表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/17

最後の戦い2

 瞭たちは中庭に面したウッドデッキから御手洗邸の居間に入った。夏の陽光の下に比べると、居間の中は薄暗く、中庭にいるときには微かに感じていた風もピタリと止まっている。

 居間の中は重苦しい静寂に満ちていて、壁一面に掛けられている無数の鏡から、目に見えない磁場のようなものが発せられていた。それは鏡の中の世界から外を覗く人々の視線だった。ギギアハウによって鏡の世界に取り込まれた人々の視線だ。その視線には、ある者は恐怖、ある者は悲しみ、ある者は憎悪、ある者は怒り、ある者は諦めが浮かんでいる。

 北の壁に立て掛けられている、高さが二メートルはあろうかという大きな鏡の鏡面に、ギギアハウの姿があった。ギギアハウは胸まで垂れた髭に覆われた口の口角を上げると、ハハアと笑った。その声は瞭たちには聞こえていない。

 瞭たちは居間の中の風景を見て、思わず目を疑った。

「これは、いったい・・・」

 居間の床は中心から離れるにつれて徐々にせり上がり、周囲の壁の部分では一メートルほども高くなっている。居間の中心に立って周囲を見回すと、まるでお椀の中に立っているようだ。居間の天井は、床とは逆に中心に向かってせり上がっていて、お椀を伏せたようになっている。居間全体が球形に形を変えようとしているようだ。そして、床の上に散乱していたガラスの破片や薬莢やごみや枯葉などが、無重力空間であるかのように宙に浮いて、フワフワと漂っていた。

「羽賀さん、見て下さいよ、ほら」

 成田が床の上で小さくジャンプすると、成田の身体はフワリと宙に浮かんだ。それを見て、伊藤があんぐりと口を開けた。

「どうなっているんだ?」

 羽賀は、伊藤から借りたニューナンブM60を油断なく構えながら、足元を確かめるように軍靴の踵でトントンと床を蹴った。

 瞭は目の前に浮かんでいる薬莢を指で摘まんだ。

「御手洗邸の上空を中心とする空間の歪みの影響が、この居間にまで達しているということだろうか?」

 瞭は首を傾げながら、薬莢をポイと投げた。薬莢は空中でクルクルと回転しながら、床に落ちることもなく瞭からゆっくりと離れている。無重力の宇宙空間に浮かんでいる、宇宙ステーションの中に漂う水滴のようだ。

「瞭、違うわ。何かおかしい。これは・・・ギギアハウの幻術に惑わされているんじゃないかしら」

「ギギアハウ?」

 瞭はキョロキョロと周囲に目を配った。壁に掛けられた無数の鏡の鏡面には、ギギアハウの姿はどこにも見えない。

 早苗は胸の前で手を組み、両目を閉じた。早苗の思念波が周囲に広がり、早苗の脳内に居間の映像が映し出された。

「やはりそうだわ。みんな目を閉じて! このままじゃギギアハウに操られてしまう。ギギアハウの思う壺だわ。目で見るのではなく、私のクレアボヤンスの映像を使って頂戴。瞭と祥吾も念動波は戦いのために温存して、私のクレアボヤンスの映像を共有するのよ、いいわね」

 瞭たちは両目をハンカチや止血帯やシャツの切れ端で覆い、視覚を遮断した。早苗のクレアボヤンスの映像が脳内に映ると、宙を漂っていた浮遊物は消え、球状に歪んだ居間は、六日前にギギアハウたちと戦った元の居間に戻った。

「危なかった。あのままじゃ、ギギアハウの術中に嵌っていた。さすが早苗ちゃん」

 早苗はフンと鼻で笑った。

「瞭、おだてても何も出ないわよ。それよりも、瞭、何かが思念波に反応しているわ。視覚では捉えられなかった何かがある・・・あそこ」

 早苗が指を向けた先の床の上で、何かがボンヤリと光を放っていた。大理石のテーブルの下の、枯葉とゴミの吹き溜まりの中に何かが埋まっているようだ。その横には、胸部にポカリと穴が空いた異形の神像が転がっていた。

 大理石のテーブルの脇に膝を突いて、瞭が枯葉をかき分けると、直径二センチほどの円形をしたブローチのような物が現れた。それは深緑の翡翠で造られていて、異形の顔が彫り込まれている。裏側は鏡だ。

 それはギギアハウが封じ込まれていた合わせ鏡の片方だ。御手洗達造が異形の神像の中から取り出して、大理石のテーブルの上に伏せて置いたものが、何かのはずみで床に落ちて枯葉に埋もれていたのだ。

