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第42話 吸血貴族は健康診断がお好き

 きっかけは、小詩のなにげない一言だった。


「月森先生って、じつは日本でも有数の天才医師なんだって。専門は内科なんだけど、外科手術もできるし、たいていの病気なら診察して簡単に治せるっていう噂があるくらいなんだよ。

 それだけでもびっくりなんだけど、もっとすごいのは、同時にヒューマノイドの研究者でもあるっていうこと。というより、元々は医者より先にロボットの研究者だったらしいんだよね。それが色々あって、いまはうちの保健室の先生をしてるんだって。

 雄斗は挙動不審でアヤシイ先生だっていうけど、本当はすごい人なんだよ。だから貧血のときも、もっといろんな話を聞けるんじゃないかな。――あ、でさ。このあいだ渡した『魔法科高校の平凡生』の同人誌、読んでくれた?」


 とある日の昼休みの時間。

 貧血で行く保健室の先生の動きが、危なっかしくて全然あてにならないことを小詩に話したところ、こんな返答が返ってきたのだった。

 雄斗は「それ、本当か?」と聞き返し、さらに細かい話を聞こうとしたが、小詩の知っているのはそこまでだった。


「僕も、同人サークルの先輩に聞いただけだから。それに、全部本当かどうか分からないし……。でも雄斗、どうしてそんなに月森先生のことに興味があるの? ま、まさか、僕を捨てて月森先生のことを――」


 いや、勘違いも甚だしいから。そう断ってから、雄斗はその日の放課後、保健室へ向かった。

 月森先生は、雄斗の質問に快く答えてくれた。

 そして小詩の話がほぼ全て真実だったことが、先生の口から語られた。


「て、天才医師、っていうのはちょっと気恥ずかしいのですが……そう呼ばれていたこともありました、よ。わ、わたしは、自分なりの努力を重ねていただけだったんですが、その……」


 やはりたどたどしい口調の月森先生からは、「天才医師」という雰囲気はみじんも感じられなかったが、本人いわくは本当らしい。


「さ、最初はロボットのほうに興味があって……ろ、ロボットというより、もっと人間に近いというか……に、人間の体内構造を人工物で再現することを、主な研究テーマにしていたん、です、はい。いまだと、バイオロイド、と呼ばれるものが一番近い、ですかね……。でも、とある事情でちょっと研究ができなくなってしまって……それからその、バイオロイドとつながりの深い医学の方を勉強しなおして、なんとかお医者さんになれたんです。

 自分の腕はまだまだだと、思ってますけど……経歴が他の人とちょっと違うから、目立ったのかもしれないです、ね……ハハ」


 ちょっとどころかかなり異色の経歴だろうと思いながら、雄斗は月森先生の発した「バイオロイド」という言葉に反応した。

 月森先生は、バイオロイドの専門家。


「そう、ですね。そういわれれば、そうなんですけどね……。でも、まだまだ発展途上のところで研究を抜けてしまったので、その、最新のバイオロイドがどんなものなのかは分からないのですが……。

 あ、そ、そういえば先日、イベントで展示していたバイオロイドが逃げ出したっていうニュースがありましたね。でもあんなことはあり得ないですよ。バイオロイドは自発的に動くものではありませんし、自分の意思をもつなんて、とても信じられないです。だからわたしはあのニュースは誤報だと思って――。

 あの、な、なんで雄斗さんは、バイオロイドのことをそんなにお聞きになるんでしょう……?」


 月森先生の話に、雄斗は小さな確信を得た。

 全く予期しないことだったが、雄斗は自分の幸運に、見も知らぬ神へ感謝の気持ちをささげたくなった。

 この人なら、イオネラの体の謎を――あとどれくらい血を吸い続けるのか、いまイオネラの体はどうなっているのか、自分以外の血を吸える可能性はあるのか――をつきとめるのに、力になってくれるはずだ。

 このままでは、いずれ自分の体がもたなくなるかもしれない。

 いや、そうなる確率はかなり高いように思える。

 その前に、自分の代わりを見つけるか、もしくはイオネラが血を吸わなくてもよくなるようにするか、どちらかを実現しなくてはいけない。

 でもそれは、自分の力だけでは難しい。バイオロイドの体について知識のある人の協力が不可欠だ。

 それがわかっていながら、だがそんな特殊な専門性のある人など思いあたらず、いままではどうすることもできなかった。

 その実現への架け橋が、急に目の前に現れてくれたような気が、雄斗にはしていた。


 雄斗は、決して他言しないこと、そして信じらないと思いますけど、という前置きを告げてから、イオネラのことを月森先生へ伝えた。

 イオネラが六百年前に封印された吸血鬼であり、その魂がイベントのときにバイオロイドの体へ乗り移ったこと、その吸血鬼がいま自分の家に住んでいること、彼女に血を吸われ始めてから自分の貧血の症状が出始めたこと、でも彼女は健康な自分の血以外の血を吸うとひどく体調を悪くすること、等々を。

