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第百十話 聖地への潜入

 山道は、途中から道ではなくなった。


 案内役の男は何度か周囲を確認しながら岩場を進み、やがて大きな岩壁の前で足を止めた。見たところ、ただの崖だった。人が通れるような隙間もない。だが男が壁の一部へ手を触れ、短い言葉を呟くと、岩肌の一部が僅かに震えた。


「こちらです」


 岩壁に縦の亀裂が走る。それがゆっくりと左右へ開き、人ひとりが通れるほどの暗い隙間が現れた。


 ロゴスは何も言わず、その奥を見る。


 外から内部を探ろうとする。


 できない。


 視覚的にはただの洞窟が続いている。しかし魔力による探知を向けた瞬間、情報が途中で霧散する。内部に何かがあるのではなく、情報そのものが正しく返ってこない。


『確認』


 以前にも経験した現象だった。


 エルネと共にこの場所へ来た時。その時も、内部へ入った瞬間から魔力の流れが大きく乱れ、外部との接続にも影響が出た。


「どうされました?」


「いいえ。参りましょう」


 男に続き、ロゴスも中へ入る。


 岩壁が背後で閉じた。


 そこから先は長い下りだった。人工的に削られた石段と、天然の洞窟が何度も入り交じる。途中には簡素な見張り所があり、教団の人間と思われる者たちが配置されていた。


 視線が集まる。


 当然だった。


 ここへ外部の人間が入ってくること自体、ほとんどない。


「その方は?」


 最初の見張り所で問われ、案内役の男が答える。


「フェリクス様の使いです」


 ロゴスが一歩前へ出た。


「正確には、弟子です」


「……弟子?」


 男たちの表情が変わる。


「フェリクス様に弟子などいたのか?」


「公にはされていなかったと聞いております」


 ロゴスは穏やかに微笑む。


「リーゼと申します」


 怪しまれている。


 だが、止められはしなかった。案内役が教団内部の人間であることに加え、フェリクスの名がそれだけの意味を持つらしい。


 さらに奥へ。


 進むほどに、洞窟は人の手による構造物へ変わっていった。


 壁には古い紋様が刻まれ、一定間隔で灯りが置かれている。横道も増え、人の往来も多くなった。居住区画らしき場所。倉庫。祈りを捧げるための小さな祭壇。


 地下に作られた、一つの町に近い。


 そして。


『魔力干渉強度、上昇』


 ロゴスは歩きながら計測を続けていた。


 魔力そのものが存在しないわけではない。


 流れている。


 だが、流れが極端に不自然だった。


 魔法として構築しようとすると散る。


 遠距離を探知しようとすると途切れる。


 外部へ向けて接続を伸ばそうとすると、何かに削り取られるように情報が失われる。


『教団内部の魔力干渉状態を再確認』


『過去の観測値と一致』


 ただし、今回は前回と違う。


 あの時のロゴスは、エルネの内側からこの現象を受けていた。


 今は、自ら構成した疑似身体を直接この空間へ置いている。


 魔力の消費量。


 接続効率。


 情報欠損の方向。


 僅かな差異を、一つずつ測ることができる。


『干渉は均一ではありません』


『発生源が存在する可能性、高』


 まだ位置までは特定できない。


 だが、偏りはある。


 より深い場所へ向かうほど、干渉は強くなっている。


 ロゴスは何も気づいていないような顔で歩き続けた。


     ◇


 案内された先には、広い空間があった。


 天井は高く、幾本もの石柱が並んでいる。その中央を進んでいると、正面から一人の女が歩いてきた。


 肩に箒を担いでいる。


 ロゴスには見覚えがあった。


 海の魔王との戦い。


 その場にいた十三堰の一人。


「ミレナ様」


 案内役が頭を下げる。


 ミレナは軽く手を上げ、それからロゴスを見る。


「誰?」


「フェリクス様の弟子だそうです」


「弟子!?」


 声が大きくなった。


「初耳だわ」


「私も初めてお目にかかります」


「そりゃそうでしょうね。あいつが弟子取ったなんて話、一度も聞いたことないもの」


 ミレナは遠慮なくロゴスを上から下まで眺めた。


「はぁ~、美人ねえ」


「ありがとうございます」


「褒めたつもりじゃないんだけど」


 ミレナは少し首を傾げる。


