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第44話 吸血貴族は正直な下僕がお好き


 青く晴れ渡った空を夕日が赤く染めるころ。

 朝からの長い診察が終わり、雄斗とイオネラは、椥辻学園の研究施設を後にして家路についていた。


 いつもの通学路を、ややうつむきながら歩く雄斗。

 その横で、やはり思わしげに下を向きながら歩くイオネラ。

 並んでいる二人の影法師が、彼らの深く沈んだ思いを表すように、後ろへ長くのびる。

 そんな彼らの横を、小学生とおぼしき少年らが、楽しそうに話しながら走り過ぎていく。

 どこかの公園で遊んできた帰りだろうか。

 はしゃいでいる子供たちとは対照的に、二人はお互いの顔を見もせず、一言も発さないまま、ただ家へ帰るための道をとぼとぼと進んでいるだけだった。






 月森先生のなかば強引な診察は、だが思いのほかスムーズに進んだ。

 酒が入ったことで天才的な腕(と暴力的な性格)が覚醒した先生は、イオネラの体を調べるために必要な診察を次々とこなしていった。

 聴力検査、味覚検査などの簡易な診察から、眼底検査、心電図、頭部CTから全身のMRT。

 それに加え、室内でできる体力テストやバイオロイドとしての性質を調べる電気伝導の試験まで。

 数ある検査にイオネラはよく耐え、先生の指示に忠実に従いながら、全ての項目をこなしていった。

 それは、イオネラが自分の体の状態を知りたいと――自分の体がどうなっているのかを理解したいと、真剣に考えていたからに他ならなかった。


「この中に入れ。入ったらさっさとヘッドホンをつけろ。ピーと聞こえたら手元のボタンを押すんだぞ。0.5秒以内に押さねえと聞こえたとみなさねえからな」


「パッドを体につけるたびにいちいちわめくんじゃねえ! 子供じゃねえんだから、冷てえのくらいガマンしろ!」


「MRIとってる間、絶対に動くなよ。絶対にだ。ピクリとでも動いたらまた一から取り直すからな。やり直し一回につき腕立て伏せ百回を課すから覚悟しろよ!」


「だからヒザを曲げるなって言ってんだろうが! 立位体前屈はヒザを伸ばした状態で測らねえと意味ねえんだよ!」


 ――それと、イオネラが月森先生のことを真剣に恐れていたからだった。


 朝から始まった診察は、「血糖値が上がると診断結果に影響が出るから」と昼食も抜いて、約八時間休みなくぶっ続けで行われた。

 いつもなら眠っている昼間にそれだけのことを強いられるだけでも、イオネラにとっては相当な負担だった。

 そこへさらに月森先生から受ける重度の精神的プレッシャーに、イオネラはこれまでになくゲッソリした表情になりながら、なんとか悪夢のような診察を終えたのだった。

 一方、雄斗の方は、血液を生産する骨髄の状態を見るための検査のほかは、採血や、いくつかの簡単な問診があるだけだった。

 それでも月森先生の度重なる罵詈雑言ばりぞうごんに、心はすっかり削られていた。

 だが、それだけの検査をこなしただけの成果を、彼らは手に入れることができていた。


 疲労感がありありと見える(それは、体力的なものよりも精神的な)二人を前に、検査結果をながめながらやはりウイスキーをなめる月森先生が、気に入らないというように眉をひそめながら告げた。


「――結論から言うと、イオネラ。てめえの体、バイオロイドじゃねえぞ」


「……なんじゃと?」


 一瞬、先生から言われた言葉が理解できないイオネラ。

 疲れの見えた表情から一転、目が覚めたように先生の言葉を頭の中で反すうする。

 乗り移ったこの体は、バイオロイドではない。

 人工の体では――ない?

