第69話 少年は教授をからかうのがお好き
降り出してから強さを増すばかりの雨に、道を歩いていた女の子は思わずため息をついた。
城山道の駅からほど近い住宅街。
あまり人気のないアスファルトの通りを、彼女は折り畳み傘をもちながら、もう片方の手でスマートフォンをいじりつつ、とぼとぼと歩いていた。
「はぁ……。なんか私、何の役にも立ってないなぁ……」
そう頼りない声でつぶやいたのは、赤いふちどりのメガネをかけた、おとなしそうな――というよりやや暗い雰囲気の女の子。
灰色のパーカーに深緑のロングスカートと、やや地味めの服に身を包み、彼女はスマホに映った「ついったあず」の画面を羨望のまなざしで見つめていた。
「ノボルはふぉろわあ数異常だしRTするだけで活躍できるから。シルフィもさっきオタク仲間からの有力そうな情報つぶやいてたし。私だけ何もできないままただこうしてみんなの活躍を眺めてるだけなんだ。結局このまま誰の力にもなれずにいなかったと同じ扱いになるんだ。はぁ……。どうせ私はいつもこんな役回りですから。てか役にもたってないですから。クロさんごめんねいつも私役立たずで。帰ったら城戸君に慰めてもらお。そうしよ。明日城戸君の誕生日だし、部屋に城戸君の写真並べてセル画を飾ってDVD流して抱き枕も置いて、ケーキ用意して二人で食べようんきっとそうしよ……」
念仏でも唱えるようにぶつぶつと独り言をつぶやく彼女は、ツグミとともにCSOの世界を冒険していた同じパーティの仲間、ふつつかだった。
彼女は雨の降りしきる中、ついったあずでのツグミ=クローディアからの呼びかけに応じて、件の女の子――赤く長い髪に、紅色の瞳、赤黒の長いジャケットを着た――を捜していた。
だがあてもなく歩き始めて十分もすると、激しくなる一方の雨に、後悔の念がゆっくりとふくらんできたのだった。
「クロさんが『捜してる人が城山道駅で降りたかも』って知らせてきたから、私の家たまたま城山道駅の近くだし、散歩のついでに捜そうなんて思ってたけど、そう簡単に見つかるわけないよねハハ……。いいんだ。どうせ私じゃ見つけられないと思ってたから。私、人捜しへたくそですから。私に期待するなんて間違ってますから。クロさんも分かってるって。そうそう、クロさん私のことよく知ってるから……なんか悲しくなってきたしもう帰ろうかな」
自らネガティブな発言を繰り返すうち心がポッキリと折れてしまったふつつかは、一向にRTされない自分のついーとを見てさらに悲しくなり、もはやスマホを操作するのにさえ疲労を感じていた。
「雨だしもう足びしょぬれだし、もう散々。こんなことなら家の中で『Refrain☆Boys』プレイしていればよかった。栄太と宗次の恋愛度がもう80%だし、外に出てる時間があったら二人とも100%にしてラブシーンまで見られましたー、と……何やってるんですか私。バカみたいです私。ていうかいい加減帰った方がいいと思うんですけど。こんな人気の無い通りにそんな派手な格好の人いるわけ無いし」
腐女子のふつつかはボーイズラブのアプリゲームについて思い出したように語り出すと、さらに最近ハマっている深夜アニメに登場するイケメンキャラ「城戸君」に再び思考が移った。
「そうだ城戸君、なんのケーキが好きなんだろ。ショートいやマロン、やっぱり色的にはチョコレートかな。待ち受けの城戸君に訊いてみよう。城戸君城戸君城戸君城戸君。城戸君の好きなケーキはなに。チョコレート。マロンケーキ。え、シブーストがいい? 好き好き。城戸君、私も好き。うん。いまからシブースト買いに行くから。待っててね城戸君。城戸君城戸君城戸君」
もはや当初の目的だった女の子捜しから意識は離れ、ふつつかの今は二次元の世界に生きる城戸君のためにシブーストを買いに行くための外出にすり替わった。
大好きなキャラを想像し、口元をつり上げながら幸せそうな表情を浮かべるふつつか。
「この近くのケーキ屋なら駅の横にあるアンジェかな。でもあそこシブースト置いてたっけ。置いてなかったらまた明日買いに行こ。クロさんのために何かしなきゃと思ってこんな雨の中に飛び出してきたけど計画性なさすぎ。私やっぱりただのバカだし。あヤバ前から誰か来た」
