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第40話 吸血貴族はバスタイムがお好き

「……大丈夫かな、イオネラのやつ」


 ソファに寝そべりながら、あいかわらず無気力そうな顔でテレビをながめていた雄斗は、ふと浴室に入ったイオネラのことを思った。

 わざわざ風呂に誘ったくらいだから、ツグミはイオネラと湯船に入りたがるんじゃないか。

 だとすれば、ツグミはイオネラの水嫌いを克服させようとして――。

 ツグミは一見するとおとなしそうだが、内に秘めた性格はかなり攻撃的であることを、雄斗は知っていた。だからこそ、CSOでも日本一の魔術師になれたんだろう、と雄斗は思っていた。

 だが、それはふだん人にみせることはなく、あるときにだけ――例えば、自分の進みたい道に邪魔な障害ができたときなどに、表面に出る。

 イオネラがもし、ツグミの要求を拒み続けたとすれば――。

 ツグミは障害を取り除くためなら、手段を選ばない。

 そうなれば――。



「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」



 そのときだった。

 浴室の方から、世にも恐ろしい叫び声が響いた。

 まるで、凶悪な怪物が聖なる力により浄化され、消える直前に最後の断末魔をあげたかのように。

 雄斗はソファから飛び上がると、何事かと後ろを振り向いた。


「……イオネラ?」


 声のトーンから、なんとなくイヤな予感がした雄斗は、すぐさま浴室の方へ向かっていった。

 二階へ上がる階段の横から奥へ進むと、洗濯機の置かれた部屋がある。

 そこに入ってすぐ右側にあるのが、浴室。

 彼はその前まで来ると、再び呼びかけた。


「イオネラ! 大丈夫か!?」


 ――返事がない。

 だが、さきほどの声は尋常じゃなかった。よほど慌てていたはずだ。

 だんだん不安に駆られてきた雄斗は、洗濯機の部屋におそるおそる踏み込んだ。

 そして、右にある浴室に向かう。


「イオネラ。いま叫び声がした――」


 そのとき。

 浴室の扉が勢いよく開いたかと思うと、そこから必死の形相になったイオネラが飛び出してきた。


「溶けるーーーーー! 体が溶けるぅぅーーーーー!!!」


「おわっ!?」


「のわっ!?」


 まさか浴室の前にだれかがいるとは思わなかったのか、イオネラはそのまま雄斗と正面からぶつかる。

 どすん、いう音とともに、雄斗もろとも倒れこむイオネラ。

 フローリングの床に背中を打ち付けられ、雄斗は痛そうに頭を上げた。


「いつつ……なんなんだよ急に……」


「ゆ、ユウトか? ――あいや、すまぬ。ツグミのやつが、急にわらわに水をかけてきたものじゃから……そ、それよりもいますぐにタオルで体を――」


 そこで、お互いがふと顔を見合わせる。

 倒された雄斗の上に乗っかっているイオネラは、ツグミからシャワーの洗礼を受け、全身がびしょぬれになっていた。

 一糸まとわぬ、裸の状態のままで。


「あっ……」


「……ユウト……」


「い、いや、その……ちょ、ちょっとまて。これは不可抗力というか、別に俺はそんなつもりじゃなかったっていうか……その……お、お前を心配してだな」


 そう言って両手を前に突き出しながらも、雄斗の視線は水に濡れたイオネラのつやのある上半身に注がれていた。

 当然、彼の視界には、イオネラの胸の膨らみまで映り込んでいる。

 それに気づいたイオネラの顔が、みるみる真っ赤になった。

 髪と瞳が元々赤いイオネラは、首から上が全て燃えるような赤に染まる。

 彼女はさっと左腕で胸を隠すと、すぐさま立ち上がって倒れたままの雄斗の胸ぐらをつかんだ。


「い、イオネラっ……?」


 そのまま「マイト」の魔力で雄斗の体を軽々と持ち上げ、ゆっくりと廊下まで出る。

 イオネラは極度の羞恥と憤怒に、いままでに見たことが無いくらいの強さで雄斗をにらみつけながら、全身をふるわせていた。


「ユウトよ……おぬしがそのような不埒ふらちな男だったとは、わらわはガッカリしたぞ……」


「ち、違う! 断じて違う! ってかあんな叫び声が聞こえたらだれだって心配してくるだろ? そこにイオネラが急に裸のまま飛び出してきたから、なりゆきでこうなっただけだろ! 誤解だ! 俺は無実だ! 俺は悪くない!」


