襲撃2
午前一時二十九分。研究所前の駐車スペースに止まっているワゴン車のエンジンがかかった。ワゴン車はヘッドライトを点けずに走り出すと、中庭を回って居住棟の玄関前に止まった。ワゴン車の自動ドアがもどかし気に開く。
運転席の天野が叫んだ。
「さあ、早く! みんな乗って!」
居住棟の玄関の観音開きのドアが開き、橋本夫婦に先導されて加奈、悠太、美咲、理沙がワゴン車に駆け込んだ。ワゴン車の自動ドアが閉まり切る前に、天野はアクセルを踏み込んだ。ワゴン車はタイヤを軋ませながら走り出した。
「みんな、床に伏せて! 姿勢を低くしたまま、絶対に頭を上げるんじゃないよ。揺れるだろうから、座席の下にでもしっかり掴まるんだ。いいね!」
天野はワゴン車のヘッドライトを点けた。ハンドルを大きく切ると、正面に正門の鋼鉄製の扉が見えた。瞭が扉の横の操作ボックスを開けて、操作盤のスイッチを押している。鋼鉄製の門は左右に分かれて内側に向かってゆっくりと開き始めた。
タン タン という乾いた発砲音がした。
塀の上に取り付けてある防犯カメラが銃弾を受けてバラバラに壊れた。間髪を入れずに、塀の上に黒い影がひとつ、またひとつと姿を現すと、三つの影が塀の上から敷地内に飛び降りた。リック、デイビス、ドミニクが行動を開始したのだ。ビル、アンダーソン、ジョナサンも研究所の裏手の塀を乗り越えているはずだ。リックたちが飛び降りた地点から正門までの距離は二十五メートルほどしかない。
正門の扉が開き、そこに向かってワゴン車がスピードを上げながら走っているのが見えたのだろう、リックは咄嗟に突撃銃の銃口をワゴン車に向けた。タタタタというフルオートモードの連続した発砲音と共に、銃口から漏れる微かな発砲炎が闇の中に浮かんだ。
ワゴン車の左後方のウィンドウガラスが粉々に砕け、車体にボコボコと銃弾がめり込んだ。
「キャア―!」
ワゴン車の床に伏せた加奈たちが思わず悲鳴を上げた。
「大丈夫か!」
振り向く余裕のない天野は、指の関節が白くなるほどきつくハンドルを握り、正面を向いたまま声を張り上げた。発砲音に動転した天野は、更にアクセルを踏み込む。見る見るうちに正門が目の前に迫った。扉はまだ完全には開き切っていないが、ワゴン車の車幅ギリギリの隙間は空いている。
扉の横で、瞭が早くいけと大きく腕を回している。瞭の目と天野の目が合った。瞭は頼んだぞという風に小さく頷いた。天野の顔は真っ青で両目が吊り上がっている。
ガシャンという音と共に車体が揺れた。ワゴン車の左のサイドミラーが鋼鉄製の扉にぶつかって千切れ飛んだ。ワゴン車は火花を散らしながら扉を走り抜けた。
瞭は扉の脇でワゴン車のテールランプを見送ってから、目を敷地内に向けた。リック、デイビス、ドミニクが突撃銃を腰だめに構えた姿勢で、瞭に向かって走っている。
その姿を見て、瞭の額の内側がチリチリと音を立て始めた。前頭葉のネオニューロンが活性化して前頭葉がポッと温かくなり、それが前頭葉全体に広がり、更に側頭葉、頭頂葉、後頭葉へと広がっていく。サイコキネシスを発現させる準備が整った。瞭は左手を上げると、リックたちに向けて左掌を開いた。瞭の左掌には王冠のような形をした傷痕がある。
突然、瞭は光に包まれた。同時に、けたたましいクラクションが鳴り響いた。瞭が光の方に顔を向けると、ヘッドライトをハイビームにした黒のUSVが瞭に向かって猛然と走っていた。運転席にいるのは・・・早苗だ。
リックたちが突撃銃の銃口を一斉にSUVへ向けた。
・・・早苗ちゃん!・・・
瞭の脳内が一瞬で沸騰した。瞭の左掌から、念動波が目に見えない雷光のようにほとばしった。
