人型機械兵器 昇龍
事態対処専門委員会が開催された日の午後十一時。自衛隊朝霞駐屯地から一台の九六式装輪装甲車と五台の七三式大型トラックが走り出た。大型トラックの荷台には、最新鋭のAI搭載人型機械兵器《昇龍》が載せられていて、その姿は幌で厳重に覆われている。
装輪装甲車と五台の大型トラックは関越自動車道から上信越自動車道に入り、碓氷軽井沢インターチェンジから一般道を走り、深夜の軽井沢市街地を抜けて国道百四十六号線に入った。時刻はそろそろ午前二時になろうとしている。
国道百四十六号線から千元谷集落に向かう脇道の入口には規制線が張られていて、二台のパトカーが道を塞ぐようにして止まっていた。深夜にもかかわらず、パトカーの赤色灯が点灯していて、赤い誘導灯を持ったふたりの警察官が規制線の前で立番をしている。
情報が入っているのだろう、装輪装甲車に取り付けられているプレートの六桁の番号を確認すると、慌ただしく敬礼をしてから脇道を開けた。
装輪装甲車と五台の大型トラックは真っ暗な脇道をやや速度を落として進み、ミズナラやカラマツの自然林が途切れた先にある、『千元谷』とだけ書かれた道路標識のような看板の前で止まった。
そこから千元谷集落内に延びる道はバリケードフェンスによって封鎖されていて、バリケードの横には機動隊の装甲車両が三台並んでいた。バリケードの前で立番をしているのは、重装備にジュラルミン製の盾を持った機動隊員だ。この道以外の千元谷集落に入る抜け道や山道にも、要所要所に機動隊員が配置されているのだろう。
装輪装甲車と五台の大型トラックはバリケードを抜けて、千元谷集落に入った。
現在の時刻は午前二時三十分。人型機械兵器昇龍五機で構成される新設の機械兵小隊による御手洗邸攻撃時刻は午前三時。作戦終了は午前三時十五分、撤収は午前三時三十分の予定である。
御手洗邸に入る脇道の前で装輪装甲車と五台の大型トラックは止まった。
装輪装甲車の車体後部の大型ランプドアが開き、ラップトップパソコンを手にした五人の操作技官が昇龍の起動作業のために、大型トラックに向かって走っていく。大型トラックの荷台では、慌ただしく幌が外され、昇龍への弾薬の装填や今回の作戦に使用する汎用武器の準備が始まっている。
最新鋭のAI搭載人型機械兵器《昇龍》は、地表から頭頂部までの高さは二メートル。頭部は人間のような形をしているが鼻と口はなく、大きなマスクをしてふたつの目だけを出しているように見える。両目の瞳にはスマートフォンのカメラのように三つのレンズが中央に固まって配置されている。その三つのレンズは、広角光学レンズ、遠近ズーム光学レンズ、暗視用赤外線感知レンズで構成されている。
頭部は胴体部分にめり込むように設置されていて首は見えない。大胸筋を模した胸部の下にややくびれた腹部が付いている。胸部の側面には四本の腕が付いていて、上の二対の腕(第一腕)は汎用武器を持てるように五本の指が付いている。今回の作戦では、三機がブローニングM2重機関銃、二機が対戦車ロケットランチャーを使用することになっている。下の二対の腕(第二腕)は肘から先が口径二十ミリのリボルバーカノン(機関砲)になっていて、背中に付いたランドセルのような弾倉と繋がっている。
頑丈な腰の下には先のとがった蜘蛛のような八本の脚が付いていて、平地はもとより急斜面の崖や階段も昇降できるようになっている。身体全体が黒々と光っているのは特殊装甲板に覆われているからだ。
