第39話 吸血貴族は体質改善がお好き
一ヶ月が経った。
じめじめした梅雨があけ、七月に入るころ。
太陽は力強さを増し、季節はいよいよ夏本番を迎えつつある。
雄斗はいつもと変わらず高校に通い、家に帰ると特に何をするでもなく過ごし、夕食を作って食べ、また無気力に視線を遠くへ投げる日々を送っていた。
授業中は寝てしまうか、なんとなく窓の外を眺めるだけ。
ときどき小詩と話をし、はやりのマンガを借りて(そしてオススメの同人誌をむりやり渡されて)読む。
貧血で少し気分が悪くなると保健室へ行き、月森先生がわけもなく慌てるのを横目に見ながら、ベッドに横たわる。ただそれだけの学生生活だった。
イオネラが雄斗の血を吸う頻度は、以前より明らかに少なくなっていた。
家に来たころは毎日吸っていたのが、現在は三日に一度くらい。
それも正確ではなく、イオネラは吸血衝動(と本人は名づけている)が起きると、二日連続、三日連続で血を吸うこともあったし、逆に衝動が無く五日間ほど吸わないときもあった。
にもかかわらず、雄斗の貧血は改善する兆候が無く、むしろゆるやかに悪化しているようにすら雄斗自身は感じていた。
だが、それに対して雄斗は何をするでもなく、ここ一ヶ月の間、頻繁に襲われる立ちくらみと疲労感に惰性で付き合っていたのだった。
一方、イオネラはあいかわらず雄斗とケンカしながらも、マイペースで現代生活を楽しんでいた。
家の中にある様々なものに興味を示しては、帰宅した雄斗にしつこく尋ねる。そのパターンを、イオネラは飽くなき好奇心を糧にずっと続けていた。
いまの彼女は、夜型の生活スタイルをなんとか昼型にしようと、少しずつ就寝時間をずらし、生活のリズムを変えることに挑戦していた。
本人いわく、
「夜に起きておっても、面白みが少ない。大半の店は閉まっておるし、テレビはアニメか物売りしかやっておらぬ。先日のミナミナの生放送を支配し、全世界へ向けてわらわからの宣戦布告を行うには、いまから毎日、日中出かけることのできるように訓練しておかなくては」
ということだった。
しかし伝統的な夜型生活者である吸血貴族シェーンベルク家の跡取り娘は、なかなか昼間に起きる習慣を身につけることができずにいた。
一日や二日ならなんとかなるのだが、それから先は体が夜を求めているかのように、外が白み太陽が昇ったとたん、急激に眠気が襲う。
そのため、雄斗が家に帰ってくると、必死に眠気に対抗しようとしたのか、イオネラが不自然な体勢でリビングのソファに眠りこけているのを見ることが、すでに何度もあった。
人間なら徐々に夜型生活へ移行すれば、体の方がしだいに慣れてくるものだが、吸血鬼の場合はそうはいかないようだった。
一度、イオネラはツグミに相談した。
CSOをやっていたころ、ツグミは二十四時間以上起き続けることも日常茶飯事だったと聞き、イオネラはその極意について尋ねたのだった。
すると、ツグミは答えるかわりに、冷蔵庫から「眠気一閃! ~眠ってる場合じゃないとき~」と書かれた小瓶を取り出した。
「本気で長丁場するときは、いつもこれ飲んでた。市販ので、これが一番目が覚めるって評判なの」
栄養ドリンク(しかも眠気覚まし専用)というものになじみがなかったイオネラは、高まる好奇心をおさえきれず、早速それをツグミから拝借し(本人いわく「ツグミから献上され」)、次の朝に早速試してみた。
だが、イオネラの体はバイオロイドの体だった。当然、普通の人間とは反応が違った。
何がどう作用したのか分からないが、「眠気一閃!」を飲んだ数分後、イオネラの両目から涙が流れ始めた。
とめどない涙。イオネラがいくら目をこすっても、それは開きっぱなしになった水道の蛇口のように、あとからあとからあふれ出る。
結果的に、イオネラはその日、一度も寝ずに過ごすことができた。
だが、学校から帰ってきた雄斗は、イオネラの真っ赤に染まった両目にひどく驚かされる羽目になった。
「ど、どうしたんだよその目!? なにかあったのか?」
「ユウト……ふ、ふふふ……わらわはついに昼間、一度も寝ることなく過ごすことができたぞ……これで、世界征服計画にまた一歩近づいたというものじゃ……」
