第二十九話
第二十九話
対抗戦代表の顔合わせは、生徒会棟二階の会議室で行われた。
顔合わせ。
そう聞いた時、エルネ・フィルは少しだけ安心しかけた。
だが、すぐに気づく。
代表たちは、すでに互いの試合を見ている。
つまり、ここは初対面の挨拶をする場所ではない。
選抜戦で何を見せたか。
何を隠しているか。
対抗戦で、どう使えるか。
それを確かめる場所だ。
(先生)
『はい』
(帰りたい)
『本日一回目です』
(数えなくていい)
黒い本を抱え直したところで、横から声がした。
「エルネさん」
リシア・アルヴェルトだった。
「入らないのですか」
「今、覚悟を決めてるところ」
「そうですか」
リシアは頷き、そのまま隣に並ぶ。
「では、私も気持ちを整えます」
「リシアも?」
「はい。代表の顔合わせですから」
いつも通り静かな横顔だった。
けれど、その静けさも努力の結果なのだと思うと、エルネは少しだけ肩の力が抜けた。
「行こうか」
「はい」
二人は並んで会議室へ入った。
◇
室内には、すでに五人がそろっていた。
窓際に立つ生徒会長、セレスティア・ロウ・アステリア。
その隣の副会長、シオン・レイヴァン。
生徒会実技代表、ガイウス・フォルガンド。
二年生主席、ルシアン・ベルフォード。
そして、風紀委員長カレン・ヴァーミリオン。
全員、選抜戦で見た顔だ。
全員、強い。
そして全員、たぶんエルネの戦いも見ている。
「そろったわね」
セレスティアが微笑んだ。
「私とシオンについては省きましょう。今日は選抜組の確認が本題だから」
「僕たちの自己紹介を長く聞きたい人がいれば、あとで個別にどうぞ」
シオンが穏やかに言う。
「長くなるのですか」
リシアが真面目に尋ねた。
「なるよ」
「では、遠慮します」
「判断が早いね」
少しだけ空気が緩んだ。
最初に口を開いたのは、ガイウスだった。
「ガイウス・フォルガンド。土属性の錬成術を使う。壁、罠、足場、拘束具、武器。必要なものをその場で作って使う」
そこで彼は、軽く肩をすくめた。
「実技代表といいつつ、今年は俺以外の勝者が派手すぎる。そろそろ忘れられてるかもな」
「そんなことはありません」
リシアが即答した。
「第一ブロックの分断と制圧は、非常に完成度が高かったです」
「お、ありがとう。真面目に褒められると少し照れるな」
ガイウスは笑った。
思っていたより、ずっと親しみやすい人だった。
「俺の役目は、勝てる形を作ることだ。個人戦でも団体戦でも、俺の力は役に立てると思う。壁を作る。道を塞ぐ。足場を整える。必要なら逃げ道も作る」
ガイウスは、エルネとリシアを見る。
「頼れる下級生もいるし、今年は勝てるだろう」
頼れる下級生。
その言葉に、エルネは少しだけ背中がむずむずした。
『対象ガイウス・フォルガンド。戦場構築能力、高。団体戦では極めて有用です』
(先生の評価、高い)
『高いです。味方であることを推奨します』
(敵にしたくないってことね)
『はい』
次に、カレンが姿勢を正した。
「カレン・ヴァーミリオンです。火属性術式を扱います。得意分野は、出力制御と、規則に基づく対人制圧です」
「へ?」
思わず、声が漏れた。
黒泥人形を相手に杖を捨て、袖をまくり、拳で殴り抜いた人の自己申告としては、ずいぶん上品だったからだ。
カレンの視線が、すっとエルネへ向く。
「何か?」
「い、いえ」
エルネは即座に首を横に振った。
その時、セレスティアがくすくすと笑った。
「エルネさんは、あなたの得意は接近戦じゃないかって思ったんじゃないかしら」
「会長、おやめください」
カレンの声が、ほんの少しだけ低くなった。
それから、彼女は改めてエルネを見る。
「……エルネさん?」
エルネは、ぶんぶんと首を振った。
「思ってません。まったく思ってません」
『否定速度が不自然です』
(先生、黙って)
「そうですか」
カレンは静かに頷いた。
「なら、結構です」
どう考えても、結構ではなさそうだった。
『対象カレン・ヴァーミリオン。申告内容と実戦挙動に差異があります』
(言い方)
『実戦では内部循環型の火属性身体強化による近距離構造破壊を確認』
(絶対に口に出さないで)
エルネは心の中で全力で蓋をした。
次はルシアンだった。
「ルシアン・ベルフォードです。光熱術式を主に扱います。第四ブロックでお見せした通り、広域よりは局所制圧に向いています」
丁寧な声だった。
大げさな説明もなく、余計な自己主張もない。
勝ち方も、今の言葉も、よく整っている。
『対象ルシアン・ベルフォード。光熱術式の完成度、高』
(それだけ?)