「この…………うつけ者がーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 そう叫ぶと、イオネラはにぎりしめた右拳を、雄斗の左頬目がけて全力で打ち込んだ。


「ぶふぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 きりもみしながら吹っ飛ぶ雄斗。

 廊下を突き進み、階段の脇を通り過ぎ、生ける弾丸となった雄斗は、玄関のあたりでようやく滑るように着地した。

 マイトの力を得た強烈な一撃を受け、ぴくぴくと動けずにいる雄斗を、イオネラはまるで汚いものでも見るかのように一瞥いちべつした。


「神聖なわらわの体をのぞき見るとは……おぬしの所業、万死に値するぞ! 追って沙汰するから、そのつもりでいよ!」


 そう告げると、イオネラは再びすたすたと浴室の前に戻った。

 そこには、扉の横で顔をひきつらせているツグミの姿がある。


「……お、お兄ちゃん、大丈夫?」


 自分の起こしたことが原因で、まさか兄が無残な仕打ちを受けるとは想像していなかったツグミが、心配そうに顔を引きつらせる。

 だがイオネラは、憤然としたままツグミに向かった。


「ふん。あのようなふしだらな下僕は、一度地獄へ堕ちるくらいがちょうどいいのじゃ。気にせんでもよい。それよりツグミよ。おぬしは――」


「あ、ああ! ごめんなさい姉さま! ちょっといたずら心っていうか、姉さまのリアクションが見たかったからつい……も、もう絶対しないから! だから今回は許して!」


 自分もあんな風に殴られてはたまらないと思い、平謝りするツグミ。

 だが意外にも、イオネラの顔は穏やかだった。


「よくぞやってくれたな、ツグミよ。わらわは吸血貴族の悪しき風習にとらわれすぎていたようじゃ。自分が恥ずかしいぞ」


「えっ……?」






「よかったー。姉さまに殴られるかもしれないと思ってヒヤヒヤだったよ」


 しばらくして。

 浴室には、ともに向かい合わせに湯船へ浸かる、イオネラとツグミの姿があった。


 シャワーの湯を全身に浴びたイオネラだったが、結果的に「体が溶ける」というようなことはなく、むしろ人工の彼女の肌は水をよくはじき、みずからのツヤを主張するほどだった。

 湯船は二人が向かい合わせに浸かっても、足を伸ばせるほどの広さがある。

 先ほどまで湯に入ることを全力で拒み続けていたイオネラだったが、いまはその体を湯の中に完全に沈め、温かさに身をゆだねていた。


「ふぅぅ……。なんともいえぬ、よい心地じゃ。湯にこのような作用があったとは、わらわの広範な知識も及ばなんだ。ニホンの文化もなかなかに趣があるのう」


「そういってもらえると、入ってもらいがいがあったよ。私もお風呂、好きだし。CSOやってたころは、パソコンの前にいる間はずっと神経を張りつめてなきゃいけないから、いい気分転換になるんだよね」


「そうじゃな。たしかに、うつつでためこんだ心と体の抑圧が、一気に緩まるようじゃ……」


 気持ち良さそうに、イオネラは天井をながめる。

 そこへ、ツグミはすこし肩をすくめながら、水面に顔を近づけた。


「……私、姉さまがうちにきてくれて、よかったと思ってるよ」


 ツグミがそっと口にするのに、イオネラは顔を向けた。


「最初、姉さまがお兄ちゃんにつれられて部屋にきたときは、私にとってCSOが一番大事だったから、ガン無視しちゃったけど……。姉さま、いつだって堂々としてるし、どんなことにも自分の信念とか、考えをしっかり持ってるし……本当に、尊敬してる」


「それくらいのこと、吸血貴族として当然のことじゃ。わらわはトランシルヴァニアの国民を影から支配する尊い身分におるのじゃからな。だれにも恥じない生き方をするのはごく当たり前のことじゃ」


「その考え方、いいよね……。私もそうなりたいと思うけど、なかなか難しいな……」


 ツグミは悩むようにまぶたを下げる。


「……私ね。お姉ちゃんがほしかったんだ」


 ひとりごとのようにつぶやくツグミ。

 その顔には、薄く穏やかな笑みが描かれていた。


「お兄ちゃんが嫌い、っていうわけじゃないよ、もちろん。いつもお世話になってるし、私のこといつも心配してくれるし……。でも、同姓で年上の家族もほしいな、って、ずっと前から思ってたの。

