第三十二話 七人まとめて、別々の場所へ
対抗戦の日程が、正式に決まった。
一週間後。
その知らせを聞いた時、エルネ・フィルは思わず黒い本を抱きしめた。
(早くない?)
『早いと判断します』
(だよね?)
『ただし、正式通達後の準備期間としては、規定上問題ありません』
(規定って怖い)
『規定は感情を考慮しません』
(怖い理由が分かった)
生徒会棟の会議室には、代表七名が集められていた。
会議室の前方では、マルクが大量の書類を抱えて立っている。
「正式ルールを確認します!」
マルクの声は、いつもより少しだけ高い。
「試合形式は、代表七名による団体戦。試合場は幻傷結界によって構築される広域フィールドです。環境条件は、旧時代の国境要塞を模した複合地形。中央に朽ちた城砦、周囲に森林、湿地、渓谷、旧街道、地下水路を含みます」
前に聞いた内容だ。
けれど、正式な言葉として読み上げられると、重さが違った。
「試合時間は二時間。幻傷判定により、一定以上の損傷、意識喪失、継戦不能が確認された場合は自動退場となります。退場者は試合終了まで復帰できません」
マルクは紙をめくる。
「意図的なフィールド外脱出は逃亡と見なされます。この場合も復帰は認められません」
「逃げ場なし、ということか」
ガイウスが小さく呟く。
「正確には、戦場の外へ逃げることを勝敗に含めない、ということです」
シオンが補足した。
「言い方を変えても怖いです」
エルネが言うと、シオンは穏やかに微笑んだ。
「怖がっていていいよ」
「前も聞いた気がします」
「大事なことは繰り返すものだね」
マルクが軽く咳払いした。
「続けます。開始時、各代表はフィールド内の指定範囲へ転送されます。ただし、転送地点は個別にランダムです」
会議室の空気が、少し変わった。
「つまり、開始直後に全員が散らされる」
リシアが言った。
「そういうことになります」
マルクは頷いた。
「また、魔道具および補助魔道具の使用は認められます。ただし、事前登録されたものに限ります。殺傷目的、結界破壊目的、外部干渉目的の魔道具は禁止です」
エルネは、自分の腕の中の黒い本を見下ろした。
黒い本は、表向きには魔導書型補助具として登録されている。
(使っていいんだって)
『使用許可を確認しました』
(よかった)
『ただし、許可されていることと、安全であることは同義ではありません』
(すぐそういうこと言う)
セレスティアが静かに手を合わせた。
「では、作戦を決めましょう」
それだけで、会議室の空気が切り替わった。
マルクは一歩下がり、地形図を机の中央に広げる。
城砦。
森林。
湿地。
渓谷。
旧街道。
地下水路。
広い。
そして、複雑だった。
「まず前提」
シオンが地形図を見る。
「開始直後は、全員が分断される。合流を急ぎたいところだけれど、無理に最短距離を進むのは危険だね」
「足場が良すぎる道は疑え、でしたね」
エルネが言うと、ガイウスが笑った。
「お、覚えてるな」
「怖かったので」
「それは悪かった」
ガイウスは地形図の三箇所を指した。
「合流地点の候補は三つ作る。城砦の外壁南側、旧街道の分岐、地下水路の西出口。ただし、どれも絶対じゃない。近い場所を使う」
「水場は私が確認します」
リシアが言った。
「湿地と地下水路では、私が優位を取れる可能性があります」
「頼もしいな」
ガイウスが頷く。
「俺は地形を見ながら合流路を作る。壁を作るより、道を残すことを優先する」
「私は?」
エルネが尋ねる。
シオンが答えた。
「君は、まず無理に戦わないこと。違和感を覚えたら伝える。術式、地形、魔力の流れ、何でもいい。君の目と黒い本は、普通の術者とは違うものを拾える」