突撃銃の引き金を引く直前、リックたちの身体は、見えない巨人の手に掴まれて放り投げられたかのように、真後ろに二十メートルほど吹き飛ばされた。リックたちは自分たちの身に何が起こったのか分からなかっただろう。背中を地面に強かに打ち付けたリックが、地面の上で呻いている。
土埃を上げながらSUVが瞭の横で止まった。
「瞭! 早く!」
早苗の悲鳴のような怒鳴り声を聞きながら、瞭は助手席のドアを開けて車の中に飛び込んだ。早苗がアクセルを踏み込むと、SUVは駆動輪の前輪を空転させて、左右にテールを振りながら急発進した。あっという間に正門の扉を抜けると、SUVは研究所の敷地の外に走り出た。
「早苗ちゃん、どうして・・・」
左右に身体が揺さぶられる中で、悪戦苦闘しながらシートベルトを締めている瞭が尋ねた。早苗はチラリと瞭に目を向けた。すました顔をしているが、目にはホッとした感情が浮かんでいる。
「どうしてって、ほっておけないじゃないの。マッタク、ひとりでカッコつけちゃって。みんな心配してるのよ」
「そうか・・・すまない。助かったよ」
瞭は素直に頭を下げた。早苗は口角を上げて悪戯っぽくニッと笑った。
「あれ、やけに素直じゃない。瞭らしくもない・・・うん? ワゴン車が止まった。どうしたのかしら」
瞭と早苗の乗るSUVの百メートル先を走っていたワゴン車が、県道に繋がる脇道に入る手前で急停止した。ワゴン車のバックライトが点いたかと思うと、ワゴン車は十五メートルほどバックした。
そのワゴン車の鼻先を掠めるようにして、脇道を駆け上がってきたBMWが正門前の空き地に飛び込んできた。脇道は車一台分の幅員しかないため、あのままワゴン車が脇道を進んでいたらBMWと正面衝突していたはずだ。BMWは回り込むようにしてワゴン車の後方で止まった。続けてもう一台のBMWが脇道から現れると、そのBMWはワゴン車の横に止まり、最後に現れたBMWが、ワゴン車の進路を塞ぐようにワゴン車の前方に止まった。
ワゴン車は、前、左、後ろを三台のBMWに囲まれた。
三台のBMWの運転席のドアが蹴飛ばされたように開いて、カミラ、マイルズ、ダニエルが車の中から飛び出した。マイルズはワゴン車の正面、カミラはワゴン車の左横、ダニエルはワゴン車の後方に立つと、ワゴン車に向けて拳銃を構えた。慣れていないせいだろう、カミラとマイルズはへっぴり腰で、銃口がブルブルと震えている。
カミラたちはリックからの無線連絡で、研究所から逃走したワゴン車を確保するよう指示を受けたのだ。
ワゴン車のフロントガラス越しに、運転席の天野に向かって拳銃の銃口を向けているマイルズがわめくように叫んだ。
「動くな! 両手を上げろ!」
英語が分からない天野だが、アメリカ映画でこのような場面は何度も見ている。天野はマイルズの目を見つめたまま、ゆっくりと両手を上げた。
「みんな、大丈夫だ。落ち着いて・・・」
後方を振り返る余裕のない天野の声が震えている。
『怖い!・・・助けて!・・・殺される!・・・やめて!・・・死にたくない!・・・』
加奈、悠太、美咲、理沙のあからさまな恐怖の感情が、抑えきれない思念波となってほとばしり出た。
鋭利なガラスの破片のような加奈たちの思念波が、カミラとマイルズの脳に容赦なく突き刺ささった。カミラとマイルズは手にしていた拳銃をポトリと落とすと、思わず両手で頭を押さえた。ワゴン車の後方で銃を構えているダニエルがふたりの異変に気付いた。
「カミラ、マイルズ、どうした?」
テレパスでないダニエルは、頭を押さえて身悶えしているカミラとマイルズを見て、怪訝な顔をしている。
