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第43話 保健室の先生は飲酒診療がお好き


 浮足立っていたこれまでの月森先生からは想像できないほど低くくぐもった声。そして据わった目つき。

 雄斗は明らかに変化した先生の様子に、ただならぬ雰囲気を感じた。


「つ、月森先生……?」


「あ? なんだよ馬糞野郎」


「あ、いえ……なんでもない、です……」


 これまでの先生なら決して出てくることのなかった汚い言葉をぶつけられ、黙り込んでしまう雄斗。

 口からアルコールのにおいを漂わせながら、先生は注射器を再び手に取り、眉をひそめるイオネラに向かい合った。


「よし。じっとしておけ。いまから採血してやる」


「先生……それは酒か? 酒を飲んで診察する医者など、聞いたことがないぞ。本当に大丈夫なの――」


 不審そうな目をするイオネラが言いかけたところで、月森先生はグッと顔を近づけてきた。


「――あたしの採血に文句があるのか。もう手は震えてねえんだから、何か問題があるか? なあ、言ってみろよ」


 そう言って手にした注射器を見せつける月森先生。

 たしかに震えは止まっている。その代わり、イオネラのほうが困惑して口元を震わせている。


「い、いや……特にない……が……」


「ふん。最初っから素直にしてればいいんだ。よし、さっさと腕を伸ばせ。右腕だ。関節のあたりから針を刺すぞ。途中で動いたら注射器を骨までぶちこんでやるからな」


 イオネラが気圧されるほどの、有無を言わせぬ迫力。

 月森先生はイオネラの腕をおさえると、ゆらりとした動きで右手の注射器の先をイオネラの皮膚にあてる。

 観念したように目をつむるイオネラの前で、先生はゆっくりと針の先を刺しこみ、血液を吸い取った。

 さきほどまで震えのとまらなかったのがウソのように、月森先生はあっさりと採血を済ませると、なめらかな手つきで手早く針を抜き、白いガーゼをあてた。


「反対の手でしばらくおさえてろよ。三分間だ」


 席を離れ、次の検診の準備を進める先生。

 目を開けたイオネラは、言われるがまま左手の指でひじのガーゼをおさえる。


「先生……いま、わらわの腕に針を刺したのじゃな? ちっとも痛くなかったぞ。何か特殊な針でも使うたのか?」


「なに言ってやがんだ。あたしの腕前に決まってんだろ。ったく、お姫様気取りのくせに、人の能力も見抜けねえのかよ」


「な、なんじゃと。いくら先生でも、それは聞き逃せぬぞ!」


「あ? 本当のことを言っただけだろうが! それともなにか、てめえの前ではだれしもへこへこしてた方が気持ちいいってのか? 若いくせにとんだゲス野郎だな! それ以上ふざけたことぬかすんなら、いまからMRIの液晶画面に頭突っ込ませてぶち殺すぞ!」


「なっ……」


 ものすごい剣幕に、おもわずイオネラの方が引いてしまう。

 そんなイオネラを後ろから見ていた雄斗は、ただ青ざめるしかなかった。


 このとき、二人は月森先生の秘密を知ってしまったのだった。

 先生は震え止め(酒)を飲むと、天才と呼ばれるに値する力を発揮すること。

 そしてそれと同時に、性格が少々乱暴になってしまうことを。










 保健室での検診が一通り終わると、より精密な検査を行うため、二人は別棟への移動を「命令」された。

 さきほどまでのおどおどしていた様子はどこへやら、月森先生はずかずかと先を歩いていく。

 はおった白衣のポケットに、茶色い液体の震え止め(ウイスキーの小瓶)を入れて。


(……ユウト)


 その後ろをとぼとぼと歩くイオネラは、同じくとぼとぼと歩く雄斗に小声で尋ねた。


(あの先生は、本当に大丈夫なのか……? 震え止めとかいうものを飲んだ瞬間、性格が百八十度入れ替わったぞ?)


(お、俺だって知らねーよ。月森先生があんな風になるなんて、思いもよらなかったし……)


(思いもよらぬじゃと? あやつを紹介したのはおぬしじゃろうが。無責任すぎるぞ!)


