第百九話 目覚めさせるために
更新日がめちゃくちゃになって申し訳ありません。
ある程度ストックを作っていたので、この章の終わりまでは更新が続きます。
話は少し遡る。
エルネ・フィルが海の魔王を前に《万象解体術》を行使した、あの瞬間まで。
彼女の器を遥かに超える魔力が解き放たれ、一帯そのものを呑み込もうとした。対する海の魔王もまた、海を守るために莫大な魔力を行使する。万象解体術に匹敵するだけの質量を海属性の術として生み出し、真正面からぶつけた。
二つの力は激突し、相殺された。
だが、何も残らなかったわけではない。ぶつかり合った術の余波だけで周囲一帯は吹き飛び、エルネの身体もまた遥か遠くへ弾き飛ばされた。
その身体を最初に見つけたのがフェリクスだった。
ミレナは一度戦場から距離を取り、手元へ戻った箒に乗って退避していた。フェリクスには彼女を探す余裕もない。意識を失ったエルネを抱え、ただその場から離れることを優先した。
懐中時計を使う。
周囲の運動を奪い、それを自身の加速へと変換する。同時に残っている自分の魔力も注ぎ込み、とにかく遠くへ。海の魔王がどうなったのか、追手がいるのか、それを確認する余裕すらなかった。
ただし、懐中時計には代償がある。
使用した時間に応じて、魔力枯渇状態が固定される。魔力を使い切ったからといって、すぐに回復が始まるわけではない。
フェリクスは短時間に力を使いすぎた。
エルネを抱えたまま、どうにか身を隠せる場所まで辿り着き――そこで意識を失った。
◇
目を覚ました時、最初に目に入ったのは見知らぬ女だった。
長い黒髪。淡い灰色の瞳。二十代半ばから後半ほどに見える、細身の女。こちらを見下ろす顔には、不安も安堵も浮かんでいない。
「……誰?」
「ロゴスです」
「もう少し分かるように説明してくれない?」
「エルネ・フィルに付随する情報生命体、と表現するのが最も適切です」
「余計分からなくなったな」
フェリクスは身体を起こそうとして、すぐに諦めた。腕に力が入らない。魔力も感じない。身体の中だけが綺麗に空っぽになったようだった。
「……ひどいな、これ」
「魔力枯渇状態が継続しています」
「分かってるよ。時計を使いすぎた」
言いながら右手を見る。そして眉を寄せた。
「僕の時計は?」
「こちらです」
ロゴスが懐中時計を見せる。
「返して」
「現時点ではできません」
「……つまり?」
ロゴスは少し考えた。
「現在の私なら、簡単に貴方を無力化することができます」
フェリクスが黙る。
「それは脅しかい?」
「状況の確認です」
「僕にはかなり脅しに聞こえるけど」
「認識の差ですね。貴方にはここでエルネ・フィルを守っていただきます」
「彼女は?」
ロゴスが視線を向ける。フェリクスもその先を追い、そこで初めてエルネの姿を見つけた。
淡く発光する魔力が幾重にも重なり、巨大な繭のように少女の身体を包み込んでいる。光は一定の間隔で脈打ち、その中央でエルネは静かに眠っていた。
「……あれは?」
「彼女自身の魔力です。生命活動は安定していますので、恐らく安全です」
「恐らく?」
「通常の睡眠や昏睡とは異なります。彼女自身の器を遥かに超える容量の魔法を行使した。その反動によって、精神、肉体、魔力回路が休止状態へ移行しているものと推測します」
フェリクスはしばらくエルネを見つめ、それから小さく笑った。
「なら、僕と同じだな」
「規模が違います」
「分かってるよ」
「復旧条件は現時点では不明です。まずは高密度の魔石、魔力補助に利用できる魔導具、その他の高位魔術資源を集めて検証します」
「君が?」
「はい。この身体であれば行動可能です」
「その身体は?」
「エルネ・フィルの魔力を利用して構築した疑似身体です」
「こんな状態の彼女の魔力を使ってるの?」
「必要最低限です。だからこそ、通常魔法だけで行動するより消費を抑えられる手段が必要になります」
ロゴスが懐中時計へ視線を落とす。
「この懐中時計は、目的達成まで借り受けます」
「いやいや。それ、僕のレリックだからね」
「承知しています」
「承知してるなら返してよ」
「できません」