『助けて! 助けて! 助けて! 助けて!』
加奈、悠太、美咲、理沙の思念波は互いに共鳴し合い、果てしなく増幅していく。このままでは、未熟なテレパスである加奈たちのネオニューロンは焼き切れてしまう。そうなれば加奈たちの意識は深い暗黒の底に沈み、二度と浮かび上がってこない。それは廃人を意味する。
加奈、悠太、美咲、理沙の発する、荒々しい濁流のような思念波を浴びて、カミラとマイルズは立っていることができず、とうとう地面に座り込んでしまった。
「カミラ、マイルズ、しっかりしろ。おい、何をやっているんだ、拳銃を構えるんだ!」
ダニエルが叫んでも、カミラとマイルズは頭を抱えたまま動かない。
ドオオンという音と共に、ワゴン車の後方に止まっていたBMWの車体が横滑りして、拳銃を構えていたダニエルの身体を弾き飛ばした。BMWの横っ腹に、瞭と早苗の乗るSUVが勢いよく突っ込んだのだ。
ゴッ! 鈍い音が響く。
ワゴン車のリアウィンドウに頭をぶつけたダニエルが、ぐしゃりと地面に崩れ落ちた。
膨らんだエアバッグをかき分けるようにして、瞭と早苗がSUVから飛び出した。無残にひしゃげたSUVのフロント部分を見て、瞭が悲し気に首を振った。まだローンが一年も残っているのだ。しかも、これでは保険も下りそうにない。
・・・加奈、悠太、美咲、理沙、もう大丈夫・・・落ち着きなさい・・・ゆっくりと息をして・・・もう大丈夫・・・そう、静かに、静かに・・・もう大丈夫・・・
早苗の発する温かな思念波がゆっくりと広がっていく。それは春風のように加奈、悠太、美咲、理沙を包み込み、恐怖でズタズタに切り裂かれた心を優しく癒した。
加奈、悠太、美咲、理沙の思念波がスウッと消えた。
瞭と早苗がワゴン車に近づくと、自動ドアが開いた。恐怖と緊張のせいで泣き笑いのような顔をした天野が、運転席に座ったまま、身体を捩って瞭を見た。瞭は天野の目を見て、よくやったという意味を込めて力強く頷いた。
ワゴン車の正面では、マイルズが地面に座り、項垂れたまま動かない。マイルズは加奈たちの発した凶器のような思念波を受けて半ば意識を失っていた。ワゴン車の横でペタリと地面に座っているカミラは、ボンヤリとした目を早苗に向けた。
『私はカミラ・ウィルソン。あなたはテレパスなのね』
カミラの思念波が早苗の脳に届いた。早苗はカミラに思念波を送り返すと同時に、カミラの脳内を探った。
『私は明日香早苗。そう、テレパスよ。そしてこの子たちも。あなた方はなぜ私たちを襲ったの・・・アメリカ中央情報局? 特殊情報収集室?・・・マクラネル社の超能力兵器・・・日本の超能力者を抹殺するですって!・・・ハドソンの救出・・・あなたたちの探しているハドソンはここにはいないわ。軽井沢千元谷集落の御手洗達造の別荘で・・・』
タタタタという発砲音を聞いて、早苗の思念波が途切れた。
「早苗ちゃん、ワゴン車に乗るんだ。やつらがくるぞ!」
瞭は早苗の肩を抱くと、ワゴン車の中に走り込んだ。
カミラは立ち上がると、地面に座り込んでいるマイルズの元に走り寄り、ボンヤリとしているマイルズを引きずるようにして、ワゴン車の横に止まっているBMWの中に逃げ込んだ。
「みんな床に伏せて! 天野さん、運転を代わりましょう」
瞭はワゴン車のエンジンを掛けると、ハンドルを思いきり右に切った。正面に止まっているBMWの車体にバンパーを擦りつけながら、ワゴン車が少しずつ動き出した。
