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事態対処専門委員会

 自衛隊中央病院は東京都世田谷区池尻にある。その病院の特別病室内に備え付けられているソファーに腰掛けた早苗は、ボンヤリと窓の外を見ていた。ギギアハウとの激闘から一夜が明け、時刻はそろそろ午前十一時になろうとしている。

 八月の東京は雲ひとつない快晴で、空調の利いた特別病室の窓の外はうだるような暑さだ。それでも窓を開けると、アブラゼミやミンミンゼミの鳴き声に混じって、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえる。それは紛れもなく秋の気配を告げる声だ。

 特別病室にはベッドが三床運び込まれている。一床には意識を失ったままの瞭が昏々と眠っている。隣の一床には酷い頭痛を訴えた祥吾が、鎮静剤を打って眠っている。祥吾の額には大きな絆創膏が貼ってある。その隣の一床には左の鎖骨と肩の骨を骨折した羽賀が、ギプスで左肩を固定され包帯でグルグル巻きにされて横になっている。

 一時心停止した成田は、別階のICUに運び込まれて経過観察中だが、命に別状はないらしい。その隣のICUでは、胸部に銃弾を受け、何とか一命を取りとめた敷島が治療を続けている。

 無傷だった伊藤は、念のためにと検査に向かったきり、まだ戻ってこない。

 ベッドの上で、羽賀は眉間にしわを寄せて天井を睨みつけていた。

 惨憺たる状況だが、少なくとも死者は出さずに済んだ。いや、羽賀のチームより先行していたCIAのチームは壊滅している。羽賀のチームは単なる幸運だっただけかも知れない。戦闘の途中で保護したCIAの女性工作員は、羽賀たちがアルファードに戻ってみると、姿を消していた。きっと、近くに協力者が潜んでいたのだろう。

 佐田危機管理官から命じられたCIA工作員及び特殊工作部隊の監視とテロ行為の阻止というミッションは、CIAチームの壊滅により事実上終了した。残るミッションは人類の厄災の阻止だ。

 さて、この次はどうすればいい。先程から羽賀はそればかりを考えていた。人類の厄災を阻止するためには、鏡の中の魔人ギギアハウと修験者大巌坊の持つ圧倒的な超能力に対抗しなければならない。超能力者同士の戦いは、羽賀の理解と常識を超えたものだ。一般人にはとても太刀打ちできそうもないが、だからといって、瞭に全てを託すのは酷だ。どうすればいい・・・堂々巡りの思考回路から抜け出せない。

 特別病室の入口の扉が開いて、内閣危機管理室の佐田危機管理官が姿を見せた。クールビズのためネクタイは外しているが、ピンストライプの上下のスーツを一分の隙もなく身に着けている。綺麗に七三に分けた頭髪に一糸の乱れもなく、額には汗すら浮かんでいない。相変わらず映画俳優のような佇まいである。

 佐田の後ろには、検査を終えた伊藤がポロシャツにカーゴパンツというラフなスタイルで立っている。右手に人数分の缶珈琲を入れたレジ袋を持っている。これは佐田からの差し入れだ。

 ベッドの上で上体を起こそうとした羽賀を片手で制して、佐田は病室内に入ると、早苗と向き合うようにしてソファーに腰を下ろした。伊藤はソファーの前のテーブルに缶珈琲を二本並べると、遠慮したのか、羽賀のベッドの横のパイプ椅子に腰を下ろした。伊藤は缶珈琲を羽賀の枕元に置いた。羽賀はベッドに横になったまま緊張した顔で、羽賀の声を聞き逃すまいと耳を澄ませている。

