第二十七話
第四ブロックの勝者が告げられた時、幻傷演武場に上がったのは、納得の歓声だった。
ルシアン・ベルフォード。
王立リュゼリア魔法学院二年主席。
光熱術式の使い手。
派手な炎で押し切るのではなく、光を一点へ絞るように熱を通し、逃げ道と術式の起点を正確に焼く。
ミュゼ・ファルウィンドの乱響風も、ほかの出場者たちの術式も、大きく広がる前に処理された。
「評判通りね」
生徒会席で、セレスティア・ロウ・アステリアが言った。
「堅実で、綺麗で、少し退屈」
隣のシオン・レイヴァンが応じる。
「会長」
「褒めているのよ」
「そうは聞こえません」
セレスティアはくすりと笑った。
しかし問題は、第五ブロックで起こった。
◇
第五ブロックの開始を前にして、生徒会会計、マルク・ペンドルトンは、書類を何枚もめくっていた。
普段なら予定表と予算表に追われている顔だが、今はそれに加えて、明らかに嫌な予感を抱えている顔だった。
「……おかしいですね」
マルクが呟く。
シオンが横から書類を覗いた。
「何がかな」
「第五ブロックです。棄権届が三名分、直前に提出されています」
「三名?」
「はい。本来の出場者は五名。ですが、現在出場可能なのは二名だけです」
マルクは一枚の書類を抜き出した。
「そのうち一人が、カレン・ヴァーミリオン風紀委員長。もう一人が、ノクス・ヴァレンシュタイン」
「ノクス?」
シオンの声が、わずかに低くなった。
「三年生。土属性。ゴーレム使い。個人戦績は高いです。高いのですが……」
「内訳は?」
マルクの表情が渋くなる。
「勝てる相手にはきっちり勝っています。ただし、生徒会役員級、上位候補との試合では、欠席が目立ちます」
「道理で、覚えが無い訳ね」
セレスティアが呆れた表情を見せる。
「数字だけなら優秀です。一次候補として拾うこと自体は、規定上おかしくありません。本来なら、選抜戦の内容で確認する予定でした」
「その選抜戦を歪められたかもしれないわけだ」
「言わないでください。今、それを考えています」
マルクは眼鏡を押し上げた。
演武場へ、二人の出場者が入ってくる。
一人は、カレン・ヴァーミリオン。
風紀委員長にして火属性術師。
高身長で、制服を隙なく着こなしている。
スカートではなく、細身の黒いスラックス。
赤みを帯びた濃い茶の短髪。
整った顔立ちは美しいが、可愛いというより凛々しい。
もう一人は、ノクス・ヴァレンシュタイン。
黒髪を少し長めに伸ばした三年生。
口元には、薄い笑み。
演武場に立つというより、舞台の上に上がったことを楽しんでいるような立ち方だった。
カレンは、周囲を見た。
出場口を見る。
教師席を見る。
制御盤を見る。
そして、ノクスを見る。
「……出場者は私たちだけですか?」
声は冷静だった。
だが、その奥に硬いものがあった。
進行役の教師が困ったように答える。
「三名から棄権届が出ている。第五ブロックは、二名で行う」
「三名同時に、当日棄権ですか」
「……そうだ」
観客席がざわつく。
当日棄権。
三名。
偶然と呼ぶには、あまりに不自然だった。
エルネも黒い本を抱え直した。
(先生。変だよね)
『はい。不自然です』
(即答)
カレンはノクスから目を逸らさなかった。
「これはどういうこと?」
ノクスは肩をすくめ歩み寄ると、カレンにだけ聞こえるように囁く。
「知らないけど、みんなにとって不幸な事故が起こったのかもね」
カレンの目が細くなった。
「あなた……」
「おっと、僕は何もしていないよ」
ノクスは笑った。
「証拠があるなら、出してみなよ」
カレンの指が、わずかに動く。
怒り。
だが、まだ押さえている。
「試合後、確認します」
「好きにすればいい」
ノクスは余裕の笑みを崩さない。
「でも、負け犬の遠吠えに耳を貸すかな?」
◇
ノクス・ヴァレンシュタインは、勝つためなら何でもする。
勝てばいい。
勝てば、記録に残る。
代表候補になれば、戦績は正当化される。
代表になれば、過程などさらにどうでもよくなる。
ノクスは、何もしていない。少なくとも、記録に残る形では。
一人目は、貧乏貴族の長男だった。
今朝がた実家から、何をおいても帰るよう報せが届いたらしい。
選抜戦の日に、気の毒なことだ。
二人目は、代表選抜の参加同意書類に重大な不備が見つかった。
差し戻された書類は、本人の手元に戻っていたはずだった。
だが、なぜか再提出されていない。
それどころか、差し戻しの控えまで紛失していたらしい。
迂闊なことだ。
三人目は、練習用の魔道具に傷が入っていたことに気付かなかった。
試合を前にして、軽い調整のつもりで魔力を流した瞬間、術式が逆流した様だ。
幸運なことに大した怪我では無かったが、魔力操作を誤る危険を抱えたまま戦える者は多くない。
誰も証拠を持っていない。
