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第二十五話

 何が起きたのか、誰にも分からなかった。


 少なくとも、観客席にいた多くの生徒には、そう見えた。


 四つの魔法が、同時に放たれた。


 正面から、赤い火槍。


 左から、石杭。


 右から、風刃。


 背後から、水縄。


 すべてが、中央に立つエルネ・フィルへ向かっていた。


 逃げ場はない。


 防ぎきれるはずもない。


 誰もが、そう思った。


 その瞬間、幻傷演武場ミラージュ・アリーナ全体に青白い星座が輝いた。


 床に。


 空中に。


 結界柱の間に。


 火槍の穂先へ。


 石杭の影へ。


 風刃の軌道へ。


 水縄の結び目へ。


 無数の霧星が灯り、糸で結ばれていく。


 そして、四つの魔法は、エルネに届かなかった。


 火槍が、曲がった。


 いや、曲げられた。


 炎の槍はエルネの目前で軌道をずらし、左からせり上がっていた石杭の列へ突き刺さった。


 赤い火が、土の魔力線へ流れ込む。


 石杭の進行が乱れ、床を割る力が横へ逃げた。


 その衝撃が、セドリックの足元を叩く。


「なっ――」


 セドリックが声を上げるより早く、右から並んでいた風刃が水縄の結び目へ絡め取られた。


 風刃は水縄を裂いた。


 だが、裂かれた水縄は消えなかった。


 青白い霧星に引かれ、逆向きに流れ、ニール自身の腕へ巻きつく。


「うわっ!?」


 ニールが体勢を崩す。


 同時に、風刃の残りが石杭の破片を巻き上げた。


 風に乗った石片が、ロイドの肩と胸に幻傷判定を叩き込む。


 光が弾けた。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 四方向で、幻傷結界が同時に光る。


 アルヴィンの火槍は、ロイドの土術式を崩した。


 ロイドの土術式は、セドリックの足場を乱した。


 セドリックの風刃は、ニールの水縄を裂いた。


 ニールの水縄は、アルヴィンの足元へ戻った。


 そして、四人が放った攻撃の熱量、衝撃、拘束判定は、幻傷結界によってそれぞれの術者へ返された。


 火傷はない。


 傷も残らない。


 けれど、幻傷判定だけは正確だった。


 赤い幻傷印が、四人の上級生の身体に同時に走る。


「ぐっ……!」


「がっ!」


「う、わ――!」


 ロイドが膝をつく。


 セドリックが横へ倒れる。


 ニールは自分の水縄に絡まったまま、床に転がった。


 そして、正面。


 アルヴィン・バルガンだけは、一瞬だけ踏みとどまった。


 さすがに上級生。


 さすがに昨年の対抗戦控え。


 膝を折りながらも、彼は杖を握りしめ、エルネを睨もうとした。


「ふざ、け――」


 だが、言葉は最後まで続かなかった。


 アルヴィンの目が、かっと見開かれた。


 次の瞬間。


 白目をむいた。


 杖が手から滑り落ちる。


 からん、と乾いた音がした。


 アルヴィン・バルガンは、そのまま前のめりに倒れた。


 演武場が静まり返る。


 結界管理教師が、制御盤を見て目を見開いた。


「幻傷判定、規定値超過!」


 声が、少し裏返っていた。


「アルヴィン・バルガン、ロイド・グレイス、セドリック・ランヴェル、ニール・オルゼン――四名、戦闘不能判定!」


 沈黙。


 観客席から、音が消えた。


 歓声もない。


 拍手もない。


 笑い声もない。


 ただ、四方向に崩れた上級生たちと、中央に立つエルネ・フィルを見ていた。


 エルネ自身も、黒い本を開いたまま固まっていた。


「……え」


霧星糸鏡結ミストステラ・ミラーノット。初回発動、成功』


(成功?)


『はい』


(今ので?)


『はい』


(もう終わったの?)


『はい』


(四人とも?)


