内閣危機管理室 危機管理対策班
東京都江東区若洲から、二頭の恐竜が向かい合ったような東京ゲートブリッジを越えた先に、中央防波堤埋立地がある。その中の中央防波堤内側埋立地、現在は江東区海の森三丁目という住居表示となった一画に、倉庫が一棟だけポツンと建っていた。倉庫の左右は造成中の空き地で、道路を挟んだ向かい側は海の森公園が広がっていて、倉庫の裏手は東京湾が迫っている。細い水路が倉庫の中まで引かれていて、小型ボートで乗り付けることができるようになっている。
外観は倉庫のように擬装されているが、ここは、内閣府内閣危機管理室危機管理対策班の使用施設のひとつである。
建物の二階にある会議室の中で、矢沢瞭と明日香早苗は所在なげに椅子に座っていた。二十畳ほどの広さの会議室には、会議用の大きな丸テーブルと、それを囲むように置かれたパイプ椅子、ホワイトボード、壁際の三十インチの液晶テレビ以外には何もない。廊下に通じるドアがあるだけで、窓すらない。天井に開いている空調用の穴から、埃っぽい空気が吐き出されている。
瞭はチラリと腕時計を見た。時刻は午前九時三十分。研究所をワゴン車で脱出したのが午前一時三十分だったから、あれから八時間が経過したことになる。
敷島と名乗った男の指示に従って鴨川警察署に向かった瞭たちは、警察署の敷地に入るや否やワゴン車から降ろされ、そのまま護送用のバスに乗り換えて館山市にある海上自衛隊館山航空基地へ送られた。更にそこで艦載哨戒ヘリSH-60Kに乗り換え、東京湾を飛び越えて中央防波堤埋立地に運ばれたのだ。
武術の訓練用と思われる道場の畳敷きの一画で毛布に包まり仮眠をとり、差し入れられた菓子パンと牛乳で朝食を食べているときに、瞭と早苗が呼び出された。
会議室に案内されてから既に三十分近く経過している。
早苗は眼を閉じて、加奈たち四人の少年少女に向けて思念波を発していた。未熟で繊細な四人は、ふとしたことで暴走して自我を失ってしまう。早苗は四人を温かな思念波で包み、落ち着かせているのだ。
お茶のひとつも出さずに放置されている状況に、瞭は苛立ちを募らせていた。腕を組んだかと思えば顎を擦り、貧乏ゆすりをしていたかと思えば足を組み替えて、その都度、チラチラと腕時計を見ている。
早苗は目を開けると、鳶色の瞳で瞭を睨んだ。
「ちょっと、瞭。少しは落ち着きなさいよ。横でそんなことされちゃあ、気が散るじゃない」
瞭はムウウと口を尖らせた。
「だって早苗ちゃん、呼び出しておきながら、三十分もほったらかしなんだよ。そもそもここはどこなんだろう。警察? 自衛隊? 内閣危機管理室? 僕たちは保護されているのか、監禁されているのか、それすらも分からない。イライラもするさ」
「瞭がイライラしているのは、珈琲が飲みたいからでしょ。マッタク、瞭の珈琲中毒には困ったもんだわ」
瞭が反論しようと口を開きかけたとき、ガチャリと音がしてドアが開き、羽賀隆一が会議室に入ってきた。盗聴でもしていたかのように、羽賀の手には珈琲がなみなみと入ったマグカップを三つ載せたお盆が握られている。
「いやあ、大変お待たせして申し訳ありません。上司から急に連絡が入ったものですから。あ、お茶も出さずに・・・これは失礼しました。成田も気が利かないなぁ。まあ、珈琲でもどうぞ」
羽賀の顔は、目の下に隈ができて頬はこけ、どす黒い脂が浮いている。糸のように細い両目は充血して真っ赤だ。ひと目で一睡もしていないことが分かる。しかし、羽賀の表情は明るく、声にも力がある。佐田危機管理官から連絡があり、生死の境をさまよっていた敷島が一命を取りとめたことを聞いたのだ。
羽賀は会議用の大きな丸テーブルを挟んで、瞭と早苗に向かい合うようにしてパイプ椅子に座ると、瞭と早苗の前にマグカップを置いた。珈琲の甘い香りが会議室内に漂うと、途端に瞭の顔が緩んだ。
瞭がマグカップを掴み上げて珈琲を一口啜り「ウン」と声を上げた。満足気な瞭の顔を見た早苗が思わずクスリと笑った。
「あ、お先に失礼。何せ珈琲には目がないもので」
瞭が弁解すると、羽賀は気にするなと目で笑った。羽賀は一口珈琲を飲んでから、「さて」と話を切り出した。