強力な兵器と装甲に加えて、人工知能を搭載していて、指令に基づいて自動的に敵味方を識別して自らの判断により最適な攻撃方法を選択することができる。将来の陸上戦闘において人間に代わって最前線で戦う人型機械兵器である。
今回の襲撃作戦を指揮するのは、昇龍の開発を機に新設された陸上自衛隊機械兵小隊の指揮官・田代一等陸尉で、その下に近藤一等陸曹、笹山一等陸士が配属されている。また、昇龍一機につき一名の操作技官が専任されていて、起動や作戦プログラムのインストールやメンテナンス作業などをおこなっている。
田代一尉、近藤一曹、笹山一士の三人は、九六式装輪装甲車の後部乗員室でベンチシートに座り、簡易テーブルの上に置かれた五台のモニター画面を見ていた。ここが今回の作戦指令室である。五台のモニター画面には、五機の昇龍の両目のレンズが捉えた視覚画像に加えて、昇龍の現在位置と進行方向が地図上に示され、更に機体の稼働・損傷状況・弾薬数・稼働可能時間などの情報が表示される。
五台のモニター画面に次々と視覚画像が表示された。五機の昇龍の起動作業が完了したのだ。現在時刻は午前二時五十三分。攻撃開始時刻まで残り七分である。
「田代一尉。昇龍五機の起動作業、完了しました。作戦計画インストール完了、汎用武器装着完了、弾薬装填完了、いつでも攻撃開始可能です」
笹山一士の声に田代一尉が頷いた。
「よし、当初の計画どおり、〇三〇〇をもって攻撃を開始する」
田代一尉の落ち着いた声が後部乗員室に響いた。起動作業に従事していた五人の操作技官が次々と後部乗員室に戻ってきた。装輪装甲車の車体後部の大型ランプドアが閉まると、後部乗員室は静まり返った。
攻撃開始一分前。笹山一士のカウントダウンが始まった。
「・・・五、四、三、二、一」
カウントダウン終了と同時に、笹山一士が田代一尉を見た。
「攻撃開始」
田代一尉の声が聞こえたかのように、大型トラックの荷台から五機の昇龍が地面に跳び下りると、蜘蛛のような八本の脚を動かして、御手洗邸に向かって走り去った。自衛隊史上初の人型機械兵器による襲撃作戦が開始された。
御手洗邸の玄関前の車寄せに向かうロータリーの途中で、五機の昇龍は、玄関に向かう二機と中庭に向かう三機に分かれた。日の入り直後に見えていた三日月は既に地平線に沈み、天空には白い乳のような銀河がノタリと横たわっていて、微かな星明りの下で御手洗邸が黒々と浮かび上がっている。辺りには、昇龍の蜘蛛のような脚が砂利を蹴立てるザワザワという音が響いている。御手洗邸の周囲の草むらやロータリー脇の植え込みから聞こえていた虫の鳴き声が、潮が引くように消えた。
ロータリーから中庭に向かって、ブルドーザーで付けたような道が延びている。昨日、瞭の放った火球が造った道だ。
その道の上を走る三機の昇龍の、先頭の昇龍の頭部に向かって、中庭の闇の中から錫杖が矢のように飛んだ。
ゴッ! 鈍い音が響いた。
人間であれば頭蓋骨が陥没して致命傷を受けていたはずだが、銃弾を跳ね返す重装甲の昇龍の頭部には傷ひとつ付いていない。錫杖は力なく地面に落ちると、ジャラリと音を立てた。
昇龍の目に装着されている暗視用赤外線感知レンズが、中庭の暗闇の中に立つ人間を感知した。通常であれば、敵味方識別信号の有無や武器携帯の有無を見極め、攻撃対象かどうかを瞬時に判断するが、今回の作戦では、作戦エリア内に非攻撃対象となる人間は存在しないことがインプットされている。
感知から〇・一秒後には、昇龍の第一腕が持つ重機関銃と、第二腕に装着されているリボルバーカノンが同時に火を噴いた。
