第75話 エピローグ2 取り戻した日常
雄斗とイオネラが発見されたのは、それから数分後のことだった。
ミナミナの親衛隊がスーツ男たちの手を抜け、ミヤワキ教授の向かった丘の上へ着くと、そこには三人の男と教授が土の上に転がっている光景があった。
続けて彼らはその先にある木の洞に人影を見つけた。のぞきこむと、そこに身を寄せ合いながら倒れているイオネラと雄斗を発見したのだった。
彼らは急いで二人を病院に運ぼうと、洞から担ぎだし丘を下りた。
だがそこへ追いついてきたミナミナが、彼らに別の道を指示した。
「事務所の車に乗せて! プロデューサーが運んでいってくれるから!」
じつは小詩が機転を利かせ、ツグミ経由でミナミナの連絡先を聞き出し、電話をかけていた。
そしてイオネラと雄斗を救急車に乗せるのではなく、月森先生が指定した病院へ運ぶよう伝えたのだった。
『イオネラの体は人造人体だから、普通の病院じゃ処置の仕方が分からないって……。それに雄斗に輸血するための血液も月森先生のところにあるし。だから先生が指定する病院へ運んでほしいんだ』
小詩の話にミナミナは納得し、プロデューサーにお願いして雄斗とイオネラを指定の総合病院へ移送してもらったのだった。
一方、ふるえ止め(ウイスキー)を飲んだ月森先生は当然車を運転することができないため、近くに住んでいる知り合いの学者を「いまから三分以内に椥辻学園まで来い!」と無理やり電話で呼び出した。
その可哀想な人が乗ってきた車に月森先生は小詩とともに乗り込み、「織里病院まで行け! 全速力でかっとばせ! 制限速度なんてぬるいこと言ってんじゃねえぞ。ネズミ取りなんて時速200kmでぶっとばしゃパクられねえから心配すんな!」と豹変したままのテンションで命じたのだった。
月森先生の知り合いというその女性学者の決死の努力もあって、カーナビに表示された予定到着時刻の半分の時間で病院に着いた彼らは、すでに運ばれていた雄斗とイオネラのところへ向かい、すぐさま適切な処置を施すことができたのだった。
その日の夜、雄斗は病院で目を覚ました。
傍らには駆けつけたツグミと小詩がいて、雄斗の様子にすぐ気がつくと、心配して声をかけた。
だがその時点ですでに雄斗の精神は、イオネラのものになっていた。
感覚を確かめるように手を閉じたり開いたりし、自分の体をひととおり確かめてから、イオネラは感慨深そうにうなずいた。
「うむ。魂の転移には成功したようじゃな。わらわは大丈夫じゃ。――おぬしらにも迷惑をかけてすまなかった」
しみじみとイオネラの口調で語る雄斗に、事情を知らないツグミと小詩は目が点になった。
それから驚きと衝撃で彼らの間ではひと騒動あったものの、月森先生が部屋に入ってきたことによって「イオネラが雄斗の体に魂を移した」ということが二人にもようやく理解できたのだった。
それから徐々に体調が回復した雄斗=イオネラは、病院を退院することができ、今に至るというわけだった。
「――じゃあ、いまの雄斗君は、中身がイオちゃんなんだ。要するに、バイオロイドのときと同じなんだね」
ミナミナの言葉に、ツグミはうなずいた。
「そう。だから、姉さまは一時的にお兄ちゃんの体を間借りしていることになるの」
「でも、雄斗君は? イオちゃんが魂を移したことで、雄斗君の魂はどこにいっちゃったの?」
「案ずるでない。ユウトの心はここにある」
話す雄斗の体のイオネラは、右手を胸に置いた。
「わずかずつではあるが、ユウトの心はわらわの中で傷を癒しておる。もうほんの数日もすれば、ユウトの自我がはっきりと形作られ、わらわはまたバイオロイドの体に戻らねばならぬじゃろう」
愛しそうに、イオネラは自分の胸を見つめながら語る。
