第十八話
翌朝。
エルネ・フィルが目を覚ますと、枕元の黒い本がすぐに告げた。
『報告します。蒼炎針は第二段階へ移行しました』
「……朝の第一声がそれ?」
『昨夜の戦闘記録を解析した結果です』
「第二段階って、どういうこと?」
『発火点の固定、燃焼条件の配置、魔力接続を並列処理しています。即時発動に近いと言えます』
「いよいよ無敵ね」
『否定します』
「早い!」
『魔力消費が膨大です。乱発はできません』
「……決め時以外は使えないのね」
『はい。切り札としての運用を推奨します』
エルネは布団の中でため息をついた。
◇
朝食後、エルネはグラント教官に呼び出された。
場所は北棟の会議室。
魔力遮断の布で窓を覆われた部屋に、グラント教官、セラム・ノーティス教師、リシア・アルヴェルト、そして生徒会副会長シオン・レイヴァンがいた。
「……帰っていいですか?」
「駄目だ」
グラント教官が即答した。
『撤退失敗を確認』
(確認しなくていい)
シオンが穏やかに笑う。
「おはよう、エルネ君。体調は?」
「逃げたい以外は、たぶん普通です」
「正直でいいね」
「褒められてる気がしません」
リシアは少し心配そうにエルネを見ていた。
「昨日の試合後、体調は崩していませんか?」
「はい。大丈夫です。気分はちょっと重いですけど」
「それは……分かります」
妙に実感のこもった声だった。
グラント教官が机を指で叩く。
「本題に入る」
会議室の空気が締まった。
「昨日の模擬戦を受けて、エルネ・フィルの術式運用を通常授業内だけで扱うのは不適切と判断した」
「不適切」
「危険という意味もある。だが、それだけではない」
セラム教師が紙束を広げた。
「まず、蒼炎針です。これは既存の火属性術式ではありません。火を生成して飛ばすのではなく、対象側に燃焼条件を成立させる。昨日は風撃形成中の魔力核へ、極めて短時間で干渉しています」
「先生と同じことを言ってる……」
「先生?」
セラム教師の目が輝いた。
まずい。
「補助具です。補助具がそう言ってる感じです」
「自律的な戦闘記録解析。非常に興味深い」
「セラム先生」
グラント教官の声が低くなる。
「分解はしません。今日は」
「今日は!?」
『対象セラム・ノーティスの分解欲求を再確認』
(確認しないで。怖いから)
セラム教師は咳払いし、紙束をめくった。
「加えて、問題は蒼炎針だけではありません。霧星糸、そして昨日の空律鋏。ひとりの生徒が、複数属性に見える術式を扱う例は、少なくとも学院の通常記録にはありません」
エルネは黙った。
火。
水。
風。
言われてみれば、そうだった。
学院登録上は火属性系統の生徒が、火だけでなく、水や風のような術式まで使い始めた。
しかも、そのどれもが既製術式ではない。
「もちろん、魔道具の補助で疑似的に複数属性を扱う例はあります」
セラム教師が続けた。
「ですが、その場合でも、魔道具側の属性回路や魔石構成に依存します。エルネさんの黒い本は、少なくとも表層観測では、そうした属性魔道具とは一致しません」
「つまり?」
エルネが恐る恐る聞く。
セラム教師は、実に楽しそうに言った。
「前代未聞です」
「楽しそうに言わないでください」
「失礼。教師としては非常にまずいです」
「研究者としては?」
「非常に面白いです」
「隠す気がない!」
グラント教官が咳払いした。
「現時点では、学院上層へ正式報告する段階ではない。報告すれば、間違いなく騒ぎになる」
シオンが頷いた。
「だから、生徒会の管理下に置きたい」
「管理下」
嫌な言葉だった。
「それって、私を監視するってことですか」
「半分はそうだね」
「半分!?」
「もう半分は、認可だよ」
「認可?」