「こんな緊急時に弟子? ……それで、あいつは一年も何してるの?」


「貴方も例の現場にいらっしゃったと聞きましたが」


「ええ」


「彼はあの時、レリックを限界以上に使用しました。その代償によって、現在も魔力枯渇状態が継続しています」


「一年も?」


「はい。現状では役に立たない、と本人が判断されましたので」


「言いそうね」


「弟子である私に、レリックを一時的に継承していただきました」


 ミレナの視線が鋭くなる。


「レリックを?」


「はい」


「見せて」


 ロゴスは懐から懐中時計を取り出した。


 ミレナの表情が変わる。


 近づき、じっと見る。


「……本物ね」


「はい」


「あいつ、これ本当に渡したの?」


「現在の彼には使用できませんので」


「だからって普通渡す?」


「私の方が有効に利用できます」


「さらっと嫌なこと言うわね」


 ミレナは疑いを消してはいなかった。


 だが。


 懐中時計が本物であること。


 フェリクスしか知らないはずの事情を把握していること。


 その二つだけでも、無視できる相手ではない。


「それで?」


「はい?」


「何のために来たの?」


「状況を知らせるためです」


「状況?」


「彼はいま、始祖を守っていらっしゃいます」


 ミレナの顔から、先ほどまでの軽さが消えた。


「……エルネ・フィルを?」


「はい」


「生きてるの?」


「はい」


「意識は?」


「ありません。ただし、生命活動は安定しています」


 ミレナはしばらく黙った。


「……そう」


「そのため、フェリクス様より伝言を預かっております」


「何?」


「オスカー様と、アルトゥール様を連れてこい、とのことでした」


「ああ」


 ミレナが小さく息を吐く。


「そういうこと」


「他の十三堰の方は?」


「全員じゃないけど、いるわよ」


「ご挨拶させていただいても?」


「どうかしら」


「どうとは」


 ミレナは少し周囲を見回してから、声を落とした。


「この一年、色々あったのよ」


「お聞きしても?」


「別に隠すことでもないしね。あの時、十三堰の会議の最中に私たちは世界中へ散らされた。どこに飛ばされたかも分からない状態でね」


「その後、各自で聖地へ戻ったのですか?」


「ええ。ただ、すぐ戻れたわけじゃないわ。各地で何が起きてるのか嫌でも目に入ったしね。魔物は増える。国同士は疑い合う。北はあんな有様だし、難民も溢れてる。そういうのを見ながら、戻れる奴から少しずつここへ戻ってきた」


 ミレナは一度言葉を切った。


「それでも、戻ってきた連中で最初に話したのはエルネ・フィルのことだった」


「始祖の器であるかどうか、ですか?」


「そう」


 ミレナの表情から軽さが消える。


「あの子が《万象解体術》を使った。それも、あれだけの規模で。それを聞いて、『始祖が戻ったんだ』って考えた奴もいた」


「では、意見は一致しなかった」


「全然」


 ミレナは腕を組んだ。


「『始祖として崇めるべきだ』って奴もいれば、『まだ疑うべきだ』って奴もいた。器なのは間違いないとしても、中身まで始祖なのかは分からないってね」


「力だけを受け継いでいる可能性」


「そういうこと」


 そこでミレナは、一度口を閉じた。


「……まあ、疑ってる連中の中にも色々いるけどね」


「色々、とは?」


「そこまで私から話すことじゃないわ」


 わずかに目を逸らす。


「少なくとも、全員が『確認できるまで待とう』なんて穏やかな考えじゃない。それくらいに思っておいて」


 ロゴスは数秒、ミレナを見る。


「エルネ・フィルに危害を加える可能性のある方もいる、と」


「……私は何も言ってないわよ」


「否定もされませんでした」


「ほんと、面倒な弟子ね」


 ミレナはため息をついた。


「結局、それで割れたの。十三堰は。意見が合わなくなって、ここを離れた連中もいる」


「ミレナさんは?」


「私?」


「エルネ・フィルを始祖だと考えていらっしゃいますか?」


 ミレナは少し考えた。


「半信半疑ってところね」


「半信半疑」


「始祖の力を持ってるのは認める。あれだけ見せられたらね。でも、だからってエルネ・フィルっていう女の子が、そのまま始祖本人ですって言われても……正直、分からないわ」