 ひととおり話し終えた雄斗は、自分の話を黙って聞いてくれている月森先生に、保健室の丸イスに座りながらつぶやくように伝えた。


「今の話は、信じてくれなくてもいいです。でも一度、イオネラの体を診てほしいんです。それが何かの解決につながればって……。あと、このことは絶対に他の人には言わないで下さい。あいつ一応、追われてる身なんで……」


 雄斗の言葉に、月森先生はふだん見せない落ち着いた表情で、やさしくうなずいた。


「大丈夫ですよ。患者さんのプライバシーを守ることは、医者として当然の務めですから」











 雄斗がイオネラを連れ、学校についたのは、月森先生と約束していた午前十時を少し過ぎたころだった。

 予想通り、雄斗の毎日通っている場所に興味津々のイオネラは、いたるところで立ち止まっては雄斗に「これが校舎か。なかなかに大きな建物じゃのう。何人くらい収容できるのじゃ?」とか「この石像は何者じゃ? 有名人か? 偉人か? この学校の権力者か?」と尋ねるが、それを引っ張り戻しつつ急ぎ足で保健室に向かったのだった。

 雄斗が保健室のある廊下に入ると、そこにはすでにいつものように白衣を着た、黒ぶちの大きなメガネをかけた月森先生の姿があった。


「すみません、月森先生。遅くなりました」


「あ、え、いいんですよ、全然! お待ちしてました。――そちらが、い、イオネラ=シェーンベルクさん、でしょうか……?」


 おそるおそる、といった調子で、月森先生が尋ねる。


「うむ、いかにも。わらわがトランシルヴァニア公国の吸血貴族・イオネラ=シェーンベルクなるぞ」


「わ、わたしは、この学校の養護教諭を務めております、月森と申します……。あの、と、とりあえずどうぞ、こちらへ……」


 あいかわらずおどおどした様子で、月森先生は保健室に二人を招き入れる。

 扉を閉めた保健室は、いつになく静けさに包まれていた。

 ふだんなら外から学生の話し声や歩く音が聞こえてくるが、今日は休日。

 部活動で学校に来ている生徒はいるものの、平日に比べれば廊下に出ている者ははるかに少ない。

 通常なら保健室も閉まっているが、今日は雄斗の頼みを聞き入れた月森先生が、わざわざ自校の生徒でもないイオネラのために個人的に出勤してくれたのだった。


「では、あの、今日は、その、バ、バイオロイドの体をしたイオネラさんの、健康診断、ということで……体の方を、診させていただいたいと思います、ね」


「……そんなに緊張せずともよいぞ。取って食おうなどとは思っておらぬ。好きなだけ調べるがよい。わらわとしても、いまの自分の体がどうなっているのか、確かめてみたいのじゃ」


「は、はい! ありがとうございます! では、診させて頂きます……うわ、上着を脱いでいただいてもよろしいでしょうか?」


 なぜか先生の方が敬語でうやうやしくイオネラに接する。

 あまりに想像通りの光景に、雄斗は思わず苦笑していた。




 数日前。

 イオネラは今回の月森先生による検診を雄斗から勧められると、一も二もなくすぐさま承諾した。

 彼女自身、いまの自分の体がどうなっているのか以前から気になっていたらしく、雄斗の話を疑うことなく聞き入れたのだった。

 実際、本当の意味でイオネラの体を調べることができる人を、いままで雄斗もイオネラも見つけられずにいた。

 普通の医者はもちろんバイオロイドの体を診ることはできないし、その開発者である亜斗蘭逓州あとらんてぃす大学はいまいち信用できない。

 なによりイオネラが、実験台にされることを拒むだろう。

 そうなると、全くの第三者、むしろどちらかといえば雄斗らの味方であり、かつバイオロイドに精通した人物が現れることが理想だったのだが、図らずもそれが雄斗の通う椥辻なぎつじ学園にいたという幸運な偶然が起きたのだった。