「自己紹介が遅れました。私は羽賀隆一、内閣府内閣危機管理室危機管理対策班に所属しています。この施設は、内閣危機管理室が所管していて、危機管理対策班が業務に使用しています。いわゆる『我々の秘密のアジト』です。ハハハ、ちょっと古いですか。内閣危機管理室は日本国および日本国民に対して及ぶ危機に対処し、日本国および日本国民を守ることを業務としています。危機管理対策班はその実動部隊です。自衛隊、警察、公安、外務省の諜報部署といった表の組織では扱うことが難しい、裏の仕事を引き受けている便利屋とでも思ってください。
ここからが本題です。ことの発端は、アメリカ中央情報局特殊情報収集室の工作員が、軽井沢の千元谷集落で行方不明になったことです。その工作員はテレパスで、行方不明になる直前にテレパシーを使って『超能力者に襲われた』と言い残したそうです」
羽賀はそこでひと呼吸置くと、瞭と早苗の顔にチラリと目をやった。ふたりはテレパシーや超能力という言葉を聞いても顔色ひとつ変えない。羽賀は話を続けた。
「行方不明になった工作員の捜索のために、ふたりの工作員が来日しました。この工作員たちもテレパスです。問題は、ふたりの工作員に、軍需産業の大手マクラネル社の雇った傭兵で組織された特殊工作部隊が同行していることです。特殊工作部隊の目的は、行方不明になった工作員を襲ったとされる超能力者の殺害又は拉致です。内閣危機管理室では、とある筋からその情報を入手して、彼らの日本における暴挙を阻止するために、実動部隊である私のチームが、羽田空港から彼らを尾行していました。
当初、彼らは軽井沢の千元谷集落に向かっていましたが、急に行先を変更して鴨川市に向かい、特殊潜在能力研究所を襲撃しました。彼らがなぜ急に行先を変更して特殊潜在能力研究所を襲撃したのか、その理由は分かりません。とにかく、彼らを尾行していた我々が襲撃現場に駆け付けて、皆さんを救護したという訳です」
羽賀は話がひと区切りついたという風に、珈琲をガブリと飲んだ。掌の中でマグカップをクルクルと回していた瞭が、つられたように珈琲を口にした。早苗は大きな鳶色の瞳を真っ直ぐ羽賀に向けて、一言も口を挟まずに羽賀の言葉に耳を傾けている。
瞭はスッと姿勢を正した。
「僕は矢沢瞭、しがないフリージャーナリストです。彼女は明日香早苗、一般社団法人特殊潜在能力研究所の所長です。遅ればせながら、昨夜の、羽賀さんを始めとする危機管理対策班の皆さんのご尽力に感謝します。おかげさまで、ひとりの怪我人も出さずに済みました。ありがとうございました」
瞭と早苗は並んで頭を下げた。
「いやいや、お礼なんてとんでもない、頭をあげて下さい。日本国民を守るのは我々の仕事ですから」
羽賀はのっぺりとした顔に恐縮したような色を浮かべてから、身体を少し乗り出すと、ザクリと踏み込むように尋ねた。
「ところで、基本的なことをひとつ教えて下さい。特殊潜在能力研究所とはどういった組織で、何を研究しているんですか。インターネットで検索しても何も出てこないんです」
瞭と早苗は互いに顔を見合わせると、譲り合うような仕草を見せ、最後に早苗が小さく頷いた。
「その点は、所長の私から説明します。特殊潜在能力研究所は、特殊潜在能力すなわち超能力を科学的に研究している民間組織です」
羽賀が、やはりそうかという顔で早苗を見ている。それであれば、テレパシーや超能力という言葉を聞いて、顔色ひとつ変えなかったことも頷ける。
早苗が続けた。
「特殊潜在能力研究所の前身は、第二次大戦中に、日本陸軍特殊兵器研究所に設けられた特殊潜在能力開発室です。
旧日本軍は、陸軍も海軍もですが、諜報戦に対する理解が低く能力も欠如していたため、敵国の情報は収集できず、反面、日本軍の機密情報は敵国に筒抜けの状態でした。そのような状況下で、日本陸軍参謀本部にいた神宮寺孝晴少佐が特殊能力兵器の開発を立案しました。
特殊能力兵器というのは、超能力の中でも特に精神感応いわゆるテレパシーを使った兵器で、レーダーに代わる索敵能力や敵兵士の士気を低下させることによる戦局の打開、敵国情報の収集や暗号解読など幅広い効果が期待されていたそうです。