研究所の正門から六人の兵士が突撃銃を乱射しながらワゴン車に向かって走っている。先頭を走っているのはリックだ。リックたちの持つM4―A1カービン突撃銃の有効射程距離は、面目標六百メートル、点目標五百メートル。ワゴン車は射程距離に入っているが、ワゴン車の後方に止まっているBMWとSUVがちょうど盾になっていて、銃弾はワゴン車の屋根を掠めるだけで済んでいる。しかし、リックたちとの距離が縮まれば、ワゴン車は銃弾の雨に見舞われるだろう。それは時間の問題だ。盾の役目を果たしているBMWとSUVの車体は、弾痕によって蜂の巣のようになっている。
瞭は必死になってワゴン車のアクセルを踏んだが、ワゴン車のバンパーがBMWの車体と前輪の隙間にガッチリと食い込んで、ワゴン車は動かない。ワゴン車の前輪が空転して土埃を巻き上げている。
・・・サイコキネシスでBMWを弾き飛ばしてやる・・・
瞭がサイコキネシスを発現しようと身構えたとき、県道に繋がる脇道から銀色のレクサスと二台の隼が正門前の空き地に走り込んできた。
レクサスはワゴン車を大きく回り込むと、ワゴン車とリックたちの間に割り込むように車体を横たえて止まった。止まるや否や助手席のドアが開いて、羽賀隆一と伊藤誠也が転がるように車外に飛び出した。羽賀の手にはH&KMP5サブマシンガン、伊藤の手にはレミントンM870ショットガンが握られている。
盾となったレクサスに容赦なく銃弾が浴びせられた。レクサスのウィンドウガラスが粉々に砕け、右側面の車体にボコボコと穴が開いた。右の前後輪のタイヤから空気が抜けて、車体が右に傾いた。銃弾がタイヤを撃ち抜いたのだ。
「羽賀さん、あいつら狂ったみたいにぶっ放してまっせ。こらあ顔も上げられまへんわ」
「やつらの周囲には遮蔽物がない。いっちょう脅かしてやるか」
羽賀はレクサスの車体の陰から、サブマシンガンの銃口だけを突き出すと、リックたちに向かって眼くらめっぽうに発砲した。
ガガガガ 暗闇の中にサブマシンガンの銃口から漏れる発砲炎が浮かんだ。サブマシンガンの発砲音が響くと同時に、リックたち六人はつんのめるようにして地面に伏せた。
リックたちの発砲が一瞬途切れた隙をみて、伊藤が上体を起こしてショットガンを構え、リックたちに向かって引き金を引いた。レミントンM870はポンプアクション式の散弾銃だ。空薬きょうの排出と薬莢の装填のために、銃身の下のフォアエンドをガシャリとスライドさせる。伊藤は二発、三発と続けざまに発砲した。リックたちが伏せている地面近くに散弾が着弾して土煙がパッパッパッと上がった。跳弾がドミニクの腕に当たり、ドミニクが呻き声を上げた。
リックはうつ伏せのまま両肘を立てて突撃銃を構えると、ショットガンを構えている伊藤に向かって引き金を引いた。
タン タン タン セミオートモードの乾いた発砲音が響いた。
一瞬早くしゃがみこんだ伊藤の頭上を銃弾が掠めていった。銃弾が空気を切り裂く音が伊藤の耳に届いた。間一髪だった。伊藤は鼻からゆっくりと息を吐いた。
タン タン タン タン リックはうつ伏せのまま発砲を続けた。チームが退避するための時間稼ぎである。
デイビスとビルは、負傷したドミニクの両脇に手を入れて抱え上げると、右側に広がる山の斜面の木立に向かって走った。アンダーソンとジョナサンは、二十メートル後方の正門に向かって走った。
デイビスとビルがドミニクを抱えて木立の中に走り込んだのを見て、リックは素早く立ち上がるとデイビスたちの後を追った。
それを待っていたかのように、羽賀の持つサブマシンガンが火を噴いた。リックの身体を銃弾が掠める。右太ももに焼けたような痛みが走ったが、リックは構わず走り続けた。