『はい』


 ロゴスの声は、いつも通り淡々としていた。


 だが、演武場はまったく淡々としていなかった。


「何だ、今の」


「反射……?」


「いや、全部ばらばらに戻ったぞ」


「エルネ・フィル、何をしたんだ?」


 ざわめきが、少しずつ戻ってくる。


 その中で、セラム・ノーティス教師だけが猛烈な勢いで紙に何かを書いていた。


「反射ではない、単純反射ではない。魔力経路の再接続、いや、術式同士の帰路構築か? 四系統の術式を同時に観測し、着弾条件をずらし、互いの進行先へ接続した? いやいやいやいや、待ってください! 分析の時間を!」


「セラム」


 グラント教官が低く言う。


「短く」


「意味が分かりません」


「それは短いな」


 グラント教官は一拍置いて、中央に立つエルネを見た。


「第二ブロック、勝者」


 演武場全体が、まだ息を止めている。


「エルネ・フィル」


 次の瞬間、観客席が大きく揺れた。


「勝った……?」


「四対一で?」


「一瞬だったぞ」


「あれ、何の魔法だよ」


 ざわめきが波のように広がっていく。


 エルネは中央に立ったまま、黒い本を抱え直した。


「先生」


『はい』


「私、勝った?」


『はい』


「四人に?」


『補足します』


「今?」


『はい。今回の勝因は、相手が四方向から術式経路を一点へ集中させたことです』


「つまり?」


『相手の作戦が、鏡結ミラー・ノットにとって最適でした』


「相手が悪かったの?」


『相手の組み方が、良すぎました』


「褒めてる?」


『敗因としては、かなり褒めています』


 エルネは、倒れた四人を見る。


 ロイド、セドリック、ニールは床に伏せている。


 アルヴィンは白目をむいたまま、ぴくりとも動かない。


 幻傷結界内なので、本物の傷は残らない。


 それは分かっている。


 分かっているが。


「先生」


『はい』


「あれ、大丈夫?」


『実損傷はありません。ですが精神的衝撃は大きいと推定します』


「それはそう」


 医療教師ミリアがすでに動いていた。


 結界管理教師も制御盤を確認している。


 グラント教官は、四人を一瞥し、短く言った。


「運べ」


 医療班が駆け寄る。


 観客席のざわめきは、さらに大きくなっていた。


     ◇


 生徒会席では、セレスティア・ロウ・アステリアが静かに演武場を見ていた。


 その隣で、シオン・レイヴァンは黙っている。


 いつもなら浮かべている、穏やかな微笑みは消えていた。


 灰緑の瞳だけが、中央に立つエルネ・フィルを見ている。


「シオン」


「はい」


「訂正するわ」


「何をです?」


「怖いわね、あの子」


 シオンは、隣に座る会長を見た。


 セレスティアは微笑んでいた。


 けれどそれは、入学式で新入生へ向けていた優しい笑みではない。


 生徒会室で書類を眺めていた時の、余裕ある笑みでもない。


 理解できないものを見つけた者の笑み。


 そして、それを理解するためなら自分から近づいていく者の笑み。


 美しく、凶悪な笑みだった。


「理解不能ね」


「会長の怖いものですね」


「そう」


 セレスティアは、楽しそうに笑った。


「だから、見てみたいわ」


「戦いたい、ではなく?」


「今は、見たい」


 セレスティアの笑みが深くなる。


「でも、いずれは分からないわね」


 シオンは少しだけ目を伏せた。


     ◇


 演武場を下りたところで、リシア・アルヴェルトが待っていた。


「エルネさん」


「リシアさん」


 エルネは黒い本を抱え直した。


「えっと……勝てた」


「はい。おめでとうございます」


 リシアはいつもの静かな表情で頷いた。


 けれど、その水色の瞳だけは、わずかに揺れていた。


「また、見たことのない魔法ですね」


「あ、ありがとう?」


「褒めています」


「よかった」


「少しだけ、悔しくもあります」


「悔しいの?」


「はい」


 リシアは、当たり前のように頷いた。


「水属性の術者として、今の魔法は見過ごせません」


「怒ってる?」


「いいえ」


 リシアは静かに言った。


「燃えています」


「水属性なのに?」


「はい」


 その返答があまりに真面目で、エルネは一瞬だけ言葉に詰まった。


 リシアは、第三ブロックの入場口を見た。


「ですから、お礼に」


「お礼?」


「私も、お見せします」


「何を?」


 リシアの横顔は、いつものように静かだった。


 けれど、凪いだ水面の奥で、確かに何かが流れ始めている。


「あなたが、まだ見たことのないものを」


 次は、リシア・アルヴェルトの番だった。

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