参謀総長がこの話に飛びついて、鶴の一声で特殊潜在能力開発室が設置されたそうです」
特殊能力兵器の開発と聞いて、羽賀は佐田危機管理官の言葉を思い出した。軍需産業の大手マクラネル社が超能力兵器の開発を手掛けている。どこの国でも考えることは同じのようだと羽賀は思った。
早苗の説明は続いている。
「特殊潜在能力開発室は、設立当初は館山市内に置かれていましたが、空襲により被害を受けて、現在の鴨川市清澄山中に移転しました。戦時中は人体実験まがいのことをしていたようですが、兵器開発に成功する前に終戦を迎えました。
戦後、立案者である神宮寺孝晴が興した神宮寺商事という会社に譲渡され、特殊潜在能力研究所と名称を変えて超能力に関する研究が続けられました。一年ほど前に神宮寺孝晴が死亡したことを契機に神宮寺商事の傘下から離れて、いまは一般社団法人となっています。
現在の特殊潜在能力研究所では、超能力の発現に関する基礎的研究、超能力を発現させる脳内物質の研究、潜在的超能力者の受け入れと能力向上訓練などを行っています」
早苗は説明を終えると、少し疲れたようにフウと息を吐いた。
羽賀は早苗の説明内容を頭の中で整理しているのだろう、独り言のようにボソボソと呟いている。
「超能力により世界の覇権を握るために、マクラネル社は超能力者を独占したい。だからマクラネル社は傭兵の特殊工作部隊を使って、日本の超能力者を抹殺しようとしている。特殊潜在能力研究所が超能力の研究を手掛けていることをマクラネル社が知れば、研究内容に関心を持つだろう。しかし、超能力を研究することと、実際に超能力者が存在することはイコールではない。それなのに、なぜ特殊潜在能力研究所が特殊工作部隊に襲われたんだろうか。しかも、軽井沢の千元谷集落から急に行先を変更して・・・」
「それは・・・」
言い淀んだ瞭の言葉を引き取るように、早苗が口を開いた。
「特殊潜在能力研究所が襲われた理由は・・・」
そう言いながら、早苗は瞭に顔を向けた。こいつのせいだと言わんばかりだ。
「瞭が、千元谷集落で行方不明になったCIA工作員ハドソン・スミスのスマートフォンやラップトップパソコンを興味本位で持ってきて、電源を入れたからです。位置情報を受信した特殊工作部隊は、特殊潜在能力研究所にハドソンが監禁されていると思い、ハドソンの救出とハドソンを襲った超能力者の殺害のために襲撃してきたのでしょう」
「ちょっと待ってください、ハドソン・スミスの名前をいったいどこで? どこにも情報は流れていないはずなのに」
羽賀は思わず声を上げた。早苗は答えろという風に、瞭の脇腹を肘で突いた。
「それは僕からお答えします。僕は雑誌社からの依頼で、最近多発している行方不明事件の取材のために千元谷集落に向かったんです。千元谷集落で焼死事件があった御手洗達造氏の別荘の前で、ハドソンから声を掛けられました。彼は、自分はバックパッカーで日本を旅していて、SNSで話題になっている行方不明事件に興味を持ってここにきたんだと言っていました。僕とハドソンは一緒に、御手洗達造氏の別荘に足を踏み入れたんです」
「ええっ! ハドソンが行方不明になる直前に、彼と行動を共にしていたんですか」
瞭を見つめる羽賀の目が厳しくなった。瞭のことを、襲撃に巻き込まれた単なる被害者ではなさそうだと思っているのだ。
「それで・・・御手洗達造氏の別荘で何があったんですか」
瞭は下を向いて、掌の中でマグカップをクルクルと回しながら、話すべきかどうか逡巡していたが、先を促すかのように早苗が瞭の腕を揺すると、瞭はマグカップを丸テーブルの上に置いて顔を上げた。
「これからお話しすることは、荒唐無稽な作り話のように思われるかも知れませんが、事実です」
瞭は羽賀の目を真っ直ぐに見つめると、御手洗達造の別荘で起こったことを話した。
鏡で埋め尽くされた部屋。鏡の中から現れた大巌坊。大巌坊の験力と瞭のサイコキネシスによる戦い。硬貨に頭部を撃ち抜かれた三頭のドーベルマン。瞭を助けるために発砲したハドソン。大巌坊の錫杖に胸を貫かれ、鏡の中に引きずり込まれたハドソン。酷い頭痛に苛まれて、這う這うの体で別荘から逃げ出した瞭。御手洗達造の焼死も一連の行方不明事件も、大巌坊と大巌坊を操る魔人ギギアハウが引き起こしていること。そして、早苗が予知した人類の厄災。
