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もち丸、風流を語る

「真白さん、都々逸を詠みます」


 朝食後。


 西園寺もち丸は、なぜか妙に厳かな顔でそう言った。


 冷泉真白は、食器を片づける手を止めずに答える。


「仕事をしてください」


「いきなり本題を突いてくる。真白さんの言葉はいつも鋭いですね。名刀ですか?」


「あなたの怠惰を斬るためのものです」


「では僕は斬られた餅ですね」


「切り餅ですね」


「うまい」


「うまくありません」


 真白は淡々と皿を重ねた。


 もち丸はソファに座り、なぜか扇子を広げている。しかもその扇子には、自分で書いたらしい大きな文字があった。


『風流』


 筆跡は丸い。


 ものすごく丸い。


「真白さん、都々逸というものをご存じですか」


「七・七・七・五の定型詩ですね。江戸の俗曲として知られています」


「さすが真白さん。知性までお綺麗ですね」


「知性に『お』をつけないでください」


「お知性」


「やめてください」


 真白はコーヒーを置いた。


 もち丸は一口飲み、満足げに目を細めた。


「つまりですね、都々逸とは大人の余裕。粋。洒脱。言葉の羽織。感情の雪駄。心の爪楊枝」


「最後が急に小さくなりましたね」


「粋とは細部に宿るものです」


「あなたの場合、細部に逃げています」


「真白さん、今の返し、七七七五にできそうですね」


 もち丸は扇子をぱちんと閉じた。


「逃げるもち丸

 追い詰める真白

 最後に残るは

 業務だけ」


「現実ですね」


「現実を詠んでしまった。都々逸とは恐ろしい」


「恐ろしいのは、そこまでして仕事から離れようとする精神力です」


 真白は書斎の机を指さした。


 そこには、もち丸が処理しなければならない書類が積まれている。


 ほどよく積まれている。


 山というほどではないが、もち丸にとっては霊峰である。


「もち丸様。まずはあちらを片づけてください」


「真白さん」


「はい」


「人はなぜ、書類を片づけなければならないのでしょう」


「必要だからです」


「必要とは何でしょう」


「期限があるものです」


「期限とは何でしょう」


「過ぎると私が怒るものです」


「なるほど。世界の仕組みが見えました」


 もち丸は深くうなずいた。


 そしてまた扇子を開いた。


「締切り前に

 真白が立てば

 神も仏も

 席を空け」


「空けません」


「いや、空けますよ。真白さんが『どいてください』と言えば、大抵の存在はどきます」


「あなたもどいてください。ソファから」


「僕は例外です。なぜならご主人なので」


「では、ご主人としての威厳を見せてください」


「威厳」


 もち丸は立ち上がった。


 背筋を伸ばす。


 胸を張る。


 両手を後ろで組む。


 妙に偉そうな顔をした。


「真白さん」


「はい」


「仕事をする僕を、見守っていてください」


「自立してください」


「威厳、即死」


 もち丸はよろよろと机へ向かった。


 椅子に座る。


 ペンを持つ。


 書類を見る。


 三秒で遠い目をした。


「真白さん」


「はい」


「都々逸が降りてきました」


「仕事は降りてきませんか」


「降りてきています。ただ、僕が受信拒否しています」


「解除してください」


「では一句」


「仕事をしてください」


「仕事を前に

 もち丸沈む

 真白の視線で

 浮き上がる」


「浮き上がったなら進めてください」


「真白さんの視線は浮力だったんですね」


「圧力です」


「圧力で浮く。深海魚みたいですね、僕」


「深海に帰しますよ」


「帰る場所が過酷」


 もち丸はしぶしぶ書類に目を落とした。


 真白は横に立ち、静かに見守る。


 その姿勢は厳しいが、乱暴ではない。


 逃げ道を塞いでいるのに、不思議と居心地は悪くない。


 もち丸は一枚目の書類に判を押した。


「真白さん」


「はい」


「僕、今、働きました」


「一枚ですね」


「人類にとっては小さな一枚。もち丸にとっては偉大な一歩」


「次の一歩をお願いします」


「厳しい」


「歩いてください」


 もち丸は二枚目を取った。


 また判を押した。


 三枚目、四枚目。


 だんだん調子が出てきたらしい。


 真白は無言で新しいコーヒーを置いた。


「真白さん」


「今度は何ですか」


「真白さんって、こういう時に黙って飲み物を置いてくれるところが、非常に都々逸ですね」


「意味が分かりません」


「では詠みます」


 もち丸は少し考えた。


「叱る言葉は

 冷たく見えて

 湯気立つカップは

 甘やかし」


 真白の手が、ほんの少しだけ止まった。


 表情は変わらない。


 けれど、目元だけがわずかに鋭くなる。


「砂糖は入れていません」


「そこじゃないんですよ、真白さん」


「では、どこですか」


「真白さんの優しさです」


「業務補助です」


「業務補助の顔をした優しさ」


「優しさの顔をした業務命令です」


「どちらでも僕にはご褒美です」


「では追加します」


「何をですか」


「仕事です」


「それはご褒美ではない」


「今、ご褒美だと」


「言葉とは文脈です」


「便利に使わないでください」


 真白は追加の書類を数枚、机に置いた。


 もち丸は目に見えてしぼんだ。


「もち丸様」


「はい」


「都々逸を詠むのは構いません」


