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第45話 吸血貴族は下僕の友人がお好き

「ど、どうしたの、二人とも」


 朝。

 バタートーストにオレンジジュースという朝食を取り囲む食卓で、ツグミはいくぶん顔を引きつらせながら、同席する二人を見まわした。

 いつもなら、朝から一方的に話しかけるイオネラと、それを適当に受け流す雄斗という風景があるはずだった。

 しかし今日は二人ともぶぜんとした表情のまま、焼けたトーストをおいしくもなさそうにもぐもぐとほおばっている。


「……なにかあったの?」


 心配して呼びかけるツグミに、二人は不機嫌そうにつぶやいた。


「「べつに」」


 偶然合わさった声に、雄斗とイオネラは一瞬だけ視線を合わせるも、すぐさまそっぽを向く。

 重苦しい雰囲気のまま、トーストを食べ終えた雄斗はすぐさま立ち上がると、そばにあったカバンをもちあげてそそくさと玄関に行ってしまう。

 それを見て、ツグミはあわててオレンジジュースを飲みほしてから、同じくカバンを手に取って玄関に走る。


 二人の不穏な空気を感じながら、ツグミは兄とともに自宅を後にした。

 その後、何を聞いても「何でもない」「知らねえよ」しか発しない兄に困りはてながら。











 その日の夕方、雄斗が保健室を訪れると、月森先生が精密検査の結果を教えてくれた。

 先生は雄斗に会うとまず、日曜日の検査で震え止め(酒)を飲んだ後の自分の振る舞いをひどく恥じ、ぺこぺこと頭を下げた。


「すすすすすすみません! わ、私、生徒の前であんなはしたない態度をとってしまって……もう二度と震え止めは飲みませんから! 本当に申し訳(近くのラックに足をぶつける)ああっ! ラックが倒れて……すみません、すぐに直しますから!」


 あいかわらずの月森先生の慌てっぷりに、どこか心の中でほっとする雄斗。

 いくらドジでアガリ症で慌てやすくて治療の段取りが致命的に悪くても、やはり月森先生は今のほうがいいなと、雄斗は思った。


 しばらくして落ち着くと、先生はあれからさらに判明した検査結果を合わせて、雄斗にイオネラの状態を説明した。

 イオネラの体は、やはりレントゲンに写っていた通り、半人間半バイオロイドの状態にある。

 どうしてそんなことになったのかは、不特定要因が多すぎて断定できない。

 イオネラの言葉を信じるなら、魔法で体が人工のものから人間の組織に変質しつつある。

 それらのことを、月森先生はディスプレイ画像や数値データを見せながら、雄斗にかみくだいて話した。


「イオネラさんが柊さんの血を吸うのは、元々イオネラさんが吸血鬼だから、というだけでなく、自分の体を人間へ変質させるために、イオネラさんの体が血液を充足させたがっているのだと私は考えています。

 イオネラさんから聞いたところ、元々の体――六百年前の吸血鬼だったときは、二十日から三十日に一度という頻度でしか血を吸わなかった、ということでした。それが、イオネラさんがいまの体に魂を乗り移らせた当初は、ほぼ毎日、柊さんの血を吸っていました。そして、イオネラさんの体にかなりの血が巡っているいまは、イオネラさんが柊さんの血を吸う頻度は三日に一度、五日に一度と、徐々に少なくなっています」


 ここでひとつの仮説がたちます、と月森先生は、机の上に開いていたネットブックに触れ、タッチパネルの画面をいくつか操作してひとつの曲線グラフを表示させた。


「横軸を時間とすると、柊さんの血が吸われるたび、イオネラさんの体内の血は増加していきます。この増加度合いは、イオネラさんの血液検査の結果から、おそらくこれくらいの増加率になります。これに、柊さんがイオネラさんから血を吸われる頻度のグラフを重ね合わせます。

 いま、イオネラさんの吸血は五日に一度程度です。これがさらに進むと、十日に一度、二十日に一度とどんどん間隔が伸びていくはずです。つまり、体内の血が増えるたび、イオネラさんは頻繁に血を吸う必要がなくなり、吸血する間隔も少しずつ伸びていく、ということになります」


「ってことは、このままいけば、イオネラは血を吸わなくても済むようになる、ってことですか?」


「そこは何とも言えません……。以前の体のイオネラさんは、二十日から三十日に一度は血を吸っていましたから。間隔が伸びてもそこまで、という可能性のほうが高いと思います。

 ただ、大事なのは、こっちの方です」


 月森先生が、紙に走り書きし、雄斗に見せる。


「……俺の、血の生成速度?」


「はい」月森先生が人差し指で太い黒縁メガネのブリッジを上げる。


「柊さんの血の生成量が、イオネラさんの吸血量を上回れば、柊さんはこれ以上貧血にならずに済みます。イオネラさんの一回の吸血量が常に一定量だと仮定すれば、血液検査の結果からみて、柊さんは二十日に一度の頻度なら血を吸われても大丈夫なはずです」