瞭の話が終わっても、羽賀はジッと考え込んだまましばらく口を開かなかった。あまりにも羽賀の常識とかけ離れた内容に、頭の整理がつかないのだ。
マグカップの中の冷めきった珈琲をガブリと飲み干すと、羽賀は掠れたような声を出した。
「そのう・・・先程まで私も、テレパスだの超能力だのと当たり前のように口にしていましたが、実際のところは半信半疑、というよりそんな馬鹿げたことはないと思っていたんです。何かのトリックか、あるいは擬態だろうと思っていました。そりゃあ、超能力を研究するということはあるでしょうが、研究することと実際に存在することは別です。
しかし、超能力というものは確かに存在していて、矢沢さんも明日香さんも超能力者だとおっしゃる訳ですね。それだけではなく、大巌坊という修験者も、行方不明になったハドソンも、ハドソンの捜索のために来日したカミラとマイルズも、全て本物の超能力者だと。焼死事件や行方不明事件の実行犯は大巌坊で、行方不明者は鏡の世界に引きずり込まれていると。そして・・・そして、大巌坊を操る鏡の中の魔人によって人類の厄災が引き起こされることを、明日香さんが予知したと。・・・そんな馬鹿げた話はない、全て作り話だと笑い飛ばすことは簡単だが・・・でも、本当のことなんですね。私も本当だと信じたい、信じたいが・・・」
頭では理解できているつもりの羽賀だが、常識という名の理性が超能力の存在を受け付けないのだ。
「教えて下さい、超能力とは、いったい何なのですか」
羽賀は腹の底から絞り出すような声を出すと、すがるような目で瞭と早苗を見た。
早苗は羽賀に向かって、学生に講義するように淡々と話し始めた。
「超能力とは、テレパシー(精神感応)、クレアボヤンス(透視)、プレコグニション(未来予知)、サイコメトリー(残留思念感応)などの『超感覚的知覚(ESP)』と、サイコキネシス(念動)やパイロキネシス(発火能力)などの『念動力(PK)』を合わせた、PSI能力のことを意味します。
超能力とは、簡単にいえば人間の・・・現時点では限られた人間ですが・・・脳内に存在する特殊な神経細胞、ネオニューロンと呼びますが、これの興奮の結果発せられる生体エネルギーにより生じる物理現象あるいは生理現象です。生体エネルギーは念動波や思念波といった波動に置き換わることが可能であることから、念動波が物理的に作用する、あるいは思念波が他人の発する思念波と共振する結果意識が伝わるのだと考えられます。
超能力は、超常現象でもオカルトでもない、まさに科学の領域です。ただその原理が解明されていないから一般の人々には摩訶不思議な能力として感じられて『超』能力と呼ばれているのです。
ネオニューロンは人類の脳の進化に伴って、やがては全ての人類が獲得するでしょう。したがって、超能力は人類の未発現・未覚醒の能力といえるものです」
早苗は、ここまで理解したかという顔をして羽賀を見た。羽賀の脳細胞はフル回転しているのだろう、無意識の内に羽賀の上体が前後に小さく揺れている。
「超能力は限られた人間の脳内に存在するネオニューロンの興奮の結果発せられる生体エネルギーにより生じる物理現象あるいは生理現象である。しかも、ネオニューロンは脳の進化に伴って、将来は全ての人類が取得する。従って、超能力は進化した先の人類が取得する能力であって、現在の人類にとっては未発現・未覚醒の能力だと、こうおっしゃるのですね」
羽賀は確認するように早苗の顔を見た。早苗が頷くと、羽賀はホッとしたように肩の力を抜いた。
「超能力の根源とされるネオニューロンの発する生体エネルギーとはどういったものか、解明されているんですか」
早苗は、これは特殊潜在能力研究所で先年まで中心となって研究を進めていた佐渡忠吉博士からの受け売りだがと前置きしてから話し始めた。
「昭和十年代半ばに、千里眼を操ることで有名になった伊東よね子というテレパスがいました。伊東よね子は、日本陸軍特殊兵器研究所の特殊潜在能力開発室に連れてこられて、佐渡忠吉博士の研究対象とされました。佐渡博士は、伊東よね子の前頭葉からニューロンを採取し、そこに特殊なニューロンを発見したのです。これはネオニューロンと名付けられました。