『現時点では、それ以上の評価材料が不足しています』
(先生にしては短い)
『観測できた情報が少ないためです』
ルシアンは、それ以上は語らなかった。
続いて、リシアが口を開いた。
「リシア・アルヴェルトです。水属性術式を扱います。あの場でお見せしたのは、流れを作って相手の動きを奪う術式です」
第三ブロック。
リシアの流麗水帯は、開始直後にはもう演武場へ敷かれていた。
四人は、ほとんど抵抗する間もなく場外へ流された。
「私の得意は、場の制御です。味方と組むなら、流路を絞ることで展開を早められます」
「君の水は、俺の壁と相性がいい」
ガイウスが頷いた。
「合流路を塞いで、水の通る道を作れる」
「はい。私もそう思います」
リシアはすぐに答えた。
もう考えていたらしい。
『対象リシア・アルヴェルト。水流制御、重心操作に優れます』
(リシアも評価高いね)
『高いです。制御思想が明確です』
そして最後に、エルネの番になった。
全員の視線が集まる。
やはり、この瞬間が一番重い。
「エルネ・フィルです。一年です。学院登録上は火属性です。ただ、既製術式は今でも得意ではありません」
それを言っても、もう誰も笑わない。
少しだけ、不思議だった。
「先せ……この補助魔法具の助けを借りて、目的に合わせた術式を組んでいます」
「初めて見た術式だったな」
ガイウスが言った。
「四人の包囲を、正面から破るんじゃなく、形ごと変えた」
「あれは、霧星糸の応用です」
エルネは黒い本を抱え直した。
「水分を拾って、魔力の流れを結ぶ術式です。選抜戦で使った鏡結は、その結び方を変えて、相手の術式経路をつなぎ替えるものです」
「水属性、ではないのね」
カレンが少しだけ目を細めた。
「たぶん、違います。水を出しているわけではなくて、そこにある水分と魔力の流れを使っているので」
「複数属性というより、成立条件への干渉ですね」
リシアが補足する。
「えっと、はい。そういうことだと思います」
エルネは頷いた。
自分の魔法なのに、説明が人任せになっている。
とても情けない。
『説明精度は改善の余地があります』
(分かってる)
「他には?」
ガイウスが尋ねる。
「音や風の流れを断ち切る空律鋏があります。相手の音系統の術式を切るために組んだものです」
「風を操るんじゃなく、流れを切るのか」
「はい。たぶん」
「たぶんが多いね」
シオンが笑った。
「すみません」
「責めているわけじゃないよ。むしろ、既存の分類に入れようとしない方が正確なんだろうね」
そこで、ルシアンが初めて少しだけ反応した。
「蒼炎針は?」
静かな声だった。
彼の表情は変わっていない。
だが、ほんの少しだけ、声の温度が違った気がした。
「私はまだ未見ですが、そういった名前の術式があると聞きました」
蒼炎針。
エルネは一瞬、言葉に詰まった。
『対象ルシアン・ベルフォードの感情変化を検出』
(え?)
『本日初めて、明確な関心の上昇を確認しました』
(今?)
『はい。蒼炎針への言及時です』
エルネは黒い本を抱く腕に力を込めた。
「蒼炎針は、火そのものを飛ばす術式ではありません」
自分でも、慎重に言葉を選ぶ。
「対象の側に、火が生まれる条件を置く術式です。だから、火球とも、光熱術式とも違うと思います」
「火を置くのではなく、火が生まれる理由を置く」
ルシアンが、静かに繰り返した。
「……なるほど。面白い」
その一言は、これまでの丁寧な相槌とは少しだけ違って聞こえた。
『関心上昇を継続検出』
(そんなに?)