(んなこと言ったって、俺だって驚いてんだからな。まさか酒を飲んだだけであんなに横暴になるなんて……バイオロイドの研究をやめた原因はこれじゃねえか? だいたい、いつもの先生からは考えられない――)


「おい」


 振り返る月森先生に、ビクッと体を縮こまらせる二人。


「いま、何か話してたか」


「い、いえ、なにも!」雄斗が答える。


「う、うむ。なにも!」イオネラも答える。


「ふん。さっさと歩け。もうすぐそこだ」


 そう言いながら、月森先生は無造作にポケットからビンを取り出すと、慣れた手つきでフタを開けて中の金色の液体を一口し、また歩き始めた。


「……ユウト。あやつはいったい、どこへ連れて行こうというのじゃろう。非常に不安じゃ」


「……同感」


 二人が青ざめながら月森先生についていくと、ほどなくして、精密検査を行う別棟にたどり着いた。


 椥辻なぎつじ学園は、表向きは高等学校だが、その奥には日本中の大学がうらやむような最新の研究施設棟が立ち並んでいる。

 科学立国に寄与する若者を育てるためにつくられた私立高校・椥辻学園。そのコンセプトにふさわしい、むしろ行き過ぎるくらい本格的な設備がいくつも存在していた。

 世界でも有数の計算能力を誇るスーパーコンピューターから、精密な生物のクローンを作り出すことのできる実験施設、日本に一台しかない超巨大3Dプリンターや、日本最大の天体望遠鏡など。