一般的なニューロンは脳内に数百億から一千億個以上あり、生まれた直後ぐらいにその数が最大になり、それ以降は減少するだけで増殖しませんが、このネオニューロンは増殖する能力を持っていたのです。
また、普通のニューロン間の情報伝達は、ニューロンから延びた長い軸索内を情報が電気信号として伝わり、神経の終末に達した情報は電気信号から神経伝達物質という化学物質による信号に置き換えられます。ニューロン同士の結合部分はシナプス間隙という隙間があり、神経終末のシナプス小胞から放出された神経伝達物質が次のニューロンの受容体に取り付くことで、そこでまた電気信号に置き換えられ、そうやって情報が次のニューロンへと順次送られていきます。ところが、ネオニューロン同士の情報伝達は電気信号のみで行われていました。ネオニューロン同士の結合部分はシナプス間隙という隙間がなく直接繋がっていたのです。このため情報伝達スピードが桁違いに速くなります。
そしてネオニューロン群が興奮して活発な活動状態が生じると、非常に強い生体エネルギーを発することが分かりました。この生体エネルギーが超能力の源であり、超能力は脳内のニューロンの進化により発現する現象であることを佐渡博士は突き止めたのです。
それでは、生体エネルギーとは何か。
羽賀さんは、生物が『生きている』とはどういうことなのか、説明できますか?」
突然話を振られて、羽賀はウッと言葉に詰まった。
「『生きているとは』ですか・・・。ハハハ、すみません、体育会系なものですから生物学の方はサッパリ・・・」
モゴモゴと言葉を濁した羽賀を見て、瞭はチラリと白い歯を見せた。瞭の横で早苗は真面目な顔をして羽賀を見ている。
早苗は話を続けた。
「『自己と外界との境界がある』『自己複製を行う』『代謝活動』などの生命体の定義は生命活動の現象部分を説明しているだけで、そもそも生命が宿るとはどういうことなのかという根本的な疑問に対する説明になっていません。『生きている』とはどういうことなのか、いまの科学では明確に説明できないのです。
例えば、単細胞生物のアメーバーがたったいま死んだとします。生きていたときと死んだ後でアメーバーを構成している有機物質に変わりはない。それではこの同じ有機物質の塊に『生きていたとき』には何が作用して生命活動をさせていたのか、解明できてないのです」
羽賀はホウという顔をした。
早苗は小さく頷いた。
「有機物質の塊が生命活動をおこなうためには、生体エネルギーが必要なのです。生命活動の中の代謝活動で生み出される活動エネルギーとは異なる、もっと根源的なエネルギーです。
佐渡博士は、脳と超能力の研究を進めるうちに、ネオニューロンが発する特殊なエネルギー波を検知しました。これは超能力の根源であるとともに、生命を構成するファクターで有る生体エネルギーであることに気付きました。人間の身体を構成する、いや、生きているすべての細胞からも発せられているはずですが、こちらはあまりにも微弱なため検出できません。
生体エネルギーはどのような仕組みで発生するのか。これは佐渡博士の仮説ですが、生体エネルギーは『次元のずれ』により生じるものだと考えられています」
「時空のずれ?」
羽賀が首を傾げた。早苗は小さく首を横に振った。
「時空ではなく次元です。何らかの理由により次元がずれて振動すると他の次元との干渉により、次元の振動からエネルギーが放出されます。この次元のずれに有機物質が巻き込まれると、有機物質に次元の振動エネルギーが伝わり生命として活動を始めるのです。すべての生物は太古に偶然生じた次元のずれに巻き込まれた有機物質が獲得した『生命という次元のずれから生じる特異な状態』を次の世代へと脈々と繋げてきたのです。
そしてこの次元のずれはあくまで特異な状態であり、次元の振幅は徐々に小さくなって正常な静止状態に戻っていきます。振動が止まり次元のずれがなくなると振動エネルギーの供給がなくなり有機物質も活動を止めます。この状態が死です。