 イオネラは期待を込めて、先生に尋ねた。


「――では、わらわの体は、人間の体なのか? わらわが乗り移ったのは、バイオロイドの体ではない、生身の体だったということか?」


 それへ、月森先生は首を横に振った。


「いや。人間の体でもねえ」


「人間でもない……?」


 疑問を呈するイオネラに、月森先生はレントゲンで撮影したフィルム写真を壁に張り出した。

 先生が机のスイッチを入れると、壁の中にある白色の蛍光灯が光り、透明なフィルムを後ろから照らし出す。

 するとそこには、イオネラの胸部から腹部にかけて透過した白黒の画像がくっきりと写っているのが見えた。


「ここを見ろ」月森先生の指さしたのは、イオネラの心臓のあたりだった。


「この辺りから上。ろっ骨があるはずだが、レントゲン画像では見えるか見えないか、というくらい薄くなってるだろ。だが、ここから下」


 月森先生の指さす先に目を移すと、はっきりと白い影が横に何本も走っているのが見えた。


「同じろっ骨で、太さもそれほど変わらないはずなのに、ここから下はきれいに白くなってる。こんなことは通常ならあり得ないんだ。上部のろっ骨だけ透き通って、下部のろっ骨はX線が通らない、なんてことは。通常の人間の体なら、な」


 先生の説明に、雄斗もひどく興味を惹かれていた。


「つまり、それはその――そこから上と下では、『違う』ということですか。骨が」


「そういうこった。正確には、下の部分は骨じゃねえ。バイオロイドの躯体くたいでよく使う人工の素材だ。つまり――」


 月森先生は、苦虫をかみつぶしたような顔になった。


「イオネラ。てめえの体は、バイオロイドと人間の中間にある、ってことだ」


 先生の言葉を聞き、イオネラは驚きに目を見開いた。

 そこで、雄斗は思い出したように声を上げると、イオネラに顔の変装を解くよう言った。

 すぐにイオネラが幻影魔法を解く。万が一、街中でカメラに映っても大丈夫なよう身に着けていた変装用の大仰なかつらとメガネをはずし、元のバイオロイドの顔をあらわにする。

 だがそれは、雄斗の知っているバイオロイドの顔とは、かなり異なっていた。

 切れ長な目に、シャープな顔の輪郭だったのが、目はやや大きくなり、輪郭も丸みを帯びているように見える。短かったはずの黒髪は赤みがかり、何より髪の長さが肩までのセミロングになっていた。


 魔法でかたどっているイオネラの顔――つまり彼女本来の顔は、大きな目に、輪郭の丸みが強い。そして静脈血色から動脈血色へグラデーションがかった赤い髪が、肩の下まで伸びている。

 それと比べると、魔法を解いたいまのイオネラの顔は、本来の彼女の顔に近くなっている、といえた。

 それが顔だけでなく、全身に起きている現象だとすれば――

 イオネラは、バイオロイドの体から、元の体――六百年前に有していた彼女自身の体へ、徐々に変化している。


「これまでのてめえの話から推察するに、いまのその体は、バイオロイドから人間に変化しつつある、というようにも見えるな」


「でも先生。そんなこと、普通あるんですか。人工の体が、人間の体に変わっていくなんて」


「んなことあるわけねえだろ。少なくとも、医学的にはな。そもそもあたしにとっちゃ、このレントゲン写真自体が撮り違えじゃねえかと疑うくらい、ありえねえ結果なんだよ。だけどこのあたしがレントゲンの操作をミスするなんてそれこそありえねーし。なんでこんなことになったのか、あたしの方が撮影機に聞きたいくらいだ」


「自己修復魔法……」


 ――と。

 イオネラが神妙な面持ちで、小さくつぶやいた。

 彼女の言葉に、月森先生が眉根を寄せる。


「自己修復魔法?」


「うむ。我々吸血鬼は、体を傷つけられてもすぐに再生する性質をもっておる。それは例えば腕一本でも、両足でも、すぐさま元通り回復させるほどの効力がある。一種の回復魔法なのじゃが、自分で意識して使っているのではなく、生まれもって吸血鬼に備わった生理的なものなのじゃ。それゆえ、魔力を使っているという自覚が無いのが通常なのじゃが――