ふつつかが正面から歩いてくる人に気付き、独り言を止める。
とっさに顔をうつむかせ、すでにかなり近くまで来ていた相手が通り過ぎるのを待った。
気配を消すふつつかの横を、長袖のジャケットを着た赤い髪の女の子が、傘もささないまま、ずぶ濡れの状態で歩いていく。
そのまま後ろへ彼女が去るのを確認してから、ふつつかはようやく息をはいた。
「……さっきの私の独り言、聞こえてたかな。聞こえてたら恥ずかしいな。まさかあんなに近くまで来てるなんて思わなかったし。そもそもこの道、人気ないし。気付かないし。そんなの気付かないし。城戸君のことばかり考えてましたから。だいたいいまの人、こんなに雨が降ってるのになんで傘さしてないの。ちょっと怖いんですけど。外人っぽかったけど。赤い髪で、コスプレみたいな長いジャケット着て――」
そこでようやく、ふつつかははっと顔を上げた。
振り返ると、さきほど彼女とすれ違った人が、かなり離れたT字路を右に曲がろうとするのが見える。
赤く長い髪。長袖のジャケットを着た女の子の姿が、妄想モードで現実から離れようとしていたふつつかの瞳に、はっきりと映った。
「い、いたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
現実世界へ一気に引き戻されたふつつかは、おそらく自分の人生で初めてだと思われるくらいの大声をあげた。
だが彼女の声は激しい雨音にかき消されたのか、女の子は気付く様子もなくそのまま曲がり角の先へ消えていった。
ふつつかは、なりふりかまわず駆けだしていた。
あの子が、クロさんが捜している女の子に違いない。間違いない。
そしていま、あの女の子を捕まえられるのは自分しかいない。
クロさんのお願いだからという使命感に突き動かされたふつつかは、傘をさすのも忘れひたすら走る。
さきほどまで避けていた水たまりに足を踏み込んでも、水しぶきが弾けスカートを濡らしても気にせず、ふつつかはついに曲がり角へ到達した。
そのまま右へ折れると、彼女のすぐ目の前に、女の子はいた。
「ちょ、ちょっと……ちょっと待って下さいっ!」
これまで過ごした小中高校全て帰宅部のふつつかは、短距離のダッシュで息が切れ切れになりながらも、何とか女の子の前に回りこんだ。
夏には似合わない赤と黒を基調とした厚めのジャケットに、毛先まで赤く染まった髪。
顔をうつむかせているため表情はうかがえないが、ヨーロッパ系の端正な外国人顔に見える。
だが全身に雨の滴を浴びた彼女は、服が水を吸って重々しく、生地の薄い箇所は肌に張り付いて動きにくそうだった。
長い髪はしっとりと濡れそぼり、額からあご先にかけて水滴がいくつも流れ落ちるがまま。それでいて、全く雨を気にする様子がない。
そんな女の子にただならぬ気配を感じたふつつかだったが、ここまできて声をかけないわけにもいかず、勇気を出して口を開いた。
「あのー、わ、私、ある人に頼まれてですね、あなたのことを捜してたんですが……その、ちょ、ちょっと止まっていただくわけには、いかないでしょうか……?」
ふつつかなりに丁寧な口調で話しかけるも、女の子は黙ったまま歩みを止めない。
雨で聞こえなかったのだろうか。自分の声の大きさに自信のなかったふつつかは、自分基準でいつもの二倍増しのボリュームで声を発した。
「と、止まって下さい! あなたのことを捜してる人がいるんです! だから――き、聞こえてますか? あ、もしかして外国の人だから日本語が通じないとか……す、ストップ! ユー、ストップ! ウォッチミー!」
ありあわせの英語を切り出すも、一向に止まる気配のない女の子。
何とかしないとと思い、焦るふつつか。
尊敬するクロさん――クローディアの力になりたい。少しでも。
CSOをプレイしていたときの記憶が、感情が、ふつつかの中でよみがえってきた。
ここでこの女の子を捕まえて、クロさんに会わせなければいけない。
それがいまの自分に課せられた使命なのだと、ふつつかは信じていた。
「ほんとに、止まってくれないと困るっていうか……いや、私は困らないんですけど、困る人がいるっていうか……と、とにかく私の話を聞いてください!」
