第63話 吸血貴族は下僕のくれた言葉がお好き
窓の外で、ゴロゴロと雷の音が響く。
夕方から発生した入道雲が、雄斗のいる町に近づきつつある。
本来ならオレンジ色の夕陽が窓からさしこむ時刻。
だが外はすでに日没後のように暗く、もうすぐ初夏の強い雨が降りることを予感させていた。
そんな時刻に、雄斗はベッドの上でひとり、にぎりしめたスマートフォンの画面にじっと目を凝らしていた。
ツグミのつくった朝食を食べ、昼を少し過ぎたあたりから、いくらか体の重さがとれてきた雄斗は、イオネラからスマホを返してもらっていた。
自分が輸血を受けるために少しのあいだ入院することを、両親へ伝えるために。
そのほかにもいろいろなこと――最近の暮らしのことや、学校のこと、ツグミのこと。
そして、少し変わった同居人のことを。
だが雄斗は、もうすでに何時間もスマホを手にしたまま、親に電話をかけるのをためらっていた。
それにはもちろん、話さなければならないことが数多く、内容がつまりすぎていることもあった。
前回電話をかけたのは三か月ほど前――雄斗とツグミがそれぞれの学校を進級する際に、彼らは親と話をした。
イオネラが雄斗の前に現れたのは、その少し後。
それから起きたことは、それまでの一年間にあった話題よりもあまりに数多く、多彩だった。
イオネラがむりやり家にあがりこみ、引きこもっていたツグミが元のように通学し始め、いまは三人で食事をとるようになり、だが雄斗はイオネラに毎日血を吸われて貧血状態に――。
それらを国際電話の電話口で一からかいつまんで説明するのは、もともと無口な彼からすると大変な任務に感じるのだった。
だが彼が電話をためらっているのは、ほかにも原因があった。
彼の知っている電話番号は、父親のもの。
つまり親と話すということは、海外で働く父と話すということだった。
以前ミナミナに公言していた通り、彼は父のことが苦手だった。
海外赴任が決まり、家族での引っ越しを父が提案したときに雄斗が固辞したのも、気の合わない父の下から早く離れたいという気持ちがあったからだった。
だから雄斗は、心配する母を説得してまで、ツグミとの兄妹生活を選んだのだった。
その父へ、四月からいままでに起きたできごとを、全て説明しなければならない。
イオネラが吸血鬼であることも、ツグミが一年間の引きこもり生活から抜け出したことも。
そして、自分がこれから入院することも。
雄斗は気が重かった。やはり月森先生から伝えてもらったほうがよかったかもしれないと激しい後悔がこみあげてきていた。
アドレス帳を指でたぐり、父の名前のところでとまる。
画面を押せば、電話がかかる。
そこまできて、また画面を違うところへ移す。
決心がつかず、スマホを横に置いてしばし考えてみる。
再びスマホを手に取って、アドレス帳を開き――。
その繰り返しを、彼は昼ごろからいままでずっと続けていた。
(……とりあえず詳しいことは何も言わずに、立ちくらみがひどくなったから保健室の先生のすすめで入院することになった、ってことだけ言えば)
(でもどのみちいつかは話さなくちゃいけないことなんだよな……こういうの、後にひきずるとよけい話しにくくなりそうだし)
(ってかあの親父、こっちが話さなくても根掘り葉掘り訊いてくるからな……でも吸血鬼なんて説明したって200%信じてくれねえだろうし……うーん、どうすれば……)
そのとき。
とつぜん彼の手の中にあったスマホが「ピリリリリ」という着信音とともにふるえだした。
思わず取り落としそうになるのをあわててつかみなおす雄斗。
(……もしかして、ミナミナか?)
やっと返事をくれたか。イオネラを呼びにいかねえと……。
そう思い、画面を確かめる。
だがそこに書きだされていたのは、19K入りした祝うべきアニオタ系アイドルではなく、さきほどまで彼がじっと目を凝らしてながめていた、父の名前だった。
(親父――!?)