 さらに、その専門家――月森先生は、医師としての見識もある。

 生身の人間を診察する知識と技術と備えながら、バイオロイドという人工体へのアプローチも可能。

 まさに、いまのイオネラを診るのにうってつけの存在だった。


 極度の緊張症であるという、その気性をのぞけば。


「え、ええっと、それでは次に、お腹のあたりを触りますね……ひゃあっ!? す、すごい、この感触、柔らかさ……小腸や大腸とか、十二指腸まできちんと再現されて……ああっ、す、すみません、少し夢中に……ええっと次は、く、首を見せてもらっても……あ、ああっ!? け、けっかん!? 血管まで忠実に……けい動脈も? す、すごい……イオネラさん、本当にこの体、バイオロイドなんですか?」


 金属製の簡素な丸イスに座っているイオネラの体中を、月森先生はぺたぺたと興奮気味に触って回る。


「皮膚の素材は何でできてるんでしょうか……それよりも毛ですよね。髪はともかく、全身の毛まで再現してるなんて……こ、これは感動です……!」


「先生よ。いつまでわらわに触れておるのじゃ。体の中を調べるのではなかったのか?」


「あっ、そ、そうでしたっ? で、ではとりあえず身長と体重から……ち、聴力検査もしないと――ああっ、検査機は実験棟だった! じゃあ後回しにして、と、とりあえず保健室でとれるデータを全てとっておかないと……聴診器はあったかな……」


 ようやくまともな診察へ進むかと思いきや、月森先生の段取りは破滅的に悪かった。

 バイオロイドへの興味が先行して、診察にとても手がつかない。

 イオネラの後ろでその様子を眺めていた雄斗はふと、月森先生がバイオロイドの研究を外れた理由というのは、もしかしてこの性格にあるのかも、などとなんとなく感じていた。


「あっ、あったっ! 聴診器! で、では、イオネラさん、シャツをまくって下さい。あ、もう少し上まで……」


「なんじゃその道具は――冷たっ!?」


「ああっ、すみません! 金属なんで、肌に触れるとどうしても……ちょっとガマンしてくださいね……ちなみにこ、これは、心臓の音とかを聞く道具です、よ」


「心の臓か。この体はきちんと動いておるのか」


「――は、はい。ちゃんと脈打ってます、ね。すごいですね……とても完成された人工体だと思います……。次は後ろを向いて頂いていいでしょうか。それから大きく息を吸ってもらえると……あ、どうかされました?」


 そこにきて、イオネラは胸の上までシャツを上げた状態のまま、首を後ろにめぐらせた。


「――ユウト。あいかわらず不埒じゃな。そんなにわらわの胸を見たいか」


 言われ、悠々と構えていた雄斗は少しの間の後、初めてその意味を理解した。


「あっ、わ、悪い。すぐ出るから」


「全く。ほんに配慮の足らぬ下僕じゃのう」


 イオネラのあからさまなため息を背に、雄斗はあわてて保健室から廊下へ出た。


 その後も、イオネラは月森先生の検診を受けたが、一向に先へ進まない。

 自動身長計にイオネラが立つと、月森先生のあやふやな操作で、頭に乗せる部分が上へ下へ動いてなぜか計測できず、体脂肪計に乗ると操作方法が分からず、取扱説明書を保健室の奥から引っ張ってめくりあげる始末。