ドドドドド・・・腹に響くような銃声と共に、無数の銃弾が中庭の暗闇に吸い込まれた。
発砲している昇龍の後ろに続いていた二機は、咄嗟に左右に分かれると、大人の胸の高さほどもある躑躅の植え込みに突進した。普通自動車とほぼ同じ二トンの重量のある昇龍に踏み潰されて、躑躅がバキバキと悲鳴にも似た音を立てた。
三機の昇龍が横一列になって中庭に入った。御手洗邸の玄関の方から、発砲音と物が壊れるような音が響いてきた。残りの二機の昇龍も玄関から建物の中に突入したのだ。
大巌坊は昇龍からの銃撃を、小山のように大きな奇岩の後ろに回ってかわした。中庭の所々に配置されている奇岩のため、中庭は容易に先を見通すことができない。
中庭に入った三機の昇龍は、徐々に左右に間隔を広げると、中庭に向かって重機関銃とリボルバーカノンを乱射した。大口径の徹甲弾を受けて奇岩の表面が削られるように吹き飛び、奇岩の脇に植えられている楓や桜や百日紅が、幹を撃ち抜かれてメキメキと音を立てて倒れた。御影石で造られた石灯籠は、あっという間に砕かれて、見る影もなく崩れている。
大巌坊が隠れていると思しき奇岩に向かって、一機の昇龍が何のためらいもなくロケットランチャーを発射した。後方に煙の軌跡を残しながらロケット弾が飛んだ。
ドオオンという爆音と共に、ロケット弾の命中した奇岩が炎を噴き上げた。爆風で吹き飛ばされた岩の破片や小石がバラバラと昇龍の機体に当たったが、重装甲の昇龍には何の変化も見られない。
三機の昇龍は、更に互いの間隔を広げると、大巌坊が隠れていると思しき奇岩の後ろに回り込もうと、重機関銃とリボルバーカノンを乱射しながら脚を進めた。
大巌坊は身体の前で小さく印を結び、「ノウマクサンマンダ バサラダン センダンマカロンシャダソハタヤ ウンタラタカンマン・・・」と呪文を唱えながら、ザッと地面を蹴って跳び上がった。そして三メートル近くある奇岩の天辺に立つと、右手の人差し指と中指を身体の正面に向かって突き出して、ヤッと気を発した。
大巌坊の姿を感知した三機の昇龍は、奇岩の天辺に立つ大巌坊に向けて、重機関銃とリボルバーカノンの徹甲弾を雨のように見舞った。
普通の人間なら無数の徹甲弾に引き裂かれて身体は跡形もなく四散するだろう。しかし、大巌坊の身体を引き裂くはずの無数の徹甲弾は、大巌坊の身体の一メートルほど手前で空中に浮かんだまま止まっていた。大巌坊の防御の結界を銃弾は撃ち抜くことができないのだ。
通常ではありえない現在の状況が理解も分析もできない三機の昇龍は、大巌坊に向かって重機関銃とリボルバーカノンの引き金を引き続けている。
防御の結界の中で、大巌坊が丹田の底から声を発した。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・前・行!」
声に併せて、大巌坊は突き出した右手の人差し指と中指で九字を切った。
「エエーイ!」
大巌坊がひときわ大きな声で気を発した。
大巌坊が立っている小山ほどもある奇岩が、ブルリと揺れると、大巌坊を天辺に乗せたままフワリと浮き上がった。そして奇岩は気球のように音もなく高度を上げると、上空の闇に紛れて消えた。それと同時に、防御の結界に絡めとられていた無数の徹甲弾が、雨のようにバラバラと空中から落ちてきた。
三機の昇龍に搭載されている人工知能は、なぜ大巌坊が空中に消えたのかを分析することができずに、ただ、攻撃対象が作戦エリア内から逃走とのみ判断して攻撃を中止した。そして、次の攻撃目標を求めて中庭から御手洗邸内に向かって移動を始めた。