そして薄ら笑いを浮かべながら、イオネラは力尽きたようにその場につっぷした。
そんなことがあったりしたが、おおむね柊家は平和だった。
ミナミナの生放送に素顔をさらしたことで懸念されていた、バイオロイドを血眼で捜している亜斗蘭逓州大学からの追求も、結局彼らの情報網にはひっかからなかったのか、いまのところ音沙汰は無かった。
ミナミナとイオネラは、何度か電話で(もちろんイオネラは雄斗の電話で)やりとりをしていたが、ミナミナがまた急激に忙しくなり、会う機会はなかなか得られなかった。
毎週日曜に絶賛放映中のワイワイ生放送「ミナミナの青クロ」で、クローディアことツグミをゲストに、という打診が一度あったが、ツグミが固辞したため、結局「ホワイトテイル」で話して以来、雄斗もイオネラもミナミナに会うことはなかった。
逆に、イオネラと親交を深めるようになったのは、ツグミだった。
イオネラがほぼ毎日夕食をとるようになり、ツグミも兄の料理を食べるようになったため、夕食はずいぶんにぎやかになった。
その中で、イオネラのことを「姉さま」と呼び、心酔しているツグミは、学校や、勉強、友だちなど様々なことを、イオネラに話すようになっていた。
最近では、休日の夕方からイオネラと一緒に外へ出かけるようになり、秋場原のゲーム店やアイデアショップで買い物を楽しむほどだった。
その日もイオネラとツグミは、コスプレショップ「こみぱるん」に行き、夕食時、興奮気味にツグミが話していた。
「あのユラさんっていう人、すごいよね。ヨーロッパでメイドになるために、英語とドイツ語を勉強してるんだって。私、本物のメイドって見たことないけど、たぶんユラさんみたいな人なんだろうなって想像しちゃった」
「わらわもひと目見たときから、ユラの能力には感心した。日本では家政婦という職業が一般的で、メイドを本職とするものはあまりいないらしいが、あやつこそは本物のメイドじゃな」
「だよねー。でもそこまで本気で勉強してるのに、姉さまにお仕えすることができるって喜んでて……姉さま、すごいよね」
「当然じゃ。わらわは伝統あるトランシルヴァニアの貴族。わらわに仕えるということは、それだけで十分に名誉なことなのじゃぞ」
「でも、やっぱり姉さまの生まれながらにしての人間性だと思うけどね。人に尊敬させるっていうか、ひざまづかせるっていうか……やっぱり姉さまはカリスマの塊だよ」
そんな会話をしているうちに、夕食の時間が終わった。
「ごちそうさま。今夜もよい食であったぞ、ユウトよ。誉めてつかわす」
「へいへい、そりゃどうも」
「ごちそうさま~。お兄ちゃん、いつも感謝してるよ」
「へいへい、そりゃどうも」
すでにソファでくつろいでいる雄斗が、慣れた調子で答えた。
ツグミが食器を流し場に運ぶ。兄妹が一緒に夕食をとるようになってから、料理を作るのは雄斗、片付けるのはツグミと、いつからか役割が決まっていた。
食器を洗いながら、ツグミは思い出したようにイオネラに話しかけた。
「姉さま、ほかにどこか行きたいところある? 私が知ってるところならどこでも案内するよ」
「ふ~む、そうじゃな……」
二人の会話を聞きながら、ふと、この二人が外を歩いていたら十中八九、何かのアニメかマンガのキャラにコスプレしてるように見えるだろうな、と雄斗は思った。
何しろ真っ赤な髪に猫目で、七月だというのにいまだにコートをはおるイオネラと、オッドアイに鮮やかな桃色のショートヘアをしたツグミである。
二人で歩けばいやでも目立つことは想像にかたくない。
いくら魔法の下も変装している(ミナミナにもらったショッキングピンクのかつらと巨大なレンズの茶色いサングラス)とはいえ、通行人にこっそり写真でもとられたりしたらヤバいんじゃないかと、雄斗はやや不安になったりした。
そんな雄斗の思いに気づくはずもなく、イオネラは映っているテレビの方をじっと見つめた。
「前から気になっておったのじゃが、この国の人間は、あのような熱い湯につかることを娯楽としておるのか?」