「さっきから即答だなあ。というか、持っていても使えないよ。レリックは普通の魔道具じゃない。継承しなければ動かないし、継承には儀式も訓練も必要で――」
「少々お待ちください」
「何を?」
ロゴスが懐中時計を持ち上げ、魔力を流す。
直後、時計を取り囲むように幾重もの魔法陣が現れた。
円環。歯車。微細な文字列。通常の魔術式とは明らかに異なる、機械構造を思わせる不可思議な図形。それらが高速で入れ替わり、あるものは懐中時計の内部へ沈み、別のものが吐き出される。分解し、読み取り、再び組み直すように魔法陣が次々と姿を変えていった。
「……何してるの?」
「解析中です」
「レリックを?」
「はい」
「そんなことできるの?」
「できます」
「できるんだ……」
やがて魔法陣が一斉に消えた。
「解析完了」
ロゴスが竜頭へ触れる。
カチリ。
内部で歯車が動き始めた。
「……使えてる」
「はい」
「継承してないよね?」
「していません。継承制御は人間の魔力回路及び魂を認証対象としています」
「つまり?」
「私は対象外です。制御方式そのものは解析しました」
フェリクスは数秒黙ったあと、小さく笑った。
「ずるいな」
「何がでしょう?」
「こっちは継承するのに色々苦労したのに」
ロゴスは懐中時計を自分の懐へ収める。
「では、お借りします」
「だから僕まだ貸すって言ってないんだけど」
「現在の貴方には使用できません。今回の連続使用量から推測すると、当面の間、魔力枯渇状態は解除されず、通常魔法もレリックも行使不能です」
「……そこまで解析したの?」
「はい」
「本当に便利だね、それ」
フェリクスは諦めたように息を吐く。
「僕を脅したのって、時計が欲しかったから?」
「他にもあります」
「なんだい?」
「情報です。他の十三堰のレリックについて教えてください」
フェリクスの表情から笑みが消えた。
「まず、エルネ・フィルのあの状態は、確かに始祖の魔法の影響で間違いない。暴走状態であれを行使するって話はヴァレルから聞いてはいたけど……あそこまでとはね。確かに、始祖の器に間違いないようだ」
フェリクスは光の繭を見る。
「ただ、転生術は完成していたとは言い難い」
「何が言いたいのですか?」
「僕たち教団の目的は、始祖を復活させることだ。彼女の目覚めに力を貸すこと自体は筋が通る。でも、仲間の情報を見知らぬ相手に教えるとなると話は別かな。レリックの能力は十三堰にとって切り札みたいなものだからね」
「わかっていらっしゃらないようなので、重ねてお願いいたします」
「お願い?」
「私は、エルネ・フィルを目覚めさせるためなら何でもします。例え、倫理的にフィルターがかかることであっても」
「……それ、お願いする人の言い方じゃ――」
フェリクスの身体が浮いた。
「お、おい!」
背中が地面から離れ、そのままゆっくりと持ち上がっていく。
「何してるんだ!」
「情報提供を促しています」
「それを脅迫って言うんだよ!」
「先ほど学習しました」
「学習したならやめろ!」
「現在の貴方には、魔法もレリックも使用できません。対して私は行使可能です。したがって、交渉上は私が優位です」
「交渉じゃないだろ、これ!」
しばらく二人は見つめ合った。
「……分かったよ。下ろして」
「情報をいただけますか?」
「全部とは言ってない」
「では、知っている範囲からお願いします」
「先に下ろして!」
ようやく身体が地面へ戻る。フェリクスは座り直し、恨めしそうにロゴスを見た。
「言っておくが、僕も全部を知ってる訳じゃない。十三堰は、仲間だからって互いの手の内を全部明かすような集まりじゃないからね。僕が実際に見たか、本人から聞いた範囲だけだ」
「事実と推測は区別してください」
「そう言うと思ったよ。ミレナ、ヴァレル、バルド、ポーラ、アルトゥール、オスカー……そのあたりなら教えられる」
「六名」
「そう。君にとって特に重要なのは、恐らくオスカーとアルトゥールのレリックだろう」
「理由を」
「アルトゥールのレリックは絵筆だ。能力は――現実干渉」
ロゴスの目が僅かに細くなる。
「現実干渉」