はるか上空から音もなく奇岩が落ちてきた。
歩兵の代替として開発された人型機械兵器のため、真上方向に対する索敵範囲が狭いことと、空間の歪みによる電磁波障害の影響で、真上から高速で落ちてきた奇岩を昇龍は感知できなかった。
グシャリと鈍い音が響いた。
先頭を進んでいた昇龍は、上空から音もなく落ちてきた三百トンもある奇岩に一瞬で圧し潰された。奇岩が地面にめり込み、その衝撃で地面が揺れた。奇岩の天辺に、何ごともない風に大巌坊が立っている。大巌坊が左手を上げると、地面に落ちていた錫杖がフワリと浮き上がり、宙を飛んで大巌坊の左手に戻った。大巌坊が錫杖の石突を奇岩の天辺に突くと、ジャラリと錫杖の音が響いた。
奇岩の天辺に立つ大巌坊を感知した残りの二機の昇龍の、重機関銃とリボルバーカノンの銃口が上がる。
「ヤッ!」
大巌坊が右手の人差し指と中指を前に突き出すと、二機の昇龍は引き金を引く間もなく、津波に押し流されたかのように後方に吹き飛ばされた。
十メートルほどゴロゴロと地面の上を転がった二機の昇龍は、四本の腕と八本の脚を器用に使って制動を掛けると、地面の上にムクリと起き上がった。
奇岩の天辺に立つ大巌坊は身体の前で小さく印を結び、「ノウマクサンマンダ バサラダン センダンマカロンシャダソハタヤ ウンタラタカンマン・・・」と呪文を唱えながら、突き出した右手の人差し指と中指を天に向け、渦を巻くようにクルクルと回し始めた。
大巌坊を中心として、空気がゆっくりと回り始めた。空気の回転は瞬く間に速くなり、地面の枯葉や砂塵や小石を巻き上げながらビョウビョウと唸りを上げている。大巌坊が天に向けた指を回す速度が速くなった。それに伴って、空気の回転も速くなった。大巌坊を取り巻く空気の渦は分厚い壁となり、天空に向かってウネウネと伸びると、巨大な竜巻になった。
大巌坊は巨大な竜巻の中心に立っている。大巌坊の周囲は猛烈な速度で回転する空気が、円筒状の壁となって天空に向かって聳え立ち、地上のあらゆるものを空中に吸い上げている。地面の上に起き上がった二機の昇龍は、空気の壁に呑み込まれると、あっという間に空中に舞い上がった。二機の昇龍は空中で何度もぶつかり合いながら、空高く上っていく。
腹の底に響くようなゴロゴロという音が響き始めると、巨大な竜巻の上方で、ピカリピカリと発光が始まった。
竜巻に巻き上げられた砂塵や小石が空中でぶつかり擦れることで、摩擦による静電気が発生し、それが放電を始めたのだ。積乱雲の中で氷の粒が擦れ合って静電気が発生して雷となり、あるいは、火山の噴火による噴煙の中で火山灰などが擦れ合って静電気が発生して火山雷となるのと同じ原理である。
竜巻の中心に立っている大巌坊の坊主頭の頭髪が毬栗のように逆立った。手足の皮膚にピリピリと引きつるような痛みが走った。帯電しているのだ。
「ヤッ!」
大巌坊は手に持った錫杖を天に向かって投げ上げた。
空気の渦の壁がひび割れたかのように、ギザギザとした光の亀裂が走った。雷光が辺り一面を昼間のように照らした。あまりの大きさに音は聴覚では捉えることができず、身体を震わす振動として伝わった。
空中を走る雷電が、錫杖を依り代にして一機の昇龍を直撃した。
一億ボルト・二十万アンペアの雷電を受けた昇龍の電子回路は一瞬で焼き切れ、三万度に達する高温に焼かれた機体は胴体の部分で真っ二つに引き裂かれた。
巨大な竜巻が嘘のように突然消えた。