イオネラの指差した先には、旅行番組で地方の有名な温泉に気持ち良さそうにつかる、二人の女性タレントの姿があった。
「温泉? 姉さま、お風呂に入るの?」
台所からテレビの方に視線をやったツグミに、イオネラは首を振った。
「まさか。わらわは湯になど入らぬぞ。おぬしも知っておるじゃろう」
「だよね。姉さまはいつも体拭くだけだし」
ツグミの言う通り、イオネラは風呂に入らない。
風呂場は使うが、そこで彼女は一週間に一、二度、自分の全身をぬれタオルで拭うだけだった。
それは、イオネラの体がバイオロイドで、特別汚れない限り、毎日洗う必要はないからだと雄斗は思っていたが、どうやら彼女が生身の体だったときもそのようにしていたらしい。
「吸血鬼は人間ほど汗をかいたり脂を出したりせぬからの。それで十分なのじゃ」
「でも、体をこするかどうかは別にして、お湯につかったら気持ちいいよ。あったまるし、ほっとするし」
ツグミがCSOで引きこもっていたころ、部屋から出るのは冷蔵庫に食糧を取りにくるときと、風呂場に行くときだけだった。
そのときも、ツグミはシャワーだけでなく、わざわざ自分で湯をためて浸かっていたから、入浴が好きなんだろうなと雄斗は以前から思っていた。
ツグミとイオネラの会話を聞きつけ、雄斗は二人に言った。
「風呂、入るか? 入るんなら湯、沸かしとくけど」
そう雄斗が言った瞬間、イオネラは顔をしかめた。
「ユウト……おぬし、自分が何を言っておるのか、分かっておるのか?」
「え……? 俺、何か変なこと言ったか?」
「変も何も……」イオネラは信じられないといった表情で眉をひそめてから、雄斗を強く指差した。
「おぬしは――吸血鬼が水を大量にかけられれば、その清らかな力によって体が溶けてしまうのだということを、よもや知らぬとは言わせんぞ!!」
「知らん」
雄斗があっさり返す。
一方、ツグミはイオネラの言い分に、驚きの声を上げた。
「えー? 姉さま、水をかけられると溶けるの?」
「当たり前じゃろうが! おぬしらは吸血鬼を……それもわらわのような高貴で尊い吸血貴族を、何だと思っておるのじゃ! 清き水には聖なる力が込められておる。それを吸血鬼がかぶるということは、十字架を目の前で突きつけられたり、ニンニクを無理やり食べさせられるのに等しい仕打ちなのじゃぞ!」
「吸血鬼は水をかけられると体が溶ける」と必死に主張するイオネラに、雄斗は疑問を呈した。
「でも、洗面台で手を洗ったりはするだろ。あれは大丈夫なのか?」
「もちろん、あの程度ならば問題ない」
「雨にぬれるのも大丈夫か」
「……多少ならばな」
「そういや先週、ツグミとイオネラが出かけたとき、たしか急な雨に遭ってたよな。家に帰ってきたとき、ずぶぬれだったし」
「それもまあ……問題なかったのう」
「しかもあのとき、歩道を歩いてたら、車に水をはねられて全身ビショビショになって、イオネラが相当怒ってた記憶があるんだけど」
「それは……まあ……」
だんだん小声になっていくイオネラに、雄斗とツグミが目元を緩める。
「な……なんじゃおぬしら! わらわを可笑しそうな目で見おってからに! 本当じゃぞ! 本当に吸血鬼は水をかぶったら体が溶けるのじゃ! そうわらわの一族では伝えられているのだから確実じゃ!」
「まあ、それが本当のことだったとしても、そもそもいまのイオネラの体は、人が作ったバイオロイドの体だろ」
「ぐ……こ、この体は、わらわの魂が乗り移った時点で、吸血貴族としての特性を有するようになっておるのじゃ。それゆえじゃな……」
「必死に言い訳する姉さま、カワイイ」
ツグミがイオネラの様子を見てうれしそうに微笑む。
「じゃあ姉さま、いまから私と一緒にお風呂入ろうよ。うちのお風呂場けっこう広いから、二人で入っても余裕だよ」
「つ、ツグミはわらわの話を聞いておったのか! 水はダメじゃと言っておろうに……!」
あきらかに焦っているイオネラに、ますますツグミが口元をつり上げる。
「じゃあ湯船には浸からなくてもいいから。どう? 姉さま」
「……ほ、本当に水に入らなくてもよいのじゃな? それならば、まあ、断る理由はないが……。ちょうどわらわも今日は体を拭こうと思っておったし……」