そう言いつつ、ふつつかは必死のあまり、女の子の肩を両手でつかむ。
そのとたん。
女の子がなかば反射的に、ふつつかの手を右腕で払った。
びっくりする彼女の前で、女の子はようやく足を止める。
そしてうつむいたままだった面を上げ、ふつつかの姿を猫目で捉えた。
ふつつかは初めて、女の子と視線を交差させる。
人と目を合わせることが苦手なふつつかは、一瞬視線をさまよわせてから、おそるおそる女の子の瞳をのぞきこんだ。
その瞬間、ふつつかは縛りつけられるような恐怖にうち震えた。
まるで世にも恐ろしい形相をした幽霊でも見てしまったかのような、中に残虐な光景の広がる見てはいけない部屋でも垣間見てしまったかのような、そんな酷い感情にふつつかは襲われた。
雨の中でたたずむ女の子の紅い瞳には――
その紅い瞳には、相手を貪ろうとする強欲な感情と、何者をも近づけまいとする苛烈な暴力性がどす黒くうずまいていた。
「ひっ……」
女の子の暗く濁った目に、ナイーブな心を貫かれたふつつかは、腰が抜けてその場にへたり込んだ。
見知らぬ凶暴な怪物と出遭ってしまったかのような感覚。
逃げたい。だが立てない。足がいうことを聞かない。
いますぐこの場を離れないと、無理やりこの獣じみた女の子に組み敷かれ、襲われそうな――それほどの圧力をふつつかは感じた。
投げ出された傘が、アスファルトの上を転がる。
その横で、恐怖のあまり唇をふるわせながら、身動きが取れなくなったふつつか。
そんな彼女を、じっと見下ろす赤髪の女の子。
ふつつかは瞳を潤ませ、必死に後ろ手に腕を動かして後ずさろうとする。
だがそうやって女の子から距離をとろうとしても、立てない限りたいした間隔にはならない。
それでもふつつかは、恐ろしい雰囲気を放つ女の子から少しでも遠ざかろうと、後ずさる。
だが、それもつかの間。
女の子はふつつかを追おうとはせず、くるりと背を向けると、また先ほどと同じように雨の中をさっさと歩いて行ってしまった。
雨粒がメガネに落ち、視界がぼやける中で、ふつつかはぼう然とした。
一瞬の出来事。
女の子に一度にらまれただけ。ただそれだけのはずだった。
だがふつつかにとっては、九死に一生を得たのと同じくらい、生きた心地がしなかった。
クロさんの捜していた女の子が、また路地の向こうに消えていく。
その後姿を、ふつつかはもはや追いかけることもできず、ただぼう然と彼女の去った方角を眺めていた。
「……何なの、いったい……」
JTR春崎線、横州行快速電車。
揺れる車両の中でドア横の手すりに背をもたらせながら、雄斗はスマートフォンの画面に視線を注いでいた。
〈CSO仲間の人から連絡きたよ! 城山道駅の近くで姉さまを見たって! でも声をかけたらすごい目でにらまれて逆に襲われそうだったから、とても捕まえられなかったって。やっぱり姉さま、普通の精神状態じゃないみたい…〉
ツグミからのメール。
「ついったあず」に投稿された情報を、ツグミが直接ショートメールで教えてくれていた。
城山道駅近くでの目撃情報。
これで、イオネラが城山公園に向かっていることはほぼ確実だ。
雄斗はスマホを服のポケットにしまうと、開閉ドアの窓から外の景色を眺めた。
空はぶ厚い雲に覆われ、窓にはいくつもの水滴が流れる。しばらく雨はやみそうにない。
雄斗はさきほどのついーとから、イオネラのことを想った。
家の玄関にあった傘立てに、イオネラが傘を持ち出した形跡はなかった。
きっといまは、服も髪もずぶ濡れのまま、とぼとぼと道を歩いているに違いない。
想像されるその哀れな姿に、雄斗の胸は強く痛んだ。
「――待ってろよ、イオネラ。俺が絶対助けてやるから」
貧血状態にある自身の体調のことなど意識から一切消し去り、いまの雄斗にはイオネラに再び会いたいという思いだけが存在していた。
城山道駅までは、あと四十五分。
スマホでついったあずを確認すること以外、じっとしているしかないもどかしい時間を、雄斗はひた走る快速電車の車内で過ごした。
俺の体がたとえどうなったとしても――
イオネラだけは、救い出す。
