そんなことまでするの?」


 ジルは苦笑する。


 だが、逃げようとはしなかった。


 腰を落とし、両脚へ青白い放電を集める。


 風が石畳の砂を巻き上げた。


「でもさ」


 ジルは楽しそうに笑った。


「質問ばっかりしてるってことは、まだ俺を倒せてないってことだよね」


「その解釈は自由です」


「じゃあ、そういうことにする」


 放電が弾けた。


 先ほどまでとは比べものにならない速度で、ジルが迫る。


 シオンの左右から氷壁が伸びた。


 ジルは正面から突っ込む。


 壁を蹴り砕き、破片を踏み台にさらに加速した。


「逃げ足じゃないところも、見せてやるよ!」


 放電をまとった蹴りが、シオンの胸元へ迫る。


 シオンは静かに右手を上げた。


 空気中の水分が、一点へ集まる。


 蹴りと氷が正面から激突した。


 風と冷気が爆発する。


 石畳に亀裂が走った。


 二人の間から、白い霧が噴き上がる。


 その霧を突き破り、ジルがもう一度前へ出た。


 シオンも退かない。


 激しくぶつかり合いながら、二人の戦場は少しずつ、ジルが来た方向へ移動していった。


     ◇


 西側渓谷。


 切り立った岩壁の間を、乾いた風が抜けていた。


 その中央に、セレスティア・ロウ・アステリアは立っている。


 正面には、レオン・ヴァイスハルト。


 左手の岩場には、グレイグ・バルト。


 右手の高所には、エリオット・ヴェイン。


 三人が、セレスティアを囲んでいた。


「ずいぶんと念入りね」


 セレスティアは周囲を見渡す。


「最初から、私をここへ留めるつもりだったのでしょう?」


「ええ」


 レオンは否定しなかった。


「あなたを自由にすれば、それだけで試合が決まる可能性がある」


「高く評価してくれているのね」


「事実を述べただけです」


 セレスティアは静かに微笑む。


「では、三人で私を倒すつもり?」


「可能ならば」


「正直で結構」


 エリオットの足元で、淡い魔力が広がった。


 谷間を抜けていた風が、三人の間を循環する。


 グレイグは地面へ手をついた。


 岩盤の奥を、土の魔力が走る。


 最後にレオンが右手を掲げた。


 三人の胸元に、同じ環の紋様が浮かび上がる。


 そこから伸びた光が、それぞれの魔力へ接続した。


「聖環連鎖《セイクリッド・リンク》」


 レオンの声とともに、三人の魔力の拍子が重なった。


 風が土を運ぶ。


 土が足場を作る。


 その上を、レオンの魔力が駆け抜ける。


 三人が別々に術式を使っているのではない。


 一つの術式を、三人で動かしている。


 セレスティアの目が、わずかに細くなった。


「なるほど」


 グレイグが地面を持ち上げる。


 岩壁が、セレスティアの左右にせり上がった。


 同時に、エリオットの風が背後を塞ぐ。


 退路を限定する。


 正面からレオンが踏み込んだ。


 セレスティアは動かない。


 足元へ土の魔力が届く寸前、光が弾けた。


 岩盤を走っていた魔力が砕ける。


 エリオットは即座に風の向きを変えた。


 砕けた石片が、セレスティアへ殺到する。


 彼女の周囲に風が巻いた。


 石片が軌道を変え、左右の岩壁へ突き刺さる。


 だが、その一瞬をレオンは逃さない。


 三人をつなぐ光が強くなる。


 頭上に風が集まり、足元から岩が伸びた。


 上下。


 左右。


 逃げ道が同時に閉じる。


「ようやく、止まりましたね」


 レオンが言った。


 土と風が、セレスティアを囲んでいる。


 その中心で、セレスティアは小さく笑った。


「ええ」


 金色の髪が、静かに浮き上がる。


「一瞬だけね」


 青白い雷光が、谷間を埋め尽くした。

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