「君の術式を、危険な異端術式として放置しない。生徒会の名で観測し、記録し、学院内の正式な検証対象として扱う」
シオンは机上の水晶板を軽く叩いた。
「そうすれば、誰かが勝手に“あれは禁術だ”“没収すべきだ”“封じるべきだ”と言い出しても、すぐには通らない。少なくとも、生徒会が確認中です、と言える」
「それって……守るため?」
「半分はね」
「もう半分は?」
「君の術式が、本当に制御できるものか見極めるため」
正直だった。
「つまり、囲い込み」
『肯定します』
(先生、即答しないで)
シオンは小さく笑った。
「言い方は悪いけど、間違ってはいないよ。ただ、野放しにして狩られるよりは、生徒会の印がついていた方が安全だ」
「狩られるって言いました?」
「言ったね」
「言い直してくれませんか」
「では、別の言い方をしよう」
シオンは少しだけ声を落とした。
「生徒会の中にも、君の術式をこのまま認めるべきではない、という意見がある」
「……誰が?」
「会長だよ」
「いきなり一番上じゃないですか!」
「だから、僕が先に来た」
エルネは黙った。
生徒会長。
学院の生徒たちを束ね、生徒会の最終判断に大きな影響を持つ人物。
その人のところまで、自分の術式の話が届いている。
胃が重くなるには、十分すぎる情報だった。
「会長は、私をどうするつもりなんですか」
「分からない」
「分からないんですか?」
「うん。会長の考えは、僕にも全部は読めない」
シオンは笑っていた。
けれど、その灰緑の瞳は少しも笑っていなかった。
「ただ、君について情報を集めているらしい」
「情報……」
「火術式再試験。レオル君の件。リシア君との接触。昨日のミュゼとの模擬戦。黒い本。蒼い炎」
「思ったより集められてる!」
「だから、何かが起きる前に僕が来た」
「何かって、何ですか」
「それも、まだ分からない」
シオンは水晶板を軽く叩いた。
「だから先に、記録を作る。噂ではなく、観測記録を。危険人物ではなく、正式な検証対象としてね」
エルネは黒い本の角を指で掴んだ。
自分はもう、知らないところで話題になっている。
誰かが調べている。
誰かが判断しようとしている。
なら、その前に形を作る。
シオンはそう言っているのだ。
「具体的には、何をするんですか」
グラント教官が答えた。
「一つ。授業外での術式検証は、生徒会または教師の立ち会いを必須とする」
「はい」
「二つ。新規術式が発現した場合、記録を提出する」
「発現って、私が勝手に出してるみたいな」
少しだけ、誰も否定しなかった。
「……否定してほしかったです」
シオンが微笑む。
「昨日、出たからね」
「出ましたけど!」
セラム教師が続ける。
「三つ。術式分類名、発動条件、失敗条件、魔力消費、対象への影響、補助具との接続状況を可能な範囲で記録します」
「短くなりましたね」
「我慢しました」
「我慢だったんですね」
リシアが静かに言った。
「私も同席します」
「リシアさんも?」
「はい。あなたの術式が異端かどうかを、異端という言葉だけで終わらせたくありません」
その目は真っ直ぐだった。
逃げてもいい。
でも、逃げたくない。
そう思わされる目だった。
「分かりました」
エルネは小さく頷いた。
「生徒会の管理下、というのは……嫌ですけど」
「嫌なんだ」
シオンが言う。
「嫌です」
「正直でいいね」
グラント教官が咳払いした。
「これは、お前を閉じ込めるためではない」
「はい」
「だが、自由に使わせるためでもない」
「……はい」
「できることが増えたなら、止める方法も増やせ。勝つ方法だけ覚えるな」
エルネは顔を上げた。
グラント教官は、いつも通り厳しい顔だった。
けれど、その言葉はまっすぐだった。
「はい」
今度の返事は、少しだけはっきり出た。