 瞭が手に持つと、大きさの割にずしりと重い。そう思った瞬間、羽毛のように軽くなった。アッと思うと、今度はほんのりと温かくなった。

「鏡だ。重い・・・いや、軽い?・・・温かい・・・ああ、何かの力を感じる」

 マヤの大呪術師トカゥン・ナパウの霊力が宿っているのだろう。早苗がこれを感得したということは、何か意味があるはずだ。瞭は鏡をジーンズのポケットにしまった。

 ジャラリと錫杖の音が響いた。

 いつの間にか、北の壁に立て掛けられている大きな鏡の前に、大巌坊が立っていた。

 ぽっかりと空いた空洞のような真っ赤な両目が、瞭たちを見据えている。

 錫杖の音に反応した羽賀が、咄嗟に大巌坊に拳銃の銃口を向けると、ためらわずに引き金を引いた。

 パンパン 乾いた銃声が居間の中に響いた。

 二発の銃弾は、右手を前に突き出した大巌坊の一メートル手前で、宙に浮いたまま止まっている。大巌坊が右手を下ろすと、銃弾はバラバラと床に落ちた。

「ヤッ!」

 大巌坊は小さく気を吐くと、羽賀に向かって右手の人差し指と中指を突き出した。

 咄嗟に羽賀を背中に庇った祥吾が、大巌坊に向かって両手を突き出した。祥吾の一メートル前に半球状の光の膜が広がっている。

「ムウウ・・・」祥吾はギリリと歯を食いしばった。

 大巌坊の発した念動波による鉄砲水のような衝撃波は、祥吾が張った防護バリアに阻まれた。祥吾の力を試すかのように、衝撃波は防護バリアの表面で渦を巻くように荒れ狂ったが、すぐに潮が引くように消えた。焼け爛れた大巌坊の顔が満足気に歪んだことに誰も気が付かなかった。

 再びジャラリと錫杖の音が響いた。

「瞭、ギギアハウ様が鏡面世界でお前を待っておられる。お前の心臓が欲しいそうだ。ギギアハウ様は羽毛をもつ蛇ククルカン神に、二十個の心臓を生贄として捧げられようとしておる。二十は聖なる数字、残りの心臓はあとひとつ。お前の心臓を得て、二十個の心臓をククルカン神に捧げれば、ギギアハウ様はククルカン神より神の力を授かり、この世を統べる王として蘇ることができるのだ」

 瞭はフンと鼻で笑うと、大巌坊を挑発するような口調で返した。

「この世を統べる王? この世を滅ぼす厄神の間違いじゃないのかい」

 瞭の声を遮るようにして、早苗が大巌坊に話しかけた。

「大巌坊、聞いて頂戴。ギギアハウは気付いていないでしょうが、あいつはこの世界、いや、次元に穴を開けようとしているの。あいつの造り出した鏡面世界に生じた次元の特異点が、この次元に穴を空けて、虚無空間との隧道になろうとしているのよ。この鏡面世界に生じた次元の特異点と相似関係にある現実空間が御手洗邸の上空なの。そこに現れた空間の歪みは、鏡面世界だけでなく現実空間も巻き込まれることの証拠だわ。次元に穴が空けば、この次元は虚無空間に吸い込まれる。それはひとつの宇宙の消滅を意味するのよ。ねえ、大巌坊、目を覚まして、私たちに協力して頂戴」

 早苗は大巌坊に語りかけながら、思念波の触手を大巌坊に向けて伸ばした。早苗は思念波で大巌坊を操ろうとしているのだ。

 大巌坊は早苗の思念波の触手に気付いたのだろう、右手の人差し指と中指を突き出して、額の前で二本の指を天に向けると、何かを断ち切るように上から下に一直線に振り下ろした。

「アッ」

 早苗が小さく声を上げた。

「他心通力を操る娘よ、無駄だ。儂の心臓はギギアハウ様に捧げてある。この儂を操ることなどできんのだ」

「親父、目を覚ましてくれよ・・・」

 大巌坊に駆け寄ろうとした祥吾の肩を瞭が掴んだ。

「祥吾、無駄だ。大巌坊、決着を付けよう。僕をギギアハウの所へ連れていけ」

 大巌坊は焼け爛れた顔を瞭に向けると、ニヤリと笑った。

「ギギアハウ様は既にお前を見ておられる。瞭、覚悟せよ」

 瞭たちの脳内に投影されている居間の中の風景がグニャリと歪んだ。早苗の思念波すらも歪めるような次元の湾曲が生じたのだ。

 居間の壁に掛けられた無数の鏡の鏡面が切り取られて、剥ぎ取られたように浮かび上がると、瞭たちの周りをゆっくりと回り始めた。その回転速度が徐々に速くなっていく。

 北の壁に立て掛けられていた大きな鏡だけは、宙に浮かんだまま微動だにしない。大きな鏡の鏡面の中のギギアハウは、落ち込んだ眼窩の底から炯炯と光る赤い目を瞭に向けている。

