第百六話 消えた足跡
北へ向かう馬車が宿場町に着いたのは、日が傾き始めた頃だった。
街道が二つに分かれる場所に作られた、小さな町である。かつては北方との交易で賑わっていたらしいが、今は商人よりも避難民の姿が目立った。広場には仮設の炊き出し所が設けられ、宿の軒先には泊まる場所のない人々が荷物を抱えて座り込んでいる。
馬車を降りると、カイが大きく伸びをした。
「ようやく着いたっスね。馬車って、座ってるだけなのに疲れるんスよねえ」
「途中で魔獣も出たものね」
リシアが答えると、護衛の剣士が苦笑した。
「あんたらのおかげで助かったよ。あの大物に道を塞がれた時は、今日はここまでかと思った」
「私は何もしてないわ。こちらの占い師さんのお手柄よ」
セレフィナがロゴスを示す。
「大したことはしていませんよ」
「そういう台詞は、あれを倒した人間が言うものじゃないと思うっス」
カイが肩をすくめた。ロゴスは曖昧に笑って、馬車の荷台から自分の鞄を下ろす。
その隣で、クロードが何気ない様子で尋ねた。
「リーゼさん、あの魔獣とは前にも戦ったことがあるの?」
「ええ。何度か」
「だから弱点を知ってたんだ」
「そういうことです」
「へえ」
クロードはそれ以上聞かなかった。
ロゴスも追及しない。互いに目が合ったのは一瞬だけだった。
◇
宿を確保した後、六人は二手に分かれて町を調べることになった。
セレフィナとリシア、カイは宿泊記録と馬車の利用状況を確認する。マリエルは町の外縁を調べ、ロゴスとクロードが同行した。
「ここまで来れば、何か残っているかもしれません」
マリエルは北門へ向かう道を歩きながら言った。
「前の街では、痕跡がほとんど途切れてしまっていたので」
「一年以上前のものを追っているんですか?」
「いえ。今追っている人たちが通ったのは、もっと最近です。エルネちゃんとは別の手掛かりなんですけど……もしかしたら、繋がっているかもしれなくて」
「なるほど」
マリエルは足を止めた。
街道脇に、古い馬車の車輪跡が残っていた。雨で崩れ、他の馬車にも踏まれている。ロゴスには複数の轍が重なって見えるだけだったが、マリエルはしゃがみ込み、指先を地面へ近づけた。
「……あります」
「何がでしょう?」
「魔力の痕跡です。前の街で見つけたものと、よく似ています」
マリエルは目を閉じ、しばらく集中した。
「六人全員かは分かりません。でも、少なくとも同じ一行がここを通っています」
「北門を?」
「はい。ただ……」
立ち上がり、道の先を見る。
「そこから先が、少し変なんです」
ロゴスは周囲を見渡した。門から伸びる街道には、まだ新しい車輪跡が続いている。一方、脇には使われなくなった古道があり、雑草が道幅の半分ほどを覆っていた。
「こちらを調べても?」
ロゴスが古道を示す。
「ええ」
三人で入っていくと、マリエルがすぐに反応した。
「こっちにも残ってます」
「馬車は?」
「……分かりません。魔力の痕跡だけです」
ロゴスは足元を見る。車輪が通れば草は押し潰され、土にも跡が残る。だが、古道にはそれがない。所々に踏み固められた場所はあるものの、車輪の幅に揃った跡ではなかった。
「徒歩に切り替えたのかもしれませんね」
「どうしてそう思うんですか?」
「馬車が通った形跡がないので」
「なるほど……」
マリエルが感心したように頷く。
クロードは二人の後ろを歩いていた。時折、道端の草や木々を眺めているが、調査に口を挟むことはない。
「リーゼさん、占いはしないの?」
「していますよ」
「水晶玉、出してないけど」
「毎回必要なわけではありません」
「便利だね、占いって」
「ええ」
ロゴスは笑顔で答えた。
実際、水晶玉は必要なかった。
マリエルが見つけた魔力の痕跡と、目視で確認できる地形や足跡を重ねれば十分だった。単独なら見落としていた可能性がある情報も、彼女のおかげで拾えている。
優秀。
ロゴスは改めてそう評価した。
エルネが行方不明になってからの一年間、マリエルは随分と能力を伸ばしたらしい。
「……リーゼさん?」
「はい」
「どうかしました?」
「いえ。マリエルさんは、よく見つけますね」
「ありがとうございます」
マリエルは少し照れたように笑った。
◇
町へ戻る頃には、セレフィナたちも調査を終えていた。
宿の一室に集まり、リシアが机へ記録を広げる。
「六人のうち、四人がこの町に泊まった記録を確認できました。残り二人も、似た時期に通過したという証言があります」
「馬車は?」
「北へ向かう便に乗っています。ただ、終点までは行っていないようです」
リシアが地図の一点を指す。
「途中の停留所で降りています。しかも、別々に乗ったはずの人たちが、同じ場所で」
「そこから徒歩か」
カイが言う。
「マリエルたちの見つけた痕跡とも合うわね」
セレフィナは地図を覗き込んだ。
ロゴスも横から確認する。
六人は別々の経路で都市へ入り、時期をずらして北上していた。しかし、この町の先では同じ道を選んでいる。
偶然にしては不自然だった。
『移動先の収束を確認』
ロゴスは資料にある六人の職業を見た。役人、商人、軍人、魔術師。それぞれが元の職場を離れ、連絡を絶っている。