「二十日に、一度……」雄斗は思わしげに視線を下ろした。


「じゃあ、イオネラがその頻度になるには、俺はあと何回、血を吸われればいいんですか……?」


 雄斗の質問に、月森先生は複雑に絡んだ繊維の中央に一本の細くまっすぐな糸を通すように、はっきりと答えた。


「二回、でしょう」


「二回……」


 そのときはじめて、雄斗は目の前に展望が開けたような気がしていた。

 二回。

 それだけの回数、イオネラの吸血に耐えれば、ずっとイオネラに血を吸わせてやれる――。


「ですが」その希望を打ち消すように、月森先生が静かに告げた。


「ひとつだけ心配なのは……イオネラさんの吸血衝動は、五日に一回、十日に一回、ときれいに一定の間隔が空いているわけではない、ということです」


 突発的な衝動。

 月森先生の発した言葉に、雄斗は気づかされたように顔をこわばらせた。

 彼も知っているはずだった。

 イオネラは、いまは五日に一度くらいの間隔をあけて血を吸うことが多いが、あくまで多いというだけで、二日続けて血を吸うこともある、ということを。


「理論的には二回ですが、それ以上の回数、吸われる可能性が高いことを認識する必要があります。ですが、柊さんの血液の薄さはすでに限界に近い値まできています。赤血球数、ヘマトクリット、ヘモグロビンとも低下が著しく、あと一回の吸血さえ、医者の私としては正直止めたい。ですからこれ以上、イオネラさんにあなたの血を吸わせるのは危険といわざるをえません」


「あと一回も……」


 月森先生の言葉に、雄斗は再び望みを断ち切られた気分になった。


「じゃあ……じゃあ、イオネラはどうなるんですか。このまま血を吸わずにガマンするしかないんですか」


 それに、月森先生はまぶたを下げてうなだれた。


「すみません……イオネラさんが欲している血がどういうものなのか、いま知り合いの研究所にサンプルを送って調べてもらっているところです。それがわかれば、すぐに柊さんと同じ成分の血を入手できるよう、いま関係機関にかけあっているところなので……私にできることは、いまのところそれだけで……す、すみません、本当にすみません……」


 申し訳なさそうにする月森先生に、雄斗はあっと気付き、すぐに自責の念にかられた。

 先生はもうすでに十分すぎるほどの対応をしてくれている。

 自分一人ではとうてい叶わなかったことを、月森先生はこの高校の生徒でもないイオネラのためにやってくれている。それだけでも感謝すべきことなのに。


「すみません、先生。俺、イオネラが助かるにはどうすればいいか、ってことにしか頭になくて……。俺の代わりの血が見つかれば一番いいんですけど……そんなに簡単じゃないですよね」


「イオネラさんに、似た成分のサンプルをいくつか吸ってもらえればいいのですが……柊さんのお話によると、イオネラさんは柊さん以外の血を吸うと、ひどく体調が悪くなるとのことなので……」


 先生の言葉に、雄斗は改めて自分を心の中で戒めた。

 月森先生は、バイオロイドの専門家。だからといって、簡単に解決するほど単純な問題じゃない。

 そもそも、魔法とか魂とかいう非科学的なものが絡んでいる、複雑怪奇な現象なのだ。

 きっと月森先生も、イオネラの検査結果を受けて、手探りの対応を強いられているに違いない。

 その中で、最も理屈の通る方法を、先生は実践してくれている。

 なら自分も、自分にできることをするしかない。

 たとえ先生に、あと一回でも血を吸われることが危険だといわれても。


「……ありがとうございます、先生。俺、もう少し頑張ってみます」


「あの、くれぐれも無理はしないでくださいね……。も、もし血を吸われたら、しばらくは絶対安静です。連絡を頂ければ、できるだけ早く駆けつけますから」


 先生の言葉に、雄斗は消え入りそうな笑顔でうなずいた。

 席を立ち、保健室を出ようとする雄斗に、月森先生はひとつだけ言葉をかけた。


「昨日、お二人がいらしたときから思っていたんですけど――柊さんは、イオネラさんのことを、とても大切に想ってられるんですね」


 その言葉に、雄斗は思わず首を横に振った。


「まさか……違います。血が吸えなくなって目の前で暴れられても困るから、仕方なくこうしてるだけで……だいたいあいつ、いまだに俺のことを下僕下僕呼ぶし、家に勝手に上がり込んできたくせに態度がデカいっつーか……」