 もしかすると、その魔法がはたらいて、わらわの体はバイオロイドから人間へ、自己を『変質』させようとしているのかもしれぬ」


「変質……てめえがいうその『魔法』とかってのは、そんなこともできるのか」


「わからぬ。人工の体など、わらわの時代には無かったからのう。じゃが、前々から疑問だったのじゃ。わらわの魔力がなぜいつまでたっても元に戻らぬのか。それも、そういうことなら理解できる。

 つまり、自分の体を人間の体に変質させるために、わらわは魔力の大半を無意識のうちに毎日消費しているのだと考えれば」


「ちっ。わけわかんねーな。一応、あたしも科学者の端くれだから、魔法なんてものを簡単に認めるわけにはいかねえんだけど……その話から類推するに、てめえが柊と出会った時と比べて、体に何らかの変化があるのは確かだ」


 ま、あとは今日の検査結果を精査してからだな、とイオネラのレントゲン写真をながめながら、月森先生はなかばあきれたように息をつく。

 それへ、雄斗は口を開いた。


「――先生。イオネラが俺以外の血を吸うことは、可能ですか」


 イオネラが横で「ユウト。その話じゃが、なぜおぬし、わらわに黙って――」などと話す声が聞こえたが、雄斗はあえて彼女を無視してさらに先生へ尋ねた。


「このままだと、俺がもし倒れたら、イオネラは血を吸えなくなる――。イオネラは血を吸いたいときに吸えないと、禁断症状だかなんだか知らないけど、他のやつを手あたりしだい襲いかねないほど、自制がきかなくなるんです。それに吸ったら吸ったで、俺以外の人間だとその中の毒素まで取り込んで、ひどく体調が悪くなるし……。だからすぐにでも俺の代わりになれる人を見つけないといけないんです。先生、何とかなりませんか……?」


 雄斗の言葉に、月森先生は右のこめかみを人差し指で圧しながら、困ったようにうなる。


「そういわれてもな。まずは柊の血の成分を調べねえことには何もわからねえよ。イオネラが吸える血と吸えない血の違いを調べるのにも時間がかかる。代わりの血を探すのはそれからだ」


「それじゃ遅いんです」雄斗は丸イスに座る自分の両ひざに置いた拳をにぎりしめた。


「イオネラは追われてる身だし、おおっぴらに血を探すのも難しいから……先生だけが頼りなんです。科学の力で、何とかイオネラに必要な血がどんなものか、すぐに解明できませんか?」


 雄斗の力のこもった懇願に――

 月森先生は、ちらとイオネラのレントゲン写真を見やった


「――科学の力、な」


 そして雄斗に視線を移すと、諭すような目でゆっくりと先生は告げた。


「柊。あたしは確かに科学者の端くれだ。でもな。科学ってのは、物事を合理的にとらえるための手法の一つであって、何かを保証してくれるわけじゃないんだ。科学にだって間違いは当然あるし、不確実な要素を根拠にしていることだって山ほどある。ただその時点で、可能な限り確かな証拠に基づいて、物事を判断しているだけに過ぎない。だから、あたしがイオネラに対して保証してやれることは何もない」


 月森先生の筋道だてた論に――

 雄斗は、何も反論できなかった。

 彼も、心の底では理解していた。自分は科学というものに過度に期待しているのかもしれない、と。そのことを認めざるを得ないことを。

 だが、それでも――

 雄斗は今日の精密検査に、自分の願いを賭けたかった。

 これからおとずれる状況を――自分の貧血がひどくなり、イオネラが血を吸えなくなるというシナリオを解消できる何かが見つかることに。

 うなだれる雄斗に、月森先生は今日最もやさしい口調で言った。


「科学者としては保証してやれないが――医者として、あたしはイオネラを救うために全力を尽くすよ。約束する。だからそんなに落ち込むな」











 家路についていた雄斗とイオネラの二人は、あいかわらず気まずい空気のまま、夕暮れの道を静かに歩いていた。

 二車線の道と交差するところまできて、目の前の信号が赤に変わる。

 立ち止まる二人。その前を、白い軽や青いセダンが横切っていく。

 今朝、初めてイオネラと二人で信号のある交差点にきたとき、すぐ前を通り過ぎる車の速さにイオネラが反射的に後ずさりながら、「ユウト! 鼻先であんなものが走っていくのに何を平気な顔をしておるのじゃ! あんなものにぶつかられてはただではすまぬじゃろうが!」と慌てていたのを、雄斗はふと思い出した。


