第百八話 取引
クロードの手が懐へ入る。
リーゼは、その動きを見ながら小さく息を吐いた。
「本来なら、貴方の力をじっくり観測したいところですが……」
「観測?」
「ええ」
リーゼも懐へ手を入れた。
「今回はやめておきます」
取り出したものを見て。
クロードの表情が初めて崩れた。
銀色の懐中時計。
見間違えるはずがない。
「……なぜ、それを?」
リーゼは答えず、時計の蓋を開いた。
「ご存じの通り、かなり派手な魔道具ですので」
親指が竜頭へ触れる。
「すぐに終わらせます」
「待――」
カチリ。
音がした。
次の瞬間。
クロードの身体が重くなった。
違う。
重いのではない。
動かない。
踏み込もうとした脚。
懐へ入れた腕。
振り向こうとした首。
すべての動きが、途中で奪われる。
「っ……!」
視界の端で、リーゼだけが動いた。
いや。
速い。
異常なほど。
一瞬前まで数歩離れていたはずの女が、すでに目の前にいる。
クロードの手首を掴む。
懐へ入れたままの手を、そのまま押さえ込んだ。
「これは使わないでください」
「……!」
ようやく身体が動く。
クロードは反射的に距離を取ろうとしたが、リーゼはもう手を離していた。
追撃もない。
ただ、懐中時計を手に立っている。
「それ……」
「はい」
「フェリクスのだよね」
「そうですね」
「どうしてあんたが持ってるの?」
先ほどまでの軽い口調が消えている。
リーゼは懐中時計の蓋を閉じた。
「少しお話をしませんか?」
「答えになってない」
「戦闘を続けるよりは、有意義だと思います」
「……」
クロードは女を見る。
懐中時計。
間違いない。
十三堰の一人、フェリクスが持つレリック。
あれを他人が持っていること自体、おかしい。
まして。
使った。
継承もしていないはずの人間が。
「何者なの、あんた」
「占い師です」
「まだ言う?」
「今のところは」
「今のところって何」
リーゼは答えず、役人へ視線を向けた。
男も驚いた顔で懐中時計を見ている。
「貴方も、これが何かは分かりますね?」
「……はい」
「なら、話は早いです」
リーゼはクロードへ向き直った。
「私としても、これ以上彼らと行動を共にするのは好ましくないと考えています」
「どういうこと?」
「目的が違うからです」
クロードの目が細くなる。
「リーゼさん」
「はい」
「何をしに来たの?」
少し間が空いた。
リーゼは懐中時計を握る。
「案内してください」
「どこへ?」
「教団内部に」
クロードの表情が止まった。
役人も息を呑む。
「……何を言ってるの?」
「そのままの意味です」
「教団を知ってるの?」
「ある程度は」
「誰から聞いた?」
「フェリクスさんです」
即答だった。
嘘。
しかし、表情には出ない。
「フェリクスが?」
「はい」
「なんで?」
「頼まれました」
「何を」
「教団へ行くように、と」
クロードはしばらく何も言わなかった。
「……意味分かんない」
「そうでしょうか」
「分かんないよ。だったら最初からそう言えばいいじゃん」
「誰に?」
「僕に」
「貴方がクロード・ノクス本人である確証がありませんでしたので」
「……」
クロードが黙る。
そこは正しかった。
「この辺りまで来れば、教団の人間と接触する可能性が高いとは聞いていました。ただし、正確な場所までは教えられていません」
「フェリクスが?」
「はい」
「なんで場所を教えないの?」
「私も同じことを聞きました」
「なんて?」
「行けば分かる、と」
それらしい。
非常に。
クロードは嫌そうな顔をした。
「言いそうなのが腹立つな……」
「そうなのですか?」
「知らないの?」
「付き合いは長くありませんので」
これも、完全な嘘ではない。
クロードは懐中時計を見る。
「それも借りたってこと?」
「はい」
「フェリクスが?」
「はい」
「自分のレリックを?」
「はい」
「……あいつ何考えてるんだ」
役人がそこで口を開いた。
「《無明》様」
「何?」
「私は……この方をお連れしてもよいのではないかと思います」
クロードが振り返る。
「なんで?」
「その懐中時計が本物であるならば、少なくともフェリクス様と無関係ではありません」
「でも」
「それに」
男はリーゼを見る。
「ここまで来られている以上、放置する方が危険かと」
リーゼはにこやかに笑った。
「賢明な判断だと思います」
「自分で言うんだ」
「はい」
クロードは頭を掻いた。
納得していない。
明らかに。
「一つ聞いていい?」
「どうぞ」
「なんで王女たちと一緒にいたの?」
「目的地が近かったためです。彼女たちも北へ向かっていましたから」
「利用した?」
「同行しただけです」
「同じじゃない?」
「違います」
「そうかなあ」
クロードはリーゼを睨む。
その女は、ずっと笑っている。
気に入らない。
何かを隠している。
それだけは分かる。
「……本当にフェリクスに頼まれたんだね?」
「はい」
「嘘だったら?」
「どうしますか?」
「困る」
「そうですね」
「そうですね、じゃないよ」
リーゼは懐中時計を仕舞った。
「では、そろそろ移動しませんか?」
「僕は行かないよ」
リーゼの動きが止まる。
「そうなのですか?」
「うん」
「教団へ戻るのでは?」
「まだやることがあるから」
「なるほど」
それ以上は聞かなかった。
クロードは少しだけ意外そうな顔をする。
「聞かないんだ」
「必要がありませんので」
「……変な人」
「よく言われます」
「それ絶対嘘だよね」
役人が困ったように二人を見る。
「では……私は、この方をご案内すれば?」
「そうして」
クロードは答えた。
リーゼを見る。
「でも」
「はい?」
「変なことしたら、すぐ分かるからね」
「どのように?」
「それは秘密」
「そうですか」
リーゼは笑った。
「では、私も秘密にしておきます」
「何を?」
「色々です」
「……やっぱり嫌いかも」
「残念です」
◇
村が見えるところまで戻ったところで、二人は別れた。
「僕は宿へ戻る」
「分かりました」
「リーゼさんは?」
「この方と行きます」
「王女たちには?」
「適当に誤魔化しておいてください」
「僕が?」
「お願いします」
「なんで僕が」
「協力関係ですので」
「いつから?」
「今からです」
クロードはしばらくリーゼを見た。
「……勝手だなあ」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
それでも。
クロードは宿の方へ歩き出した。
途中で一度だけ振り返る。
リーゼと役人は、反対方向へ向かっていた。
教団へ。
クロードは目を細める。
「フェリクス、か」
本当に。
それだけなのだろうか。
◇
ロゴスは男の後ろを歩いていた。
クロードの姿が完全に見えなくなる。
その時。
笑顔が消えた。
『第一段階、完了』
教団内部への経路を確保。
フェリクスの名を使用した虚偽情報。
現時点では受容されている。
問題は。
ここから先。
『始祖転生に関する研究』
『万象解体書』
『レリック』
『エルネ・フィルの復旧に利用可能な情報』
それらが存在する可能性。
少なくとも。
一年前よりは。
前へ進んでいる。
「リーゼ様?」
男が振り返った。
ロゴスはすぐに笑顔を戻した。
「なんでしょう?」
「いえ。少し、表情が……」
「気のせいですよ」
「……そうですか」
「はい」
ロゴスは北を見る。
まだ見えない。
教団の聖地。
そして。
エルネを目覚めさせるための手掛かりが眠っているかもしれない場所へ。
二人は夜の山道を進んでいった。