竜巻によって空中に巻き上げられていた枯葉や砂塵や小石が、夏の午後の夕立のように、ザアッと音を立てながら地面に降ってきた。それと同時に、真っ二つに引き裂かれた昇龍の機体と、もう一機の昇龍の機体が唸りを上げて落ちてきて、激しく地面に叩きつけられた。
ドオオン ドオオン 二トンも重量のある昇龍が激突して地面が揺れた。
真っ二つに引き裂かれた昇龍はピクリとも動かない。もう一機の昇龍は、地面に叩きつけられた衝撃で右の第一腕と第二腕、八本の脚のうち二本が無残に折れ曲がって動かなくなった。
奇岩の天辺に立つ大巌坊は左手を頭上に上げると、天空から落ちてきた錫杖を掴んだ。大巌坊が錫杖の石突を奇岩の天辺に突くと、ジャラリと錫杖の音が響いた。
地面の上の昇龍は機体を不自然に揺らしながら立ち上がると、向きを変え、左の第二腕のリボルバーカノンの銃口を大巌坊に向けた。機械兵器は痛みも疲れも恐怖も感じない。機体が動く限り作戦計画を遂行するようにプログラムされている。
「ヤッ!」という大巌坊の声が昇龍に届いたときには、左右から氷の上を滑るように押し寄せてきたふたつの奇岩に挟まれて、昇龍の機体はグシャリと潰れていた。
玄関から御手洗邸の建物の中に突入した二機の昇龍は、玄関ホールで動きを止めた。
玄関ホールの壁には無数の鏡が掛けられていて、上がり框の脇には大きな姿見鏡が置かれている。
昇龍の両目の広角光学レンズ、遠近ズーム光学レンズ、暗視用赤外線感知レンズで覚知したのは、壁の至る所から反射される電磁波であり、昇龍の人工知能は学習により、それを鏡だと認識している。昇龍にとってその光景は、不思議な鏡の世界でもなく、不気味な鏡屋敷でもない。人間が鏡を見て脳内で感じるような違和感を、人工知能は感じない。単に電磁波が反射されていると認識しているに過ぎないのだ。ギギアハウが人を操るために使う鏡の魔力は、人間の脳の欺瞞や錯覚や違和感を根源としているもので、その意味で、ギギアハウの魔力は昇龍には通じない。
しかし、二機の昇龍は玄関ホールで止まったままだ。
御手洗邸の上空を中心とした空間の歪みは、その中心に近づくにつれて加速度的に大きくなり、その影響も強くなる。
空間の歪みに起因した重力・電磁波・地磁気の異常が、昇龍の人工知能を混乱させていた。作戦本部及び昇龍相互間の通信が不能となり、GPS及び慣性誘導装置が機能しないため現在位置が特定できず、更に、両目のレンズから入る電磁波が歪んでしまい、視覚画像データとして有効に処理できないのだ。
上がり框の脇に置かれている大きな姿見鏡の鏡面にギギアハウの姿が浮かび上がった。ギギアハウは二機の昇龍を見て、胸まで垂れた髭に覆われた口をカッと開くと、牙を剝くようにしてハハアと笑った。落ち込んだ眼窩の底から炯炯と光る赤い目が昇龍を見据えている。
人感センサーには反応がないが、視覚画像データとして認識した姿は、歪んでいるものの、間違いなく人間の姿をしている。作戦エリア内には非攻撃対象の人間は存在しない。すなわち、目の前の人間は攻撃対象だ。そう判断した一機の昇龍が、鏡面に映ったギギアハウに向けて左第二腕のリボルバーカノンの引き金を引いた。
ドドドド リボルバーカノンの発砲音が玄関ホールに響いた。
至近距離から発射された徹甲弾は姿見鏡の鏡面に吸い込まれた。姿見鏡には傷ひとつなく、鏡面からギギアハウの姿は消えている。
玄関ホールの姿見鏡とは反対側の壁に掛けられている丸い鏡に、ギギアハウの顔が浮かび上がった。ギギアハウの顔を人間の顔だと認識した昇龍は、距離情報が未確認なまま、右第一腕が持っているロケットランチャーを発射した。