人類は進化の過程でネオニューロンという特殊な細胞を得て、そのネオニューロンの活動から独自の生体エネルギーを創出する能力を得たのです。この独自の生体エネルギーは次元の振動エネルギーと同質ですから、次元を振動させることができるのです。
サイコキネシスとは意図的に次元を振動させて、別の次元の事象や仮想現実の事象を現在の次元の事象に同化させることです。現在の次元で曲がっていないスプーンを、別の次元あるいは仮想現実の世界で曲がって存在しているスプーンに置き換える、次元のシンクロ能力といえます。
テレパシーやクレアボヤンスなどの超感覚的知覚も、次元のシンクロ能力のバリエーションのひとつでしょう。次元の共鳴あるいは共振といった現象だと考えられます」
早苗の長い説明が終わった。
羽賀は額に手を当ててジッと考え込んでいる。羽賀の頭脳は早苗の説明を理解した。羽賀は、それを常識という名の理性に無理やり納得させようとしているのだ。
瞭と早苗は互いに顔を見合わせた。
瞭と早苗がこれから為すべきこと、それは大巌坊とギギアハウによりもたらされる人類の厄災を阻止することである。そのためには軽井沢の千元谷集落にある御手洗邸に乗り込まなければならない。CIAの工作員と特殊工作部隊も、ハドソンの捜索と超能力者の殺害のために御手洗邸に向かうだろう。御手洗邸でCIAの工作員たちと鉢合わせする可能性が高いことを考えると、ここは、何としても羽賀の協力を得ることが必要だ。いや、それよりも、人類の厄災を阻止するための戦いの中での羽賀の存在と役割を、早苗は無意識に感得しているのだ。
羽賀の理性を納得させるためには実体験しかないだろうと早苗は思った。早苗は羽賀に向けて思念波を送った。
『羽賀さんにお願いがあります。人類の厄災を阻止するために、私と瞭に力を貸してください』
羽賀の脳内に突然言葉が浮かんだ。耳から聞こえたものでも、目に文字が見えたものでもない。脳内に直接言葉が浮かんだのだ。
羽賀は驚愕のために、糸のように細い目をこれでもかと見開いた。
「明日香さん、そのう・・・」
羽賀の声は上ずっている。早苗は羽賀を見つめたまま、無言でゆっくりと頷いた。
『そうです、私がテレパシーで羽賀さんに伝えているのです』
羽賀はアッと声を上げて両手で頭を抱えた。脳内の情報を読み取られてしまう恐怖のために、咄嗟に身体が反応したのだ。
『安心してください。むやみに他人の脳内の情報を見ることはしませんから』
羽賀は恐る恐る両手を下ろした。
「驚かせてごめんなさい。人類の厄災を阻止するために、どうしても羽賀さんの協力が欲しくて。そのためには羽賀さんに超能力を信じてもらう必要があると思ったんです」
早苗はそう言うと、ペコリと頭を下げた。
「人類の厄災・・・明日香さんが予知したという・・・。うん? これから起こることを予知したんですよね。それを阻止することができるのなら、厄災は起きない。起きないなら予知はできない。でも明日香さんが予知した・・・グルグル回りじゃないですか」
羽賀は混乱した頭を拳骨でゴンゴンと殴った。
早苗は、これも佐渡博士の受け売りですが、と断ってから話し始めた。
「未来の出来事には無限のバリエーションがあり、何らかの要因でそのバリエーションの中のひとつが『現在』として確定します。その確定した現在の積み重ねが『過去』ですね。ですから過去は確定していますけど、未来の出来事は確率的にしか存在しないのです。ですから私の予知が外れることもあります。
未来の出来事で非常に大きなインパクトのあるもの、すなわち、未来のバリエーションの中で多くに共通して発生するいわば発生確率が極めて高いものは、大きな波動を次元の全方位に波及させます。予知とはその波動を感得して未来の出来事のイメージを意識の上に構築することなのです」
「未来から過去に向かって波動が時間を遡って伝わってくる、それを現在においてキャッチすると、こういうことでしょうか」
羽賀はまだ首を傾げている。
早苗が続けた。
「時間というものは、みんな便利に使っていますけど自然界に存在するものではない、それは数字のような単なる概念です。時間の流れとは何かということを説明できません。