 佐田は彫りの深い顔に穏やかな笑みを浮かべた。しかし、縁なし眼鏡の下の目には探るような色が浮かんでいる。

「初めまして。私は内閣府内閣危機管理室の佐田伸介と申します。あなたは、特殊潜在能力研究所所長の明日香早苗さんですね」

 佐田はスーツのポケットから革製の名刺入れを取り出すと、キザな手つきで早苗に名刺を渡した。早苗は名刺を受け取りながら小さく「はい」と答えた。

「突然このような出来事に巻き込まれて、さぞ驚かれたことでしょう。とにかく、民間人の方に怪我がなくてよかった・・・いや、矢沢瞭さんが意識不明でしたか、これは失礼しました。目立った外傷はないそうですが、ご心配でしょう」

「お気遣いありがとうございます。瞭は魔人ギギアハウとの戦いで生体エネルギーを消耗しすぎたんです。一日か二日寝ていれば意識は戻るでしょう」

 早苗の答えを聞いて、佐田は顔色を改めた。

「魔人ギギアハウですか・・・。羽賀からの報告で概要は承知しています。

 CIAの工作員ハドソン・スミスが行方不明になった事件を発端として、日本に潜入したCIAの工作員と特殊工作部隊が、日本国民に対してテロ行為を行うことを阻止することが元々の目的であった我々のミッション。それが結果として想像もできない方向に発展したことに、私自身驚いています。

 御手洗邸に向かった清掃班からの報告によると、邸内の居間に死体がふたつ。死因は、喉を突き破られたものと頸骨骨折によるもの。中庭にも焼死と頭部陥没すなわち撲殺による死体がふたつ。撲殺されたのは、CIAの工作員マイルズ・ミラーと判明。残りの三名は服装から特殊工作部隊と思われます。

 また、軽井沢市街地で、御手洗邸から脱出したとみられる、CIAの工作員カミラ・ウィルソンと在日アメリカ大使館二等書記官ダニエル・タナカの身柄を拘束し、現在、内閣危機管理室で極秘裏に尋問中です。

 特殊工作部隊の残りの三名の消息は不明。おそらく、ギギアハウによって鏡の中の世界に引きずり込まれたものと推測されます。

 この結果は当然に表沙汰にはなりませんので、CIAでは、日本に送り込んだ工作員チームがミッションの途中で全員行方不明になったと判断するでしょう。しばらくの間、CIAとゴタゴタするでしょうなぁ・・・」

 佐田はそこで一息つくと、缶珈琲を開けて一口啜った。早苗もテーブルの上の缶珈琲に手を伸ばした。

 少しの間、無言で珈琲を啜ってから、佐田が再び話し始めた。

「この先に待っているのが人類の厄災なら、CIAとのゴタゴタどころの騒ぎではない。ギギアハウが引き起こそうとしている人類の厄災を阻止するために、ギギアハウとその僕である修験者大巌坊を葬り去らなければならない。普段なら荒唐無稽な話だと笑い飛ばすところですが、これまでの事実を勘案するとどうも本当らしい、いや、少なくとも無視して放置することはできない。

 これは、まだ外部には出ていない情報ですが、本日未明に東都大学大学院理学部地球物理学研究室の中山博士から内閣危機管理室宛に緊急の連絡が入りました。地震予測の研究のために、地殻の歪みエネルギーを測定するセンサーを日本各地に設置しているのですが、そのセンサーが特定の地域について極めて異常な数値を示しているそうです。場所は長野県北佐久郡の浅間山東南麓、そう、軽井沢町の近辺です。気象庁の火山監視課に確認しましたが、浅間山の監視カメラでは異常は確認されず、噴火の前兆である山体膨張や火山性震動も観測されていない。浅間山が噴火する前兆ではないということです。

 更に、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の地球観測研究センターから、地球観測衛星による観測不能地域が報告されています。原因は調査中。場所は長野県北佐久郡の浅間山東南麓、軽井沢町千元谷集落近辺。どんぴしゃりです。

 JAXAから入手した地上映像を確認したところ、可視光線・電波・赤外線のいずれの方法によっても、軽井沢町千元谷集落の御手洗達造宅を中心とした半径五十メートルの地域の映像だけが穴が空いたように歪んでいるのです。念のためにアメリカの偵察衛星からも地上映像を取り寄せましたが、同様に歪んでいました」

