第二十二話
「何があるか分からない、というのは怖いわね」
生徒会室の窓際で、セレスティア・ロウ・アステリアは静かに言った。
机の上には、対抗戦に関する書類が並んでいる。
聖環王国オルディス。
聖環学院。
対抗戦前倒しの正式照会。
そして、まだ空白のままになっている今年の試合形式。
シオン・レイヴァンは、向かいの席で資料をめくりながら、穏やかに微笑んだ。
「御冗談を。入学当時から今に至るまで負けなしの会長に、怖いものなんてあるんですか?」
「あるわよ」
セレスティアは即答した。
「例えば、理解不能なこと」
シオンの指が、資料の上で止まる。
「例の聖環の一年生ですか?」
「今は二年生だけどね」
セレスティアは窓の外へ視線を向けた。
「昨年の団体戦。たった一人で、当時の生徒会メンバー四人を崩した。記録を見ても、何をされたのか分からない」
「理解不能、ですね」
「ええ。だから怖いの」
シオンは、少しだけ目を細めた。
「怖い、と言うわりには、会長はずいぶん楽しそうですが」
「あら。そう見える?」
「見えます」
「そうね」
セレスティアは、薄く微笑んだ。
「どういう形式にせよ、直接戦ってみたいものね」
「それが、怖がっている人の反応ですか?」
「ええ」
セレスティアはにっこりと笑った。
「どうせ私が勝つもの」
シオンは、少しだけ肩をすくめた。
「その自信は頼もしいですね」
「自信ではないわ。前提よ」
「なお悪いですね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
セレスティアは、そこでふとシオンを見る。
「それに、怖いものなら、もう一人いるわ」
「エルネ・フィルですか?」
「いいえ」
何でもないことのように、セレスティアは言った。
「あなたよ、シオン」
「僕ですか?」
「私に負けていないもの」
「一度、勝負がつかなかっただけです」
「一度あれば十分よ」
「本気でした」
「そういうことにしておいてあげる」
「会長」
「だって、あなたは底が見えないのだもの」
セレスティアは微笑んだまま言った。
「理解不能とまでは言わないけれど、理解しきれない相手ではあるわ」
「僕は味方ですよ」
「対抗戦ではね」
セレスティアがそう言うと、シオンは一拍だけ黙った。
それから、いつもの穏やかな笑みを戻す。
「怖い方ですね、会長は」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
その時、机の端で予定表を抱えていたマルク・ペンドルトンが、小さく手を上げた。
「お二人とも、味方同士で心理戦を始めないでください。予定表が震えています」
「あら、いたの」
「いました! ずっといました!」
マルクは半泣きの顔で予定表を掲げた。
赤い修正線がいくつも走っている。
「対抗戦前倒し、学内選抜、結界使用申請、医療班配置、審判員調整。全部、予定の死亡確認済みです!」
「ご苦労さま」
「労うなら人員をください!」
「検討します」
「それ、出ない時の返事です!」
セレスティアは微笑んだ。
「では、運営上の問題は?」
「五ブロック同時運用は無理です。順次開催にしてください。各試合ごとに結界再調整、記録は生徒会と教師陣で二重化。医療班は待機。これで最低限、事故は防げます」
「最低限?」
「最大限と言いたいところですが、今回の顔ぶれが顔ぶれなので、最低限です」
マルクは重々しく言った。
「特に、未分類術式持ちの一年生がいます」
「エルネさんね」
「はい。あの子の術式は、予算表でいうと分類不能支出です。どこに計上すればいいのか分かりません」
「本人が聞いたら傷つきそうだね」
「傷つく前に分類してほしいです」
セレスティアは楽しそうに目を細めた。
「では、なおさら記録が必要ね」
「そう言われると思いました」
マルクは深くため息をつくと、分厚い書類を抱えて一歩前へ出た。
「では、抽選結果です」
机の上に、五枚のブロック表が並べられる。
「形式上は、学年、属性、昨年実績の偏りを調整したうえで、最終抽選にかけています」
「形式上は?」
シオンが聞いた。
「はい。形式上は」
マルクは眼鏡を押し上げた。
「書類上、違反はありません。ありませんが、第二ブロックだけ妙です」
「理由は?」
「推薦経路が別々なのに、貴族派閥に近い候補が同じ箱に集まっています。偶然と言えなくはありませんが……」
マルクはそこで言葉を切った。
言い切るには、証拠が足りない。
だが、見過ごすには、整いすぎていた。
「第二ブロック」
シオンが、表の一点を見る。
エルネ・フィル。
その名前の横に並ぶ、いくつかの上級生の名前。
セレスティアは、静かに表を見下ろした。
「偶然、ということになっているわ」
「本当にそう思っていますか」
「いいえ」
あっさりとした返事だった。
「なら、差し替えますか」
「しないわ」
セレスティアは、ブロック表から目を離さなかった。
「ここで差し替えれば、悪意は別の場所へ潜る。記録の残る試合場で出してもらった方がいい」
「彼女は狙われます」
「でしょうね」
「危険です」
「だから教師と生徒会が見る。結界もある。止める権限もある」
「それでも、負担は彼女に向きます」
「ええ」
セレスティアは、第二ブロックに並ぶ名前を見下ろした。
「だから見るのよ。エルネ・フィルさんだけではなく、狙う側も」
シオンはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「やはり、怖い方ですね」
セレスティアは微笑みで返した。
◇
翌日。
王立リュゼリア魔法学院の掲示板前には、また人だかりができていた。
今度の掲示は、対抗戦学内選抜のブロック分けだった。
参加者二十五名。
五人一組。
五ブロック。
各ブロックの勝者一名が、対抗戦代表となる。
その文字列を前に、生徒たちはざわついている。
「カレン先輩とガイウス先輩、別ブロックか」
「リシア・アルヴェルトは第三ブロックだって」
「ミュゼ先輩、第四か。きつそうだな」
「エルネ・フィルは?」
「えーっと……第二ブロック」
誰かがそこで声を止めた。
「……これ、きつくないか?」
第二ブロック。
エルネ・フィル。
アルヴィン・バルガン。
ロイド・グレイス。
セドリック・ランヴェル。
ニール・オルゼン。
名前を見た生徒たちのざわめきが、少し変わった。
アルヴィン・バルガン。
昨年の対抗戦控え。
火属性の上級生。
そして、レオル・バルガンの兄。
他の三名も、貴族派閥に近い上級生として知られている。
偶然。
そう言うには、少しだけ整いすぎていた。
その少し後ろで、エルネ・フィルは黒い本を抱えたまま固まっていた。
第二ブロック。
自分の名前。
その下に並ぶ、いかにも強そうな上級生たち。
そして、その中にあるバルガンの名。
(先生)
『はい』
(これ、私が最初に狙われるやつでは?)
『高確率で肯定します』
(高確率いらない!)
エルネはもう一度、ブロック表を見た。
見間違いではない。
消えてもいない。
むしろ、さっきよりはっきり見える。
(……辞退届って、今からでも間に合うかな)
『受理される可能性は低いと推定されます』
(そこだけ正確なのやめて!)
周囲のざわめきが、少しずつ遠くなる。
選抜戦は、もうすぐ始まる。
五人一組のバトルロイヤル。
そしてエルネは、どう見ても自分を歓迎していないブロックへ放り込まれた。