「……なぜ黙っておったのじゃ」


 そのとき。

 横にいたイオネラが、不満の色をこめた言葉を雄斗に投げた。


「なぜ自分の血が残り少ないことを、わらわに黙っておった」


 それに対し、雄斗は愛想なく口を曲げた。


「なぜって……別に、言ってもしかたねえし」


「しかたなくなどない。おぬしが血に困っておるのを知っておれば、わらわとて無理におぬしの血を吸うこともなかったじゃろうに」


「でも、ガマンできねえんだから、結局どうにもならなかっただろ。俺が貧血だって告白したところで、イオネラは俺の血を吸うしかねえんだし」


 彼の言葉に、イオネラはぶぜんとした。


「……おぬしは何も解っておらぬ」


「解って、って……なにをだよ」


「もうよい。おぬしになど何も期待しておらぬ。所詮、使えぬ下僕じゃからの」


「だから俺は下僕じゃねえって。その言い方、いい加減やめろよな」


「おぬしこそ、わらわにいらぬ隠し事をするのをなぜやめぬのじゃ!」


 とつぜん声を荒げるイオネラ。

 雄斗はやや戸惑いながら、にらみつけてくるイオネラの視線をかわした。


「なぜって……だから言ってもしかたないだろ? それで何が解決するわけでもないし」


「そういう問題ではない! おぬしの血が少ないことなど、わらわは知らなかった。いつも能天気に、わらわは貧血であるおぬしの血を吸っておった。おぬしが学校で毎日保健室に通って苦しんでいるなどとは思いもせずに。これでは……ただの間抜けな主ではないか!」


「別にいいだろ。俺が隠してただけなんだから。イオネラが気にすることじゃねえし。ってかもう俺を下僕扱いするのやめろって」


「おぬしのような甲斐性のない下郎など、下僕で十分じゃ!」


「んだと! 俺には雄斗って名前があるんだよ! いい加減、勝手な主従関係ゴッコはやめろって――」


 そこまできて――

 イオネラの顔つきが、これまで見たことのないほど不穏な怒りにゆがんでいく。

 雄斗は、彼女がなぜそんなに怒っているのか理解できないまま、目線を合わせず冷めた調子で言った。


「……なにそんなに怒ってんだよ。もしかして、月森先生のことか? まあ、月森先生が暴力的な人だったってのは謝るよ。まさか俺も先生があんなふうになるとは思わなかったし、俺もびっくりしたっていうか――」


 あくまで平然とした雄斗の言葉を聞いて――

 イオネラの憤りは、ついに沸点を超えた。

 両の拳をにぎりしめ、何かを必死に抑え込むようにふるわせながら、イオネラは自分の思いから的を外れたことを口にし続ける雄斗へ、やるせなさと悔しさに染めた紅い瞳を向けた。

 そして――


「――バカユウト!!」


 夕暮れの閑静な町中で――

 大声で言い捨てると、イオネラは家の方向とは違う横断歩道を走って渡っていった。


「イオネラ!?」


 雄斗は一瞬戸惑ってから、すぐに追いかけようとするも、点滅していた青信号はすぐさま赤に変わり、車の往来が始まってしまう。

 それとは逆に、家の方向へ向かう道の信号が青になった。


「――何なんだよ、あいつ。わけわかんねえ」


 だが、雄斗は走り去るイオネラの後姿をながめながらその場で立ち尽くすだけで、家路への横断歩道を渡る者は誰ひとりとしていなかった。


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