 それまで、目を伏せて佐田の話を聞いていた早苗が、スッと視線を上げて佐田を見た。

 空間の歪み、それは早苗が予知した人類の厄災のイメージの中にあった、すべてを吸い込む黒い渦の前兆に他ならない。ギギアハウが鏡面世界に造った次元の特異点のもたらす破滅的な事象に、鏡面世界と相似関係にある現実空間が巻き込まれるのだ。

 佐田は早苗の視線に戸惑いながらも、淡々と話しを続けた。

「今朝、極秘裏に国家安全保障会議が招集されました。事態対処専門委員会が立ち上げられて、今のところは、巨大地震又は噴火という自然災害を念頭に置いた情報収集と対応策の検討が行われています。国土地理院は重力測定のために、防災科学技術研究所は地磁気・電磁気異常の測定のために、気象庁の火山監視課は浅間山の実地調査のために、それぞれ担当者が現地に向かっているそうです。また、防災科学技術研究所の地震津波火山観測研究センターでは、高感度地震観測網(Hi❘net)による観測結果を注視しています。

 しかし、これは地震や噴火の予兆ではない。そう、明日香さんが予知したとおり、空間が歪み始めているのでしょう。人類の厄災が始まっている、予断を許さない状況と考えるべきです。しかも、これは避けることのできない自然災害ではない、ギギアハウにより引き起こされる厄災だ。何としても阻止しなければならないし、自然災害でない以上、我々の手で阻止することができるはずだ。

 我々が為すべきことはひとつ。人類の厄災を阻止するために、超能力を駆使する鏡の中の魔人ギギアハウとその僕である修験者大巌坊を葬り去ることです。

 問題は、私のような一般人である総理以下各大臣、各官庁の官僚、有象無象の専門家先生に、この荒唐無稽だと鼻で笑われるであろう話に耳を傾けてもらい、理解し信用してもらう必要があるということです。そのためには、超能力に関すること、ギギアハウと大巌坊に関すること、人類の厄災に関すること、その他の専門的な情報を、これから総理官邸で開催される事態対処専門委員会の席上で明日香さんから説明していただく必要があります。下に車を用意しています。お疲れのところ恐縮ですが、総理官邸までご同行いただけますね」

「私でお役に立てるのであれば」

 早苗が了解すると、佐田は深々と頭を下げた。

「佐田危機管理官、それじゃあ・・・」

 ベッドの上に上体を起こした羽賀が声を上げた。佐田は羽賀を見て小さく頷いた。

「羽賀、聞いたとおりだ、本件は我々内閣危機管理室の手を離れた。お前たちはよくやってくれた、礼を言う。これからは治療に専念しろ」

「佐田危機管理官、そのう・・・総理を始め一般の人たちは、超能力とか鏡の中の魔人とかいう話を信用してくれますかね」

「分からんが、とにかく手を尽くして説明するしかないだろう。おっと、時間が・・・それでは明日香さん、よろしく」

 佐田はうやうやしく早苗の手を取ると、早苗の肩を抱くようにして部屋を出て行った。

 伊藤は、佐田と早苗の背中を見送ると、缶珈琲をゴクリと飲んだ。

「羽賀さん、我々はお役御免ちゅうわけでっか。まあ、サブマシンガン程度じゃあ歯が立たへんし、我々の手に負えないのは間違いないさかい、無理もないけどね。御手洗邸への攻撃は、国家安全保障会議の指示を受けて自衛隊が対応することになるんやろか。いざとなれば、別荘ごと吹っ飛ばすかも知れまへんなあ」