心に決めた、淡く悲壮な想いととともに。
ミヤワキ教授は焦っていた。
バイオロイドを捜し始めてからすでに一時間。だが、いまだに有力な手がかりがつかめていない。
イオネラ=シェーンベルクに似た容姿の目撃情報は散発的に得られたが、いずれも「見た」という時間からかなりの時間が経過しており、近くを捜してもバイオロイドの姿は一向に見当たらなかった。
イオネラがよく行く店や行ったことのある場所について何の情報もなく、ただ数に任せて町内をあてもなく捜す方法はそろそろ限界を迎えていた。
雄斗らに自慢げに語った警察からの連絡も待ってはいるが、いまのところ音沙汰は無い。
「くそっ、手こずらせおって……。一体どこに消えたのだ!」
いらだちが募り、額に青筋を立てる教授。
雄斗らがSNSを使ってイオネラの行方に関する情報を効果的に集めていることなど知る由もなく、彼はイオネラがまだ近くにいるものと思い込み、ただやみくもに配下を走らせているだけだった。
雨脚は強く、しばらく止みそうにない。足で捜すのに条件がいいとはいえず、そのことが余計に教授の焦りを生んでいた。
と、そこへ。
教授の持つ折り畳み式の携帯電話から、定型の着信音が鳴った。
やっと捕まえたか。教授が期待して電話を開くと、画面に表示された相手の名前を見て、思わず顔をしかめた。
脱力感に襲われ、教授は全く気が進まないながら着信ボタンを押し、電話に出る。
「何だ、こんなときに!」
いきなり声を荒げる教授。
だがそれとは対照的に、電話の相手は余裕に満ちた調子で話し始める。
『何だとはずいぶんですね、教授。せっかく久しぶりに連絡をとったというのに』
「何の用事だ! いまお前と話している時間は無い!」
『冷たいなあ。いくらバイオロイド捜しに焦っていらっしゃるとはいえ、もう少し愛想よく接して頂いてもいいじゃないですか。そんな剣幕じゃ、ボクの繊細なハートが傷ついちゃいますよ』
小鳥に似た高い声で、電話口の相手が歌うように告げる。
その戯れるような口調が癇にさわったのか、ミヤワキ教授のいらだちはさらに高まった。
「お前がいつもいつも大した用事も無いのに電話をかけてくるからだろう! 与太話に付き合っていられるほど、私はヒマではないのだ!」
『お前お前って、ボクにはライネックっていう名前があるんだから。ちゃんと名前で呼んでほしいな』
口をとがらせるような、それでいてどこか会話を楽しんでいるような相手。
子供じみた声でミヤワキ教授と話すのは、亜斗蘭逓州大学に雇われ、ミナミナを陥れた交渉人の少年・ライネックだった。
教授が自分の研究の出資企業から紹介された、交渉請負人、ライネック。
初めて彼と相対したとき、教授は目を疑った。
金髪に青い目。外国人とおぼしき彼は、どう見ても中学生、いや、小学生にすら見えるくらい低い背丈と幼い容ぼうだった。
洒落た子供用ジャケットに身を包んだ小さな彼を見て、教授は居合わせた企業の関係者に怒鳴り散らした。
なんだこいつは。こんな子供に我々のバイオロイドの捜索を託すというのか。ふざけるのもたいがいにしろ。
だが相手はくすりとも笑わず、無表情のままちらと横を見た。
目を向けられた少年は、その場に不釣り合いな屈託のない笑顔で、教授に告げた。
「No problem ですよ、ミヤワキ教授。ボクはライネック。以後、お見知りおきを」
彼はミナミナに接したときと同様、相手の態度をもてあそぶように話を進めた。
『ところで教授。バイオロイドの捜索ははかどっていますか――って、その調子じゃ聞くまでもないですね』
「分かっているなら捜索の邪魔をするな。こっちはいま警察をも巻き込んで全力でバイオロイドを追跡しているのだ」
『それはすごいことですね。ボクとしても、この仕事にせっかく関わらせて頂いたので、行く末がどうなるのか、非常に興味をもっているんですよ』
「フン、興味本位とは気軽なものだな。こっちは我が研究のため、真剣にバイオロイドを捜しているのだ。お前のような日和見人間には今回の事の重大さは一生分からんだろうがな」
