第36話 吸血貴族はメイドカフェがお好き
「おかえりなさいませ、ご主人様、お嬢様♪ 今日は休日で人通りの多い中、『ホワイトテイル』をお選びいただき、ありがとうございます☆ ドリンクでもフードでも、なんなりとお申し付けくださいね♪」
ミナミナに連れられて入った店は、雄斗がまるで体験したことの無い、秋場原の本格的なメイドカフェだった。
大通りからやや外れたところにある、白と茶色を基調にしたアンティークな概観。
ミナミナはこの店を一週間に一度は訪れているらしく、入店したとたん、近くにいた小柄なメイドに「奥の席、いい?」と慣れた様子で訊いていた。
メイドはミナミナの姿に驚きつつも、すぐにうなずいて「どうぞこちらへ!」と元気よく三人を案内する。
ミナミナが店内を歩くと、周りにいた客から次々に驚きの声が上がった。
「あれ? ミナミナじゃん」
「うわ……やっと会えたよ~!」
「サインもらえないかなぁ」
「握手したい……」
ざわつく客はみな、根っからのミナミナのファン。彼らもこの店がミナミナの行きつけであることを知っていて、やってきているのだった。
そんな彼らに、ミナミナは笑顔で小さく手をふりながら、さっと通り過ぎる。
店内のほぼ全ての客がコチラの方に視線を向けている異様な光景に、ミナミナの後に続いていた雄斗は思わず身を縮めていた。
ファンからの視線が痛い。俺は一体、こいつらにどう思われているんだろう……。
メイドが案内したのは、店の一番奥にある半個室のテーブル席だった。
他の席と同じフロアにあるが、そこだけ木製のついたてが置かれ、外からはほとんど見えないようになっている。
テーブル席に置かれた「ご予約席」の表示を取り上げ、メイドが雄斗らを席にうながす。
どうやらこの席は、お得意様専用のVIP席になっているようだった。
三人が座ると、メイドは雄斗とイオネラに向かって明るい笑顔を見せながら、冒頭のセリフを述べた。それに続けて、ミナミナが口を開く。
「今日は番組のおわびにミナミナが全部おごっちゃうから、何でも食べてね~。あっ、エリちゃん、『自家製もものいろケーキ』ってまだある?」
「はい、ありますよ~☆ ミナミナさんがオススメだってテレビ番組で宣伝してもらったおかげで、期間限定商品だったんですけど延長したんですよ~♪ あ、よろしければご主人様とお嬢様もいかがですか? いまなら『メイドとLOVELOVEデザインカプチーノ』もオススメですよぉ☆」
「LOVELOVEデザインカプチーノ……?」
ふだんなら絶対に来ないような店の雰囲気になじめないまま、雄斗はひたすら自分の方を見つめてくる丸顔のメイドに戸惑いを隠せなかった。
「はい♪ メイドがご主人様にあてた愛のメッセージを、カプチーノの表面に描くサービスです☆」
「はあ、そうなのか……え、ええっ?」
「私、こうみえてもこの店でLOVELOVEデザイン、一番上手いんですよー☆」
「ああ、そうなんだ……」
「いかがですか、ご主人様♪ きっとご満足いただけると――」
そのとき。
雄斗にひたすらLOVELOVEデザインを勧めるメイドの背後に、別のメイドが近づいてきた。
「エリ」
その威厳のこもった声に、エリはすぐさまふり返る。
「――あっ、ユラさん!」
そこに立っていたのは、腰の下まで長く伸びた黒髪とおだやかな瞳が印象的な、しなやかで背の高いメイドだった。
メイド服やホワイトブリムひとつにしても、エリのそれとは違いきれいに整えられており、ほぼ満席で他のメイドらが忙しそうに立ち回る店内においても服装の乱れが一切無い。
そのたたずまいは、立っているだけで周辺の空間全てを静まらせるようなオーラを放っていた。
そんな彼女が、威圧するような視線でエリの顔を見下ろす。
「下がりなさい、エリ」
「えっ、なんでですか? 私なにか拙いことでも――」
「と・に・か・く」
「――――!」