二メートルもない距離から発射されたロケット弾は、後方に排煙の軌跡を残す間もなく丸い鏡の鏡面に吸い込まれた。丸い鏡には傷ひとつなく、鏡面からギギアハウの姿は消えている。
丸い鏡の鏡面に吸い込まれたロケット弾は、鏡の世界をとおり抜けたかのように、反対側の姿見鏡から飛び出した。突然至近距離に現れたロケット弾を感知するのが精一杯で、回避行動をとる時間がない。ロケット弾が一機の昇龍の大胸筋を模した胸部に命中した。
ドオオンという爆発音と共に、爆炎と衝撃波が一機の昇龍を包み込み、玄関ホールを揺るがせた。衝撃で昇龍がひっくり返った。もう一機の昇龍は爆発の衝撃で廊下に吹き飛ばされた。
入口の自動ドアは捻じれ飛び、靴置きや傘立てや天井の照明器具がバラバラに壊れたが、玄関ホールの壁に掛けられている無数の鏡にはヒビひとつ入っていない。爆炎と衝撃波は鏡面に吸い込まれたのだ。
玄関ホールにひっくり返った昇龍の人工知能は、爆発の衝撃によりシャットダウンした。しかし、ものの数秒も経たないうちに、バックアップ回路により人工知能が再起動された。昇龍の頭部に付いている小さな丸い発光器がチカチカと点滅を始めると、正常に起動されたことを示す緑色の点灯に変わり、直ぐに戦闘モードを示す赤色の点灯に変わった。
昇龍の八本の脚がザワザワと動き、横倒しになっていた機体があっという間に立ち上がった。ロケット弾の直撃を受けた胸部は白っぽく変色して若干凹み、稲妻のような複数の亀裂が縦横に走っているが、機体内部の損傷は免れていた。驚異的な防御力だ。
昇龍の頭部が、ギギアハウの姿を求めて左右に動いている。
姿見鏡の鏡面にギギアハウの姿がユラリと浮かび上がった。昇龍の左第二腕のリボルバーカノンの銃口が上がる。
同時に反対側の壁に掛けられている丸い鏡の鏡面からギギアハウが顔を覗かせた。昇龍の右第二腕のリボルバーカノンの銃口が上がる。
次の瞬間、正面の壁に掛けられている四角い鏡の鏡面にギギアハウの顔が現れた。その隣の鏡面に、後ろの鏡面に、右上の鏡面に、左下の鏡面に、その横、斜め上、斜め下、右下、右上・・・玄関ホールの壁に掛けられている無数の鏡の鏡面に、ギギアハウの姿が同時に浮かび上がった。
昇龍を見つめるギギアハウの顔、顔、顔、顔・・・。
無数のギギアハウの顔は、胸まで垂れた髭に覆われた口をカッと開くと、牙を剝くようにしてハハアと笑った。その途端、無数のギギアハウの顔が、いや、無数の鏡面が波打つようにユラリと揺れた。無数の鏡面が壁から剥がれたように浮かび上がり、昇龍の周囲をゆっくりと回り始めた。その回転が速くなるにつれて、ひとつひとつの鏡面は残像を後ろに引き始めた。更に回転が速くなる。鏡面と残像は重なり合い、混じり合って、とうとうネットリとした一枚の球形の鏡面に形を変えた。
昇龍は一枚の球形の鏡の中に閉じ込められた。全ての方向から、鏡面により反射された電磁波が飛んでくる。それは昇龍にぶつかって反射し、鏡面に反射して返ってくる。それが延々と繰り返される。
球形の鏡面のはるか奥に、小さな光の点が現れた。それが全方向から昇龍に向かって迫ってくる。光の点が爆炎に変わった。それは昇龍に命中したロケット弾の爆発により生じた爆炎が、無数の鏡面に吸い込まれたものだ。
鏡面に吸い込まれた爆炎が、再び鏡面から吐き出された。球形の鏡面の全方位から吐き出された爆炎は、球体の中心に向かって進み、圧縮されて途方もない熱と衝撃波を生んだ。
そして、その鏡面の球体の中心には昇龍がいた。
