第百五話 それぞれのエルネ
北へ向かう街道は、以前よりずっと荒れていた。ところどころ舗装が剥がれ、道端には壊れた荷車や放棄された柵が残っている。それでも人の流れは途切れていない。商人、避難民、兵士。南へ向かう者もいれば、逆に北を目指す者もいる。
セレフィナたちは、乗合の大型馬車に揺られていた。ロゴスもその中にいる。向かいにはセレフィナとリシア、その隣にマリエル。少し離れてカイとクロードが座っていた。御者台の横には護衛の剣士が一人いる。
「そういえば」
窓の外を眺めていたセレフィナが、不意にロゴスを見る。
「貴方、名前を聞いてなかったわね」
「そうでしたか?」
「占い師ですってところで話が進んじゃったもの」
ロゴスは一瞬だけ考えた。
名前。
ロゴス。
万象解体書と深く関わる者であれば、その名称を知っている可能性はある。旅の占い師として使用するには適切ではない。
記憶を検索する。
旅の途中で出会った人間。
宿の主人。商人。難民。村人。
一人の女性の名前が浮かんだ。
「……リーゼです」
「リーゼさんね」
マリエルが繰り返す。
「はい。よろしくお願いします」
偽名に深い意味はない。
必要だったため、記憶の中から選択した。それだけだった。
「で、リーゼ」
セレフィナがすぐに呼ぶ。
「はい」
「エルネの居場所も占えない?」
「現状では難しいですね」
「情報が足りない?」
「はい」
昨日説明した通り、何もない場所から答えが現れるわけではない。対象について得られる情報が多いほど、推測の精度は上がる。
ロゴスは馬車の中を見渡した。
「ですので、エルネさんのことを教えていただけますか?」
「エルネのこと?」
「はい。それぞれの視点から聞きたいです。性格や普段の行動、好き嫌い。何でも構いません」
少しだけ静かになる。
最初に口を開いたのはマリエルだった。
「優しい子です」
「優しい?」
「はい。でも、ちょっと無茶します。自分が怪我することとか、あまり気にしないというか……」
「ちょっとじゃないわね」
セレフィナがすぐに口を挟んだ。
「かなり無茶するわ。頑固だし、危なっかしいし、一人で何とかしようとするし」
「でも、人を見捨てられないんですよね」
「そう。それで余計なことまで背負い込むのよ」
ロゴスは黙って聞く。
既知の情報と一致する。
ただし、表現が違った。
「リシアさんから見ると?」
「本人は、自分を普通だと思ってるところがありますね」
「あります」
マリエルが即座に頷く。
「でも実際には魔法に対する考え方も、判断もかなり独特です。普通の魔術師ならしないことを平然とやりますし……見ていると時々、どうしてそうなったのか分からない魔法まで使います」
「それは聞いたことあるっス」
カイが会話へ入った。
「俺は会ったことないから分かんないっスけど、凄い変わった魔法使う人なんですよね」
「変わった、は否定できませんね」
「そこは認めるんスね」
リシアが少し笑った。
ロゴスはクロードへ視線を向ける。
「クロードさんは?」
「僕も会ったことないよ」
「そうなんですか?」
「うん。先輩たちからちょっと聞いたくらい」
クロードはそう言ってから、セレフィナたちを順番に見た。
「でも」
ほんの少しだけ、笑みが変わる。
「みんなに探してもらえて、幸せな人だね」
どこか寂しそうな笑い方だった。
マリエルがクロードを見る。セレフィナも一瞬だけ表情を変えたが、何も聞かなかった。
ロゴスだけが、その言葉を記録する。
「貴方は」
クロードがこちらを見る。
「お会いして、何か聞きたいことがあるんですか?」
「僕が?」
「はい。会ったことのない方を探す旅に参加されているので」
クロードは少し考えた。
「別に僕が探してるわけじゃないよ。みんなについてきてるだけ」
「そうですか」
「でも、会えたら聞いてみたいことはあるかな」
「何を?」
「……本当に、その人なのかって」
ロゴスは表情を変えなかった。
『“その人”』
『対象不明』