 伊藤がサバサバとした声で言った。羽賀は眉間にしわを寄せて考えている。

「なあ、伊藤よ、自衛隊が始末をつけられると思うか? 超能力だとか鏡の中の魔人だとか空間の歪みだとか、そんなものに自衛隊の通常兵器が通用するのかな」

「自衛隊が無理やったら、アメリカさんに頼んで核爆弾でも落としまっか。そんなことになったら、ほんまに人類の厄災や」

 恐らく自衛隊では歯が立たないだろうと羽賀は思った。攻撃すべき方法と攻撃すべきポイントが違う、必要なのは超能力兵器なのだ。超能力に対抗できるのは超能力しかない。ベッドの上で眠っている瞭と祥吾が人類の切り札になるだろう。そのときは命を捨ててでも、ふたりをバックアップすると羽賀は腹を括った。それまで暫し休憩だ。

「俺は少し眠る。伊藤も万一に備えて、身体を休めておけよ」

 羽賀はベッドに横になり目を瞑った。


 総理官邸の特別会議室に事態対処専門委員会のメンバーが集結していた。

 リング状に置かれた会議机の中央に座っているのは、委員長の松林官房長官で、委員長を挟むようにして、ひな壇側に、内閣府、総務省、財務省、国土交通省、文部科学省、防衛省、警察庁の審議官・局長級の官僚が委員として座っている。各省庁の幹部の後ろには、オブザーバーとして事務方の課長補佐がひしめきあうように陣取っている。

 ひな壇側と向かい合うように、JAXA地球観測研究センター、防災科学技術研究所、地震予知連絡会、地震予測研究所、東都大学大学院理学部地球物理学研究室、特殊潜在能力研究所などから出席した、いわゆる《有識者》が参考人として並んでいる。

 進行役は内閣府内閣危機管理室の佐田危機管理官である。佐田の後ろには、現地調査のデータを報告するために、国土地理院、防災科学技術研究所、気象庁火山監視課の各担当者が厖大な資料を抱えて控えている。

 会議机の上には、出席者ごとにラップトップパソコンが置かれていて、更に、大型モニターがリングの内側のスペースに数台置かれている。

 ゴホンと咳をしてから、佐田が口を開いた。

「それでは、ただいまより事態対処専門委員会を開催いたします。私は進行役を務めさせていただきます、内閣府内閣危機管理室の佐田でございます。会の開催に当たりまして、委員長の松林官房長官よりご挨拶を頂戴いたします」

 ポマードで薄い髪をピッチリと固めた松林官房長官は、いつもどおりの仏頂面のままスッと立ち上がると、チラリと参加メンバーの顔を見回してから、お忙しいところ云々と簡単な挨拶をした。

 挨拶に続いて早速議題に入り、東都大学大学院中山博士から地殻の歪みエネルギーの異常値に関する観測結果の報告、JAXA地球観測研究センターの吉村研究員から、地球観測衛星による観測不能地域に関する報告と実際の地上映像の紹介が行われた。

 それに続いて、国土地理院から現地の重力測定結果、防災科学技術研究所から地磁気・電磁気測定結果、気象庁から浅間山の実地調査結果、地震津波火山観測研究センターから高感度地震観測網による観測結果がそれぞれ報告された。

 ひととおりの報告が終わると、佐田が口を開いた。

「それでは、報告内容を簡単に総括したいと存じます。特定地域、すなわち、長野県北佐久郡の浅間山東南麓、軽井沢町千元谷集落、御手洗達造邸を中心とした半径五十メートルの地域を指しますが、この特定地域において、地殻から放出されるエネルギーの異常、可視光線・電波・赤外線すなわち電磁波の異常、重力及び地磁気の異常が確認された。但し、その原因は現在のところ不明。

 一方で、地震又は噴火の兆候と考えられる地形変化・振動・放熱・水蒸気噴出・地下水位変化は確認されていない。

 これまでの経験則からいうと、地震又は噴火が直ちに起こるとは考えにくいし、特定地域が半径五十メートルと極めて狭い範囲であることを考えると、広範囲に甚大な被害をもたらす地震又は噴火の前兆とは考えにくい。但し、前出のエネルギー・電磁波・重力の異常が、地震又は噴火の前兆ではないと断言できる根拠もない。