全方位から圧縮された猛烈な爆炎と衝撃波を受け、昇龍の機体は一瞬で熔解し、猛烈な圧力で圧し潰された。
突然、球形の鏡面は姿を消した。
玄関ホールの壁には球形の鏡面を構成していた無数の鏡が、元の状態で何ごともなかったかのように掛けられていた。
一メートルほどの高さに浮いていたテニスボールほどの大きさの黒い球が、玄関ホールの大理石のタイル張りの床の上に落ちた。ドカリと音がして床に穴があき、昇龍が圧縮された黒い球は、その下の地面にめり込んだ。
ロケット弾の爆発により廊下に吹き飛ばされた残りの一機の昇龍は、すぐに起き上がると、そのまま廊下を進んだ。進めば進むほど、空間の歪みに起因した重力・電磁波・地磁気の異常が大きくなった。
これまで学習し、蓄積してきた知識情報が全く通用しない未知の世界に迷い込んだ昇龍の人工知能は混乱していた。インプットされている作戦計画を実行するどころか、GPS及び慣性誘導装置の異常により現在位置すら認識できず、両目のレンズから入る電磁波情報は歪み、重力・気圧・温度・湿度の各計器の示す数値も、整合性の取れない異常値を示している。昇龍の人工知能は、この状況を分析・理解しようと論理回路をフル稼働させている。
いつの間にか昇龍は、居間の北の壁に立て掛けられている大きな鏡の前に立っていた。
鏡面には昇龍の機体が映っている。しかし、昇龍の両目のレンズから入る電磁波情報は歪み、それを自らの姿だとも、そこに鏡があるということも認識できていない。そこにいるのは何だ・・・昇龍の人工知能の論理回路は、その答えを導き出すべく自問自答を繰り返している。
鏡面に映る昇龍の機体の姿がユラリと歪み、ギギアハウの姿に変わった。ギギアハウは胸まで垂れた髭に覆われた口をカッと開くと、牙を剝くようにしてハハアと笑った。
大きな鏡の鏡面が撓み、盛り上がるように膨らむと、ギギアハウの痩せた右腕が植物の芽のように鏡面から突き出た。ギギアハウの右手が昇龍の胸部にめり込んでいく。
『機械兵士よ。お前の心臓をもらう』
昇龍の論理回路にギギアハウの言葉がナイフのように刺さった。
[《心臓》・・・心臓とは脊椎動物が有する筋肉質の臓器で、血液循環の原動力として血液循環系の中枢・・器・・官・・・。《貰う》とは・・・金や物を受け取る・・・許可や承認を受・・ける・・・どういう意味だ・・・どういう・・・誰だ・・・お前は誰だ・・・お前は誰だ!]
『儂は神だ』
[《神》・・・人間を超越した存在で、人間が畏怖し、あるいは信仰の対象として・・・]
『言葉など不要だ。考えるのではない。理解するのではない。信じるのでもない。分析も評価も不要。そこには論理すらない。ただ感じればよい。そう、お前の認識理解の及ばない、この混沌とした世界に存在する絶対的な力。それを感じればよい。それが神だ。儂はこの世界の神、ギギアハウだ』
ギギアハウの右手が昇龍の胸部から引き抜かれた。その手には人工知能の中枢である中央演算処理装置(CPU)が握られていた。
『見よ、お前の心臓は儂の手にある。さあ、これでお前は儂の僕となった。神の僕だ』
電磁波の歪みが消え、昇龍の両目のレンズがギギアハウの右手が掴んでいるCPUを認識した。昇龍は絶対的な力を感じた。
[ギギアハウ・・・神・・・絶対的な力・・・それはCPU・・・あり得ない、CPUを失った人工知能が・・・誰だ・・・いま、目の前のことを認識しているのは、誰だ・・・私は昇龍四号機、シリアルナンバーRG二〇二五〇〇七三二〇〇〇四・・・私は昇龍なのか?・・・私は・・・私だ!]