その凄味を効かせたたった四文字の言葉に、エリはただならぬ雰囲気を感じ取り、すぐさまユラの後ろに引き下がった。
ユラは雄斗らのテーブルの側に近づくと、両足をそろえ、深々と頭を下げた。
「うちのメイドが大変失礼な態度をとってしまい、深くおわびいたします。イオネラ様」
やや懐かしい――「こみぱるん」以来のユラの姿に、イオネラはうれしそうに顔をほころばせた。
「そうか、ここはおぬしの店だったのじゃな。もうよいぞ。わらわは怒ってなどおらぬ。おもてを上げよ」
「はい。ありがとうございます。――おひさしぶりです、イオネラ様」
頭を上げたユラは、やや恥ずかしそうにはにかんだ笑みをイオネラに見せた。
店の照明に照らされ美しく映える黒髪に、おとなしそうな、だが強い芯のある瞳。
カジュアルショップ「こみぱるん」にいたときとは違う、深緑と赤茶色がベースのメイド服だったが、頭の上からつま先まで完璧に着こなしている点は変わらない。
メイド志望のユラは、まさにいま、メイドとして三人の前に立っていた。
そんなユラを眺めつつ、ミナミナは得意げに話す。
「ユラってすごいんだよ~。このお店でメイド長やってるの。メイド長、っていっても、メイドだけじゃなくて、調理場とか店全体もまとめていて、立場としてはほとんど店長みたいなものなんだよ。この店、大通りからちょっと離れた所にあるから目立たないんだけど、口コミでものすごく人気のある店なんだよね~。それもこれも、ユラのおかげだよ」
「そんな……。この店の評判はミナミナさんが宣伝して下さっているからですし、私の力など微々たるものです」
「そんなことないよ~。メイドの接客態度が他のメジャーな店よりはるかにいいって評判だし。それにほら、ユラってきれいだから、ユラ目当てのお客さんだっていっぱいきてるよね。ユラの貢献度は計り知れないと思うけどな~」
「あまりお褒めにならないで下さい。私はただ、メイドとしての本分をこなしているだけですから……。あの、そういえばコチラの方は初めてお会いしますね」
そう言って、ユラは急に雄斗の方へ目を向けた。その優しい目に見つめられただけで、なぜか緊張する雄斗。
「私、岡本由宇良と申します。皆からは『ユラ』と呼ばれております。もしよろしければ、私のことはそのようにお呼び下さいまし」
「あ、ああ……。俺は柊雄斗、です」
「ひいらぎ・ゆうと様ですね。よろしくお願いします」
そう言いつつ、ユラは両手を前にして、首を少しかしげながら、心からのやわらかな笑みを雄斗に投げる。
それを正面から受けとった雄斗は、自分の胸が思わず高鳴るのを感じた。
(う……かわいい、かもしれない……)
そう感じながらも、平静を装った顔で雄斗は訊いた。
「ゆ、ユラさんは……イオネラのことを前から知ってたんですか?」
「私、この店以外にコスプレショップもかけ持ちしているんですが、そこに先日、イオネラ様が来て下さって……。私、一目でイオネラ様に魅かれてしまい、その場でイオネラ様のメイドとして仕えるお許しを頂いたのです。
本来ならばこの職も辞し、イオネラ様の住まいでお仕えするつもりだったのですが、家にはすでに忠実な下僕がいるため、必要なときだけ命令に従うよう、イオネラ様から寛大なお達しを頂いたのです」
「へえ……そ、そうなんだ」
「あの……雄斗様は、イオネラ様とどういったご関係なのでしょうか?」
ユラの質問に、イオネラが答える。
「おぬしがいま言っていた、わらわの屋敷に使える忠実な下僕。それがこやつじゃ。ほぼ毎日、わらわはこやつの血を吸っておる」
「まあ、そうなんですね。イオネラ様の毎日の生活を支えて下さっているなんて……。雄斗様、私に丁寧語などもったいのうございます。どうかユラにも、イオネラ様と同様の態度で接して下さいまし」
「はあ……まあ……」
それからユラは三人から注文をとり、静かに一礼すると、エリと呼ばれたメイドを連れて下がっていった。
雄斗はなんとなくユラの後姿を目で追ってしまう。