『はい。対象は、蒼炎針に強い興味を示しています』
ルシアンはそれ以上、踏み込まなかった。
だからこそ、エルネにはその沈黙が妙に残った。
セレスティアが静かに口を開いた。
「十分よ。今日の確認としてはね」
◇
確認が一段落したところで、会議室の扉が強く叩かれた。
「失礼します!」
飛び込んできたのは、マルク・ペンドルトンだった。
小柄な生徒会会計。
腕には分厚い書類の束。
顔には、予定表が三度くらい死んだような疲労が浮かんでいた。
「会長、聖環側から追加書状です!」
室内の空気が一気に変わる。
マルクは机に書状を広げる。
「聖環側が指定してきたのは、代表七名全員による団体戦です」
「七対七か」
ガイウスの表情が引き締まった。
「はい。試合場は、幻傷結界によって構築される広域フィールド。環境条件は、旧時代の国境要塞を模した複合地形。中央に朽ちた城砦、周囲に森林、湿地、渓谷、旧街道、地下水路を含むもの、とあります。前回より規模が大きいため、結界の構築は聖環側の協力が得られるとのことです」
「ずいぶん盛ったな」
ガイウスが眉を上げる。
「実戦想定の団体戦としては、不自然ではありません」
リシアが言った。
「ええ」
シオンは書状を机に置いた。
「相手が全力で来るということです」
会議室が、少しだけ静かになった。
七対七。
広域フィールド。
旧時代の国境要塞を模した複合地形。
条件だけを見れば、実戦想定として成立している。
けれど、昨年その団体戦でリュゼリアを崩した怪物がいる。
その力を、最も発揮しやすい場所を選んできた。
そう考えると、書状の意味ははっきりしていた。
「なら、受けて立てばいいんじゃない?」
セレスティアが、あっさりと言った。
「会長」
シオンが軽く眉を上げる。
だが、セレスティアは平然としていた。
「みんな、自信がないのかしら?」
「そういうわけではありません」
リシアが即答した。
「規則の範囲内であれば、対応します」
カレンも静かに頷く。
「俺も問題ない」
ガイウスが笑った。
「相手が全力で来るなら、こっちも全力で返せる。手加減の読み合いよりは、ずっと分かりやすい」
ルシアンは書状へ目を落としたまま、静かに言った。
「少なくとも、相手の中心がどこにあるかは分かりやすくなりました」
「でしょう?」
セレスティアは微笑んだ。
その笑みには、不安も迷いもなかった。
相手が何を仕掛けてくるか。
どんな盤面を望んでいるか。
その先で誰を狙っているか。
わからないことだらけだ。
「まあ、いいわ」
それでもセレスティアは、当然のことのように告げた。
「でも、勝つのは私よ」
「団体戦です、会長」
シオンが言った。
「あら。もちろん、皆も勝つわ」
「ついでのように言わないでください」
少しだけ空気が緩んだ。
それでも、エルネは黒い本を抱えたまま、書状から目を離せなかった。
相手は、きっと、何かを見るために来る。
けれどその場で、セレスティアだけは最初から揺らいでいなかった。
勝つ。
彼女は、それを予定のように言った。
◇
同じ頃。
聖環学院の奥にある、古い礼拝室。
一人の生徒が、銀色の円環の前で膝をつく。
「エルネ・フィルが対抗戦メンバーに選ばれたようです」
礼拝室の奥に座る人物が、静かに頷いた。
「分かっていたことです。報告するまでもありません」
「失礼いたしました」
机の上には、三つの名が並んでいた。
エルネ・フィル。
ノア。
そして、セレスティア・ロウ・アステリア。
「今回の対抗戦で何より重要なのは、彼女を見極めることです」
「ノアを当てることで計るのですね」
「不遜な言い方ですが、そういうことです」
影の人物は、エルネの名を指先で押さえた。
「あの黒い本が、どこまで彼女に応えるのか。それを見ます」
それから、指はセレスティアの名へ移った。
「彼女には気をつけなさい」
「セレスティア・ロウ・アステリアですか」
「彼女はノアの戦いを見ています。記録には残らないものを、感じ取っていても不思議ではありません」
「必要であれば、転送陣に干渉して先に潰す策もありますが」
礼拝室に、短い沈黙が落ちた。
奥に座る人物は、ゆっくりと顔を上げる。
「あなた方にできますか?」
答えはなかった。
銀色の円環が、淡く揺れる。
「昨年の彼女を見れば、難しいのはわかるでしょう」
声は静かだった。
怒りも、嘲りもない。
ただ、事実を告げているだけだった。
「私が言いたいのは、セレスティア・ロウ・アステリアを排除しろ、ということではありません」
影の人物の指が、エルネの名へ戻る。
エルネ・フィル。
ノア。
二つの名が、机の上で向かい合っていた。
「エルネ・フィルとノアの戦いを、彼女に邪魔させるな、ということです」
「承知しました」
膝をついた生徒が、深く頭を下げる。
影の人物は静かに頷いた。
「見極めるべきものを、見失わないように」
対抗戦は、まだ始まっていない。
だが、試合の外側では、すでに最初の一手が打たれていた。