「分かりました」
「それから、単独で敵を追わない」
「はい」
「本当に?」
「はい」
『回答速度が速すぎます』
(黙ってて)
カレンは黙って地形図を見ていた。
転送地点はランダム。
その一文だけで、胸の奥がわずかに重くなる。
エルネ・フィルの近くにいられる保証がない。
それは、セレスティアから頼まれた役目にとって、決して小さくない問題だった。
だが、表情には出さない。
これは、セレスティアと自分だけが知る話だ。
「カレンさん?」
エルネが首を傾げる。
「いえ。問題ありません」
カレンは静かに答えた。
問題はある。
だが、言うわけにはいかなかった。
その隣で、ルシアンは静かに地形図を見ていた。
シオンが彼へ視線を向ける。
「ルシアン君は、どう見る?」
「旧街道と城砦周辺は、視界が開けています。光熱術式で制圧しやすい。逆に、森林や地下水路では出力を絞る必要があります」
「では、視界確保と局所制圧を任せても?」
「問題ありません」
ルシアンは穏やかに答えた。
余計なことは言わない。
だが、エルネはなぜか、その沈黙の方が気になった。
セレスティアが最後に地形図を見下ろす。
「私は自由に動くわ」
「会長」
シオンが即座に言った。
「団体戦です」
「ええ。だから、相手の自由を奪う人が一人くらい必要でしょう?」
「言い方が不穏です」
「信頼しているのよ」
「便利な言葉ですね」
セレスティアは微笑んだ。
「基本方針は決まりね。合流を優先。深追いしない。味方の退路を消さない。違和感は共有する。そして、怖くても止まる場所を間違えない」
エルネは、その言葉を胸に刻んだ。
◇
同じ頃。
聖環学院の一室に、七つの影が集まっていた。
長机の上には、幻傷フィールドの地形図が広げられている。
「リュゼリア側の代表情報は?」
銀髪の男子生徒が尋ねた。
聖環学院生徒会長、レオン・ハルヴァートである。
「届いています」
眼鏡をかけた少女、クラリスが数枚の紙を机に並べた。
「リュゼリア内部の協力者からです。代表七名の名、属性傾向、選抜戦で確認された術式。その一部」
「一部?」
「はい。完全ではありません。情報提供者自身も、すべてを把握しているわけではないようです」
紙の上に、代表者の名が並ぶ。
「ふうん。これがあいつらの術式ね」
窓際に座っていた少女が、興味深そうに紙を覗き込む。
「欠けている情報が多いな」
低い声の上級生が言った。
「まあ、最も警戒すべきセレスティアとシオンの術式は昨年見た。何とかなるだろう」
「その判断が危険です」
クラリスは淡々と返した。
「少なくとも、昨年と同じ前提で見るべきではありません」
「へえ。そんなに?」
「今年のリュゼリアには、不確定要素が多すぎます」
くすんだ金髪の一年が、紙の一枚を指で叩いた。
「……一年のエルネ・フィルの『未知術式。詳細不明』って何なの?」
「火属性登録。黒い本を所持。選抜第一ブロックで包囲を反転。詳細不明」
「だから、その詳細不明って何だよ」
「情報提供者も、彼女の術式を理解していないようです」
「使えない協力者だな」
「少なくとも、嘘は少ないと思われます」
「少ない?」
「はい。隠していることはあるでしょう」
レオンは、最後の紙へ目を向けた。
「なら、ノアに見せるしかない」
レオンは地形図の一点を指で押さえた。
崩れた礼拝堂跡。
中央の城砦から外れ、森林と旧街道の間にある場所だった。
「ノア・ヴェイル」
部屋の隅に座っていた少年が、ゆっくりと顔を上げる。
白に近い淡灰色の髪が、目元にかかっていた。
瞳は薄い琥珀色。
眠そうにも、祈っているようにも見える表情で、彼は地形図を眺めている。
