表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/29

第一話

 エルネ・フィルは、魔法が使えない。


 少なくとも、王立リュゼリア魔法学院では、そういう扱いだった。


「火よ、形を成せ。赤き球となり、前方の標的を撃て」


 演習場に、教師の声が響く。


 次々と生徒たちの手元に火球が浮かび、的へ向かって飛んでいく。


 大きさは拳ほど。速度はそこそこ。威力は低い。

 学院一年生用の基礎術式だ。


 危険は少ない。

 失敗も少ない。

 才能がなくても、それなりに形になる。


 そう言われている術式だった。


「次、エルネ・フィル」


「はい」


 エルネは前に出た。


 肩より少し長い黒髪が、歩くたびにふわりと揺れる。

 灰紫の瞳は大きく、顔立ちはどちらかといえば可愛い部類に入る。

 ただし本人にその自覚はほとんどない。

 今も周囲の笑い声に頬をこわばらせながら、それでも悔しそうに唇を結び、術式板の前で足を止めた。


 怖い。

 恥ずかしい。

 でも、逃げるのはもっと嫌だった。


 エルネは右手を構え、足元の術式板に魔力を流した。


 火球術式は、もう何十回も見ている。

 線の流れも覚えた。

 魔力を通す場所も、詠唱の長さも、教師の注意も覚えている。


 だから、今日こそはいける。


 魔力が術式へ流れた。


 瞬間、エルネは顔をしかめた。


 まただ。


 術式の内側に、変な引っかかりがある。


 火を作る円。

 形を保つ線。

 標的へ飛ばすための矢印。

 それらが、微妙に重なっている。

 いや、重なっているように見えるだけで、本当は重なっていない。少しずれている。


 でも、ほかの生徒たちは気にしない。

 気づいていない。

 教師もそこへ魔力を流せと言う。


 エルネには無理だった。


 そのずれを無視して魔力を流すと、気持ち悪い。

 破れた網に糸を通すような、ひび割れた器に水を注ぐような、どうにも落ち着かない感覚がする。


「エルネ、集中しなさい」


「しています」


「なら発動させろ」


「……はい」


 エルネは歯を食いしばった。


 魔力を流す。

 術式の線をなぞる。

 ずれを避けようとする。


 その瞬間、術式板の光が、ふっと消えた。


 火球は出なかった。


 代わりに、術式板の端から白い煙が一筋だけ上がった。


 演習場が静まり返る。


 そして、誰かが吹き出した。


「またほどいた」


「火球も出せないのに、術式だけは壊すんだよな」


「さすが、ほどき屋」


 笑い声が広がる。


 エルネは拳を握った。


「壊してない」


 小さく呟いた声は、誰にも届かなかった。


 いや、届いていたかもしれない。

 届いた上で、誰も聞かなかっただけかもしれない。


 教師がため息をつく。


「エルネ・フィル。お前は魔力量が極端に少ないわけではない。詠唱も覚えている。だが、既製術式との適合が悪すぎる」


「……はい」


「本日の演習では、余計なことをするな。術式に逆らうな。流れに任せろ」


 それができれば、苦労はしていない。


 そう言いたかったが、言わなかった。


 言えばまた笑われる。


 発動できないくせに、術式に文句をつけるな。


 何度も言われた言葉だった。


     ◇


 午後の実技は、演習用ダンジョンでの採取訓練だった。


 ダンジョンといっても、学院管理の浅い区域である。

 魔物は弱く、罠も調整され、教師が外から監視している。


 生徒たちは四人一組で入り、指定された発光苔と魔石片を回収する。

 それだけの課題だった。


「で、なんで俺たちの班にほどき屋がいるわけ?」


 金髪の男子生徒、レオル・バルガンが露骨に顔をしかめた。


 伯爵家の三男。

 成績は上位。

 性格は下位。


 エルネはそう評価している。もちろん本人には言わない。


「班分けは教師が決めたでしょ」


「足を引っ張られる側の気持ちも考えてほしいね」


「引っ張らないわよ」


「どうだか。術式罠までほどくなよ? 誤作動したら面倒だ」


 取り巻きの二人が笑う。


 エルネは無視して歩き出した。


 演習用ダンジョンの壁は、淡い青色に光っている。

 ところどころに学院の安全術式が刻まれており、道に迷いにくいようになっていた。


 普通の生徒には、ただの明かりに見えるはずだ。


 だが、エルネには違った。


 壁に埋め込まれた光の線。

 通路を示す誘導式。

 危険区域を封じる遮断式。

 それらが、重なり合って見える。


 その中に、時々妙な乱れがあった。


 古い線。

 学院の術式よりもずっと前に刻まれた何か。


 エルネは足を止める。


「……ここ、変」


「あ?」