「おお」


「ただし、一首詠むごとに書類五枚です」


「真白さん、風流に労働基準を導入しないでください」


「生産性のない風流は余暇です。余暇は仕事の後です」


「正論が強い。真白さんの正論は鈍器ですね」


「必要なら使います」


「怖い」


 それでも、もち丸は笑った。


 ペンを走らせ、判を押し、確認欄に印をつけていく。


 そして五枚終えるたびに、わざわざ姿勢を正した。


「働く僕を

 見ている真白

 褒めてくれても

 いいのでは」


「五枚終わりましたね。次の五枚をお願いします」


「褒めの代わりに継続が来た」


「継続は力です」


「真白さんの教育方針は、岩を川に投げ込むタイプですね」


「流されないようにしてください」


「僕は餅なので流されます」


「では焼きます」


「急に物理」


 もち丸はまた五枚進めた。


 真白は一枚ずつ確認し、誤字を指摘する。


 淡々としているが、仕事は丁寧だ。


 もち丸の雑な部分を、真白が静かに整えていく。


 それは叱責というより、手綱に近かった。


 引きすぎず、緩めすぎず。


 もち丸が道から外れそうになるたび、すっと戻す。


「真白さん」


「はい」


「僕、思いました」


「はい」


「都々逸って、短いからこそ逃げ場がないんですね」


「そうですね」


「七・七・七・五。たった二十六音くらいで、言いたいことを収める。ごまかせない。余計なことを言えば崩れる。足りなければ伝わらない」


「珍しくまともなことを言いましたね」


「真白さん、今の僕は風流もち丸です」


「普段は何ですか」


「しょうもないご主人です」


「自覚はあるのですね」


「自覚があるから味わい深いのです」


「開き直りです」


 もち丸は少しだけ真面目な顔をした。


 それから小さく扇子を開く。


 今度の声は、いつもより少し静かだった。


「今日も真白が

 そばにいるから

 しょうもない日も

 形になる」


 真白は黙った。


 ほんの一秒。


 それだけの沈黙。


 けれど、もち丸は見逃さなかった。


「真白さん、今ちょっと照れました?」


「照れていません」


「耳が」


「照れていません」


「真白さんは、照れていない時ほど否定が速いですね」


「仕事をしてください」


「照れ隠しが業務命令になった」


「業務命令です」


「はい」


 もち丸はにこにこと書類に戻った。


 真白は横顔を見せたまま、少しだけ視線を逸らす。


 窓の外では、昼前の光が静かに揺れている。


 部屋には紙をめくる音と、ペン先の小さな音。


 それから、ときどきもち丸の妙な都々逸。


「もちもちしても

 仕事は減らぬ

 真白がいるから

 なお減らぬ」


「私のせいにしないでください」


「真白さんがいなければ、仕事は見えないところに消えていた可能性があります」


「それを未処理と言います」


「現実の命名が厳しい」


 やがて、積まれていた書類は半分ほどになった。


 もち丸にしては快挙である。


 真白は確認を終え、静かにうなずいた。


「よくできました」


 もち丸は固まった。


「……真白さん」


「はい」


「今、褒めました?」


「はい」


「もう一回お願いします」


「調子に乗らないでください」


「一回限定だった。季節の和菓子みたいな褒め」


「味わってください」


「はい。噛みしめます」


 もち丸は両手を胸に当て、目を閉じた。


「真白の褒めは

 一粒だけど

 もちの心に

 よく伸びる」


「餅なので」


「回収が早い」


 真白は空になったカップを下げた。


 もち丸は扇子を閉じ、机の端に置く。


 そして、少しだけ背筋を伸ばした。


「真白さん」


「はい」


「午後も仕事します」


「当然です」


「でも、その前に最後の一首だけ」


「五枚追加です」


「真白さん、最後の余韻を労働で買わせるのやめてください」


「余韻は高価です」


「では、払います」


 もち丸は書類を五枚、きちんと処理した。


 真白が確認し、問題なしと判断する。


「どうぞ」


「許可制の風流」


 もち丸は扇子を開いた。


 少し得意げに。


 少し照れくさそうに。


「しょうもない日を

 笑って過ごす

 真白さんいて

 もち丸く」


 真白は一瞬だけ考えた。


「最後、少し無理がありますね」


「もち丸く、です。丸く収まると、もち丸を掛けています」


「説明すると粋ではありません」


「真白さん、粋に厳しい」


「ですが」


 真白は空のカップを持ったまま、淡く目を伏せた。


「悪くはありません」


 もち丸は、ぱっと顔を明るくした。


「真白さんの『悪くはありません』は、実質満点ですね」


「八十二点です」


「高い!」


「ただし、午後の仕事を終えたら八十五点にします」


「採点に業務評価が混ざっている」


「人生とは総合評価です」


「深いようで、仕事しろと言っているだけですね」


「はい」


 もち丸は笑いながら、また書類に向かった。


 真白はその隣に立つ。


 しょうもない言葉。


 しょうもない都々逸。


 しょうもないご主人。


 けれど、そんな一日にも、ちゃんと形がある。


 七七七五に収まらないくらいには。


 そして、収まらないからこそ。


 今日もまた、もち丸と真白の日常は、少しだけ丸く続いていくのだった。

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