彼のスマホ越しの視線を感じたとでもいうように、三か月ぶりの父からの着信が画面に示されている。
この絶妙すぎるタイミングの良さに、雄斗は父が二十四時間自分のことを監視しているのではないかと思い、嫌悪感をおぼえた。
観念したように彼は画面に表示された着信のボタンを指で押し、スマホを耳にあてる。
「……もしもし」
『――雄斗か』
久しぶりの父の声。
低く抑えられたその声に、雄斗は心の中でため息をつきながら、いつも彼が父の前でそうやっているように不機嫌そうな調子で答えた。
「ああ。そうだけど」
『元気か』
「……まあ、元気は元気だけど」
『そうか。ならいい』
電話が切れた。
「ちょっ? は?」
雄斗の耳に「ツー、ツー」という音声だけが響く。
スマホの画面を確かめても、やはり通話は終了していた。
雄斗はすぐさま着信履歴から電話をかけ直す。
『――――雄斗か。なんだ』
「なんだじゃねえだろ! なんでいきなり切んだよ!」
『俺が元気かと訊いて、雄斗が元気だと答えたから、用件は済んだ。それだけだが』
「だからってすぐに切ることねえだろ!」
『ほう。ならなにか俺に話したいことでもあるのか』
「いや、そういうことじゃなくて――」
『本当に何も話すことがないのなら、自分から電話をかけなおしてこない。雄斗がかけなおしてきたのは、何か俺に伝えたいことがあったからだ。違うか』
雄斗の心を見透かしたかのような鋭い考察を、まるで職場の部下を諭すかのように伝える父。
雄斗はそんな父の態度が、ずっと以前から嫌いだった。
「…………そりゃ、いくつか言いたいことは、あるにはあるけど」
『なら、さっさと言え。隠さなくていい』
父の命令口調に、雄斗の中にある感情が理性を押しのけて反発する。
「……電話じゃ話せねえから、親父がこっちに帰ってきてから話す」
つい口にしてしまう雄斗。
いますぐ話さなければならないことが山ほどあるのに、雄斗は口をつぐんでしまおうとした。
だが電話の父は、かまわず追及する。
『帰ってからじゃ遅い。いま話せ。雄斗の生活ぶりを知ることができるのはこの電話だけなんだから、隠さずに話すんだ』
「それでも……話しにくいんだよ。電話だと、いろいろと。だから帰ってきてから話す」
『だめだ、話せ』
「話せねえって言ってるだろ」
雄斗はしゃべっているうちに、電話でイオネラのことを話せずにいるのは強引な訊き方をする父のせいだとだんだん思うようになってきた。
父の話し方は、いつもこうだった。
日本でも有数の大手商社に勤める雄斗の父は、家の中でも勤務先で上司が部下に言いつけるような調子で話す。
つねに無駄がなく、物事を進めるための最短距離をとりにいく父。
だがそれゆえ、父の使う言葉にはやさしさやゆとりといった感情が含まれない。
どこか威圧的な言い方しかできない父のせいで、自分は言いたいことの半分もいえない。雄斗はいつもそう考えていた。
ただの責任転嫁でしかないのかもしれない。
だが父に対する雄斗の反抗心はどうにも強まるばかりで、とてもイオネラやツグミのことを切り出す気にはなれなかった。
そもそもこんなロボットより精密な合理主義者の親父に、どうやって「バイオロイドの吸血鬼」を信じさせるっていうんだ――?
雄斗はそう思い、何も話さないための理屈を無理やりねりあげた。
彼の強情な思いが伝わったのか、電話先の父は短くため息をついた。
「――わかった。そんなに言うんなら、いまはいい。帰ってから聞く。だがひとつだけ確かめたい。それはお前やツグミの健康にかかわることじゃないな?」
父の指摘に、雄斗は思わず息をのんだ。
今晩か明日――輸血を受けるため入院する。そのことが、彼の頭をよぎる。
だが――
「いや……ねえよ」
彼は意地を張ってそう答えた。
その言葉を聞いた父の声色が、わずかにこわばる。
『――本当だな』
「ああ。別に何もねえし。ぴんぴんしてる」
『ふん……そうか』
父は思わしげにひとつだけ息をついた。
『なら、いい。――ほかになにか聞いておくことはあるか』
「いや、ねえよ。別に」
『わかった。――そういえば今年の夏だが、こっちは八月の一週目にそっちへ帰る』
「一週目? お盆じゃねえのか?」
『ああ。ツグミの引きこもりを何とかしたいと思ってな。一度じっくり話がしたい。学校に行かなくなってからもう一年以上になるだろう。エミナも心配している』