 これらを使用するため、日本はおろか世界中の大学や研究所から科学者が集まるほど、この学園の科学設備は優れていた。

 それは医療の分野でも同様で、この研究施設棟にはCTやMRIはもちろん、臓器移植や白血病治療などの臨床試験が行えるほどの施設が完備されている。


 そんなことなどいざ知らず、雄斗とイオネラは、巨大なガラス張りの四角い実験棟が立ち並ぶ光景に、ただあぜんとするばかりだった。

 高校生が入場を禁じられているゲートにある差し込み式のカードリーダーに、月森先生は持っていたカードを入れる。そしてその下にある四角く黒い部分に指を押し当てる。

 指紋認証に合格し、灰色のゲートはようこそとばかりに恭しく横へスライドした。

 いつもはたまに通りがかっても外から眺めるだけだった空間に、雄斗は初めて足を踏み入れた。

 そのまま三分ほど歩き、月森先生はひとつの棟に入っていった。


『Medical BLD.(医療棟)』


 気温調整された涼やかな廊下を進む三人。

 灰色一色の無機質な壁に、薄暗い建物内。大学の研究棟さながらの空間とどこからか香る薬品らしき匂いに、雄斗は緊張した面持ちを隠せない。

 しばらく歩いたところで、月森先生がひとつの扉の前で止まった。


「ここだ。さあ入れ」


 月森先生にうながされるがまま、二人は部屋に入る。

 中には雄斗の教室の二倍近くある空間が広がっていた。

 壁は真っ白でなにも飾られておらず、床には医療機器とおぼしき照明やラック、作業台などが整然と並んでいる。

 その中には、巨大なトンネルのようなものが取り付けられた、大がかりなベッドもある。


「ここでお前の精密検査をやる。そこにあるものを順番に使っていくからな。あたしの言うとおりに動け。よけいな動きをしたとたん殺す。無駄口をたたいても殺す。いいな」


 有無を言わせぬ月森先生の言葉に、イオネラはまた顔を引きつらせる。


「じ、じゃが、これから何をするのかくらいは教えてくれてもよいのではないか。不安なまま診察を受けるのも、心臓やそのあたりによくないのでは……」


「まず最初はレントゲンだ。それとCT。お前の体を透かして見る」


「透かして……? は、ははあ、おぬし、もしや高位魔術師か? 魔法でわらわの体の中を確かめるのじゃな?」


 無理にでも上から目線になろうとあがくイオネラ。


「コウイマジュツシ? なにわけわかんねーこと言ってんだ。ゲームのやりすぎで頭ん中だけ転生しちまったか? さあ、ごたくはいいからさっさとこの診察衣に着替えろ」


「なるほど……魔術師であるなら、おぬしの性格の変化も納得がいく。魔術師には自分の研究に固執するあまり、内と外で性格を使い分ける者が少なくないと――」


 その瞬間、月森先生は近くにあった白いラックを思い切り蹴とばした。

 ラックはふっとび、中に入っていた銀色の医療器具があたり一面にぶちまけられる。


「――!!」


「さっさと着替えろと言ってんだがな。聞こえなかったか。あたしは気が短いんだ」


「う、うむ。可及的速やかに着替えるぞ! しばしまて」


 月森先生に強くにらまれたイオネラが、あわてて上着を脱ぎ始める。

 それを見て、雄斗は逃げ腰になった。


「あ、えと、じゃあ俺は検査が終わるまで外で待ってるからな……。イオネラ、頑張れよ」


「なっ、ユウト! 主が検査を受けるのに、下僕であるおぬしがそばにおらぬとはどういうことじゃ!?」


「俺がいても邪魔なだけだろ。それに着替えるんだったら外に出ておかないと――」


「ま、待て! 逃げるでない! む、胸くらいならいくらでもみせてやるから、ここに残っておれ!」


「いや、別に見たいわけじゃ……ってか、診察受けるのイオネラだけだから、俺はいいだろ」


「あ? なに言ってんだてめえ」


 そこへ。

 月森先生が、もう一着あった診察衣をつかむと、いきなり雄斗へ投げつけた。あわてて受け取る雄斗。


「てめえもいっしょに診察するんだよ。当たり前だろ」


「――俺も?」


 月森先生の指示に、顔を一気に青ざめさせる雄斗と、あからさまにほっとするイオネラ。


「そ、そうか。ユウトもいっしょなのじゃな。――まあ、下僕を主のそばから離さずにおくのは当然じゃろう。先生はよくわかっておる」


「でも俺はイオネラの診察には関係ないんじゃ――。ただの付き添いなら、わざわざ着替える必要もないだろうし……」


 あくまでも月森先生の手から逃れようとする雄斗に、月森先生は腰に両手をあてながら言い放った。


「は? イオネラの体を調べるのは、元々てめえが貧血に悩んでるからだろうが。治療する本人のことを調べなくてどうすんだよ。バカじゃねーの」


 月森先生の言葉。

 それを聞いたイオネラが、思わず眉根を寄せる。


「――ユウト?」


 イオネラの雄斗を見る目が、わずかに揺れる。


「いまのはどういうことじゃ。おぬし……貧血なのか?」


 イオネラの問いに、雄斗は表情を一瞬こわばらせてから、それを隠すように顔をそむけた。

 その様子に、イオネラが声を震わせる。


「いつからじゃ。まさか、わらわがおぬしの血を吸い始めてからではあるまいな……? ユウト、答えよ!」


「別に……関係ねえよ」


 俺、着替えてくるから、と、雄斗はそのまま少し離れた別室へ去っていこうとする。

 そんな彼を、イオネラは思わず立ち上がり呼び止めた。


「ま、待て! ユウト! わらわの質問に答えよ! おぬし、わらわのせいで血が足りぬのか!?」


 だが、雄斗は振り返らずに、そのまま姿を隠した。

 言葉を失くすイオネラ。彼らのやりとりをながめていた月森先生は、フンと鼻を鳴らすと乱雑に頭をかいた。


「なんだよ。あいつ、言ってなかったのか」


 そうしてまたポケットのウイスキーを一口する先生を、イオネラは不安そうに振り返った。


「先生。これは、わらわのバイオロイドとしての体を調べるのが目的ではなかったのか……。あやつ、そんなことは――自分が貧血なのだとはひとことも、わらわに伝えておらぬぞ」


「知るか。あたしがてめえの体がどうなってるのかに興味があるのは本当だし、あいつが貧血でほとんど毎日この保健室に通ってるのは事実だ。今日、てめえの体を調べることになったのは、貧血がこのまま進行して、もしてめえが血を吸えなくなったときのことを、あいつが心配していたからだ」


 月森先生の言葉に――

 イオネラは、少なからず衝撃を受けた。

 ただの診察だと聞かされていた。

 イオネラの体を調べるためと――バイオロイドである彼女の体に、吸血鬼であるイオネラの魂が取り入ったことで、体内構造がどのようになっているかを月森先生が知りたがってるのだと。

 それとともに、イオネラ自身も自分の体の状態を理解することができれば。

 ただそれだけのはずだった。


「ユウト――」


 イオネラは、雄斗の消えた別室の方を眺めながら、胸の中にくすぶる感情が心に痛く染みるのを感じていた。

 だが――

 それに構わず、月森先生はなにやら薬品の並ぶ作業台でいくつかの薬を取り出しながら、イオネラに言った。


「なにぼさっとしてんだ。早く着替えろっつってんだろ。あいつの骨髄検査まで入れたら、スケジュールがギリギリなんだからな。さっさと始めるぞ」


 そう言いながら、月森先生はひとつのコップを手にしてイオネラに近づくと、それを無理やり彼女に渡した。


「――なんじゃこれは。何やら白っぽい液体が入っておるぞ」


「飲め。診察に必要だ」


「薬か? ふむ。では頂くとしようか……ごふっ!? な、なんじゃこれは! 全然味がついておらぬではないか! それにひどくのどどおりが悪いぞ! こんなものとても飲めぬ!」


「んだと? あたしのバリウムが飲めねえってのか! なら無理やりにでもなんでも飲ませてやるよ!」


「いだだだだ!! や、やめよ! おぬし、わらわの高貴な体にこれ以上触れることは許さぬぞ!!」


「だれが高貴だって? 薬も飲めねえお子様がわめいてんじゃねえよ! そんな見下げたプライドは犬にでも食わせておけこの馬糞野郎!」


「わ、わらわは馬糞でも野郎でもない! 訂正せいだだだだ!」


「なんでもいいから早く飲めよ!」


 こうして月森先生による暴力的な精密検査は、夕暮れまで続いたのだった。


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