 こういうことだと思いますが、よろしいでしょうか。

 はい。それでは、ご多用のところ本会にご出席を賜っております有識者各位から、ご意見を頂戴したいと存じます。

 地震予知連絡会会長、帝都大学名誉教授稲垣様、お願いいたします」

 地震、噴火、自然災害の有識者からの意見は、いずれも地震又は噴火が直ちに起こるとは考えにくいが、直ちに起こらないと結論付けることは尚早であり、今しばらく経過観察を続けて、状況の推移を見守りつつ、何か大きな動きがあれば改めて検討することが妥当である、というもので、要は当面様子見である。特定地域のエネルギー・電磁波・重力の異常の原因については言及がなく、引き続きデータ収集に努めて調査を継続することが妥当であるという意見に終始した。

 地震や噴火といった自然災害を念頭に置いた有識者意見であれば、これで仕方ないのだろう。

 佐田は参考人席にチョコンと座っている早苗に目をやった。高齢の有識者が並ぶ中で、二十代半ばの早苗の姿は周囲から浮いている。早苗の前に置かれている《特殊潜在能力研究所所長》の名札を見て、訝しそうに首を傾ける官僚や有識者も少なくない。さぞ居心地が悪かろうと佐田は思ったが、当の早苗は平然とした顔で座っている。

 早苗の脳内には記憶生命体が共生している。人類の黎明期から蓄積されたその厖大な知識は、この会に出席している有識者の知識を遥かに凌駕しているのだ。早苗にとっては、さながら、小学一年生の学級会に同席しているアインシュタインのような気持なのだろう。

「それでは、有識者の最後に、特殊潜在能力研究所所長、明日香早苗様よりご意見を頂戴いたします」

 早苗は小さく礼をすると、スッと息を吸って丹田に力を溜めてから、しっかりとした声で話し始めた。

「特殊潜在能力研究所所長、明日香早苗でございます。私からは、皆様方とは違った視点から意見を申し上げたいと思います。

 結論から申し上げますと、特定地域における、地殻から放出されるエネルギー・電磁波・重力・地磁気の異常については、空間の歪みに起因するものと思われます。

 空間の歪みといいますとイメージすることが難しいかもしれませんが、例えば、ブラックホール的な重力特異点が発生して、それによって周囲の空間が捻じ曲げられ、エネルギーなどの波動や光・地磁気などの電磁波が異常値を示しているものとお考えいただければ、理解しやすいと思います。

 従って、特定地域における空間の歪みは、地震又は噴火とは別のものであり、地震又は噴火の兆候と考えられる事象が観測されないのは、このためです」

 これまでに有識者から発言された、奥歯にものが挟まったような意見と異なり、スパリと断定した早苗の意見を聞いて、松林官房長官がホウと顔を上げた。

「問題は、この空間の歪みが人類の厄災をもたらすことであり、しかも、これは自然災害ではなく《ある存在》によって引き起こされることです。

 自然災害である地震や噴火は人類の手では阻止することができませんが、空間の歪みを発端とする人類の厄災は阻止することができます。そう、トリガーとなる《ある存在》を葬り去ればいいのです。そのためには日本人が、いや、人類が力を合わせる必要があります」

 早苗の声を遮るように、特別会議室内に怒号が響いた。

「ちょっと待ちたまえ! 明日香さん・・・君はいったい何を根拠にそんな意見を述べているのかね」

 帝都大学の稲垣名誉教授が会議机の上に身を乗り出して、早苗の顔を睨みつけている。

 早苗はポカンとした顔で答えた。

「根拠? 根拠は観測データですよ。電磁波や重力などの異常数値が観測されている事実と、地震又は噴火の兆候と考えられる事象が観測されないという事実。前者は空間の歪みを示すものであり、後者は地震又は噴火とは関係ないことを示すものです。逆に、地震又は噴火の予兆として空間の歪みが生じるという、両者を関係付ける根拠はない。当然の帰結だと思いますが」