年齢だけなら、まだ幼く見えた。
だが、この部屋にいる誰も、彼を幼いとは思っていなかった。
ノアが何をするのか。
そのすべてを知る者は、この場にも多くない。
ただ一つだけ、全員が理解していることがある。
彼は、聖環学院の切り札だ。
「君は開始後、この地点へ向かえ。そこで準備しろ。こちらから指示があるまで動くな」
「そこで術式を展開するんだね」
「そうだ」
レオンは地形図の一点を指で押さえたまま、他の代表たちへ視線を向けた。
「ノアの準備が終わるまでは、誰もそこへ近づくな。そして、近づけさせるな」
「敵も味方も?」
「敵も味方もだ」
レオンは短く答えた。
「なるべく戦闘は避けろ。倒せる相手を倒すな、とは言わない。だが、深追いはするな。目的は、敵をあの場所から遠ざけることだ」
その時、くすんだ金髪の一年が椅子の背にもたれたまま口を開いた。
「分断するならさぁ」
制服の襟元を少し崩した姿勢のまま、彼は地形図を眺めている。
「ノアパイセンを待たずに各個撃破でもいいんじゃないの? 会長サマ」
「なんだと?」
低い声の上級生が眉をひそめる。
一年は悪びれもせずに肩をすくめた。
「そこまでしてノアパイセンの準備地点を守る必要あるかって」
「各個撃破ができればそうしているさ」
低い声が返る。
「えー? 弱気じゃねえ?」
「一対一でリュゼリアに勝とうとするな。向こうの強みだ。去年の試合を見ていないのか?」
「知らねえよ。俺、一年だもん」
「記録映像を見ておけと言ったはずだ」
レオンは短く息を吐いた。
「こちらの強みは、ノアがいることだ。戦場で勝つ。それを肝に銘じろ」
「つまり、ノアパイセンの邪魔をしなきゃいいんだろ?」
くすんだ金髪の一年が、気の抜けた声で言った。
ノアは何も反応しない。
「そういう理解で構わない」
「賛成」
窓際の少女が、手をひらひらと上げた。
明るい声だった。
「自由にやれるっていうから代表になってあげたんだよ。私、シオンって人とやりたいなー。強いんでしょ?」
「シオン・レイヴァンとの単独接触は避けろ」
「えー」
「遊びではない」
「遊びじゃないから、強い人とやりたいんじゃない」
少女は笑った。
その笑顔には、恐れがなかった。
レオンは彼女を一瞥しただけで、深くは追及しなかった。
「ノアの準備ができ次第、合図を出す。合図があったら、全員あの場所へ集まれ」
レオンは、崩れた礼拝堂跡を指で叩いた。
「そこで一気にかたをつける」
「敵を引き込んで、まとめて終わらせるってこと?」
「そうだ」
表向きは、勝つための作戦だった。
ノアの領域を完成させ、そこへ敵を引き込む。
強力な切り札を中心に、戦場を組み立てる。
それだけなら、納得できる。
少なくとも、そう見える。
「ただし、セレスティアだけは別だ」
レオンの声が、少しだけ低くなった。
「セレスティア・ロウ・アステリアは、ノアから一番遠い場所に転送させる予定だ。こちらの狙いがバレないようにな」
室内の空気が、わずかに張り詰める。
「戦闘は極力避けろ。私が行動阻害に集中する。可能であれば、人数を使ってでも抑える」
「会長サマがそこまで警戒すんの?」
くすんだ金髪の一年が、椅子の背にもたれたまま言った。
「警戒しすぎるくらいで、ようやく足りる」
レオンは淡々と答えた。
その一言で、何人かが口を閉じた。
ノアは地形図の一点を見つめている。
「怖い場所にすればいい?」
ノアが、ぽつりと言った。
室内の空気が、少しだけ冷えた。
レオンは静かに頷く。
「ああ。誰も逃げられない場所にしろ」
聖環の代表七人。
同じ制服。
同じ校章。
同じ勝利を目指す者たち。
けれど、全員が同じものを見ているわけではなかった。