木立の中からデイビスとビルが援護射撃を始めると、サブマシンガンの銃声が止んだ。リックが木立の中に駆け込むと同時に、一斉に銃声が止んで、正門前の空き地が静寂に包まれた。
二台の隼は、ワゴン車の正面を塞いでいるBMWの脇に止まった。ライダースーツを身に纏った敷島純也と成田繁は、銃声が響き渡る中を、拳銃を構えた姿勢で素早く三台のBMWの中を確認していく。
ワゴン車の横のBMWの運転席と助手席で頭を抱えていたカミラとマイルズを結束バンドで縛り、ワゴン車の後ろに倒れていたダニエルを、カミラとマイルズを確保したBMWの後部座席に運び込むと、同じように結束バンドで縛った。
敷島がワゴン車の自動ドアをコツコツと指で叩くと、自動ドアが開いた。敷島はワゴン車の中を覗き込んだ。床に伏せていた四人の少年少女が一斉に顔を上げて、光るような目で敷島を見つめた。子供たちを囲むように床に伏せている早苗たち大人には、訝しげな表情が浮かんでいる。
「安心してください。私は日本国政府の内閣危機管理室の敷島です。皆さんを助けにきました。怪我をした人はいませんか?」
運転席の瞭の顔がホッと緩んだ。
「良かった、どうなることかと思っていたんです。幸いなことに、いまのところ怪我人はいません」
「建物の中に残されている人は?」
「いません、これで全員です」
「このワゴン車は動くんですか」
「ええ。ただ、前のBMWにバンパーが食い込んだらしくて、進まないんですよ」
瞭は、サイコキネシスでBMWを弾き飛ばそうとしていたところだ、というくだりをグッと呑み込んだ。それを言っても理解して貰えないだろう。
「それじゃあ、私が前のBMWを動かしてみますよ。ワゴン車が動けるようになったら、私たちに構わず逃げて下さい。鴨川警察署に駆け込んで、保護してもらうんです。いいですね」
敷島は小走りにワゴン車から離れると、BMWの運転席に乗り込んだ。
そのとき、一斉に銃声が止んで、正門前の空き地が静寂に包まれた。
夜の闇とうっそうと茂る夏草がリックたちの身体を隠し、斜面に林立する杉の太い幹が銃弾からの遮蔽物となった。
リックの右太ももを掠めた銃弾による傷も、ドミニクの左腕にめり込んだ散弾による傷も、いずれも致命傷ではなく、応急措置として傷口を縛っただけで、リックもドミニクも行動を再開した。生きるか死ぬかの戦場では、この程度の傷は、傷の内に入らないのだ。
リック、ドミニク、デイビス、ビルの四人は、暗視ゴーグルで足元を確認しながら、ゆっくりと木立の中を進んだ。
正門の中に走り込んだアンダーソンとジョナサンは、塀に沿って敷地内を走った。レクサスから死角になる研究所の右側の塀を乗り越えて、レクサスの後方から攻撃を加えるつもりだ。
レクサスの車体の陰に身体を潜めている羽賀と伊藤には、暗闇に埋もれた木立の中を進むリックたちの姿も、塀の向こう側を走るアンダーソンたちの姿も見えなかった。
「羽賀さん、やけに静かになりましたで」
「ああ。だがやつらは逃げた訳じゃない。やつらは二手に分かれて、俺たちの側面から挟撃するために移動しているはずだ。俺たちもいまのうちに移動しよう」
羽賀と伊藤は地面に腹ばいになると、後方にあるSUVとBMWの残骸に向かって匍匐前進を始めた。小石交じりの赤土の地面の上には、粉々に砕けたウィンドウガラスの破片が至る所に散乱している。肘や腿や膝に破片が食い込み、上着やズボンはズタズタに擦り切れて、傷口から血が流れ出したが、羽賀と伊藤は無言のまま必死で地面を這った。
ワゴン車の三方を取り囲むように止まっているBMWの簡易砦までたどり着いた羽賀と伊藤は、ようやく上体を起こして地面に胡坐をかいた。拳銃を構えて周囲を警戒していた成田がふたりに駆け寄って、羽賀と伊藤の腕や足に刺さっているガラスの破片を払いのけた。