 稲垣名誉教授は咬みつきそうな顔をしている。

「仮に、電磁波や重力などの異常数値が君の意見のように空間の歪みを示すものだとしても、地震又は噴火と空間の歪みに関連性がないと、なぜ断言できるのだ」

「それは、空間の歪みの発生原因が分かっているからです。先程申し上げましたが、空間の歪みは《ある存在》によって引き起こされているのです。原因が分かっている以上、殊更に地震又は噴火と関連付ける必要がないのです」

「ある存在とは何だね! 人類の厄災とは何だ!」

 早苗はチラリと佐田を見た。佐田は小さく頷いた。いよいよ、これからが本番なのだ。

「その説明に入る前に、私が所長を務めております特殊潜在能力研究所について、簡単に説明を申し上げたいと思います。

 特殊潜在能力研究所は、特殊潜在能力すなわち超能力を科学的に研究している民間組織です。特殊潜在能力研究所の前身は、第二次大戦中に、日本陸軍特殊兵器研究所に設けられた特殊潜在能力開発室です。当時は、いわゆる超能力兵器の研究開発が行われていました。現在の特殊潜在能力研究所では、超能力の発現に関する基礎的研究、超能力を発現させる脳内物質の研究、潜在的超能力者の受け入れと能力向上訓練などを行っています」

 超能力という言葉が出た途端、特別会議室内が大きく騒めいた。出席者が隣同士で額を寄せ合って、何やらヒソヒソと話をしている。

「君が所長なら、会長はユリ・ゲラー氏かね?」

 稲垣名誉教授が薄笑いを浮かべて質問すると、ドッと笑い声が起きた。

 早苗は無視して話を続けた。

「超能力とは、精神感応、透視、未来予知などの超感覚的知覚と、念動力を合わせた、PSIサイ能力のことを意味します。これまでの私たちの研究によれば、超能力は人間の脳内に存在する特殊な神経細胞の興奮の結果発せられる生体エネルギーにより生じる物理現象あるいは生理現象なのです。そう、それは全て科学的に説明ができるものであり、超常現象だとか摩訶不思議な能力ではないということです。

 先般、私どもの研究所に所属するPSI能力を発現した者が、人類の厄災を予知しました。それは九世紀に古典期マヤ文明の崩壊をもたらして、マヤの大呪術師トカゥン・ナパウによって鏡の世界に封じ込められた、魔人ギギアハウによって引き起こされます。特定地域の中心である御手洗達造邸は現代世界に蘇った魔人ギギアハウが巣食う鏡屋敷であり、ギギアハウの魔力によって空間が歪み始めているのです。そう、この空間の歪みこそ、人類の厄災の前兆なのです。人類の厄災を阻止するためには、魔人ギギアハウを葬り去らなければならないのです」

 稲垣名誉教授が会議机をドンと叩いた。

「君、いい加減にしたまえ! さっきから黙って聞いていれば、予知だの、魔人だの、人類の厄災だの・・・そんなくだらない絵空事を聞くために、ここに集まっている訳じゃないんだ。マッタク、時間の無駄だ。いったい、誰がこんなやつを参考人に呼んだんだ・・・。進行役! 佐田君! 君がきちんと仕切らないから、こんなことになったんじゃないか。さっさと切り上げたまえ!」

 稲垣名誉教授が顔を真っ赤にして怒っているその横で、防災科学技術研究所の崎山所長が腹を抱えて笑っている。その他にも、不機嫌な表情を隠そうともしない者、下を向いて笑っている者、全く興味がないとばかりに腕を組んで目を瞑っている者など、殆どの者が早苗の話をまともに聞いていない。

 早苗は鳶色の瞳を見開いて、稲垣名誉教授を睨みつけている。

 佐田が声を上げた。

「進行役という立場上恐縮ですが、内閣府内閣危機管理室として補足説明を申し上げます。

 皆様は、新聞やテレビなどの報道でご承知と思いますが、今回問題となっている特定地域は、今年の七月以降、行方不明者が続発している地域でもあります。現在まで、行方不明者は誰ひとり発見されておりません。また、警察その他関係機関の捜査にもかかわらず、行方不明の原因も分かっておりません。この行方不明事件に関連して、内閣危機管理室が関わった案件で、不可解な・・・」