 早苗も祥吾も羽賀たちも、何が起こっているのか分からないまま、呆然と立ち竦んでいた。

 瞭たちの周りを回る無数の鏡面の速度は増々速くなり、鏡面は後方に残像を曳き始めた。鏡面と残像が重なり合って、次第に一枚の球形の鏡面を形作り始めた。

 瞭はハッと気が付いた。

 ・・・ギギアハウは内側に閉じた球形の鏡面世界に引きずり込んで、そこで僕と戦うつもりだ・・・いけない、このままじゃ早苗ちゃんたちが一緒に引きずり込まれる・・・

 瞭の脳内が一瞬で沸騰した。瞭は左手を伸ばして左掌を開くと、王冠のような形をした傷痕を回転する鏡面に向けた。瞭の左掌から、念動波が目に見えない雷光のようにほとばしった。

 既に一枚一枚の姿が捉えられないほどの高速で回転している無数の鏡面だが、完全な球形の鏡面にはまだ至っていない。目に見えない巨人が指先を強引に捻じ込んで、鏡面の壁を強引に左右に押し開いたかのように、目の前の鏡面に壁に縦に亀裂が入り、その亀裂が左右に開いた。亀裂の先には陽光に照らされた中庭が見えている。

「みんな、逃げろ! このままじゃ、球形の鏡面世界に引きずり込まれるぞ! 羽賀さん! 早苗ちゃんを頼む!」

 宙を舞う無数の鏡面に意識を奪われていた羽賀は、瞭の声を耳にしてハッと我に返った。

「さあ、明日香さん、こちらへ。伊藤、成田、祥吾を頼む」

 羽賀は早苗の手を引いて鏡面の亀裂に向かって走った。亀裂の手前で早苗が振り返った。

「瞭・・・瞭はどうするつもり? まさか、あなたひとりで・・・」

「大巌坊は、ギギアハウが鏡面世界で僕を待っていると言ったじゃないか。だから僕はここに残って、何としてでもギギアハウを葬り去る。さあ、早く! 亀裂を開けておくのもそろそろ限界だ」

 瞭の顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。心を決めているのだ。

「ちょっと待って、冗談じゃないわ。それなら私も残るわ。人類の厄災なのよ、瞭ひとりに任せちゃいられないわよ」

 早苗は亀裂の前で腰に両手を当てて仁王立ちになると、燃えるような目で瞭を見つめてキッパリと宣言した。

「僕も残る! サイコキネシスを操る超能力者が必要だろ? それに、親父の・・・親父の狂気を鎮めるのは僕の役目だ」

「早苗ちゃん、祥吾・・・」

 瞭は驚いたような顔でふたりを見た。生きて戻れないかも知れないんだぞという言葉を瞭は呑み込んだ。そんなことは、ふたりとも分かっているのだから。

「よし、そうとなったら、早いとこギギアハウと大巌坊を始末しようぜ。俺たちも残る。伊藤、成田、それでいいな・・・」

 羽賀の言葉に、伊藤と成田が当然だと頷いた。

 早苗が、祥吾が、羽賀が、伊藤が、成田が・・・全員が瞭を見ている。その顔には迷いなど微塵もない。瞭は珍しく精悍な顔をして頷いた。

「みんな・・・。分かった。みんなで一緒に戦おう」

 鏡面の壁に開いていた亀裂がスッと閉じた。もう逃げ場はない。

 ギギアハウの姿を宿す大きな鏡面が、宙に浮かんだままアメーバーのように形を変えながら広がった。そして、その鏡面に瞭たちの姿が映った途端、瞭たちは内側に閉じた球形の鏡面世界に引きずり込まれた。

 そこは全てのものの形が歪み、色が混じり合った混沌とした世界で、自分自身の境界すら判然としない。全てのものが拡散と収縮を繰り返し、希釈と濃縮、分裂と融合を伴いながら、球形の鏡面世界の中心軸に沿ってゆっくりと自転している。