羽賀は肘に刺さっているガラス片を引き抜きながら言った。
「成田、状況を報告しろ」
「研究所から逃げてきたワゴン車の中には、大人五人、子供四人が乗っています。死傷者なし。研究所に取り残されている人もなし。ここからワゴン車を逃がすために、敷島がワゴン車の前を塞いでいるBMWを動かそうとしています」
成田が報告している最中に、ワゴン車の前を塞いでいるBMWのエンジンがかかり、ガリガリという耳障りな音と共にBMWがゆっくりと前進とバックを繰り返した。ワゴン車がガタリと大きく振動して、BMWの車体に食い込んでいたワゴン車のバンパーが外れた。
ワゴン車の運転席で、瞭が右手の親指を立てて、BMWの運転席の敷島にサムズアップのハンドサインを送ると、敷島はニヤリと笑ってサムズアップのハンドサインを送り返した。
BMWのヘッドライトの光が、ワゴン車の右側の山の斜面に届いた。敷島の目に、山の斜面の木立の間から、リックたち四人の兵士が膝立ちの姿勢で突撃銃を構えている姿が映った。咄嗟に敷島はBMWのシフトレバーをドライブに入れ、アクセルを踏み込み、ハンドルを右に切った。
無防備に右側面を見せているワゴン車に向かって、リックたちは突撃銃の一斉掃射を始めた。
タタタタ タタタタ 突撃銃の乾いた銃声が響いた。
土煙を上げながら回り込んできたBMWがワゴン車とリックたちの間に止まった。突撃銃からフルオートモードで発射された雨のような銃弾がBMWの車体に吸い込まれる。車体にボコボコと穴が開き、ウィンドウガラスが粉々に砕けた。
運転席の敷島はニューナンブM60の銃口をリックたちに向け、一発、二発と引き金を引いた。三発目の引き金を引こうとした敷島の胸を銃弾が貫き、敷島の身体が弾かれたように仰け反った。敷島は助手席側に倒れ込むと動かなくなった。
「山の斜面から襲撃だ! 伊藤、お前は反対側からの攻撃に備えろ! 成田、一緒にこい!」
そう叫びながら、羽賀は地面に倒れ込んで身体を伏せると、匍匐前進をして敷島の乗るBMWの車体の陰に潜り込んだ。羽賀の後ろを成田が懸命に続く。
「敷島、敷島!・・・どうした、返事をしろ、敷島!」
羽賀は持っていたサブマシンガンを成田に渡すと、BMWの助手席のドアを開けた。頭を上げると、助手席側に倒れ込んだまま動かない敷島が見えた。羽賀の背後から、成田が山の斜面の木立に向かってサブマシンガンを掃射する音が響いた。一瞬、リックたちの掃射が止んだ。羽賀は這うようにして助手席に潜り込むと、敷島の肩に触れた。意識はないが、小さく息をしている。羽賀はもがくように敷島の身体を引っ張って、BMWの外に出た。
地面の上に横たわった敷島のライダースーツの胸部は血でグッショリと濡れている。ライダースーツの胸をはだけ、シャツを引き破ると傷口が現れた。右肩の下に百円玉ほどの銃創があり、ドクリドクリと血が噴き出している。銃創は肺を傷つけているかも知れない。破いたシャツを丸めて傷口に当て、その上から両掌を当てて圧迫した。たちまち羽賀の両手が血で染まる。このままでは長くはもたないだろう。羽賀はフッと息を吐いて一度目をつぶった。羽賀の脳裏に白い歯を見せて笑う敷島の顔が浮かんだ。羽賀の腹の底から怒りが込み上げてきた。
羽賀の横でサブマシンガンを掃射していた成田が、空になったマガジンを引き抜いて投げ捨てた。
「羽賀さん、弾切れです。予備のマガジンは?」
羽賀はベルトの後ろに挟んであった予備のマガジンを掴んだ。三本あった予備のマガジンのうち二本は既に使ってしまった。