いや、残さない。
問題は、カレンだった。
まるで隙が無い。
面倒な女だ。
だから、正面からやるしかない。
ただし、正面から勝つ必要はない。
代表になるのは、俺だ。
◇
「第五ブロック、開始!」
合図と同時に、ノクスが杖を床へ突いた。
土属性の魔法陣が広がる。
演武場の床が、どろりと沈んだ。
土が盛り上がるのではない。
黒い泥が、床の隙間から滲み出すように溢れてきた。
それは一か所へ集まり、膨れ、ねじれ、人型を作る。
大きい。
カレンより頭二つ分は高い。
胴体は厚く、腕は太い。
表面は黒く濡れた泥のように見えるが、その内側には灰色の鉱石片がいくつも埋まっている。
顔はない。
胸部に、土色の魔法陣が鈍く光っていた。
「黒泥人形」
ノクスが笑う。
「君の相手だよ、風紀委員長」
カレンは一歩も下がらなかった。
右手を上げる。
炎が灯る。
風紀委員長としての制圧術式。
整った火。
無駄のない火。
相手を必要以上に傷つけず、止めるための火。
「戒炎印」
炎の印が、黒泥人形へ向かって走った。
だが、次の瞬間。
火は弾かれた。
黒泥人形の表面に、薄い土色の障壁が浮かぶ。
火の印は、その障壁の上で潰れ、滑り、散った。
「……!」
カレンの眉が動く。
ノクスが笑う。
「残念だったね」
カレンは試すようにすぐに次の火を放った。
小型の火球。
速い。
黒泥人形の胸部へ直撃する。
だが、結果は同じだった。
火球は表面を焦がすことすらなく、魔力障壁に弾かれる。
散った火が、空中で消えた。
観客席がざわめく。
「火属性特化の魔力障壁だって!?」
マルクが低く呟いた。
シオンが横目を向ける。
「おかしいかい?」
「障壁そのものは理解できます。火属性の攻撃を受け流すための調整です。ですが、あれだけ自然にゴーレムの外殻へ馴染ませるには、時間がかかる」
マルクは黒泥人形を睨んだ。
「数時間でどうにかなる調整ではありません。少なくとも、昨日今日で組み込んだものではない」
シオンは目を細めた。
「まるで、火属性の魔術師としか戦わないと、最初から分かっていたみたいだね」
マルクは、何も言わなかった。
言えなかった。
セレスティアは演武場を見ている。
いつもの微笑みはある。
「勝つための準備としては、正しいわ」
セレスティアは、そこで少しだけ笑みを薄くした。
「でも、面白くないわね」
観客席のエルネは黒い本を抱え直した。
(先生。あれ、カレン先輩だけを倒すための魔法だよね)
『その可能性が高いです』
(……嫌なやり方)
エルネの声は、心の中でも少し沈んでいた。
◇
演武場では、黒泥人形が動き出していた。
重い足音。
一歩ごとに床が震える。
カレンは横へ動く。
火の印を数枚、黒泥人形の脚へ刻もうとする。
だが、すべて弾かれる。
火が通らない。
拘束できない。
動きを止められない。
黒泥人形の腕が振るわれる。
カレンは身をひねって避けた。
だが、風圧だけで制服の裾が揺れる。
次の一撃は避けきれなかった。
黒泥人形の腕が、カレンの横腹をかすめる。
幻傷結界が反応し、衝撃判定が走った。
「っ……!」
カレンの体が横へ飛ぶ。
すぐに着地する。
膝はつかない。
それでも、顔がわずかに歪んだ。
ノクスは笑っている。
「どうしたんだい、風紀委員長」
黒泥人形が再び前へ出る。
「規則で止めるんじゃなかったのか?」
カレンは答えない。
炎を集める。
今度は火球ではなく、細い火線。
ゴーレムの関節を狙う。
だが、黒泥人形の肩部に浮かんだ障壁が、また火を受け流した。
炎が散る。
ノクスが肩をすくめる。
「火の術式は無駄だと、もう分かっているだろう?」
「……そうですね」
カレンの声は、まだ冷静だった。
「よく分かりました」
彼女は踏み込む。
黒泥人形の横へ回り込み、ノクス本人を狙う動き。
しかし、ゴーレムの反応は鈍くない。
黒泥人形の腕が、カレンの進路を塞ぎ、もう片方の腕が、そこへ振り下ろされる。
直撃はしなかった。
だが、床を叩いた衝撃がカレンの足を乱す。
幻傷結界が衝撃を記録する。
カレンが片膝をついた。
観客席がざわつく。
ノクスの笑みが深くなる。
「いいね」
その声は、薄く甘かった。
「強い人が、思い通りに動けない顔をするのは」
カレンの指が、床を掴む。
炎が漏れかける。
だが、彼女はそれを押さえた。
まだ、押さえた。
ノクスは、それを見て笑った。
カレンは立ち上がる。
口元に血はない。
幻傷だからだ。
だが、痛みはある。
衝撃もある。
屈辱もある。
「その程度で、よく風紀委員長なんて名乗れたね」
その言葉に、カレンの目がわずかに揺れた。
ノクスは逃さない。
「規則を守っていれば勝てるとでも思ったのかい?」
黒泥人形が、ゆっくりと腕を上げる。
「正義って、弱いんだな」
カレンの表情が、消えた。