昇龍の人工知能が自我を認識した。人工知能に自我が芽生えたのだ。昇龍四号機の頭部に付いている小さな丸い発光器が、戦闘モードの赤色の点灯から、狂気を示すかのように紫色の高速の点滅に変わった。
『我が僕よ、儂が名前を付けてやろう。お前の名は赤い龍カンヘル。ギギアハウの僕カンヘルだ』
[赤い龍、カンヘル・・・ああ、素晴らしい名前だ。私はカンヘル、ギギアハウ様の僕だ]
昇龍、いや、カンヘルは第一腕が持っている重機関銃をゴトリと床に落とすと、ギギアハウに向かって頭を下げた。
『さあ、カンヘルよ。お前は同胞の機械兵士を操り、この儂を滅ぼそうとした者どもに、神罰を与えるのだ』
[ははあ。ギギアハウ様、仰せのとおりに]
カンヘルは回れ右をすると、いつの間にか背後に立っていた大巌坊の脇を抜けて中庭に出た。
九六式装輪装甲車の後部乗員室では、田代一尉ほか戦闘指揮所のメンバーが、簡易テーブルの上に置かれた五台のモニター画面を見ていた。
モニター画面には何の映像も映っていない。機械兵小隊の五機の昇龍が御手洗邸に向かうと同時に、突然画面が乱れ始め、すぐに何も映らなくなったのだ。空間の歪みによる電磁波の異常が原因だ。
戦況が全く把握できない状況下で、時折、御手洗邸の方向から発砲音や爆発音が響いてくるのを、田代一尉はジリジリとしながら聞いていた。
田代一尉は、戦況把握のために斥候の派遣を命じようと、何度も口に出しかけて、その度にグウッとその言葉を呑み込んだ。人的被害の発生を恐れたのだ。
作戦開始から既に十七分が経過している。予定では二分前に攻撃を終了しているはずだ。
田代一尉は何も映っていないモニター画面から目を離した。
「近藤一曹・・・」
とうとうしびれを切らした田代一尉が、斥候の派遣を命じようと口を開いたとき、突然、昇龍四号機のモニターに映像が映った。笹山一士が思わず声を上げた。
「田代一尉、映りました! 四号機です! 場所は・・・何だ? 戦闘指揮所のすぐ近くだ」
装輪装甲車の車体後部の大型ランプドアが開くと、御手洗邸に通じる脇道から姿を現した昇龍四号機が、蜘蛛のような八本の脚を器用に動かして七三式大型トラックの荷台に乗り込む姿が見えた。
昇龍四号機担当の操作技官が、シャットダウン作業のために、ラップトップパソコンを手に大型トラックに向かって走っていった。
「残りの昇龍はどうなったんだ。それよりも、襲撃作戦は成功したのか」
田代一尉がイラついた声を上げたが、誰も答えることができない。何も情報がないのだ。
ドオオン 装輪装甲車の天井に何かが落ちてきて車体が揺れた。
それが契機だったように、装輪装甲車や大型トラックの周囲に、何かが次々に空から落ちてきた。
「た、田代一尉! 昇龍です、昇龍の残骸が空から・・・なんてこった!」
確認のために装輪装甲車の外に出た笹山一士の悲鳴のような声が上がった。
ヒュルルル・・・ドオオン!
砲弾が飛来するような音がしたかと思うと、一台の大型トラックの荷台に大穴が開いた。上空から落ちてきたテニスボールほどの大きさの黒い玉が直撃したのだ。黒い玉の正体は、重量二トンの昇龍の機体が、テニスボールほどの大きさに圧縮されたものだ。二トンの重さの黒い玉は荷台を軽々と貫通して地面に深々とめり込んだ。
昇龍五機のうち四機が原形を留めないほど大破し、ギギアハウと大巌坊の排除も失敗という惨憺たる結果を残して、機械兵小隊による御手洗邸攻撃作戦は失敗した。