『ギギアハウ、こけおどしは止めろ。内側に閉じた球形の鏡面世界、それ自体がお前の構築した仮想空間に過ぎない。まあ、仮想空間も現実空間も、サイコキネシスで置き換えが可能だから、区別する意味はないが・・・。僕は一度お前の仮想空間を経験している。こんな子供だましは、僕には通用しないぞ』

 混沌とした世界に瞭の姿がスウッと明瞭な形となって現れた。

 瞭の前にはギギアハウが浮かんでいる。

 ギギアハウは胸まで垂れた髭に覆われた口の口角を上げると、カアアと威嚇するような声を上げた。その声が合図であったかのように、混沌とした世界が一瞬でサアッと晴れ渡った。

 瞭たちは石畳の上に立っていた。瞭たちは全員が両目をハンカチなどで覆ったままだ。早苗の思念波が感得した映像を、瞭たちは脳内で見ているのだ。

 瞭たちの目の前には、石のブロックを積み上げた巨大な階段状ピラミッドが聳え立っていた。ピラミッドの頂上部には直方体状の神殿が建っていて、その神殿に向かって、ピラミッドの四角錘の各面に急な階段が設けられている。

 瞭たちはお椀の底に立っているように、足元の地面は先に進むほどせり上がり、遥か先まで続いている。地平線はなかった。足元の地面は世界を取り巻く壁となり、更に反り返るように上方に延びて、やがて天頂でひとつに繋がっていた。この前の戦いのときには半球状だった鏡面世界は、いまや完全な球形に変化して内側に閉じていた。空洞の地球の内側に立っているようだ。

 そして、球形の鏡面世界の中心、階段状ピラミッドの頂上部の上空に、黒い点がポカリと浮かんでいた。黒い点の周囲の空間は歪み、全てのものがその点に向かって落ち込んでいた。次元を球状に歪めて閉じた世界を構築した結果、その中心点に次元の振動エネルギーが異常に集中して生じた、まるでブラックホールのような次元の特異点である。これ以上成長すると、次元に穴を開けてしまう。そうなれば、この次元は急激に収斂して、次元と次元の隙間である虚無空間に吸い込まれてしまうだろう。人類の厄災、それどころか、早苗の言うとおり、この宇宙の消滅をもたらすのだ。

 ピラミッドの頂上部の神殿の前にギギアハウが立っていた。腰布を巻いただけで上半身は裸だ。ジャガーの革の貫頭衣はこの前の戦いで焼けてしまった。裸体にペイントされている赤白青黄の鮮やかな色が、遠目にもはっきりと映えている。

 ギギアハウの横では、大巌坊が片膝を突き、錫杖を立てたままでギギアハウに向かって首を垂れていた。

 ギギアハウは胸まで垂れた髭に覆われた口の口角を上げると、ハハアと笑った。

『力を操る者よ、お前の心臓をもらう』

 ギギアハウの声が瞭の頭の中に響いた。

 瞭はギギアハウに向かってニヤリと笑い返した。

『ギギアハウ、お前を葬り去ってやる。覚悟しろ』

 瞭の声がギギアハウの頭の中に響いたのだろう、ギギアハウは笑い顔を引っ込めると、口を歪めて黄色い歯をむき出して、ケエエと唸った。

 瞭はジーンズのポケットから五百円玉を二枚掴み出すと、無造作に地面の上に投げ、その上に飛び乗った。瞭の身体がフワリと浮いた。

『祥吾、早苗ちゃんを頼む。羽賀さん、伊藤さん、成田さん、何かあればバックアップをよろしく』

 瞭は燕のように舞い上がり、ピラミッドの頂上部に向かった。

 羽賀は素早く周囲を見回した。羽賀の視線の先には、ピラミッドの頂上部に向かって延びる急な階段があり、階段の最下部にはククルカンの頭部が彫刻されていた。チチェン・イッツア遺跡の『ククルカンピラミッド』と同じだ。それであれば、この階段は北面に設けられたもので、春分の日と秋分の日の年に二回・・・鏡面世界にあればだが・・・太陽が沈むときに真西から照らされて 階段の縁にある石の斜面にククルカンの胴体が現れる、ククルカンの降臨があるはずだ。