教団関係者である可能性は高い。
そして、もし教団の主要な人員が一か所へ集まっているのなら。
『始祖の転生に関する研究資料も、集約されている可能性があります』
教団は長年、器の選定と転生の秘術を研究してきた。その知識に、停止したエルネを目覚めさせるための手掛かりが含まれているかもしれない。
十三堰の所持するレリックについても同様だった。通常の魔法では届かない領域へ干渉できるのであれば、再起動の一助になる可能性がある。
もちろん、どちらも確証はない。
だが、一年の調査で得られたものよりは、はるかに期待できる。
「リーゼ?」
セレフィナに呼ばれ、ロゴスは顔を上げた。
「どう思う?」
「そうですね。皆さんの調査結果を合わせると、この先の山間部へ向かった可能性が高そうです」
「私もそう思う。でも、もう一つ気になることがあるのよね」
「何でしょう?」
「これだけの人数が同じ場所へ向かってるのに、行き先を知っている人間が一人もいないのは変じゃない?」
リシアも頷いた。
「馬車の御者も、停留所で降ろしたところまでしか知らないそうです」
「何か隠してるんスかね」
「それを調べるのよ」
セレフィナは地図を指で叩いた。
「この先に小さな村があるわ。まずはそこね」
◇
翌日、一行は北の村へ向かった。
馬車が入れない細い道が続いており、途中からは徒歩になった。山の斜面に沿って作られた道は曲がりくねり、片側は深い谷になっている。遠くには、北方大災害の影響を受けた山々が霞んで見えた。
道中、マリエルは何度か立ち止まった。
「まだ続いています」
その声に、セレフィナが頷く。
「なら、このまま進みましょう」
村に着いた時、最初に目に入ったのは新しい木柵だった。家々の窓には板が打ち付けられ、広場の脇には魔獣の接近を知らせる鐘が吊るされている。
村人たちはよそ者を見ると警戒したが、セレフィナが王家の身分証を示すと、村長が慌てて出てきた。
「お、王女殿下……! このようなところへ、何事でございますか」
「少し人を探しているの。大事にしないでくれると助かるわ」
「は、はい」
リシアが六人の特徴を伝える。
村長は何人かについて心当たりがあるらしかった。
「確かに、そういう方々が通られました。ですが、皆さんすぐに出発されて……」
「どこへ?」
「それが、詳しくは……」
セレフィナが目を細める。
「知らない?」
「本当でございます。ただ、一人だけ、この村に残られた方がおります」
「残った?」
「ええ。足を痛めたとかで、先へ進まれずに」
村長は道の奥を指した。
「今は空き家をお貸ししています」
◇
案内されたのは、村外れにある小さな家だった。
扉を叩くと、しばらくして中から男が現れた。五十歳前後。痩せた顔に無精髭を生やし、片脚を庇うようにして立っている。
リシアが資料を確認する。
「……間違いありません」
男の名前は、六人のうちの一人と一致していた。以前は王国で行政職に就いていた人物である。
セレフィナが一歩前へ出た。
「少し、お話を聞かせてもらえるかしら」
男は王女の顔を見て、目を見開いた。
「殿下……?」
「貴方の足取りを追ってきたの。突然職場を辞めて、連絡も絶ったそうね」
「それは……」
「責めに来たわけじゃないわ。どこへ向かっていたのか、教えてほしいの」
男は答えなかった。
セレフィナは続ける。
「貴方だけじゃない。別々の場所から大勢の人が北へ向かっている。何があるの?」
「……私には、お話しできません」
「知らない、ではないのね」
男が唇を噛む。
ロゴスは男の反応を観察していた。
単なる失踪者ではない。行き先を知っている。
あるいは、少なくとも、誰の指示で移動していたかを知っている。
その時だった。
男の視線が、セレフィナの肩越しに動いた。
後ろに立っていたクロードを見る。
「……貴方は」
表情が変わった。
それまでの困惑とは明らかに違う。驚きと、何かを恐れるような反応だった。
クロードはいつものように笑った。
「初めまして。僕は学院のクロードです」
男が口を閉じる。
ほんの短い沈黙。
「……ええ。初めまして」
セレフィナが二人を見比べた。
「知り合い?」
「ううん。初めてだよ」
クロードはあっさり答えた。
「そう……」
男はクロードを見ないように、顔を伏せている。
ロゴスはその様子を黙って見ていた。
『面識あり』
『双方、虚偽の応答』
十三堰《無明》クロード・ノクス。
彼の正体について、確信を得るには十分だった。
しかし、ここで指摘する利点はない。
ロゴス自身も、彼らに偽名を告げ、エルネを知らないふりをしている。
必要なのは、教団の情報だ。
そして、この少年が何を目的として行動しているのか。
ロゴスは水晶玉を抱え直した。
「……あの、リーゼさん」
隣から、小さな声がした。
マリエルだった。
「はい?」
マリエルは男とクロードを交互に見てから、ロゴスの耳元へ顔を寄せた。
「あの人、どうしてリーゼさんの顔じゃなくて、クロード君の方ばかり見ているんでしょう?」
ロゴスはマリエルを見た。
それから、いつも通りに微笑んだ。
「……どうしてでしょうね」