「残りはこれだけだ」
「一本・・・三十発で終わりか」
成田はサブマシンガンにマガジンを差し込むと、地面の上に横たわっている敷島にチラリと目をやった。敷島の仇を討つどころか、サブマシンガンの弾切れがこの世との別れになりそうだと成田は思った。
リックたちが山の斜面から一斉掃射を始めると、それを合図に、研究所の塀を越えたアンダーソンとジョナサンが、塀の陰から走り出た。ワゴン車の前には、障壁となるBMWは既にない。
突然現れたふたつの人影に向けて、伊藤がショットガンの引き金を引いた。慌てたためか照準が定まらず、あらぬ方向で土煙が上がった。銃身の下のフォアエンドをガシャリとスライドさせると、硝煙を纏った空薬きょうが飛び出した。もう一度引き金を引いたがショットガンは火を噴かない。マガジン内の薬きょうが尽きたのだ。伊藤は上着のポケットから薬きょうを掴み出したが、装填している時間がなかった。
「アホッ、こんなときに」
伊藤はショットガンを放り投げると、ワゴン車の天井を掌でバンバンと叩いた。
「走れ! はよ逃げるんや!」
伊藤は叫びながら、脇の下のホルスターから拳銃を引き抜いた。
ワゴン車の運転席に座る瞭は、アクセルを踏み込んだ。タイヤが土煙を上げ、ワゴン車が加速する。
アンダーソンとジョナサンは、動き出したワゴン車の前方十五メートルの位置まで走り寄ると、突撃銃の銃口をワゴン車に向けた。自分たちに向かって加速しているワゴン車を見ても、逃げようともしない。
ワゴン車のアクセルを踏み続ける瞭の視線が、突撃銃の銃口に吸い付けられた。
・・・ダメだ、ワゴン車があのふたりを跳ね飛ばす前に、銃撃を受けてしまう。サイコキネシスを使うしかない!・・・
ワゴン車の運転席に座る瞭の脳内が一瞬で沸騰した。瞭の脳内のネオニューロンが極限まで活性化した。瞭の左掌が開かれて、アンダーソンとジョナサンに向けられた。
・・・曲がれ!・・・
瞭の脳内には、突撃銃の銃口が九十度に折れ曲がった仮想空間が浮かんでいる。
瞭の視界がグニャリと歪み、目の前の現実空間と脳の中の仮想空間が瞬時に入れ替わった。
突撃銃の引き金を引いたアンダーソンとジョナサンは、ドンッという破裂音と共に、もぎ取られるような激しい衝撃を両手に感じた。アンダーソンは一メートルほど後方に飛ばされて尻もちをつき、ジョナサンは衝撃で跳ね上がった銃身で顔面を強打した。ジョナサンの鼻骨が折れて鼻血が噴き出した。
地面に腰を下ろした姿勢で、持っている突撃銃を見たアンダーソンは、自分の目を疑った。突撃銃の銃身が銃口から十センチの部分で、九十度上向きに折れ曲がっているのだ。噴き出す鼻血を必死に拭っているジョナサンが持つ突撃銃の銃身も同じように折れ曲がっている。
何が起きたのか分からず呆然としているアンダーソンとジョナサンの横をすり抜けるようにして、ワゴン車が県道に繋がる脇道に走り去った。
パタパタパタパタという微かなローター音が聞こえてきたかと思うと、突然、腹の底に響くようなローター音に変わり、山の尾根を越えて一機のヘリコプターが姿を現した。陸上自衛隊木更津駐屯地第一ヘリコプター団所属のUH―60JA多用途ヘリコプターである。
羽賀のイヤホンに雑音の入り混じった、がなり立てるような声が響いた。
「こちらは陸上自衛隊木更津駐屯地第一ヘリコプター団所属加納二等陸尉です。内閣危機管理室の佐田危機管理官から防衛省経由で、対テロ作戦の緊急支援要請を受けました。対応指示願います」
上空を振り仰いだ羽賀の顔が緩んだ。佐田危機管理官の手配したバックアップが何とか間に合った。