 階段の最下部のククルカンの頭部の彫刻の後方に、幅二メートル、高さ三メートルの洞穴のような窪みがあった。そこなら退避場所として使えそうだと羽賀は思った。

「こ・・ん・・な・・・?」

 声が出なかった。羽賀の頭の中で早苗の声が響いた。

『羽賀さん、この世界では声が上手く出せないようです。頭の中で言葉を意識してください。私がテレパシーで感得して、それをみんなに送ります』

 一瞬面食らった羽賀だが、すぐに了解した。

『こんなむき出しの広場の上じゃあ防御は無理だ。伊藤、成田、階段の最下部にある洞窟のような窪みに退避する。明日香さん、祥吾、俺についてこい』

 羽賀が頭の中に浮かべた言葉は、一瞬で全員に伝わった。

 サブマシンガンを腰だめの姿勢に構えた成田が走り出した。左足を引きずりながら伊藤が続く。鏡面世界では右ふくらはぎの銃創が左ふくらはぎに移っていた。伊藤の手にもサブマシンガンが握られている。この世界で役に立つかどうかは別にして、超能力を持たない成田や伊藤にとっては、サブマシンガンはお守りとしての意味があるのだろう。

 俺についてこいと勇ましく啖呵を切ったはずの羽賀は、逆に早苗と祥吾に手を引かれて、ヨロヨロと歩いている。左わき腹の傷が痛むのだろう、羽賀は顔をしかめているが、羽賀の頭の中は戦闘モードでフル回転している。元は右わき腹にあった銃創が、鏡面世界で左わき腹に移っていることに羽賀は気が付いていない。それは伊藤も同じだ。 

 羽賀たちはピラミッドの北面の階段の最下部にある洞窟のような窪みに退避した。近くでよく見ると、その窪みはピラミッドの内部に通じる通路の入口で、五メートルほど進んだ通路の奥は、一面にドクロの浮き彫りが施された一枚岩が埋め込まれていた。それがピラミッドの内部に通じる扉なのだろうが、動きそうな気配はなかった。

 羽賀たちはその待避所で、早苗の感得したクレアボヤンスの映像により、瞭の戦いを見ていた。

 上空に舞い上がった瞭を見て、ギギアハウはスウウと息を吸うとゴウッと炎を吐いた。炎は渦を巻きながら瞭に向かって飛んだ。

 ギギアハウが炎を吐くと同時に大巌坊は立ち上がると、錫杖を槍のように投げ、ザアッと飛び上がると錫杖の上に二本足で立った。炎の渦を掠めるようにして、大巌坊が瞭に迫る。

 瞭は左手を上げかけて、ここは鏡面世界であることに気付いて、慌てて右手を上げた。

 ・・・おっと、逆だった・・・

 瞭の右掌の王冠のような形をした傷痕から、念動波が目に見えない雷光のようにほとばしった。念動波は光球に姿を変え、一瞬後には膨張して直径五メートルもある巨大な火球に変化すると、ギギアハウが吐いた炎の渦目掛けて飛んだ。

 炎の渦と火球が空中で絡み合うようにしてぶつかった。ふたつの力は均衡していて、ぶつかった場所から動かず、火球は空中でゆっくりと自転している。ふた呼吸ほどすると力尽きたかのように炎の渦の勢いが弱まり、炎の渦はすべて火球に吸い込まれて消えた。

 ギギアハウからの先制攻撃をしのいだ、次はこっちの番だ。そう思った瞭が一瞬気を緩めた。

『瞭! 前! 大巌坊がくる!』

 早苗のぶん殴るような思念波が瞭の脳髄を揺さぶった。

 それと同時に火球がボコリと歪み、火球の中心を貫いて大巌坊が飛び出した。大巌坊は飛び出した勢いそのままに、両腕を広げて瞭に掴みかかった。大巌坊の身体は炎を上げて燃えている。大巌坊は瞭を両腕に抱いて、パイロキネシスにより、瞭を道連れにして自らも焼け死ぬつもりだ。

 早苗の思念波の警告が瞭を救った。身体を投げ出すようにして、瞭は咄嗟に空中で身体を捩った。大巌坊が精一杯に伸ばした左手の指先が瞭の左肩に微かに触れたが、大巌坊は瞭の身体を掴むことができず、瞭の横を飛び去った。瞭はすれ違いざま、反射的に右掌を大巌坊に向けて念動波を放った。瞭の念動波は無数の硬質の光の矢と変わり、流星雨のように大巌坊の背中に降り注いだ。大巌坊は防御することも避けることもできなかった。