 私、なんでか知らないけど、クラスの友だちと付き合っても、いつもリーダーみたいな立場になっちゃうの。私って短気だから、どんなことでもさっさと効率よく済ませようとするんだけど、それがみんなを引っ張っていこうとしてるように見えるみたい。

 それはCSOのときも同じで、みんな私にカリスマ性があるとか、ついていきたいとか言って……。別にかまわないんだけど、私もみんなと同じで、いつも強い敵とあたったらすごく怖いし、いつランキングで他のパーティに上位を奪われるかビクビクしてるし……。本当は気が弱いのに、そのことを周りの人にあんまり理解してもらえないんだよね」


「……なるほどな」


 悩みを打ち上げるツグミに、イオネラはどこか納得がいったように、表情をやわらかくした。


「おぬし、他人と話すとき、どんなときにもほとんど表情を変えぬじゃろう。それが『落ち着いている』と誤解されているような気がするのう」


「やっぱりそう? 私、喜んだり悲しんだりを表に出すのが、ちょっと恥ずかしいって思っちゃうんだよね……そう、こうして――」


 ツグミは珍しく、心からうれしそうに頬をゆるませた。


「私に教えてくれるような――私のことを引っ張っていってくれるような、そんな人がほしかったんだ。姉さまみたいな人が。だから私、姉さまがうちにきてくれて、とてもうれしいの。ね――」


 ツグミは顔を上げて、イオネラと視線を合わせた。


「姉さま、ずっとうちにいるんでしょ? どこかに行ったりしないよね?」


 少し不安そうになるツグミに、イオネラはフッと笑った。


「心配せずとも、わらわはずっとここにおるよ。ま、ユウトが許せばの話じゃがな」


「お兄ちゃん、か……」


 ユウト、という単語を聞き、ツグミは思い出したように告げた。


「ねえ、姉さま。姉さまはお兄ちゃんのこと、どう思う?」


 どこか期待を込めた目つきのツグミに、イオネラはきっぱりと答えた。


「どう、とな。あやつは働くときはよく働くが、普段は主の命令をろくに聞かぬし、いつも家で無気力な生活を過ごしている、基本的には役に立たぬ下僕じゃな。まあ、あやつがおらねば健康な血を吸えなくなるから、仕方なく大目に見てやっているが、本来ならば即刻クビにしておるじゃろうのう」


「そうじゃなくて」ツグミは苦笑しつつ首を振った。


「同い年の同居人として、っていうか、身分の差とかそんなの関係無しで、っていうこと」


「身分の差がない?」


「うん。じゃあ、例えば姉さまがお兄ちゃんと同じ身分だったら、どう?」


「どう、と言われてもな……」


 腕を組み、イオネラは雄斗の顔を思い浮かべるように目を上げる。

 そのとき、彼女の脳裏に映ったのは、さきほど自分とぶつかった雄斗の、必死に抵抗しつつも自分の裸の体を視界に入れている場面だった。


「っっっ当に、バカユウト……!」


 急に顔を赤くして水面をたたくイオネラに、ツグミは驚く。


「ど、どうしたの、姉さま?」


「……いやなんでもないわ」


 そして、イオネラはタイル張りの壁に目を背けた。


「そうじゃな……あやつは愛想に欠けるが、他人に対して基本的に優しい人間じゃな。なんだかんだと文句は言いながら、結局最後は助けてくれるからのう。もう少し口数が多くてもよいと思うが、それがユウトの人間性であり、魅力のひとつでもあるのじゃろうな。

 他にはとりたてて何の能力もないが――あ、料理の腕は確かじゃのう。食材は安っぽいがどれも新鮮じゃし、回を重ねるごとにわらわの口に合わせた味付けをしておる。よいシェフになるじゃろうな。わらわが召し抱えてやってもよいくらいじゃ。

 あとは弓兵としての能力がいかほどものか、一度見てみたいものじゃのう。あやつは筋力が無さそうじゃから、大した腕ではないと思うが。とはいえ下僕たるもの、主を守るための武芸のひとつやふたつ、身につけておいてしかるべきじゃからな。それから――」


