第二十一話
「シオン先輩。苦情を言いに来ました」
翌日の昼休み。
生徒会室の前で、エルネ・フィルは黒い本を抱えたまま、きっぱりと言った。
掲示板に、自分の名前があった。
対抗戦学内選抜。
参加候補者。
朝からずっと、廊下ですれ違う生徒たちに見られている。しかも、何人かは小声で「あの黒い本の」と言った。
普通に聞こえている。
耳は普通についている。
「うん。会長から聞いているよ」
シオン・レイヴァンは、生徒会室の扉の前で、いつも通り穏やかに微笑んでいた。
「本人からの苦情は、僕が受けるようにって」
「聞いてるなら止めてください!」
「止める相手が会長だからね。難易度が高い」
「そこを副会長権限で!」
「副会長権限は、会長権限より下なんだ」
「組織って不便!」
『抗議内容は妥当です』
(先生、ありがとう)
『ただし、抗議による決定撤回の可能性は低いと推定されます』
(そこまで言わなくていい!)
エルネは黒い本を抱える腕に力を込めた。
「安心して。代表に決まったわけではないよ。君はあくまで選抜候補だ」
「候補でも困ります」
「辞退はできる」
「できるんですか?」
「正式に申し出ればね。ただ、会長がそれを素直に受理するかは別だけど」
「できるって言いましたよね!?」
「手続き上は」
「手続き上、ずるい!」
シオンは楽しそうに笑った。
からかわれている気がする。
絶対にする。
しかし、その笑みの奥に、少しだけ真面目な色があった。
「エルネさん。君を選抜に入れたのは、ただの嫌がらせではないよ」
「嫌がらせ成分はあるんですか?」
「少しは」
「少しあるんだ……」
「でも、理由はある。君の術式はもう噂になっている。ミュゼに勝った件も含めてね。隠せば、噂は勝手に育つ。なら、記録の残る場所で扱った方がいい」
エルネは黙った。
納得したくはない。
でも、分からなくもなかった。
落ちこぼれだったはずの自分が、突然、生徒会メンバーに勝った。
しかも黒い本を持っている。
噂になる材料としては、嫌になるほど揃っている。
「それで、そもそも対抗戦って何なんですか?」
「そこからだね」
「はい。名前は聞いたことあります。でも、代表がどうとか、聖環学院がどうとか、急に話が大きくなっていて」
シオンは扉から離れ、廊下の窓辺へ歩いた。
エルネもついていく。
「対抗戦は、リュゼリア王国と聖環王国オルディスの学院交流行事だよ。こちらは王立リュゼリア魔法学院。相手は聖環学院。毎年、代表七名を出して競い合う」
「魔法で?」
「基本は魔法戦だね。ただし、形式は毎年同じじゃない。両学院が交代で形式を提案する。今年は、聖環学院側が形式を指定する年だ」
「え。じゃあ、今年はまだ何をやるか分からないんですか?」
「そういうこと」
シオンは、廊下の窓から外を見た。
「去年はこちらが形式を指定した。個人戦三つと、団体戦一つ」
「作戦を立てやすそうですね」
「実際、こちらは勝つつもりだった。個人戦には、当時から個人成績の高かった三人が出た。会長、僕、それからマルクだ」
「マルク先輩ですか?」
「ああ。今の生徒会会計だね。当時は会計補佐だった」
「副会長たちは、その時から生徒会だったんですか?」
「僕と会長が正式に生徒会に入ったのは、対抗戦の後さ」
「え、そうなんですか?」
「うん。会長はその個人戦で、聖環学院の三年生会長に勝った」
エルネは思わず黙った。
聖環学院の三年生会長。
それは、相手校の頂点に近い存在のはずだ。
「会長、去年の時点でそんなに強かったんですか」
「強かったよ。だから、今年も代表確定なのは当然なんだ」
「じゃあ、去年は勝ったんじゃないんですか?」
「個人戦は勝った。三戦三勝だった」
「なら――」
「でも、団体戦で負けた」
シオンの声が、少しだけ低くなった。