「不思議な感覚じゃ。自分の中に他人の心があるというのは……。胸のあたりがときにうずき、ときに痛む。正直なところ心地の良いものではないが、これがユウトの魂だと思うと全てが許せるのう」
これまで見たこともないほど優しい笑顔になるイオネラに、ミナミナの顔もほころんだ。
「――イオちゃん、雄斗君のことがよっぽど好きなんだね。見てるミナミナも胸がドキドキしてくるよ」
「うむ、そうじゃな。わらわはユウトのことが好き――な、何を言わせるのじゃ!」
一気に顔を赤くする雄斗=イオネラを、可笑しそうに見つめるミナミナとツグミ。
「姉さま。正直に言っていいよ。私、もうずっと前から知ってた」
「つ、ツグミまで! おぬしら、下僕としての自覚が足りぬのではないか? あまりになれなれしいぞ! もう少し主に対してのぞんざいな発言を慎め!」
「ああ、ごめんなさい姉さま。私、柊ツグミは、これからも姉さまの世界征服のために、お兄ちゃんと姉さまの幸せを実現させるべく全力を尽くします!」
「ミナミナも、イオちゃんの悪夢のような理想郷構築のために、一等下僕の雄斗君との仲がうまくいくようありとあらゆる手段を講じて全力で応援するよ!」
「おぬしら、いい加減にせい!!」
恥ずかしさに顔を赤く染めるイオネラを見て、ツグミとミナミナは楽しそうに笑った。
それは、ようやく事態が収拾に向かっているという実感を伴った、心の底からの笑み。
ここに、雄斗が加われば――
また以前と同じ日常が、戻ってくるはずだった。
以前と同じ、楽しかった日常が。
「――あっ、そういえばミナミナ、まだ大事なこと聞いてない」
感慨に浸る前に気が付いて、声を上げたミナミナ。
「イオちゃんの体は? 結局、どうしてバイオロイドはあの亜斗蘭逓州大学の手に渡っちゃったの?」
彼女の疑問に、ツグミが答えた。
「月森先生から、バイオロイドの体を三日間だけ大学に渡せば、全て丸く収まるからって言われたの。そうすれば、今後一切姉さまが大学から追われることもないし、安心して生活できるからって――ほら、ミナミナと私の撮った動画、私が月森先生に渡すって言ってたでしょ? そのときに」
「丸く収まる、ってどういうこと? 確かにあのときの動画は撮ったけど……でもあの教授が、いったん手に入れたイオちゃんの体をまたこっちに返してくれるなんてことあるの?」
懐疑的な表情で首をかしげるミナミナに、イオネラも困った表情で返した。
「うむ。それについてはわらわも詳しいことを聞かされておらぬ。ただ黙って預けてほしい、必ず返してもらうからと言われたのじゃ。まあ、月森先生がウソをつくとは思えぬし……」
「でも仮に帰ってきたとして、あのバイオロイドにイオちゃんが乗り移ったら、またイオちゃん本来の体になるのに時間がかかるんじゃ……?」
「それは問題なかろう。月森先生がバイオロイドに残ったわらわの血を抜いて保存してくれておるそうじゃから、魂を戻すと同時に血も戻せば、すぐに魔力が復活するに違いない。心配するな」
「……そう。残念」
なぜか残念がるミナミナに、イオネラがムッとする。
「なぜ残念なのじゃ。ユウトを悩ませておった吸血から、ようやくわらわが逃れられるのじゃぞ」
「そんなのダメ! だってイオちゃんの血が満タンの状態でまた元に戻ったら、もうミナミナ、イオちゃんから血を吸ってもらえないもん! ミナミナ、いまから月森先生のところに行ってイオちゃんの血を十パーセント引いてもらう! そうしたらイオちゃん、体が元に戻るやいなやすぐにミナミナを背後からはがいじめにしてうなじにむしゃぶりついてくれるに違いないからフフフッ……! ツグミちゃんだって、またイオちゃんに血を吸ってもらいたいでしょ?」
「え? あ、あの、その……まあ」
妄想に浸るミナミナから急に顔を向けられ、血を吸われた時のことを思い出したのか顔を赤らめてうつむくツグミ。