エミナとは、雄斗の母の名だった。
母さんのことを下の名で呼ぶのはやめろと雄斗はつくづく思う。
だがそれよりも、いまはツグミのことだった。
父からふられたので、雄斗も話をしやすくなっていた。
「ツグミなんだけど……いまは引きこもりをやめて、普通に通学してる」
『――なに? 本当か?』
「ああ。もう二か月ほど前から元のクラスに通ってるよ」
『ほう……何があった?』
「何って、まあ、ツグミがどっぷりハマってたオンラインゲームをクリアして、一区切りついたから、だと思うけど」
本当はイオネラがそのタイミングであれこれ説得してくれたおかげなのだが、ウソはついてないだろうと雄斗はごまかした。
『本当にそれだけか?』
「あ、ああ。それだけだって」
『確かにツグミは、CSOの第三シーズンで誰よりも早く最終ボスを倒していたし、第四シーズンにはほとんど姿を見せていないから、どうしたのかとは思っていたが……』
「って、なんで親父、ツグミがCSOやってること知ってんだ!? それにツグミの戦績まで……」
『それくらい調べれば分かる。ツグミのキャラはクローディアという名だろう。ゲーム中では三大魔術師と呼ばれて、たいそうな活躍ぶりだったそうだな』
いったいなにをどう調べたのか、父はツグミのオンラインゲーム上での動きをしっかりチェックしていたようだった。
もしかして自分たちを二十四時間監視しているというのも、あながちない話ではないかもしれない。
雄斗はそう考えると全身が総毛立つ気分だった。
『だが、区切りがいいというだけの理由で一年以上続いていた引きこもりをやめるというのはどうも納得がいかない。雄斗、本当に何も知らないのか』
「……だから知らねえって」
『ウソだな』
「な、なんでだよ」
『いま俺の質問に答えるまでに0.8秒の間があった。ウソをついている人間は追及されてから答えるまでの間に0.5秒以上の間をあける。雄斗はいま、俺の質問を否定する前に頭の中で別のことを考えていたはずだ』
こうして人の心理をいちいちついてくるところも、雄斗が嫌いなところだった。
「……ウソだったら、どうすんだよ」
『正直に話せ。――といっても、もう期待していないが。帰ってからじっくり聞かせてもらう。いいな』
「ああ……」
うんざりする気持ちが胸の中にどうしようもなく広がるのを感じながら、雄斗は力なく答えた。
それを聞いてか、父が声の調子を少しだけ緩めた。
『雄斗。二人暮らしを始める前に、俺がお前と約束したことを覚えているか』
「約束? ……ああ。覚えてる」
『言ってみろ』
「…………『やると自分が決めたことは全て自分が責任をもつ』」
『そうだ。どういう意味か、分かるな』
「妹と二人きりで暮らすから、何もかも親が面倒をみてやることはできない。自分が家主として責任をもって行動すること、ってとこ」
『それだけじゃない。妹と二人で暮らしていて何か問題が起きたら、いちいち親と連絡をとるんじゃなく、まず自分で解決すること。そしてやるからには、全部自分が責任をもってあたること、だ。それができなければ、二人暮らしは認めない」
「言われなくたってやってるよ。自分で責任もって」
『ならいま雄斗がウソをついていることも、お前の責任でやっているということでいいな?』
「……ああ」
『そうか。ならいい。――切るぞ』
「あ」
電話が切れた。
いつも父は唐突に電話を切る。慌ただしいことこの上ない。
「用事があるならまたかけてこい」とでも考えているに違いない。
雄斗はそう確信していた。
結局、ツグミのことしか話せなかった。
しかもかんじんのイオネラの存在は、全く知らせないまま。
せめて明日入院することくらいは伝えたほうがよかったか……。
いや。入院するといってもたった一日、それも輸血するだけのことだ。
親が帰ってくるころには、何事もなく過ごせているだろう。
自分でそう決めたんだから――それでいい。
彼はそう自分に言い聞かせた。
「ユウト――起きておるか」
そのとき、扉の向こうからイオネラの声が聞こえた。
雄斗が答えると、彼女はそっと扉を開け、部屋に入ってくる。
「――体は大丈夫か、ユウト」
「ああ。問題ねえよ。頭痛もおさまったし」
「そのわりにはなんだか顔がけわしいぞ。どこか痛むのか?」
さっきまで父と会話をしていたときのイライラがまだ残っていたのかと思い、雄斗はドキリとした。
あわててごまかし笑いをする雄斗。