経過した現在の積み重ねが『過去』、そして『現在』、その先に無限のバリエーションという進路をもつ『未来』、これが次元という面の上で繋がっているだけです。これは川の流れのようなもので、『現在』が蓄積していくという流れは変えられませんし、流れを遡行することもできません。
予知を分かりやすく例えれば・・・そう、川の中に大きな石を投げ込むとその波紋は川面を全方位に伝わっていきますよね。川下に投げ込まれた石が起こした波紋を上流の舟で感知する、これが予知なのです。でも川の流れに乗っている舟の進路が何らかの要因で変化して、大きな石が投げ入れられた場所を通らないこともあります。予知が外れるとはこのことです」
羽賀はグウウと意味不明な唸り声を上げた。羽賀の理解能力の範囲、いや、想像力の限界を超えたようだ。羽賀は何とか声を絞り出した。
「そうすると、明日香さんが予知した人類の厄災とは、未来において非常に高い確率で発生する大きなインパクトのある出来事で、それが魔人ギギアハウと修験者大巌坊により引き起こされるということですね。そして多くの人類が厄災に巻き込まれると。それはどのような厄災なのですか?」
早苗は、予知した人類の厄災のイメージを羽賀の脳内に送った。
・・・閃光と炎、瓦礫の中に倒れる人たち・・・大きな黒い渦が人々を吸い込んでいる・・・歪んでいる、空間が歪んでいる・・・魔人・・・吸い込まれる、全てのものが吸い込まれる・・・
ウオッと声を上げて羽賀が頭を抱えた。思念波により情報を受け取ることに、羽賀の脳がまだ慣れていないのだ。羽賀は呻き声を上げながら目を開けた。
「何なんだこれは・・・まるでブラックホールだ・・・これが人類の厄災なのか」
羽賀の声が震えている。
「明日香さん、矢沢さん、分かりました。日本国と日本国民の、いや、そんな生易しいもんじゃない、人類の厄災を阻止することは、内閣危機管理室の仕事です。我々は全面的におふたりのバックアップをしますよ。その前に、CIAの工作員と特殊工作部隊の連中に借りを返さなければならない。やられっぱなしじゃあ、舐められちまうからな」
超能力者の予知した人類の厄災を阻止するというミッションを、自衛隊や警察や公安当局に持ち込んでも、荒唐無稽だと鼻で笑われるだけだろう。このミッションに正面から向き合えるのは、政府の便利屋である内閣危機管理室しかないだろうと羽賀は思った。
それに、CIAの工作員たちもハドソンの捜索と超能力者の殺害のために千元谷集落の御手洗邸に向かうはずだ。佐田危機管理官から命じられたミッションも、人類の厄災を阻止するミッションも、千元谷集落の御手洗邸をキーワードとして繋がっているのだ。
羽賀の協力を取り付けることができた瞭と早苗は、ホッとした顔で頷き合った。安心した早苗はいたずらを思いついた子供のような顔をして、瞭の脇腹を突いた。
「それじゃあ、ついでに瞭のサイコキネシスも羽賀さんに披露してよ」
早苗の声に瞭が口を尖らせた。
「ついでって、何だよ。ハハハ、まあいいか。それじゃあ、十八番のコインでも」
瞭はジーンズのポケットから五百円玉を取り出した。何ごとが始まるのかと、羽賀は興味津々の顔つきだ。
瞭は左掌を上向きに開くと、掌の上に五百円玉を置いた。
「よく見ていて下さい、種も仕掛けもありません。いやいや、そう言っちゃうと、かえって何だか手品みたいだな・・・」
瞭の額の内側がチリチリと音を立て始めた。前頭葉のネオニューロンが活性化して前頭葉がポッと温かくなった。それが前頭葉全体に広がり、更に側頭葉、頭頂葉、後頭葉へと広がっていく。瞭の脳内がボッと沸騰した。
左掌の上の五百円玉がユラリと浮き上がり、掌の上十センチほどの場所でゆっくりと回転している。
「オッ、浮いた! 凄い凄い」
羽賀は手品を見ているかのように無邪気に喜んでいる。そして、瞭の掌と五百円玉の間の隙間に指を突っ込んで、何もないことを確かめると、ホオッと感嘆の声を上げた。まるで子供だ。
「どういう仕掛けなんだろうと思っているんでしょう。仕掛けなんかありませんよ」