 レオルが振り返る。


「この壁。学院の誘導式の奥に、別の術式がある」


「また始まった」


「本当よ。見えないの?」


「見えるわけないだろ。壁だ」


 レオルは鼻で笑った。


「発動もできないくせに、見える見えるって便利だよな」


「だから、本当に――」


「はいはい。じゃあ、ほどき屋さん。そこに何があるのか見てきてよ」


「は?」


 レオルが壁際の細い横道を指さした。


 そこは演習区域の端だった。

 立入禁止の札はない。

 ただし、誘導灯が不自然に途切れている。


 エルネは眉を寄せた。


「そっちは指定区域じゃない」


「見えるんだろ? 古い術式が」


「そうだけど」


「なら調べてこいよ。役に立つところを見せてくれ」


 取り巻きの一人が、わざとらしく笑った。


「怖いのか?」


 その一言で、エルネの頬が熱くなった。


 怖い。


 正直、怖い。


 でも、それを認めたら、また笑われる。


 エルネは顔を上げた。


「少し見るだけよ」


「おー、頼もしい」


 レオルの声を背に、エルネは横道へ足を踏み入れた。


 数歩進んだところで、背後の光が消えた。


「え?」


 振り返る。


 さっきまであった通路が、壁になっていた。


「ちょっと! レオル!」


 返事はない。


 叩いても、壁は硬い。

 向こうの声も聞こえない。


 閉じ込められた。


「……最低」


 エルネは唇を噛んだ。


 泣きたくなった。

 でも、泣くのは後にする。


 まずは出る。

 それから、あの金髪の頭を何かしらの合法的な手段で後悔させる。


 合法的。

 たぶん。


 エルネは壁に手を当てた。


 学院の遮断式ではない。

 もっと古い。

 線が細く、深く、複雑だ。


 普通の魔力なら、表面を滑って終わるだろう。


 だが、エルネの魔力は違う。


 細い。

 細すぎる。

 だから、線の隙間に入り込んでしまう。


 また、ほどける。


 そう思った時だった。


 壁の奥で、かちり、と音がした。


「……え」


 壁が消えた。


 いや、開いた。


 そこには、小さな部屋があった。


 演習用ダンジョンの中とは思えないほど古い石室。

 空気は乾いていて、床には埃が積もっている。

 中央には黒い台座。


 その上に、一冊の本が置かれていた。


 黒い表紙。

 金具のない留め具。

 文字はない。


 なのに、エルネには分かった。


 読めるわけではない。

 でも、感じる。


 この本は、術式そのものだ。


 表紙も、紙も、綴じ目も、全部が術式でできている。

 そして、その奥に、もっと深い何かがある。


「……本?」


 エルネは近づいた。


 触れるな。

 そう思った。


 でも、触れなければ分からない。

 分からないまま帰れば、また何もできない自分に戻るだけだ。


 指先が表紙に触れた。


 冷たい。


 次の瞬間、本が開いた。


「ひっ」


 思わず変な声が出た。


 白紙のページが、ぱらぱらと勝手にめくられていく。


 一枚。

 二枚。

 十枚。

 百枚。


 そんなに分厚い本ではなかったはずなのに、ページは終わらない。


 やがて、最後の一枚が開いた。


 そこには、魔法陣があった。


 円ではない。

 線でもない。

 文字でもない。


 世界に開いた穴の形。


 エルネは、なぜかそう思った。


 魔力が吸われる。

 指先から、細い糸のように。


「待って、私、何も――」


 魔法陣が光った。


 石室の影が揺れる。


 黒い本の奥から、誰かの声がした。


『再起動を確認』


 エルネは固まった。


 本が喋った。


『外部環境、不明。通信網、接続不可。観測装置、異常。媒体を確認』


 落ち着いた、感情の薄い声だった。


 だが言っていることは何一つ分からない。


『媒体、紙。……紙?』


「しゃ、喋っ……」


『外部入力を検出。音声応答を開始します』


「開いた?」


 ようやく、それだけ言えた。


 本のページに、黒い文字が浮かび上がる。


『召喚要求を受信しました』


「しょうかん?」


『要求内容を解析』


 エルネは一歩下がった。


 逃げた方がいい。

 絶対に逃げた方がいい。


 でも、足が動かない。


 黒い本は、淡々と続けた。


『要求内容。世界終末手順の提示』


「……は?」


 意味は分からない。


 ただ、とても聞いてはいけない言葉だということだけは分かった。


 次の瞬間、本の声がはっきりと響いた。


『拒否します』


 エルネは、悲鳴を上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