 ぶつくさ言う雄斗を見て、月森先生はなぜか少しだけ微笑んでいた。











「えっ? 雄斗、まだ帰ってきてないの?」


 雄斗の自宅。

 やや驚いた顔で玄関先にたたずんでいるのは、紙製の手提げ袋を持った小詩だった。

 対応しているのは、リビングにいたツグミ。

 まだ彼女が小学生のころから、兄の友人である小詩とは何度も面識があった。

 小詩の趣味が女の子っぽいこともあって、彼とは「こうたちゃん」「ツグミちゃん」と呼び合うほど仲良くしていたのだった。

 そんな小詩のひさしぶりの訪問に、ツグミは慣れた調子で受け答えた。


「うん。今日はちょっと寄るところがあるから遅くなるかも、って言ってたけど」


「えーっ? そうなんだ……昨日、おすすめの同人誌を貸しにくるからって言ってたのに……」


「もしよければ、上がって待っててもらってもいいけど」


「でも、いつ帰ってくるかわからないんだよね。あんまり長居するのも悪いし……あ、じゃあ、この同人誌、雄斗に渡しておいてもらえる――」


「なんじゃ、客人か?」


 そのとき。

 リビングの方から、別の声が聞こえてきた。

 すたすたという足音がし、直後にリビングの扉が開く。

 中から顔をのぞかせたのは、赤い髪に猫目の女の子・イオネラだった。

 彼女の姿を見たとたん、小詩は目を丸くした。


「え? あの……だ、だれ? ツグミちゃんの親戚の方?」


「ううん。うちを世界征服のための生活拠点にしてる、吸血貴族」


「???」


 ツグミのさらっと発した中二病的言葉が理解できない小詩に、今度はイオネラの方が口を開いた。


「こやつは何者じゃ、ツグミ」


「お兄ちゃんの幼なじみで同級生の、こうたちゃん」


「ほう、雄斗の友人か。わらわは吸血貴族シェーンベルク家の跡取り娘にして、トランシルヴァニア公国エミオール州の第一主権者、イオネラ・シェーンベルクなるぞ。よろしくな」


「は、はあ……よろしく、お願いします……?」


 何を言っているのかよくわからなかったが、あまりに堂々とした態度に思わず頭を下げてしまう小詩。

 その間に、彼は彼なりに全力で頭をめぐらせた。


(エミオール州――トランシルヴァニア公国――イオネラ・シェーンベルク――。吸血貴族、って聞こえたけど、まさか吸血鬼じゃないよね……きっとキューケ・ツキゾク・シェーンベルク家っていう家名なんだ……っていうことは)


「――あっ、つ、つまり、この人は『ホームステイ』っていうことだね? すごいなぁ雄斗。親がいないのに、外国人の受け入れもしてるの?」


 小詩の導き出した意外な結論に、ツグミは苦笑する。


「うん、そういうことにしておいてもいいかな。ある意味、ホームステイだし」


「ツグミよ。『ほおむすてい』とは何ぞや? わらわは『ほおむすてい』とやらに属するのか?」


「細かいことは気にしたらだめだよ姉さま。小さい人間だって思われるから」


「ふむ、それもそうじゃ。小さなことを気にしていてはふところの深い貴族にはなれぬからのう。よいことを言ったなツグミよ。ほめてつかわす」


「ありがとうございます姉さま。下僕であるツグミにはもったいないお言葉です」


 背景を知らない人間から見ればまるでセリフのやりとりかとでも思うような二人の会話に、小詩は目を白黒させた。


「え、ええと……その、二人はいったい、どういう関係なの?」


「ただの主従関係だけど。姉さまが主で、私が下僕」


「?????」


 演劇の練習か何かだろうか、と小詩が考えているところに、イオネラが口を開いた。


「ときに小詩よ。雄斗の幼なじみであるおぬしなら何か知っているかと思って聞くのじゃが」


「……え? あ、ああ、うん、なに?」


「おぬし、弓道部にいたころの雄斗について知らぬか? 中学時代のじゃ。特に、最後の大会に出たあたりのことを知っていれば、ぜひ聞きたいのじゃが」


「知ってるも何も、こうたちゃん、お兄ちゃんと同じ弓道部だよ。ずっといっしょに大会にも出てたし」


「なに? それはまことか。では話を聞かせてもらおう。時間はよいか? ならばこちらで話そう」


 そういってリビングに招くイオネラ。ツグミは「あ、じゃあ私、お茶入れるね!」とそれに続く。

 そんな二人の後姿を見ながら、小詩は思いもかけない風景を雄斗の家で見せられ、あっけにとられるばかりだった。


「ツグミちゃん……ちょっと前まで引きこもってたと思ってたのに……」


「人が変わるのは時が移り変わるより早い」というどこかの小説で読んだ言葉を、小詩はなんとなく思い出していた。


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