「いや、大丈夫……どこも痛くねえし」
「そうか。それならよいが……」
「あ、そういやずっとイオネラのベッド借りっぱなしだな。ごめん」
「気にするでない。わらわはユウトのベッドを使うから心配せんでもよい」
「そうか。――何か用事だったか、イオネラ」
「あ、うむ。ユウトのスマホを今晩また借りておってもよいか?」
「スマホ? ああ、いいよ。またミナミナに電話するのか」
「そうじゃ、な。何としても連絡をとらねばならぬ」
そう言って雄斗からスマホを受け取ったイオネラの目つきには、どこか力がこもっていた。
それは怒りではなく、何かに真剣になっている心持ちをうかがわせる目つきだった。
「――どうかしたのか、イオネラ。目が恐いぞ」
「む? い、いや、なんでもないぞ。スマホの字がちょっと読みづらかっただけじゃ」
「イオネラ、日本語読めねえだろ」
「あ……ゴ、ゴホン。なにをいう。わらわも最近は少しずつパソコンやスマホの機能について、ツグミからレクチャーを受けておるのじゃ。『メール』や『アドレス帳』、『キーワード検索』『音声入力』など、スマホでよく使う単語くらいなら一通りわかるぞ」
「そうか……イオネラもちゃんと日本語を覚えようとしてるんだな」
「失敬な。それが主に対するものの言い方か。――ともかく、スマホ借りてゆくぞ」
「ああ、どうぞ」
イオネラはスマホをスリープ状態にして、そのまま部屋を出ようとする。
と、そこで彼女はふり返った。
「――ユウト」
「……ん?」
空模様をながめようと外へ視線を移していた雄斗は、イオネラが呼ぶ声に気がついて再び顔を向けた。
扉の前にいるイオネラは口元に笑みを浮かべながら、なぜか愁いを帯びた瞳で雄斗のことをみつめた。
「ユウト……昨日、おぬしがわらわに言ってくれたこと、いまでもはっきりと心に残っておるぞ」
「昨日……?」
雄斗が思い出そうとするより先に、イオネラの口が動いた。
「『イオネラは独りじゃない。俺がいっしょにいるから』と。わらわの孤独をやわらげてくれようとするおぬしの気持ちが、わらわにはうれしかった。おぬしが贈ってくれた言葉を、わらわは決して忘れぬ」
いつもは表に出すことのない、触れただけで壊れてしまいそうな可憐な笑顔を、イオネラは雄斗に見せた。
その笑顔には、いくつもの複雑な感情がうずまいているように、雄斗には見えた。
それが何を意味するものなのか、雄斗には推し量ることができなかった。
ただ彼女の発したひたむきな言葉を信じて、うなずいてみせるだけ。
「俺も、いままで言えずにごめん。もっと早くイオネラに伝えたらよかったな」
「わらわの方こそすまぬ。いままで迷惑ばかりかけた」
「んなことねえって。――もし俺の体調が元通りになって、親にも同居を認めてもらったら、今度またあの緑地公園に行こう。今度はイオネラにでもできそうな遊び道具を持っていって、な」
「……そうじゃな。本当にそれは、楽しそうじゃ」
イオネラはどこか遠くを見つめるような目つきで、うれしそうに微笑む。
その紅い瞳に映っていたのは、雄斗の描いたものと同じ、希望に満ちた未来だっただろうか。
あるいは、全く別の地平だっただろうか。
しばらく感慨に浸るようにその場にたたずんでいたイオネラは、少しだけ視線を落とし、小さくため息をついた。
そして扉の取手を回し、開いたところで――
イオネラは再び、雄斗をふり返った。
「ユウト、その……」
「ん?」
自然に応答する雄斗。
イオネラはやや言いづらそうに口をもごもごとさせてから、それをかき消すように首を横にふった。
「――いや、なんでもない」
そう言ってフッと笑みを見せると、イオネラはひとことだけ告げた。
「では、な」
そのまま部屋を出ていくイオネラの瞳が、少しだけうるんでいるように雄斗にはみえた。
彼女の残像を確かめようとするかのように、閉じられた扉をしばらく見つめる雄斗。
最後に見せた彼女のはかない笑顔が、なぜか雄斗の目に焼きついていた。
(イオネラ……少し様子が変だな)
雄斗は胸騒ぎを感じつつも、親が帰ってきてからイオネラのことをどう話すかについて思考が移ってからは、彼女の哀しそうな瞳の意味を考えることはなくなってしまった。
外はまだ夕方の時間だというのに、厚い雲のせいで夜のように暗い。
窓には水滴がつきはじめ、これから夜半にかけての雨の始まりを告げていた。