「描いたものを現実側へ反映する。条件や限界までは僕も詳しく知らない。ただ、普通の魔法とは比べ物にならないくらい自由度が高い」
「オスカーは?」
「彼の片眼鏡は『運』って現象に介入する」
「確率操作ですか?」
「近いと思うけど、たぶんそれだけじゃない。起きるはずのないことを起こしたり、逆に起きるはずのことを外したり。本人が詳しいことを話したがらないから、僕も全部は知らない」
「曖昧ですね」
「レリックなんて、だいたいそんなものだよ」
フェリクスは少し肩をすくめた。
「この二人がレリックの力を完全に解放すれば、だいたいのことは出来る――なんて言われてる」
「推測ですか?」
「まあね。僕も本気で使ってるところは見たことないから。ただ、彼らのレリックをもってしても始祖を甦らせることはできなかった。だから、そこまで何でも出来るってわけじゃなさそうだけどね」
「確認します。できなかった、というのは、不可能であることが証明されたのですか?」
「……いや。試して駄目だったか、条件を満たせなかったか。僕が知ってるのはその程度だよ」
「では十分です」
「何が?」
「可能性が残っています」
ロゴスは光の繭を見る。
始祖を甦らせることができなかった。
だからといって、エルネ・フィルを目覚めさせられないとは限らない。
その二つが同じ現象である保証など、どこにもない。
「君、諦めるって言葉知ってる?」
「知っています」
「使う予定は?」
「ありません」
フェリクスは苦笑した。
「……教団の場所は、おおよそならまあ教えられる。ただ、ミレナが先に戻って事情を説明するとなると……彼らが素直に協力してくれるかは怪しいな」
「なぜです?」
「君が何者なのか分からないからだよ。それに十三堰は全員同じ考えじゃない。エルネ・フィルを本当に始祖として扱うべきか疑う奴もいるし、逆に今すぐ聖地へ連れ帰るべきだと思う奴もいる。君が一人で現れて、始祖の器を目覚めさせたいからレリックを貸せなんて言って、素直に聞いてくれると思う?」
「問題ありません」
「問題あると思うけど」
「貴方にしたように、協力せざるを得ない状況を作るつもりです」
フェリクスが黙る。
「……それ、十三堰全員にやるの?」
「必要であれば」
「君、教団に喧嘩売りに行く気じゃないよね?」
「違います。協力を要請しに行きます」
「その言い方で全然安心できないんだけど」
「不要な戦闘は避けます」
「不要じゃなかったら?」
「排除します」
「ほら。絶対揉めるよ、それ」
◇
――話は、現在へ戻る。
夜の山道を二人の人影が進んでいた。
前を歩くのは、先ほどまで村に滞在していた男。杖をつきながらも、迷うことなく細い山道を進んでいる。その数歩後ろを、リーゼと名乗るロゴスが歩いていた。
「この先です。もうしばらく山を登ります。途中からは普通の道ではなくなりますので」
「構いません」
「……本当に、お一人でよろしいのですか?」
「問題ありません」
「ですが、聖地に着けば――」
「まずは到着することを優先してください」
「……分かりました」
男は再び前を向く。
ロゴスもその後を追う。
その途中、時折ほんの少しだけ歩調を緩めた。
道端の木。岩。地面。
そこへ、僅かな魔力を残す。
普通の人間には分からない。魔術師が偶然見つけても、自然に残った魔力の揺らぎと判断する程度の痕跡。
だが。
『マリエルであれば、発見できる可能性が高い』
ある地点では、わざと足跡を残した。
ある地点では、折れた枝の向きをそのままにした。
隠すことは容易だった。
だからこそ、隠さない。
『セレフィナ・エル・リュゼリアであれば、マリエルの報告を無視しない』
教団内部へ入り、情報を得る。
レリックを調べる。
エルネを目覚めさせる方法を探す。
それが最優先。
しかし、自分一人で全てを完遂できる保証はない。
ならば。
保険は残す。
「どうされました?」
男が振り返った。
「いいえ」
ロゴスはいつものように微笑んだ。
「何でもありません」
二人は再び歩き出した。
教団の聖地へ向かって。
そしてその背後には、注意深く探す者にだけ見つけられる、小さな痕跡が続いていた。