「佐田! もういい!」

 松林官房長官の声が響いた。佐田は声を呑み込むと、頭を下げた。特別会議室内がシンと静まり返った。

「明日香さん、貴重なご意見をありがとうございました。電磁波や重力などの異常数値が観測されている事実と、地震又は噴火の兆候と考えられる事象が観測されないという事実は分けて考えるべきだという、ご意見は傾聴に値します。また、このふたつの事象の間に関連がないと言い切る根拠はない、という稲垣名誉教授のご意見もごもっともであります。

 本日の事態対処専門委員会は、電磁波や重力などの異常数値が観測されている事実を踏まえた、情報収集と対応策の検討を行い、国家安全保障会議に意見具申するために開催しました。

 巨大地震又は噴火という自然災害を念頭に置いた検討では、本事象が直ちに巨大地震又は噴火が起こる前兆とは考えにくく、現時点で特段の対応を検討する必要は極めて低いが、引き続き情報収集に務めて、状況に変化があれば所要の対応を検討する。早い話が、しばらく様子を見ましょうと、こういう結論であろうかと思います。

 国家安全保障会議にはこの旨で意見具申することとしましょう。

 明日香さんからの、人類の厄災というお話については、参考意見として整理させていただきます。但し、超能力云々のくだりは議事録からは削除させていただきます。

 それでは、今日はこの辺で・・・皆さん、お疲れさまでした」

 松林官房長官は、有無を言わせぬ口調であっという間に会を締め括ると、素早く席を立った。各省庁の幹部が一斉に頭を下げた。

『超能力も、そして人類の厄災も、本当の話ですよ。松林官房長官、佐田さん』

 松林官房長官の脳内に突然言葉が浮かんだ。秘書官に先導されて歩きかけた松林はギクリと足を止めた。首だけを捻って早苗を見た。早苗の鳶色の瞳が松林を真っ直ぐに見つめている。佐田の脳内にも早苗の言葉が浮かんだのだろう、佐田は硬い表情をして固まっている。

『先程申し上げた、人類の厄災を予知した者とは、私のことです。そして、私が予知した人類の厄災のイメージがこれです』

 早苗は、予知した人類の厄災のイメージを松林と佐田の脳内に送った。

 ・・・閃光と炎、瓦礫の中に倒れる人たち・・・大きな黒い渦が人々を吸い込んでいる・・・空間が歪んでいる・・・魔人・・・全てのものが吸い込まれる・・・

 松林はグウッと呻き声を上げて頭を押さえた。佐田は咄嗟に声を呑み込むと、硬く目を閉じた。佐田の背中を冷たい汗が流れた。

 先導していた秘書官が、松林の様子に驚き、声を掛けた。

「松林官房長官、どうされましたか。お身体の具合でも・・・」

「いや、大丈夫だ。何、ちょっと立ち眩みがしただけだ。ハハハ、俺も歳かな」

 秘書官を笑っていなしてから、松林は何気ない風に早苗と佐田を見た。松林の笑顔など見たことのない秘書官の顔が、恐怖で引きつっている。

「明日香さん、これから少しお時間を頂戴できますか。ああ、ちょうど三時か、珈琲でもいかがですか。佐田、君も同席してくれ」

 松林はそう言うと、再び歩き始めた。秘書官はチラリと佐田を見た。可哀そうに、会の運営の不手際を、これから官房長官にミッチリと締め上げられるんだろうなと思っているのだ。他人の不幸は蜜の味、秘書官の顔は何だか嬉しそうだ。