 あげく、視力検査では、


「は、はい、右目を隠して。左目からいきますよ……はいっ、これは?」


「なんじゃこれは。ワイングラスの足より上部分、とでもいえばよいかな」


「上ですね!? では次は」


シー、か」


「右ですね!? では次は」


「その逆」


「左ですね!? では次は」


「ミカンを握りつぶして汁がこぼれるような」


「下ですね!? では」


「いや、下ではない。やや右寄りじゃ」


「では、右斜め下ですか?」


「うーむ……つまり『○』の空いている方向を述べればよいのか?」


「は、はい、そういうことかな……はい、そうだと思います!」


「ならば……でもこれはよくわからぬのう。ぼやけておる」


「が、頑張ってください! 目を凝らせば見えるはずです!」


「むう………………やはり右下、いや、待て。右に空いているようにも」


「気合です! 超能力です! バイオロイドなら見えるはずです!!」


「あー……では右下、かな」


「せ、正解です! ……感動です。感動しました……私が心血注いだバイオロイドが、ここまでになるなんて……とても信じられません」


 月森先生のバイオロイドに対する強い興味+どうみても慣れていない検診に、雄斗はだんだん不安を募らせていた。

 それが最も顕著になったのは、採血のときだった。


「さあ、いきますよ……ぜったいに動かないで下さいね。じっとしてて下さいね。できれば息も止めておいて下さいね」


 緊張した面持ちで、月森先生が右手に注射器を構えた。

 が、その手は小刻みにふるえている。


「先生……本当に大丈夫なのじゃな? わらわは注射などというものをしたことがないので要領が分からぬが」


「は、ははははい! 大丈夫です!! チクッと痛むかもしれませんけど、ちょっとだけですから……で、では、行きます……!」


 月森先生は決心したようにうなずいてから、右腕をのばし肌をさらしたイオネラの腕に、注射器の先を向けた。

 が、その手は大刻みにふるえている。


「ちょっとまて先生! ほ、本当に大丈夫なのじゃろうな? 針先がおぼつかぬぞ?」


「だ、だだだだだだだだ大丈夫ですっ! だ、だからじっとしていていていてください! そそそそうしないと間違ったところに打つかもしれませんからっ!」


「や、やはり危ないではないか! おぬし、もしや初めてやるわけではあるまいな? そんな経験の浅い者に、わらわの尊い体を預けるわけにはいかぬぞ!」


「い、いや、その……以前はちゃんとできていたんですけど……色々あって、いまはその、ちょっと緊張してしまうといいますかなんといいますか……」


「色々とはなんじゃ。経験をふまえて緊張しなくなった、というなら分かるが、逆に緊張するようになったとは……ま、まさか、なにか重大なミスを冒して、それがトラウマになっておるのでは」


「そ、そんなことはありません! 医療ミスなんてしたことありません! 採血だって、前はちゃんとしていたんですから!」


「ということは、いまはできないということか?」


「いえ、できる――はずです!」


「頼りないぞ……。わらわの体を預けるには、あまりに」


「あ、ま、まってください! 私にイオネラさんの血を取らせてください!」


「だからそのプルプルふるえた手をなんとかせよと言っておるのだ!」


「だ、大丈夫です! こうやって反対の手でおさえればなんとか」


「反対の手もふるえておるではないか!」


 そんなやりとりを、室内に戻っていた雄斗は内心ため息をつきながら見つめていた。

 ――やっぱり、月森先生が天才医師だ、っていうのは、無理があるよなぁ……。


「先生、あの……採血に慣れてないなら、とりあえずそれはやめにして、ほかの診察からしたほうが」


 雄斗の進言に、月森先生は首を振った。


「い、いいえ、血液はその人の健康状態が如実に表れる貴重なデータですから、是が非でも採取しないと……で、ではいきますよ、イオネラさんっ!」


「だ、だからその腕の震えを止めよと言っておるのじゃ!」


 注射器を構えるも、月森先生の腕は相変わらず緊張で震えている。心なしか、表情も引きつっているようだ。

 そこまできて――

 月森先生は、とつぜん全身から力を抜いた。


「――仕方ありません。では、震え止めの薬を飲みます」


 なにもかもあきらめたように。

 月森先生は注射器を棚に置き、うなだれた。


「震え止め? なんじゃ。そんなものがあるなら、すぐに飲めばよいものを」


「そうですね。最初からそうすればよかったんですよね。あまり飲みたくはないんですけど……」


 どこか憔悴しょうすいしたような月森先生の表情。

 震え止めの薬……。あまり月森先生は気が進まなさそうに、雄斗には見えた。

 かなりの劇薬なのだろうか。それとも、副作用が激しいとか。


「あの、先生。俺が無理言って頼んだだけだから、あんまり無理しなくても」


「い、いいんです。イオネラさんの体を診察するためですから。で、では、いただきますっ」


 そういうと、月森先生は保健室の壁にあった薬品棚をガラッと開けた。

 そして、その一番端のほうに小さく置かれていたウイスキーの小ビンを手に取った。


「……先生?」


 声をかけた雄斗と、丸イスに座っているイオネラの目の前で、月森先生はウイスキーのフタを開け、口をつけると、そのまま中身を一気に流し込んだ。


「……先生?」


 アルコール度数約40度のそれを、水のようにごくごくと飲む月森先生。

 半分ほど無くなったところで、先生はフタを閉め、近くの机にだんっ、とビンを置いた。


「――あの、先生」


「――――ふぅぅ」


 うろたえる雄斗の前で、口を白衣の袖で大仰にぬぐってから、月森先生は振り返った。

 その目は、さきほどまで興奮と緊張で浮足立っていたとは思えないくらい、鋭い眼光を放っている。


「あまりに久しぶりで、酒の味を忘れちまったな。焼けるような感覚が内臓に染み渡るぜ、ヘヘッ。――よし、採血を始めるとするか」


 「震え止めの薬」を飲んだ月森先生は、自信に満ちた様子でニタリと笑った。



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