「団体戦には、当時の会長を含む生徒会メンバー四人が出た。連携も取れていた。実力もあった。普通なら、負ける布陣じゃなかった」
「普通なら?」
「相手にひとり、怪物がいた」
「怪物……?」
「そう言うしかないね。当時一年生で、しかも団体戦にひとりで出てきた」
エルネは思わず眉を寄せた。
「ひとりで? 団体戦ですよね?」
「最大四名まで、という形式だった。だから一人でも規則違反ではない。けれど、普通はやらない」
「それは……怖いですね」
「そう。こちらも警戒した。けれど、今思えば、その警戒心から利用されていたのかもしれない」
シオンの声は、そこで少しだけ冷えた。
「団体戦は、学院外縁の演習フィールドを使った。かなり広い場所だったから、観客席では魔導投影盤に映された映像を見ていたんだ」
「映像で?」
「うん。結界内の魔力反応と視覚記録を拾って、観戦席の大投影幕に映す仕組みだね」
「それなら、何が起きたか分かりそうですけど」
「分からなかった」
シオンは静かに言った。
「投影幕に映っていたのは、当時の生徒会メンバー四人が、何もない場所に向かって構え、何もない場所を避け、何もない場所に怯えている姿だけだった」
エルネは言葉を失った。
「でも、本人たちには何かが見えていた?」
「そうだと思う。後で当時の会長にも話を聞いた。けれど、要領を得なかった。敵がどこにいたのか、味方がどこにいたのか、途中から分からなくなった。そうとしか言えなかった」
「幻覚、ですか?」
「そう考えた人もいた。でも、投影記録に幻術反応は残っていなかった」
「じゃあ、精神干渉?」
「その疑いはあった。けれど、通常の精神干渉術式とも一致しなかった。少なくとも、記録上はね」
「記録上……」
「四人とも、ひどく憔悴していたよ」
エルネは、黒い本を抱く腕に力を込めた。
「その人、今年も出るんですか?」
「おそらくね。しかも今年は、向こうが形式を指定する。どんな形を仕掛けてくるか、まだ分からない」
「それで、バトルロイヤルなんですか?」
「そう。今回の学内選抜は、二十五名を五人ずつ、五つのブロックに分ける。各ブロックでバトルロイヤル。勝ち残った五名が代表入りする」
「一対一じゃないんですね……」
「去年の反省を踏まえるなら、一対一の強さだけでは足りない。混戦で崩れないか。複数の相手に囲まれても判断できるか。形式が変わっても自分の術式を使えるか。そこを見る」
「つまり、適応力」
「そうだね」
シオンは穏やかに微笑んだ。
「今年必要なのは、綺麗な盤面で勝てる生徒じゃない。崩れた盤面でも勝ち筋を作れる生徒だ」
「私、崩れた盤面に放り込まれる側なんですけど」
「君は、盤面を崩す側でもある」
「褒めてます?」
「もちろん」
「褒め方が怖いです」
『バトルロイヤル形式。複数対象への同時対応訓練としては合理的です』
(先生まで敵!)
『敵ではありません。評価です』
(評価が敵!)
エルネはため息をついた。
「でも、できるかは別です」
「それはそうだね」
「そこは否定してほしかったです」
「できると言い切るより、できるよう準備した方がいい」
シオンはそう言って、少しだけ目を細めた。
「君が代表にふさわしいかどうかは、そこで判断される。逆に言えば、見せなければ代表にはならない」
「……それは、少しだけ分かりやすいです」
「よかった」
よくはない。
けれど、何を求められているのかは分かった。
分かってしまった。
五人一組のバトルロイヤル。
まだ形式の見えない、聖環学院との対抗戦。
そして去年、リュゼリアの生徒会を崩した、正体不明の怪物。
エルネは黒い本を抱きしめた。
(先生)
『はい』
(私、辞退した方がよくない?)
『安全性のみを考慮するなら、肯定します』
(だよね)
『ただし、辞退が受理される可能性は不明です』
(そこが一番怖い!)