瞭がそう言うや否や、掌の上の五百円玉は弾丸のように宙を飛び、会議室の壁に突き刺さった。
「飛んだ!・・・そうか、これで鏡屋敷のドーベルマンを倒したのか、これは凄い」
一瞬の後、羽賀の顔色が変わった。サイコキネシスやテレパシーの持つ真の意味を理解したのだ。
こんなもので襲われては要人の警護など困難だ。テレパシーで頭の中の情報を盗み出すことができれば、データセキュリティなど意味をなさなくなる。サイコキネシスで敵を倒すことができれば、無敵の軍隊ができる。そう、戦争兵器だ。旧日本陸軍が、マクラネル社が考えた超能力兵器は絵空事ではない。
人類の進化の先にある超能力は、最終兵器を生み出す可能性を秘めている。それで世界中から戦争がなくなる? そんなことはないだろう。これまでとは全く異なる新しい戦闘方法に、局面が一段階進んだだけで何も変わりはしない。
羽賀の思索を遮るように、コツコツと会議室のドアがノックされて、ガチャリと開いたドアの隙間から成田が顔を出した。
「羽賀さん、特殊潜在能力研究所の清掃作業が終わったと、清掃班から連絡が入りました。残留物は清掃班の方で処分してくれるそうです。現場の車両は全てオシャカ。やつらの乗ってきたBMWのナンバー照会をしましたが、偽造ナンバーのため追及不能。そうそう、矢沢さんのSUVの廃車手続きはこっちでやっておきますから、お気になさらずに」
瞭の顔に悲愴な色が浮かんだ。
「廃車・・・ハハハ、ありがとうございます。ハァ・・・ローンがまだ一年残っているんだ」
ガクリと大袈裟に項垂れた瞭の顔を見て、早苗がプッと吹き出した。
羽賀は一瞬ニヤリと笑ってから、直ぐに対策班のリーダーの顔に戻った。
「成田、やつらの動きはどうなっている」
「カミラとマイルズの荷物に忍ばせた発信機は、どうも発見されたようで、都内に向かっている途中で電波が消えました。現在の所在は不明です」
羽賀はフムと頷いて腕を組んだ。
おそらく都内のどこかにCIAの活動拠点があるのだろう。やつらはそこで態勢を整備して、当初の計画どおり軽井沢の千元谷集落に向かうつもりだと羽賀は考えている。民間人だろうが、女子供だろうが、見境なく発砲するやつらだ、いつどこで日本国民に危害を加えるか分からない。日本を離れるまで・・・必要なら拘束して強制送還するまで・・・確実に監視下に置いておく必要がある。現在の所在が不明である以上、次にやつらが姿を現すであろう千元谷集落で網を張るしかないだろう。
CIAの連中が千元谷集落をいくら捜索したところで、ハドソンは見つかるはずがない。ハドソンは鏡の中に引きずり込まれているのだ。もし、CIAの連中が大巌坊と遭遇すれば、特殊工作部隊は大巌坊を抹殺しようとするだろう。特殊工作部隊が大巌坊を抹殺すれば、人類の厄災の阻止に一歩前進したことになる。それは羽賀たちにとって願ったり叶ったりの結果だ。
羽賀は頭の中の整理がついたとばかりに、膝をパンと叩いた。
「我々は千元谷集落の御手洗邸に向かいましょう。CIAの工作員と特殊工作部隊の行動監視という第一のミッションと、人類の厄災を阻止するという第二のミッションをクリアするために」
瞭が神妙な顔をして羽賀を見た。
「あのう、ひとつだけお願いがあります」
羽賀は糸のように細い目をチラリと瞭に向けた。
「何ですか。アッ、SUVのローンのことなら相談には乗れませんよ、あしからず」
「違いますよ。加奈、悠太、美咲、理沙の四人の子供たちと天野さんと橋本夫婦のことです。騒動が収まるまで、しばらくここでかくまって欲しいんです。あの子たちをこれ以上危険にさらすことはできません」
羽賀はもっともだと頷いた。
「その点はお任せください、責任を持って保護します。但し、場所はここではなくて、もっと快適な保護施設に移ってもらいますがね」
瞭と早苗は顔を見合わせると、口々に感謝の言葉を述べた。これで心置きなく御手洗邸に乗り込むことができる。後は、死力を尽くすのみだ。
「車両や武器装備類の準備と関係部署への根回しのために少し時間をください。午後四時にここを出発しましょう。矢沢さんと明日香さんは、それまで身体を休めていて下さい」
羽賀は疲れた素振りも見せずに椅子から立ち上った。