 硬質の光の矢を背中に受けてハリネズミのようになった大巌坊は、自らの炎に焼かれて身悶えながら、失速して地面に向かって落ちていった。

 瞭は大巌坊の背中にチラリと目をやってから、ピラミッドの頂上部に目を向けた。

 ギギアハウは神殿の前に立ち、落ち込んだ眼窩の底から炯炯と光る赤い目で瞭を見ていた。ギギアハウは胸まで垂れた髭に覆われた口の口角を上げると、ハハアと笑った。かかってこいという意味だ。ギギアハウは、捨て身の攻撃に失敗した大巌坊のことなど、もはや見ていない。

 中心部分にくり抜かれたような穴が空いている火球が、まだ空中でユラユラと揺れていた。瞭は火球に右掌を向けた。火球はスッと収斂すると、テニスボールほどの大きさの光球に変わり、吸い寄せられるように瞭の右掌に戻った。

 ・・・いくぞ!・・・

 瞭はギギアハウに向かって猛然と空中を飛翔した。迎え撃つように、ギギアハウも宙に浮かび、瞭に向かって疾風のように飛翔した。瞭とギギアハウの間の距離があっという間に縮まった。

 瞭の右掌の中の光球がスラリと伸びて、両端が尖った二メートルほどの光の槍に変わった。

 ギギアハウは口をすぼめてフウウと細長い炎を吐き出すと、炎の端を左掌に巻き付けた。ギギアハウが持っているのは炎の鞭だ。

 瞭が光の槍を突き出すより早く、ギギアハウが炎の鞭を振るった。一瞬撓んで弧を描いた炎の鞭は、空気を切り裂いて毒蛇のように瞭に襲い掛かった。鞭の先端が音速を超えて瞭に向かって伸びる。鞭の先端の動きは速すぎて、人間の目では捉えることができない。

 しかし、瞭は鞭の先端の動きをハッキリと認識していた。

 ・・・うん? 時間の流れが遅くなっている・・・見える、鞭の先端の動きが見えるぞ・・・

 瞭を取り巻く全てのものが・・・瞭も含めて・・・スローモーションのようにゆっくりと動いている。瞭が危機回避行動をとるために発現した、モラトリアム状態の一歩手前の状態である。鞭の先端がゆっくりと瞭に向かって伸びる。粘りつくようにゆっくりとしか動かない身体をもどかし気に捻って、瞭は鞭の先端を何とかかわした。

 途端に時間の流れが元に戻った。

 炎の鞭の先端が、ビリリと空気を切り裂きながら瞭の身体を掠めると、一瞬で離れていった。

 炎の鞭の攻撃をかわした瞭を見て、さすがのギギアハウも驚いた眼をした。それでも、ギギアハウは胸まで垂れた髭に覆われた口の口角を上げるとハハアと笑い、次の攻撃のために無造作に鞭を振り上げた。

 それはギギアハウが見せた不用意な隙だった。

 ・・・いまだ!・・・

 無防備に空いたギギアハウの胸に向かって、瞭は光の槍を渾身の力で投げつけた。

 光の槍は流星のように後方に残像を残しながら宙を飛び、ギギアハウの胸の真ん中を貫いた。光の槍に串刺しにされたギギアハウは、驚いたような顔をして胸を貫いている光の槍を見ると、引き抜こうとするかのように右手で光の槍を掴んだ。途端に光の槍はグニャリと融けて炎に変わり、ギギアハウの上半身が紅蓮の炎に包まれた。

 ・・・やった、勝った・・・止めを刺してやる・・・

 瞭は右手をギギアハウに向けたまま、ギギアハウに近づいた。

 ギギアハウは炎の中でハハアと笑っていた。こんな炎など痛くも痒くもないとでも言いたげだ。ギギアハウは口をすぼめると、スウウと息を吸った。ギギアハウの上半身を覆っていた炎が、息と共にギギアハウの胸の中に吸い込まれた。ギギアハウの胸に残されていた光の槍が貫いた傷が、見る見るうちに消えていく。

 ・・・そんなバカな! 僕の攻撃が効かないなんて・・・

 目の前のあり得ない状況に瞭は愕然とした。

 ギギアハウは目の前の瞭に向かって、たったいま吸い込んだ炎をゴウッと吐き出した。炎は一瞬で光の槍に変わった。瞭が投じた光の槍が、今度は瞭に向かって投じられた。

 至近距離から投じられた光の槍を、瞭は咄嗟に上方に飛び上がってかわした。瞭のスニーカーのすぐ下を、光の槍が後方に残像を残しながら飛び去っていく。

 ・・・ウッ!・・・

 光の槍をかわしたと思った瞭は、右足首に焼けるような痛みを感じた。それと同時に、瞭の身体は足首を掴まれて投げ飛ばされたように上空に跳ね上がった。

 ギギアハウが炎を吐くと同時に振るった炎の鞭が、瞭の右足首に絡み付いていた。瞭は身体の自由を失い、ギギアハウの炎の鞭によって振り回されていた。

 上空に跳ね上がった瞭の身体は、今度は恐ろしい力で地面に叩きつけられた。

 ドオオンという衝撃と共に瞭の身体が地面にめり込んだ。地面に直径四メートル、深さ一メートルのお椀のような穴が空いている。瞭のサイコキネシスによる防御バリアによるものだ。