「なるほど」


「ただし」


 ミレナは奥へ続く通路へ目を向けた。


「私たちがそんなふうに揉めてる間にも、下はどんどん盛り上がってる」


「下、とは?」


「信者たちよ。始祖が復活したって噂が広まったの」


「教団内部で?」


「最初はね。でも、この一年で世界中に散ってた信者にまで伝わった。だから今、続々とここへ集まってきてる」


 ロゴスが僅かに周囲へ視線を巡らせる。


 先ほどから人が多いとは感じていた。


 荷を抱えた者。


 まだこの地下の道に慣れていない者。


 周囲を見回しながら歩く者。


 壁際で祈りを捧げる者。


『居住人口、過去観測時より明確に増加』


『新規流入者、多数』


『ミレナの説明と一致』


「十三堰が割れてるっていうのに、信者の数だけは増えてる。皮肉な話でしょう?」


「彼らはエルネ・フィル本人を確認していません」


「関係ないのよ。ずっと待ってたものが現れたって聞いた。それだけで十分なの」


「信仰、ですか」


「そういうこと」


 ロゴスは再びミレナを見る。


「始祖じゃないなら、なんだというのです?」


「……それを話し合ってるのよ」


「現在も?」


「ええ。ちょうど今も、その件で話し合ってるところ」


「十三堰の方々が?」


「そう」


「でしたら、私も参加を」


「駄目」


 即答だった。


「なぜでしょう?」


「なんで正体もよく分からないフェリクスの弟子を、いきなり十三堰の会議に入れなきゃいけないのよ」


「合理的です」


「分かってるなら聞かないで」


「では、外で待機します」


「そうして」


 ミレナが案内役へ目を向ける。


「会議室の前まで連れていって。私から中には話しておく」


「承知しました」


 再び歩き出す。


 ロゴスもその後を追った。


 途中、ミレナが一度だけ振り返った。


「ねえ」


「はい」


「本当にフェリクスの弟子なのよね?」


「はい」


 ロゴスは微笑んだ。


「そうです」


 ミレナは何も言わず、そのまま前を向いた。


     ◇


 会議室の前には、長椅子が置かれていた。


「ここで待ってて」


「承知しました」


「勝手に歩き回らないでよ」


「はい」


「……なんか素直すぎて逆に怪しいのよね」


「お気になさらず」


「気になるわよ」


 ミレナはそう言い残し、重い扉の向こうへ消えた。


 ロゴスは長椅子へ腰を下ろす。


 静かだった。


 扉の向こうで会話が続いていることは分かる。


 だが内容までは聞き取れない。


 ロゴスは目を閉じた。


『待機時間を有効利用します』


 疑似身体を維持する魔力を、極めて小さな単位で周囲へ流す。


 探査魔法ではない。


 この場所では、それでは途中で遮断される。


 代わりに。


 遮断されることそのものを観測する。


 右。


 減衰率、高。


 左。


 変化小。


 上方。


 僅かに低下。


 下方。


 明確な上昇。


『干渉強度の偏りを確認』


 さらに細かく分ける。


 床。


 壁。


 空気中。


 魔力を流すたびに、それがどの方向から崩されるのかを記録する。


 かつて経験した現象。


 前回は、原因を調べる余裕がなかった。


 今回は違う。


『教団内部の魔力干渉状態を再解析』


『以前にも経験』


『過去観測値と照合』


 僅かな間。


『干渉は局所的な術式ではありません』


『ただし、強度には明確な偏りがあります』


 ロゴスは目を開ける。


 視線を床へ向けた。


『発生源が存在する可能性、高』


『方向――地下』


 正確な位置は分からない。


 距離もまだ算出できない。


 しかし、この聖地全体を覆う異常が、無秩序に発生しているわけではないことだけは分かった。


『凡その方向を把握』


 それで十分だった。


 観測点を増やせばいい。


 移動するたびに測定する。


 干渉の変化を積み重ねれば、いずれ中心へ近づける。


 ロゴスは何事もなかったように背筋を伸ばした。


 扉の向こうでは、まだ十三堰の話し合いが続いている。


 彼らが何を決めるのか。


 自分をどう扱うのか。


 エルネ・フィルを何者だと判断するのか。


 それはまだ分からない。


 だが。


 こちらも、ただ待っているだけではなかった。

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