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第62話 吸血貴族は目を覚ました下僕がお好き


「――もう限界ですね」


 イオネラの部屋。

 朝日の差し込む広いベッドの上に、雄斗は横たわっていた。

 数日前、ミナミナの血を吸って倒れたイオネラがそうだったように、いまは雄斗がイオネラの部屋に運ばれ、ベッドに寝かされている。

 ひどい頭痛がした。

 体がだるく、上体を起き上がらせるのにさえ結構な気力を要する。

 意識ははっきりしているものの、いつものように体を動かすことができない彼は、あきらかにひどい貧血状態にあった。


 ベッドの横には月森先生がいた。

 昨日の夜、雄斗がソファから立ち上がろうとして倒れた後、ツグミがすぐに月森先生に連絡をとり、家に来てもらっていた。

 一階のイオネラの部屋にひとまず寝かされた雄斗を、月森先生は一晩中看病した。

 そして今朝になってようやく、雄斗が目が覚ましたのだった。


 部屋には先生のほか、心配そうな顔をしてたたずむイオネラとツグミの姿があった。

 二人ともリビングからもってきたイスに座り、上体だけを起こした雄斗の姿をじっとみつめている。

 特にイオネラは罪悪感にさいなまれてか、ずっと暗い表情で顔をうつむかせていた。


「い……いまの柊さんの血液は、生命を維持するだけで精一杯の量しかないでしょう。これ以上血を失うことは、命の危険につながります。す、すぐに輸血するべきです」


 月森先生の重い言葉を、部屋にいた三人は沈痛な面持ちで聞いていた。

 おもむろに、雄斗が口を開く。


「でも、俺が輸血を受けたら、イオネラはもう俺の血を吸えなくなる。もしまたイオネラが血を吸いたくなったら――」


「イオネラさん、どうですか? 体に何か変化はありませんか……?」


 顔つきをうかがう月森先生に、イオネラは気がついたようにおもてをあげると、あわてて笑顔をつくる。


「え? あ……も、もちろん、わらわの体にはもう血がみなぎっておるぞ。完全に力を取り戻したような感覚があるからのう。もうユウトの血の世話にはならずとも大丈夫じゃろう」


「ほんとか? 何かすげーとってつけたような反応なんだけど……」


「何をいう。わらわの体のことはわらわが一番わかっておる。魔力も徐々に回復しつつあるようじゃから、しばらくすればユウトをコウモリに変えることも容易となるじゃろう。フハハハハ!」


 ようやくいつもの高慢な態度を取り戻すイオネラに、雄斗はややほっとした。


「それは勘弁してくれ――って、ほんとにいいのか、イオネラ」


「うむ。ユウトは何も心配せず、輸血とやらを受けるがよい。世界征服を始めようとするいま、筆頭下僕であるおぬしに倒れられるわけにはいかぬからのう」


「筆頭下僕ってどんな身分だよ……。まあ、イオネラがそう言うなら」


 雄斗の言葉に、月森先生はひかえめにうなずいた。


「い、一応、柊さんの血の成分に近い血液を選んで輸血します。といってもおそらく気休め程度ですが……。本当は成分が完全に一致するものがよいのですが、どうしても見つからなくて……ち、力及ばず、もうしわけないです」


「そんな……先生がいてくれたおかげで、ここまで頑張れたんです。先生には感謝してます。俺の方こそ、迷惑ばかりかけてすみません」


 雄斗がベッドの上で頭を下げる。

 その姿に、月森先生は困った笑顔をみせた。


「……いまから病院に連絡します。遅くとも明日中には入院できるところが見つかると思いますので、それまでは絶対安静にしていてください」


 先生の言葉に、三人ともうなずいた。


「で、では、私はこれから入院の手続きと血液の準備をしてきますね。そ、それから……一応、柊さんのご両親にも、連絡をとります」


「えっ……あ、そうか。そうですね」


 親のことがすっかり意識の外にあった雄斗は、こめかみのあたりを人差し指でかきながら思い出したように答えた。


「あの……親には俺から連絡します。他にもいろいろ話したいことがあるし」


「そうですか? で、ではわかりました。そのあとでわ、私にも連絡をください」


 月森先生はそれだけ言うと、二、三言葉を交わしてから部屋を出ていった。

 あとには、雄斗とイオネラ、ツグミの三人。

 しばらく重苦しい無言の時間が流れる。

 最初に沈黙を破ったのは、ツグミだった。


「……お兄ちゃん、大丈夫?」


 不安そうな口調に、雄斗は頭痛がするのを我慢してなんとか口元をつり上げた。


「ああ。まだ体がだるいけど、それ以外はなんともない」


「ごめんなさい……姉さまに血を吸われたばかりだって知ってたら、あんなに大声あげたりしなかったのに……」


「ツグミが謝る必要ねえよ。俺が油断してただけだって。立ちくらみで倒れそうになったことなんて今まで何度もあったのに、急に立とうとした俺が悪いんだ」


「お兄ちゃん……」


 雄斗のおだやかな様子に、ツグミはようやく胸をなでおろしたようだった。

 それからツグミは、朝食をもってくるからと、パタパタと部屋を出ていった。


 後に残ったのは、イオネラだけになった。

 彼女はイスの上でうなだれつつ、言葉をこぼした。


「ユウト。わらわのせいで、こんな……」


「謝らなくていいよ。大丈夫だって。ちょっと立ちくらみしたくらいでおおげさだっつーの」


「わ、わらわは本気で心配したのじゃぞ! わらわが血を吸ってから、急にユウトが倒れて、それから気を失って、何度名前を呼んでも起きなかったから、おぬしが死んでしまったのかと――」