『ボクにだって、今回の件がこの国にどれほど影響力をもつことなのか、理解しているつもりですよ。とつぜん見知らぬ男たちに押し入られた哀れな一般市民が助けを求めて110番をかけたのに、警察がわざと回線を遮断して無視するなんてこと、法治国家らしからぬ非常事態ですからね』
「その計画に加担した以上、お前も同罪だ」
『分かっていますよ教授。でももしこんなことが一般市民にバレたら、社会問題どころの話じゃないですね』
「バイオロイドの開発は重大な国家プロジェクトなのだ。完成したバイオロイドは、日本の卓越した科学技術を世界に知らしめるための重要な試金石となるのだぞ。それをどうやってかは知らんが、子供のくせに堂々と会場から盗み、今の今まで隠し持つことの方こそ重罪ではないか。そもそも――」
『ハイハイ、その話は耳にタコができるくらい聞きましたから、もう結構ですよ。お腹いっぱいです。――ところで、実際のところ捜索はうまく進んでいるのですか? さきほどの様子から察するに、まだ大きな手がかりはつかめていないようですね』
「だったら何だ。どうせ話したところで小バカにするだけだろう。用が無いなら切るぞ」
『ああ、待ってください。ボクが何の用もなく、大変お忙しい教授のところへただヒマつぶしのために電話をかけるなんて、そんな野暮なことするはずがないじゃないですか』
「いつもお前がやっていることを他人事のように話すのはやめろ。いい加減にしないと――」
『まあまあ、落ち着いてください。あんまり怒ってばかりだと、そのうち血圧が上昇して脳内の血管が破裂してしまいますよ。それでなくとも、教授は以前から高血圧気味なのですから、もっと力を抜いていきましょう』
「怒らせているのはお前だ! これ以上話しても無駄だ。切るぞ!」
『えー、もう切っちゃうんですか? せっかく教授に有益な情報を教えてあげようと思ったのに』
「有益?」
『はい。さっきたまたまタブレットでインターネットを眺めていたら、面白いものを見かけたので、ぜひ教授にも教えてあげようと思いまして』
楽しそうに話すライネックに、教授はいぶかしげな表情をつくり警戒した。
「面白いもの。なんだそれは」
『はい。教授は、SNSはご存知ですよね?』
「……知らん」
『え、本当ですか? でもイオネラさんの情報を集めるのに、教授も使っていたはずですけど』
「そういうものは研究室の若い部下に全て任せていたからな。わしは知らん。それがどうかしたか」
『そうですか。まあ、あまり詳しく説明する時間も無いので簡潔に話しますが――そのSNSのひとつに、イオネラさんの捜索を呼びかける投稿があったんです。つい一時間ほど前に』
「何……?」
『ミナミナさんから頂いた情報をもとに調べてみると、投稿者は柊ツグミさんでした。イオネラさんをかくまっていた兄妹の、妹さんのほうですね』
それを聞き、教授はさきほどバイオロイドを回収するために訪れた柊家の光景を思い出した。
兄を押しのけ、家に入ろうとしたところで「警察に電話するから!」とスマートフォンをこれみよがしに向けてきた女の子。
あれが、ネットを使ってイオネラの捜索を行おうとしているのか。
「ふん、下らん。ネットの情報など、信用性に足らんものばかりではないか。そんなもので目撃情報を得ようなどとは、やはり浅はかな子供の考えに過ぎぬな」
『そう決めつけるものでもないですよ。現にこの一時間弱の間に、イオネラさんの目撃情報がいくつも流れています。最新の情報では、イオネラさんはどうやら電車に乗って、城山道駅で降りたようですよ。それに対しツグミさんは、イオネラさんがおそらく城山公園へ向かっている、と返信しています。
迂闊ですね。ついったあずのつぶやきを見ているのは味方ばかりとは限らないのに。まさか警察がついったあずをチェックしているわけがないとでも思っているのでしょうね』
「その情報の保証はどこにあるのだ。ネットに流れていることなど、どうせ噂レベルの使えない代物でしかないだろう。そんなものを信じて動くわけにはいかん」
『大切なのは情報そのものではなく、有益な情報を選ぶ人の眼です。ネットの情報はそれ自体の信頼性が低いのではなく、数が多く余計なものが多数含まれているから大半が信用されないだけです。信頼できるものを我々が選びさえすれば、これほど有用なものはありません』