「いい? やった~。お湯、沸かしてくるね!」
「じゃ、じゃからわらわは入らないと――」
「私とお兄ちゃんが入る分だから。心配しなくていいよ?」
そう言って台所から浴室へ走り去るツグミ。
イオネラは困った顔をしたまま、思わず立ち上がっていたソファに再び腰を下ろした。
「――全く。下僕とはいえ、あまりに強引じゃぞ。なにゆえそれほどにわらわを浴室に誘うのじゃ。そもそも、最近のツグミはわらわへの態度がなれなれしいと感じておったのじゃ。これはいま一度、わらわへの恐怖を感じさせなくては……ブツブツ……」
「……最近、ツグミと仲いいよな。イオネラ」
何気ない雄斗の言葉に、イオネラはあきらめたようにひとつ息をついた。
「あまりべたべたくっつかれるのは性に合わぬのじゃがな……」
薄いピンクのタイルが全面に張られた明るい浴室は、確かに二人が悠々入れるほどの広さがあった。
スライド式のドアを開けると、右側の壁にはシャワーがあり、左側には大きな湯船がある。
いまはそこに温かい湯がたっぷりと入っており、白い湯気を部屋中にたちのぼらせていた。
服を脱いだツグミは、浴室に入り、シャワーの湯でひととおり体を洗う。
ひきこもり生活のころは食生活も睡眠時間も乱れに乱れていたため、皮膚はいつもカサカサで、小さな湿疹やひびわれがいくつもあった。
それに体型もやせぎすで、あまり健康的とはいえない状態だった。
だが、イオネラに血を吸われてからというもの、体の毒素が抜けてリセットされたツグミの肌は、元のうるおいを取り戻していた。
さらにその後も、雄斗がつくる無農薬の食事をとる日々を過ごしているため、ツグミはずっと健康な状態を維持していた。
だが、ツグミは目の前の鏡に映る自分の姿を見て、ややため息をつく。
そして水を止め、気を取り直すかのように、浴室の外に向かって呼びかけた。
「姉さま~? まだ入らないの~?」
すると、スライド式の扉が少しだけ開き、そこから服を脱いだイオネラが顔だけをのぞかせた。
そして、にらみつけるような視線を下方へ向ける。
「……床がぬれておるではないか」
「いや、雨のとき姉さまもっとぬれてたし……大丈夫でしょ」
苦笑するツグミに、イオネラはそろそろと扉をあけると、最大限警戒しながら、つま先からおそるおそる浴室に踏み込む。
まるで人家に侵入したこそ泥のように、床に落ちた水たまりを極力ふまないようにしながら、イオネラはツグミの使っていたシャワーの前にあるバスチェアにゆっくりと座った。
「よ、よし……なんとか溶けずにすんだぞ……」
「姉さま、水怖がりすぎ。絶対大丈夫なのに」
「いいや、水を甘く見てはならぬ。吸血鬼が水に弱いのは昔からの言い伝えなのじゃ。だからわらわも幼いころから母に、水に飛び込むようなマネだけはするなと口をすっぱくして言われたものじゃ」
「だからって、水をふまないようにするとか、極端すぎない? っていうかお兄ちゃんも言ってたけど、姉さまのいまの体、バイオロイドだし」
「そ……そんなことより、さっさとわらわは体を拭くぞ。どいておれ」
「あ、せっかくだから私が拭いてあげるよ。ひとりじゃ背中とか拭きにくいでしょ」
「む……。では頼むとしようか。そういえば、これも下僕としての仕事じゃからの」
「はい、お姉さま」
ツグミはイオネラが右手に持っていたぬれタオルを受け取ると、背後に回った。
そして右手に持ったタオルをイオネラに当てようとして、ふと、その肌を指でつんつんとこついた。
「……何をしておる」
「姉さまの体、人工の皮膚なんだよね。それにしては、よくできてるなと思って……。なにでできてるんだろ。どうみても本物だし」
「遊んでおる場合か。さっさとせい」
「はーい」
ツグミはいそいそと、イオネラの珠のような肌を、タオルで拭い始める。
はじめに背中。次に肩。首筋。右腕。左腕。そして前へ回り、胸のあたりを――
そこまできて、ツグミはイオネラの胸をじとー、と見つめた。
「姉さま、胸大きいよね。これ、魔法で大きく見せてるの?」
「まさか。魔法を用いているのは顔だけじゃ。体は借り物のまま……だが、生身の体のころは、これよりずっと大きかったぞ」