 一気にまくしたてるイオネラ。

 その紅い瞳には、雄斗に対する不安と怒り、そして安堵から、うっすら光るものがにじんでいた。


「イオネラ……」


「それをなんじゃ、起きたとたんに強がりおって! もしおぬしがこのまま目を覚まさなかったらと、わらわはずっと心配しておったのに……」


 感情的になるイオネラを、雄斗はやわらかい目つきでながめた。


「ごめん、心配かけさせて……。イオネラの言うとおりだ。俺、もう少し慎重になればよかったな」


「ユウト……」


 彼の言葉に、イオネラは胸の中でこみあげてくるものを感じていた。

 昨日までなら言い合いになっていたかもしれない二人の会話。

 だがいまは、雄斗が自分に対し、やさしい気持ちでいてくれる。

 自分のことを思いやってくれる。

 そのことが、不安という名の大きな穴があいたイオネラの胸を埋めた。


「それよりイオネラ。本当に血はいいのか? 輸血されたら俺の体に他人の血が混じるから、たぶんもう俺の血は吸えねえだろ」


 雄斗の言葉に、イオネラは服の袖で目じりの涙をぬぐいとった。


「……大丈夫じゃ。血は十分足りておる。それにどのみち、おぬしの血をこれ以上吸うわけにはいかぬからな。ユウトはさっさと血を補充して、元気になるがよい」


「そうか……よかった。なら、これでイオネラは俺たちとずっと一緒にいられるな」


 雄斗のさりげない言葉に――


「そうじゃな……」


 だが、イオネラの表情はなぜかさえないままだった。


「……イオネラ? 何か心配事でもあるの――」


 そう彼が訊こうとしたとき。


「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」


 部屋の外から、ツグミの絶叫する声が聞こえてきた。

 二人はビクンと体をふるわせて驚くと、部屋の入り口の方へ顔を向ける。

 ドタドタという足音が聞こえてからほどなくして扉が勢いよく開かれると、あわてた表情のツグミが入ってきた。


「な、なんだよツグミ。急に大声出して……何かあったのか?」


 雄斗が訊くと、ツグミは二人に向かって伝えた。


「いまたまたまテレビをつけたら、ミナミナが、19Kの正式メンバーになるってニュースをやってたの!」


「ほ、本当か!?」声を上げたのはイオネラだった。「それは大変な事件じゃ!」


「19K、ってたしか、ミナミナが入りたいって言ってたアイドルグループだったっけ?」


「そうじゃ。日本を代表するトップアイドルグループじゃ! ツグミ、その情報はたしかなのかえ?」


「待ってね。いまニュース記事検索するから」


 そういうとツグミはスマホを取り出して、画面を指で操作した。


「ほら、これ!」


 ツグミがスマホを見せる。

 イオネラはそれをすぐさま受け取ると、食い入るようにスマホの小さな画面を見つめた。

 そしてひとこと、彼女は言った。


「うむ。字が読めぬ」


「なんでスマホ受け取ったんだよ……」


 雄斗がイオネラからスマホを取りあげた。


「イオネラもこれからずっと住むんなら、日本語を勉強した方が――あ、本当だ。『アニオタ系アイドルのミナミナ 19K正式メンバー入り決定』って書いてある」


「ミナミナの話では、利権が複雑に絡む19Kには、いまの事務所からでは絶対に入れないということじゃったが……いったいどうやったのじゃろう」


「ミナミナ、最近すごく人気だもんね」とツグミ。「それを19Kのプロデューサーとかが認めて、引きあげてくれたってことじゃないかな」


「そうか……それで昨日は色々とバタバタしてて返事ができなかったんじゃないか?」


 雄斗が言うのに、だがイオネラは不満そうに首を傾げた。


「それにしても、メールのひとつくらい返してくれればよいものを……昨日から雄斗のスマホでほぼ休みなく電話をかけ続けているというのに」


「休みなく? イオネラ、どれだけミナミナに電話かけてんだ?」


「百回以上じゃな」


「完全にストーカーレベルだろそれ! 俺のスマホでそういうことするのやめろって……」


 そう雄斗の言った先から、イオネラはスマホを雄斗から奪い取り、また電話をかけはじめた。

 だがやはり、ミナミナは電話にでない。


「ぬうう……ミナミナめ、もしや電話を失くしたわけではあるまいな」


「あ、姉さま鋭い! その可能性あるかも。でもそれならきっと、今日か明日くらいには連絡してきてくれるんじゃないかな」


 ツグミの発言を聞いたイオネラが、ほんの少し、まぶたを下げた。


「今日か明日、か……」


 イオネラがポツリとつぶやいた声は、雄斗とツグミの耳には入らなかった。


「――それにしても、日本一のアイドルになるっていうミナミナの夢、このままいけばほんとに叶うかもしれないな。そうなったら、イオネラの世界征服もさらに現実に近づくんじゃねえの」


 なかば笑いながら、雄斗が告げる。

 しかし、イオネラは何も言わず、スマホにじっと目を凝らしたままうつむいていた。


「……イオネラ、どうかしたか」


「えっ? あ、ああ……そうじゃな。ミナミナが19Kに入れば、世界征服も夢ではないのう」


 言葉とは裏腹なそっけないイオネラの返事に、雄斗は少しだけ違和感をおぼえた。

 だがその違和感の原因が分からず、このときの雄斗は「あまり大声を出さないようイオネラが気を配ってくれている」というくらいにしか考えなかった。


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