 穴の底でぐったりと横たわっていた瞭の身体が、再び上空に跳ね上がった。炎の鞭は瞭の右足首に絡み付いたままだ。瞭の身体は再び地面に叩きつけられた。

 それは三度、四度と繰り返された。 

 防御バリアにより、瞭は何とか致命傷を免れているが、そのために念動波を酷使することで、瞭の前頭葉のネオニューロンは悲鳴を上げていた。更に、右足首に絡み付いている炎の鞭が発する熱と痛みは、まるでそこから毒薬が注入されているかのように瞭の身体を蝕んでいた。既に右足の感覚はなく、身体は燃えるように熱かった。瞭の意識は薄れ始めていた。

 ・・・この次、地面に叩きつけられたら、防御バリアはもたないかも知れない・・・

 瞭の身体が再び上空に跳ね上がった。瞭の意識がスウッと薄れた。


 炎に包まれた大巌坊が地面に向かって落下する姿が脳内に映ると、祥吾は待避所を飛び出した。

『祥吾! 戻ってきなさい!』

 早苗の声が祥吾の脳内に響いた。

『早苗さん、親父を放ってはおけないよ!』

 祥吾の意識は落ちてくる大巌坊にひたと向けられている。成田がサブマシンガンを片手に祥吾の後を追った。

『成田、無理をするなよ!』

『羽賀さん、了解』

 成田は走りながらチラリと羽賀に意識を向けると、任せてくれとばかりに羽賀にサムズアップのサインを送った。

 意識を失っているのか、大巌坊は頭を下に向けた状態で、真っ逆さまに地面に向かって落ちている。験力を失ったのか、身体を覆っていた炎が消えている。背中に刺さった光の矢は、体内に矢尻を残したままボロボロと灰のように崩れた。

 祥吾が両手を上げた。大巌坊の周囲に防御バリアを張ろうとしているのだが、自分の身体を守る防御バリアとは勝手が違って、未熟な祥吾にはうまく操れない。祥吾の頭の中は焦燥感でジリジリと焼けている。ムウッと祥吾が唸ると、大巌坊の下に薄い光の膜が広がった。

 祥吾がほっとしたのも束の間、高速で落下する大巌坊の身体は、祥吾がやっとの思いで張った薄い防御バリアを貫いた。大巌坊の落下は止まらないが、それでも、防御バリアのおかげで落下の速度は少し遅くなった。

 大巌坊が祥吾の五メートル先に落ちてきた。

 ・・・ダメだ、間に合わない・・・

 諦めきれずに必死で走る祥吾の横を黒い影が走り抜けた。成田は祥吾を追い抜くと、大巌坊の下に滑り込んだ。

 ドオオッ 成田と大巌坊の身体が交錯した。

 成田は、地面に激突する直前に大巌坊の身体を抱き止めていた。落下速度が遅くなったことと、大巌坊が小柄で痩身だったことが幸いした。

『フウウ、我ながらナイスキャッチだ。これのカタがついたら、野球選手に鞍替えするかな。超能力はないが足には自信があるんだ』

 ひとりごちた成田のすぐ横に、遅れて落ちてきた錫杖がドスリと地面に突き刺ささった。成田は思わずヒッと悲鳴を上げた。あと三十センチ横にずれていたら、成田の胸を貫いていただろう。ジャラリと音を響かせた錫杖を、成田は気味悪げに見ている。