 官房長官執務室内の応接セットに、松林官房長官、佐田危機管理官、そして早苗が座っている。いつもは同席する秘書官は、松林の指示で退室していて、部屋の中は三人だけだ。

 テーブルの上には珈琲カップが三つ、湯気を立てていて、珈琲の甘い香りが部屋の中に漂っている。

 松林は珈琲をゆっくりと一口啜った。

「いやあ、先程は驚きましたよ。この歳になって、テレパシーを体験するとは。なあ、佐田」

「はい。私も、部下の羽賀から話は聞いていたのですが、お恥ずかしい話、実際に体験するまでは半信半疑でした」

 早苗は肩をすぼめて頭を下げた。

「申し訳ありませんでした。とにかく、お話を聞いていただきたくて・・・。普段は、みだりにテレパシーなどは使いませんので、ご安心ください」

 松林は興味津々、子供のように目を輝かせている。

「しかし、超能力が本当に存在していたとはね。明日香さんがいらっしゃる特殊潜在能力研究所には、他にも超能力者がおられるのですか」

「テレパスの能力を発現したばかりの少年少女、四名を預かっています」

 早苗は、前身である特殊潜在能力開発室の発足から現在の特殊潜在能力研究所に至るまでの経緯と研究活動の概要、超能力に関する基礎知識と発現の仕組み、早苗が予知した人類の厄災の概要、鏡の中の魔人ギギアハウとその僕である修験者大巌坊について、そしてここ数日の出来事を松林に説明した。

 佐田は補足説明として、特定地域で頻発している行方不明事件の概要、CIAの工作員が行方不明になった事件と、その捜索のために来日したCIA工作員と特殊工作部隊によるテロ行為及びその阻止を目的とした危機管理対策班の活動とその顛末、について説明した。

 説明を聞いている過程で、ただならぬ事態に気が付いたのだろう、先程の事態対処専門委員会に出席していた防衛省の防衛審議官と警察庁の長官官房総括審議官が、松林に呼び込まれて、途中から早苗と佐田の説明を聞いている。

 佐田の説明が終わり、官房長官執務室が静寂に包まれた。これまでの自分たちの知識や常識では及びもつかない事態に、声を失っているのだ。

 しばらく目を瞑って考えをまとめていた松林が、おもむろに目を開けた。

「人類の厄災か、とんでもないことになったな。しかし、このことは国民に公にはできないだろう。極秘裏に対応しなければならん。警察庁は特定地域一帯を完全封鎖してくれ。これ以上の犠牲者を出さないことと、これから行う襲撃作戦の秘密保持のためだ。自衛隊はギギアハウと大巌坊を排除するための襲撃計画を検討し、速やかに実行すること。むろん、計画立案も計画実行も極秘事項だ、よろしく頼む。状況は私に直接報告してくれ。総理には、私から報告しておく」

 松林の声に防衛審議官と警察庁総括審議官が硬い表情で頷いた。

「佐田君、ギギアハウと大巌坊には、通常火器は通用しなかったんだな」

 防衛審議官の質問に佐田が頷いた。

「CIAの特殊工作部隊は六名でM4―A1カービン突撃銃、我々危機管理対策班は三名でH&KMP5サブマシンガンを各自が所持していましたが、全く歯が立たなかったそうです」

「なるほど、同じような装備の特殊部隊を突入させても無駄という訳か、厄介だな。それに、人間の兵士だとギギアハウに操られる恐れがあるし、人的被害も想定しなければ・・・うん? そうか! 松林官房長官、新規に開発を進めている最新鋭の人型機械兵器《昇龍》を使いましょう。昇龍の搭載している口径二十ミリのリボルバーカノン(機関砲)の威力は、M4―A1やH&KMP5とは比べ物にならないほど強力だ。しかも実弾使用となれば、実戦配備に向けた性能テストにもなる」

 防衛審議官の顔が明るくなった。これなら人的被害は生じないし、新型兵器の性能テストと、搭載しているAIの作動確認を兼ねることもできて一石二鳥だ。

「そこは任せる。遺漏の無いようにやってくれ。それじゃあ、私はこれから総理に報告にいく」

 松林が席を立ち、残りのメンバーが頭を下げた。

 人類の厄災の阻止に向けて、日本政府が極秘裏に動き始めた。

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