そんな二人に、イオネラは右拳をふるふると震わせた。
「おぬしら……そのようなふしだらな理由でわらわに血を吸ってもらおうなどと……ええい、二人とも下僕失格じゃ! いますぐ奴隷からやり直せ!」
「ああん、イオちゃん! そんなこと言わないでぇ! イオちゃんが血を吸ってくれなくなったら、ミナミナもう生きていけないぃ!」
イオネラ=雄斗にすがりつくミナミナ。その姿を、ツグミは思わず苦笑してスマホのカメラですばやく撮影した。
写真だけ見れば、雄斗にミナミナが抱きついているようにしかみえない。
これをあとでお兄ちゃんに見せたら、きっと驚くだろうな。
そうだ。もうすぐ――
もうすぐ、お兄ちゃんが戻ってくる。
そうしたら、また三人で楽しく生活を送れるんだ。
きっと。
わずか半年前、こんな光景が訪れることをツグミは想像していなかった。
いや、ここにいるだれもがそうだった。
ミナミナも、イオネラの中にいる雄斗も、夢にも思わなかっただろう。
イオネラという中世からよみがえった吸血貴族が現れたとたん、彼女を中心に皆が有機的に結びつき、絆を強めた。
出会うはずのない人たちが出会い、お互いが刺激を受け、未来へと前進する。
イオネラがここにい続けてくれるなら、これからもこの関係は続いていく――広がっていくだろう。
ツグミは、雄斗とイオネラ、そして彼らや自分自身と結びついた周りの人々が存在する、面白さと興奮に満ちた未来を願った。
もしかすると、物心ついたころから今まで、明るい未来を真剣に願ったのはこれが初めてかもしれないと、ツグミは思っていた。
夕陽が差し込む、薄暗い一室。
中はがらんとしていて、中央に大きなデスクがある以外には目立つもののない二十畳ほどの小さな部屋。
コンクリート張りの無機質な壁に、冷たく固い床が、ここが住宅施設ではないことを示している。
そんな余計なものを排した無味乾燥な空間に、二人の人物が対峙していた。
ひとりは、昨日バイオロイドの回収に成功したことをマスコミの前で発表した、亜斗蘭逓州大学のミヤワキ教授。
ずっと追い続けてきたバイオロイドを捜し当て、ようやく目的を達成したのに、その眼はいつもよりさらにぎらつき、怒りのためか激しく血走っていた。
そして直立した彼が凝視する先には、もう一人の人物。
デスクの向こう側で長くスレンダーな脚を組み、悠然とイスに座る女性が、そこにはいた。
金髪で切れ長の目。やや暗い赤のドレスシャツの上から白衣を羽織っている、三十代前後と思われる細身の彼女は、にらみつけてくるミヤワキ教授の視線をいなすように、口元に微笑を浮かべた。
「――いい記者会見だったわ」
彼女の言葉に、ミヤワキ教授は憤懣やるかたないといった顔つきで言葉を吐いた。
「白々しい……。これで私はお前にバイオロイドを捕られたも同然だ。この盗っ人め!」
「あら。私の研究室からバイオロイドの設計図を盗み、勝手に政府の資金をとりつけて自分の研究を始め出したのは、どこのだれだったかしら?」
彼女の指摘に、教授は言葉を詰まらせた。
額に汗を浮かべる彼へ、女性は緩めていた目をやや厳しくする。
「私はずっとあなたを罰する機会をうかがっていたのよ。外堀を徐々に埋めてね。あなたが味方につけたスポンサーをひとつずつこちらに取り込み、気づいたころにはあなたが孤立無援になるように」
女性はさらに非難するような口調で、ミヤワキ教授に告げる。
「あなたと私の出した論文の時期や内容の差を少し調べれば、あなたがバイオロイドの発案者でないことはすぐに分かるもの。そんなあなたが私の教えも許しもなくバイオロイドを製造できたのは、設計図を盗み出したからと考えるのが普通でしょ。