『クロード・ノクス。《無明》。十三堰』
『始祖を指している可能性あり』
「曖昧ですね」
「会えば分かると思うから」
「なるほど」
それ以上は追及しない。
逆にセレフィナへ話を戻した。
「他にはありますか?」
「そうねえ……」
セレフィナが腕を組む。
「意外と寂しがり屋かもしれないわね」
『該当情報、未登録』
「そうなんですか?」
「たぶんね。本人は絶対認めないでしょうけど」
「褒められると、ちょっと困った顔もしますよね」
マリエルが言う。
「するわね」
『該当情報、未登録』
ロゴスは二人を見た。
エルネの魔力。身体状態。思考傾向。戦闘時の判断。万象解体書との接続状態。
多くを知っている。
しかし、今聞いている情報の中には、記録されていないものがいくつもあった。
「……皆さん、よく見ていたんですね」
「友達だもの」
セレフィナは当然のように答えた。
ロゴスは小さく頷いた。
その直後。
馬車が大きく揺れた。
「うわっ!」
カイが座席に手をつく。馬が激しく嘶き、御者の怒鳴り声が飛んだ。
「止まれ! 落ち着け!」
続いて、街道の先から低い咆哮が響く。
護衛の剣士がすぐに立ち上がった。
「魔獣だ!」
窓の外、街道脇の林が大きく揺れる。木々を押し倒しながら現れたのは、大型の四足魔獣だった。馬より遥かに大きく、頭部は分厚い甲殻に覆われている。異様に発達した前脚で地面を抉りながら、こちらへ向かってくる。
「全員降りろ!」
護衛が剣を抜く。
だが、その前にクロードが声をかけた。
「待って」
「何を言ってる!」
剣士が振り返る。
クロードは気にした様子もなく、ロゴスを見た。
「お姉さん、強いんでしょ?」
楽しそうに笑っている。
「見せてよ」
セレフィナが眉を寄せる。
「クロード」
「だって気になるじゃん。本当に強いって言ってたし」
ロゴスはクロードを見る。
『試されています』
意図は明確だった。
「分かりました」
「ちょっと、本当に行くの?」
「大丈夫です」
ロゴスは馬車から降りた。
迫る魔獣を見る。
既知の種。
過去遭遇、三回。
頭部装甲への攻撃は非効率。胴体も厚い。右前肢の付け根に神経束が集中しており、一定以上の衝撃を与えることで一時的に運動機能を停止させられる。
距離。
速度。
風向。
必要威力。
すべて計算する。
右手を上げた。
「風」
短い音がした。
爆発はない。
目に見えるほどの風も起こらない。
圧縮された空気が一点だけを叩く。
魔獣の右前脚が突然崩れた。
巨体が勢いのまま地面へ転がる。すぐに起き上がろうともがくが、右前脚が動かない。
ロゴスはもう一度だけ指を向けた。
顎の下。
そこへ二度目の衝撃。
魔獣の頭が地面へ落ち、そのまま動かなくなった。
死亡はしていない。
気絶。
十分だった。
「ほら」
ロゴスは馬車へ戻った。
護衛の剣士は剣を抜いたまま、倒れた魔獣とロゴスを交互に見ている。
クロードはしばらく魔獣を観察していた。
「本当に強いね」
それから、ロゴスを見る。
「本気じゃないけど」
「分かるんですね」
「なんとなく」
「そうですか」
ロゴスも笑う。
少し離れたところで、マリエルが小さく口を開いた。
「……なんだか」
「ええ」
リシアもロゴスを見たまま頷く。
二人とも、それ以上は言わなかった。
大きな威力で押し切るのではなく、必要な箇所を見つけ、必要なだけの魔法を正確に使う。
その戦い方に、覚えがあった。
セレフィナも倒れた魔獣を一度確認してから、ロゴスを見る。
「確かに、戦い慣れているわね」
「旅が長かったので」
「占い師って、ずいぶん物騒な仕事なのね」
「私の場合は、ですよ」
「なるほどね」
セレフィナはそれ以上追及しなかった。
ロゴスは馬車へ乗り込み、元の席へ座る。
向かいではクロードがまだ笑っていた。
『対象クロード・ノクス』
『観察能力、想定以上』
『警戒を継続』
御者が馬を落ち着かせ、やがて馬車が再び動き出す。
北へ。
エルネから遠ざかる方向へ。