『親父! ああ、成田さん、ありがとう』

 成田は祥吾に向かってニヤリと笑い返した。成田が大巌坊を地面の上に横たえると、祥吾は大巌坊の胸を揺すった。

『親父、親父、しっかりしろよ、親父・・・ああ、こんなに焼け爛れちまって・・・親父!』

 ヒュウウと喘鳴のように胸が鳴って大巌坊が息を吸った。大巌坊は静かに目を開けると、祥吾を見た。血のように赤かった大巌坊の両目に瞳が戻っている。

『祥吾、お前が助けてくれたのか』

 大巌坊の発する思念波は穏やかだ。

『僕じゃないよ、成田さんだよ。成田さんが親父を受け止めてくれたんだ』

 祥吾の肩越しに覗き込んでいる成田の顔を見て、大巌坊は目礼をした。そして、思い出したかのようにゴホリと咳き込んで、拳ほどの大きさの血の塊を吐き出した。

『親父!』

 大巌坊は掌で口元の血を拭うと、クックックッと笑った。

『熊野の修験者がこの有様とは情けない。いや、これもすべて己の未熟によるものだ。自業自得、報いを受けるときがきたようだ』

 親父は助かるまい、祥吾の顔には諦めの色が浮かんでいる。

『親父、でも僕は嬉しいよ。最後に、元の親父に戻ってくれて。狂気に囚われたままじゃあやり切れないもの・・・』

『祥吾、儂は元に戻ることなどできないのだ。ギギアハウ様に心臓を捧げている以上、儂は狂気に囚われたまま死ぬしかない。それは仕方のないことだ。だが、最後にやるべきことがある。お前をこの鏡面世界から外の世界へ・・・』

 ドオオンという衝撃が大巌坊の思念波を断ち切った。ギギアハウの操る炎の鞭によって瞭が地面に叩きつけられた衝撃だ。瞭は二度、三度と繰り返し地面に叩きつけられている。

『ああ、瞭! どうしちゃったんだよぅ・・・』

 祥吾は愕然とした。このままじゃ、瞭が殺される。僕が助けなきゃ・・・そう思った祥吾の脳内が一瞬で沸騰した。

 ・・・親父、瞭を助けるのに力を貸してくれ・・・

 祥吾の思いと同時に、地面に突き刺さっていた錫杖が、ジャラリと音を響かせて宙に浮き上がった。

 祥吾の背後に立っていた成田は、炎の鞭に捕まって地面に叩きつけられている瞭の姿を見ると、サブマシンガンを構えて走り出した。そして、ギギアハウの真下で地面に片膝を突くと、成田は上空のギギアハウに向かってサブマシンガンの引き金を引いた。

 タン タン タン タン セミオートモードで銃弾が発射された。

 H&KMP5サブマシンガンの有効射程距離は二百メートルだが、百メートル以内の近距離なら狙撃銃並みの命中精度を誇る。高性能炸薬弾がギギアハウの身体に正確に撃ち込まれた。 

 ギギアハウに命中した高性能炸薬弾は、柔らかなギギアハウの身体を貫通した後、身体の外で爆発した。ボンボンと拳ほどの大きさの爆炎が上がる。元々カンヘルの重装甲への対策用に試作された高性能炸薬弾のため、炸薬を爆発させる遅発信管の反応が遅すぎるのだ。

 ギギアハウは地上から銃撃している成田の姿を認めると、胸まで垂れた髭に覆われた口の口角を上げてハハアと笑った。炸薬弾に貫かれたはずのギギアハウの身体には、出血どころか弾痕すら残っていない。

 ギギアハウは地上の成田に向かって、ゴウッと炎を吐いた。炎は投網のように成田の頭上に広がった。炎の塊が溶岩のようにドロリと成田の上に流れ落ちる。

『ウアアア・・・』

 頭上に広がる炎を見た成田の身体が死を意識して硬直した。思うように動けない成田は、頭を抱えて地面にうずくまった。背中に感じる熱で、炎が頭上に迫っているのが分かった。

『成田さん! 掴まって!』

 半ば覚悟を決めていた成田の脳内に祥吾の声が響いた。成田がハッと顔を上げると、頭上に広がる炎を掻い潜るようにして、錫杖の上に二本足で立った大巌坊が地上二メートルの所を成田に向かって飛翔していた。錫杖には祥吾が両手でぶら下がっている。成田は目の前に迫った祥吾の腰に跳びついた。成田の軍靴の先がズルズルと地面を擦っている。

 そのままの体勢で三十メートルほど引きずられた成田は、ドサリと地面に落ちた。ゴロゴロと地面の上を転がり、ようやく顔を上げると、上空からドロリと流れ落ちてきた炎よって、一面は炎の海に変わっていた。炎の縁から成田がいる場所までは十メートルもなかった。

 ・・・助かった・・・

 成田は額の汗を拭うと、上空に意識を向けた。錫杖の上に二本足で立った大巌坊と錫杖にぶら下がった祥吾が、ギギアハウに向かって猛然と飛翔していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