「ありがたい。テロ集団は貴官の二時の方向、山中の木立に隠れてこちらを銃撃している。使用火器はM4―A1カービン突撃銃。ほかにコルトガバメントと手榴弾を所持している。十分注意してくれ。それと、こちらに重傷者がひとりいる。胸を撃たれて出血が酷い。救急搬送の手配をしてくれ」
「了解。山中からの発砲炎を目視で確認。威嚇射撃を開始します。それと、重傷者はこのヘリで運んだ方が速いでしょう、少し待ってください」
ヘリコプターのキャビンドアが開き、十二・七ミリ重機関銃M2が姿を現した。羽賀たちの上空を、轟音をあげて高速で飛行しながら、山中の木立に向けて重機関銃が火を噴いた。
ドドドドという掃射音と共に、実弾に混じった曳光弾が光の尾を引きながら山中の木立の中に吸い込まれていく。暗闇の中で木々の枝や葉が舞い上がり、杉の幹が銃弾を受けて破裂したように破片をまき散らした。あくまで威嚇射撃なのだろう、リックたちが潜んでいる場所をわずかに外している。
ヘリコプターは羽賀たちの上空を飛び抜けると、一旦高度を上げ、山の尾根を掠めるようにして方向転換すると、再び羽賀たちの上空に戻ってきた。
山の斜面の杉の幹の陰に身を潜めているリックは、襲撃が失敗したことを悟った。超能力者たちを乗せていたであろうワゴン車は逃走してしまった。目の前に残っているのは、おそらく日本政府の諜報員か特務機関の工作員だろう。彼らだけなら制圧できるだろうが、もはや意味がない。しかもヘリコプターからの機銃掃射を受けては、身動きが取れない。これ以上の交戦は無駄に死傷者を出すだけだ。リックの腹が決まった。攻撃中止だ。
アンダーソンとジョナサンは、ヘリコプターが姿を見せるや否や、銃身の曲がった突撃銃を放り投げ、脇道に向かって走り出した。脇道の途中で山中に分け入って身体を隠すつもりだ。
目の前にいたアンダーソンとジョナサンが走り去ったのを見て、伊藤はフッと肩の力を抜くと、横のBMWを覗き込んだ。結索バンドで縛って転がしておいた三人の姿が見えない。いつの間にか反対側のドアが開いている。隠し持った刃物で結索バンドを切り、銃撃戦の最中に密かに逃亡したようだ。
砂塵を巻き上げてヘリコプターが空き地に着陸した。山中の木立に向けて油断なく重機関銃の銃口を向けているが、撃ち返してくる気配はない。担架を抱えた自衛隊員が、羽賀に向かって走っている。
羽賀は敷島の傷口を押さえたまま、集まってきた伊藤と成田に命令した。
「伊藤、成田、ヘリコプターで撤収するぞ。敷島の救護が最優先だ。それに、やつらに対抗できる武器も弾薬もないから、これ以上ここに止まっても仕方がない。民間人の犠牲は防げたんだ、これでよしとしよう。原状回復と破損車両の撤去は、明るくなってから清掃班に対応してもらう。その頃にはCIAの工作員も特殊工作部隊も撤収しているだろう」
思ったとおり長い夜になった。羽賀は目の回るような疲労を覚えて小さく頭を振った。陸上自衛隊と鴨川警察署との事後協議、ワゴン車で脱出した民間人の保護、CIA工作員たちの追跡、佐田危機管理官への報告・・・まだやるべきことは山のようにある。しばらく眠れそうにないと羽賀は思った。いや、敷島の容体が気になって、どうせ眠れやしないのだ。横になって悶々とするくらいなら、仕事に追われている方がまだましだ。
羽賀たちを乗せたヘリコプターが離陸した。上空に舞い上がったヘリコプターのキャビンの窓から下を見ると、山の斜面に潜んでいたリックたちが空き地に姿を現し、飛び去るヘリコプターを見上げていた。
・・・この借りは必ず返すぜ・・・
羽賀は心の中で呟いた。