「ほんとに? そうなんだ、うらやましいな……。私の胸、すごく小さいから、ちょっと分けてほしいよ」
「あまり大きいと、重くて肩がこるだけじゃぞ……こ、こら、何をしておる!」
「へぇ……胸の感触も人間とそっくりなんだね。やわらかいなぁ……。これ作った人、どうやって女の人の胸を調べたんだろ。あっ、開発者が女の人、っていう可能性もあるよね」
「む、胸を触るのはやめんか! いい加減にせぬと、わらわも本気で怒るぞ!」
「ごめんなさい、姉さま。でもやっぱりコンプレックスなんだよね……はぁ」
ツグミは思わず自分の薄い胸を見て、さきほど自分の姿を鏡で見たときと同じようなため息をついた。
「どうやったら胸って大きくなるのかな……。姉さま、何か特別なこと、してた?」
「胸を大きくするためにか? 特段何もしておらぬが……じゃが、睡眠をきちんととると胸が大きくなるという話は、一度聞いたことがあるのう。胸の大きな女は、規則正しい生活を送って毎日しっかり決まった時間に寝る者に多かったと、わらわの時代の学者が言っておった。人間は寝ている間に体が成長するそうじゃから、そのことと関係しているのではないかな」
「そう、なの……。じゃあ私なんか、思い当たること大アリだよね。うーん……胸をとるべきかネットをとるべきか……」
CSOを離れたとはいえ、いまでもネットで動画をみたりゲームをしたり、ツイッターズなどのSNSを使用して深夜まで起きているツグミは、わりと本気で悩んだ。
「ごたくはよいから、さっさと作業を進めぬか。拭かれるために座っているだけでも結構疲れるのじゃぞ」
「あ、ごめんなさい。すぐにやるよ。――でも、姉さま」
そのとき。
ツグミの声色が、わずかに低くなった。
「私から提案があるんだけど――もっと早く、簡単に姉さまの体をキレイにする方法があるよ」
「なに。それはどんな方法じゃ」
「例えばね~。こんな方法とかどうかな~」
急に別人のように猫なで声になったツグミが立ち上がると、おもむろにそばにあったシャワーヘッドを取り上げた。
「なっ……つ、ツグミ……まさか……」
「フフフ。姉さま。水恐怖症とは、もう今日でさよならしましょう」
どこか自分の言葉に酔っているかのようなのぼせた調子で、イオネラを見下ろすツグミ。
それを見て、イオネラの顔が一気に青ざめる。
「ま、まて、早まるな! そんなことをしたら、わらわの体はどろどろに」
「ならないよ姉さま。私、姉さまといっしょにお風呂に入りたいの。だからここで姉さまのトラウマを一気に解決しなくちゃいけないの。大丈夫。姉さまはただ怖がってるだけで、本当は水をかぶっても何も起きないはずだよ。本当に溶けるなら、お兄ちゃんの言ってたとおり、もうこのあいだの雨で溶けてるはずだし」
「ツグミ……まさか、最初からそのつもりでわらわを……」
「そのまさかよ姉さま。さあ、観念して水を浴びて」
サディスティックに笑うツグミが、シャワーのカランに手をかける。
イオネラは思わずバスチェアからずり落ち、水だらけの床に後ろ手の状態で後ずさった。
「あ……ああっ! ダメじゃ、床に体をつけてしまったっ! 体が溶けるっ!」
あわてて立ち上がろうとするも、足が滑ってさらにお尻を床に打ち付ける。
いつになく取り乱しているイオネラに、ツグミはなぜか微笑みながら告げた。
「フフ……世界征服を目指す姉さまに、苦手なものなんてあってはダメなの。ここで水嫌いを完全に克服すべきなの。心配しなくても、私に任せておけば大丈夫だから――」
「や、やめよ……やめるのじゃツグミ……気を落ち着けよ……は、話せば、話せば分かり合えるはずじゃ……というより、いまのツグミはいつもと様子が違うぞ……はっ! もしや、おぬし悪霊にとりつかれておるのではないか? であればすぐにわらわの魔法で解呪せねばならぬ。だからその手を止めてもう少し待って」
「問答無用。えいっ!」
ツグミは手をかけていたカランを、思い切りひねる。
そのとたん、シャワーヘッドから勢いよく出た温かい湯が、イオネラの全身に降り注がれた。