「ならお前は、それを選び取る眼を持ち合わせているというのか」
『少なくとも教授よりは、ね。それはともかく、どうされますか? 何の手がかりもないいまの状態を続けるよりは、少しでも可能性のある情報に乗った方が、捜索する方たちのモチベーションも上がると思いますよ』
ほとんど手がかりのない現状を見透かしたかのようなライネックの言葉に、ミヤワキ教授はひどくプライドを傷つけられた。
実際、イオネラ――バイオロイドの居所は分からないまま。
このままやみくもに捜し続けても、ジリ貧になる可能性が高いことに、教授も気づき始めていた。
だがライネックの提案を簡単に認めることが癪だった教授は、電話口でいらだちをぶつけた。
「それだけ大口をたたくのなら、お前も捜索に協力しろ。城山道駅に行ってバイオロイドを見つけ、我々に引き渡すのだ。信頼性の高い情報だというのなら、当然できるだろう!」
『そうしたいのは山々なのですが、あいにくボクはいま、入院中でして』
「……何?」
意外な言葉に、ミヤワキ教授は一瞬言葉を止めた。
『ボクとしても、城山道駅へ行ってイオネラさんに直接お目にかかりたいのですが、明日まではちょっと動けそうにないのですよ』
「何だ。怪我でもしたのか」
『あれ、心配してくれるんですか? うれしいなあ。ボクとしてもあまり体験のないことなので、少し不安だったんです。でも教授のいまのお言葉で、ボクのか弱い心はいくらか救われました』
ライネックのわざとらしい感謝の言葉に、ミヤワキ教授は反吐が出る思いだった。
「減らず口が……。どうせ我々への協力を断るためのこじつけだろう」
『まさか。ボクがウソをつくような人間に見えますか。ひどいなあ教授は。――ま、入院といっても一日だけですけど、明日までは一応安静にしていないといけませんので。残念ながらこうして情報提供する以外にボクはバイオロイドの捜索を手伝えそうにありません。申し訳ありません。その代わり、捜索がうまくいくようベッドの上からお祈りしていますよ』
「ふん。勝手にしろ。バイオロイドの居所について情報をくれたことだけは感謝する」
そう言って、教授は電話を一方的に切った。
あの生意気な少年と話すと、いつも心が毛羽立たせられる。
人を喰ったような態度。年上の者に示す形だけの敬意。
見せかけの笑顔。口先だけの喜び。
ライネックという人間を象っているのは常に、演技に包み隠された虚像だった。
教授とて、いまだライネックの本当の正体を知らなかった。
外見はまるで子供。だが有名企業に裏の交渉人として雇われ、信頼は厚いという。
出自は不明。年齢も不明。どこでどういう暮らしをしているのか、まるで想像がつかない。
だが出資企業の手前、やつを使わなければいけなかった。
そのことが余計に、教授のはらわたを煮えくり返させた。
イライラした様子で教授は携帯電話を操作すると、発信ボタンを押して耳にあてた。
「私だ。捜索中の者を集めろ。これから城山道駅へ向かう。そうだ。いますぐだ」
「……全く。相変わらずせっかちな方ですね」
とある病院の個室。
清潔感のあるさっぱりとした部屋で、ライネックはスマートフォン相手に苦笑していた。
ミナミナに会った時と同様、金髪に蒼い目をした端正な顔立ちの彼は、上半身だけを起こした状態でベッドの上にいた。
教授に入院中と告げていた彼だが、特に顔色が悪いわけでも、どこか体を痛めているわけでもない。
いつもと違うところといえば、彼が好んで着る水色のドレスシャツに白のベストが、いまは入院患者用の緩い衣服に変わっているだけ。
「さて、ミナミナさんのお仲間はうまくイオネラさんの居場所を特定しつつあるようですが――どちらが先に彼女を捕まえるでしょうね。楽しみです」
独りほくそ笑んでいた彼は、思い出したように面をあげると、手にしていたスマホの電源を切り、ベッドのそばにある小さなカウンターの上へそっと置いた。
そして、病室の脇に控えていた白衣姿の女性をふり返ると、少年らしい無邪気な笑みをみせた。
「すみません、お待たせして。ではよろしくお願いします、月森先生」