 雄斗の人柄について、良いところも悪いところもとめどなく話し続けるイオネラ。

 ツグミはそんな義姉の姿に、なぜか顔をニヤつかせていた。


「なんじゃツグミ。わらわが何かおかしいことでも言ったか?」


「ううん。別に。姉さまは、お兄ちゃんのこと、よく見てるなと思っただけ。で、結局――」


 ツグミは、さきほどイオネラにシャワーのお湯をかける直前と似たような、いかにも面白そうな調子で告げた。


「姉さまは、お兄ちゃんのこと、好き? 嫌い?」


 前のめりになるツグミに、イオネラは一瞬、戸惑った。


「ん、まあ、その、そうじゃな……嫌いではないがな」


「じゃあ好き?」


「好き、というのでもないが……」


「えー。どっちつかずなんて、そんなの姉さまらしくないよ」


 期待外れから頬を膨らませるツグミに、イオネラが釈明する。


「何でも物事を好きか嫌いの二つに区別するのは乱暴じゃぞ、ツグミ。どんなことにも程度というものがある。段階といってもよいがな」


「じゃあ、お兄ちゃんは五段階評価で何点ですか姉さま?」


「いやにつっかかってくるのう……。まあ、同居人としては合格、という程度じゃな」


「それだけ? なんだ、つまんないの……」


「どういう意味じゃ」


「ううん。何でもない。――じゃあ、姉さまの理想のタイプって、どんな人なの?」


「理想の……異性、ということか? ま、わらわに見合う権力と財力をもった男がこの二ホンにおるかどうかわからぬが……人間性で言うなら、このあいだツグミに話した者が最も理想的じゃな」


「気前がよくて、包容力があって、正直者だから悪事には向かないっていう人? 病気で亡くなった」


「そう、そやつじゃ。よく覚えておるのう。何より『正直者』という点が重要じゃ」


「ほんとに? じゃあお兄ちゃんと同じだよ。お兄ちゃん、悪事には絶対向かないし」


「あやつが? まあ、そういう面もあるが、まだわらわに対していろいろ隠し事があるような気がするのじゃがのう」


「でも、隠しててもすぐにバレるんだよね。お兄ちゃん、根はほんとに正直だから。妹の私が言うのもなんだけど」ツグミは苦笑した。「ってことは、お兄ちゃんにもまだ芽があるってことかな」


「芽? なんの芽じゃ」


「ううん。なんでもないなんでもない」


 あはは、と軽くごまかすツグミ。

 イオネラは怪訝けげんそうな顔をしつつ、思い出したように口を開いた。


「隠し事で思い出したが、そういえばユウトは、なぜいつもあんなに無気力なのじゃ? 昔からあのように、何をするでもなく家で過ごしておったのか」


 イオネラの言葉に、ツグミはやや寂しそうに首を横に振った。


「私もよく知らないんだけど、中三の時に部活でなにかあったみたいなんだよね」


「部活?」


「学校で、授業時間外に、スポーツとか、楽器の演奏とか、絵を描いたりとかする集まりのこと。お兄ちゃんは弓道部だったんだけど、すごいんだよ。全国大会までいったから」


「弓道……遠くにいる敵兵を一撃で仕留める弓兵としての腕を養う訓練活動ということか」


「違うけど、だいたいそんな感じ」


「なるほど……その活動中に、トラブルでもあったのか」


「うーん。中学生最後の大会の後くらいから、お兄ちゃんの様子が変わったのは確かなんだ。それまでは何をするにも一生懸命で……お父さんとお母さんが海外に行くとき、弓道がやりたいから家に残る、って言って譲らなかったのは、そのころのお兄ちゃんだったし」


「そうか……あやつにも、そんな何事にも熱心に取り組む時期があったのじゃな」


 ツグミの話に、イオネラはふと、矢のことに触れたとたん雄斗に無理やりベッドに組み伏せられたときのことを思い出した。

 あのときの雄斗の顔は、いつもの無気力さとは程遠い、どこか仄暗い怒りが――情熱が込められていた。

 ユウトの抱える、心の闇。

 主として、解決しておく必要があるかもしれない――。

 いまだ温かな湯に体を沈めながら、イオネラはぼんやりと、雄斗の興味深い過去について想像を張り巡らせるのだった。






 一方。

 イオネラに鉄拳を見舞われた雄斗はいま、玄関に横たわったまま、涙を流して独り訴えていた。


「……なんで俺、殴られたんだろう……」



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