やっぱり大手企業は目先のリスクより物事の正当性と将来性をとるものね。証拠を見せて味方につけるのに苦労はしなかったわ。その間に、まさかバイオロイドが動き出してあなたのもとから行方をくらます、なんて奇想天外なことが起きるとは、さすがに予想していなかったけれど」
「だが、あれは私のバイオロイドだ。おおもとの設計図は確かにお前のものかもしれんが、それを現実に形にし、製造したのは私なのだ! お前にはあのバイオロイドを造ることはできん。私が第二のバイオロイドを造り、自分の正当性を確実にしてお前の奪ったバイオロイドを取り戻してやる!」
「本当にそんなことができると思っているの」
「当然だ。あのバイオロイドは私がつくった。これはまぎれもない事実だろう! バイオロイドは元来私の所有物だ。だから私の手に戻ってくるのは当たり前――」
「あら、まだ気づいていないの? あなた、あのバイオロイドを回収するとき、何度か無茶なことをしたでしょう」
そう言って彼女は、手元にあった大型のタブレット端末を操作し、ディスプレイをひっくり返して教授に見せた。
「あなた、少し強引過ぎたのよ。警察に協力してもらっていることを盾に、バイオロイドと一緒に暮らしていた兄妹の家に押し入ったでしょう」
薄暗い部屋に、タブレットの四角い画面がまばゆく光る。
何を見せるつもりなのかときょとんとする教授。目を凝らして画面を見つめる。
そこに映っていたのは、教授が雄斗の家に無理やり立ち入ろうとしたときの映像だった。
『あくまで知らないというつもりなら、家の中を調べさせてもらうまでだ。おい、中を捜せ』
『ちょっ!? やめろよ! 勝手に入るな!!』
『警察呼ぶから! 家に入ってこないで!!』
『呼べるものなら呼んでみろ。――おい、何をしている。さっさと捜索を始めるんだ!』
『ほ、ほんとに呼ぶから! 不法侵入だって!』
映っていたのは、家に入ろうとする教授らと、それを防ごうとする雄斗の姿。そしてツグミの声。
教授の顔を青ざめる。だが追い打ちをかけるように、女性は端末を取り上げてさらに操作した。
「それからもう一つ。あなた、頭に血がのぼるあまり、この男の子をむりやり突きとばしたのね」
そしてまた、ディスプレイを教授に見せる。
今度は雄斗と教授が玄関で言い合っている場面が映し出された。
『だからって……だからって、他人の家に勝手に押しかけていいことにはならねえだろ。国家プロジェクトだかなんだか知らねえけど、他所の家を無理やり荒らすとか、大人として恥ずかしくねえのかよ!』
『何だと……。つけあがるなよこのガキ! バイオロイドには、日本の科学技術の命運がかかっているのだぞ!! ――なんだその反抗的な目は! 大人をからかうのもいい加減にしろ!!』
『お兄ちゃん!』
『いてて……』
『お兄ちゃん、大丈夫!?』
『ああ、大丈夫だ。たいしたことない』
『気にくわんな、その顔。今日までバイオロイドを自宅に隠していた重罪人のくせに……。もっと痛い目に遭わせんと、その腐った根性は治らんようだ――』
教授は唇をふるわせてがく然としながらも、何とか口を開いた。
「な、なぜだ……なぜこんな映像が残っている……?」
「スマホよ。スマートフォン。いまどきの機種は安いものでもきれいな動画が撮影できるから便利ね。あの兄妹の妹の方が、ずっと撮っていたのよ。有効活用して下さいって、私の知り合い経由で、データをもらったの」
「あ……あいつが……?」
驚がくに全身から冷や汗をかく教授。
だが白衣の女性は、さらに容赦なくタブレットを操作し始めた。
「なんなら、もう一つ見る? こっちの方が世間的にはインパクトが大きいかしらね」
これも知り合い経由でもらったんだけど、と付け足しながら彼女が見せた映像に、教授は血走った目をこれまでになく大きく見開いた。