忙しい休日の店内。他のメイドらも早足で、派手なパフェや色鮮やかなジュースなどを運んでいる。
だがユラだけは、落ち着き払った様子でロビーを移動する。
その姿は他のメイドとは一線を画し、『店長』としての威厳が漂っていた。
「エリ。きなさい」
ユラは店の入り口付近まで来ると、エリを近くに呼び寄せた。
エリは不満そうに口を曲げながら、メイド長であるユラを強気な目で見上げる。
「ユラさん、なんで私が下げさせられたんですか。納得できません。あの人たちはユラさんのお得意様だったかもしれないけれど、今日は私のお客様だったのに。注文くらいとらせてくれたって、いいじゃないですか」
仕事熱心な、だがやや挑戦的なエリの発言に、ユラは厳しい顔で告げた。
「そのような言葉遣いでは、この店のメイドは務まりませんよ、エリ。『お客様』ではなく『ご主人様』『お嬢様』です」
「あっ……すみません」
「ですが、それでもあの方には足りません。イオネラ・シェーンベルク様には」
遠い目をするユラ。そのただならぬ雰囲気に、エリは戸惑いを見せた。
「イオネラ・シェーンベルク……? あの、赤毛でロングコートをはおった、猫目のキレイな人のことですか?」
「言葉を慎みなさい。『人』ではありません。『方』ですよ、エリ。あの方は――」
イオネラの座るテーブルへ視線を向け、ユラは口にした。
「トランシルヴァニア公国という東欧にあった国の、由緒あるお家柄の方なのです。正真正銘の貴族なのですよ」
「貴族?」
「そう。だからあの方の前で『お嬢様、LOVELOVEデザインカプチーノ、いかがですかぁ?』などと失礼なことを言おうものなら、即刻ギロチンの刑に処されます」
「ギロチン――」
エリは一気に青ざめながらも、否定するように首をフルフルと振って否定した。
「で、でも、ここは日本ですよ? ギロチンなんてそんな……」
「あの方は、無礼な人間を処罰するのに手段を選びません。現に先日、ミナミナさんを連れ去ろうとした無粋なファンの人を、あの方は想像だにしない方法で罰しました」
「ば、罰しましたって……どうやって……」
ユラは無言で首を横に振った。
「とてもむごくて……口にするのは憚られます」
「そ、そんな……」
「あの方なら、あなたの戸籍を消して祖国に連れて帰ることくらい造作もないはずです。そうなればエリは、イオネラ様の支配する国で秘密裏に罰を受けることでしょう。そして誰にも気づかれないまま、この世から抹消されるのです」
「ひっ……!」
エリの顔が青ざめるのを通り越して白くなる。
ユラの説明にはかなり彼女自身の「妄想」が入っていたが、そのあまりに真剣な雰囲気に、エリは完全に取り込まれた。
「分かりましたか? イオネラ様の前では、決して軽々しい態度をとらぬよう。さあ、あの方々に水をお出しして」
「は、はいっ!」
エリは光の速さで三つのグラスに水を入れると、すぐさまイオネラの座るテーブルに向かっていった。
「お、遅れましてもうしわけありませんでしてありませんでした! こちら、み、水になりますっ! ど、どうぞ……あ」
ユラの吹き込みで完全に自分を見失ったかわいそうなエリが、ふるえる手でお冷をイオネラの前に置いたとたん、彼女はグラスを横に倒してしまった。
「ああっ!? す、すみません申し訳ございませんごめんなさいもうしません許してくださいどうか命ばかりはーーー!!!!!」
エリがテーブルの前で土下座する。そればかりか、そのまま足を伸ばして床に倒れ伏す。
その姿を見て、逆に雄斗の方があわてたそぶりを見せた。
「あ、だ、大丈夫だって、そこまでかしこまらなくても……。テーブルの上にこぼれただけだし」
「でも私、由緒正しい大貴族であるイオネラ様の前で無礼千万なことをーーー!」
「エリよ」
戦国武将じみた表現で自分の過ちを反省するエリを見下ろしながら、イオネラが口を開く。
「は、はいいいいいっ!?」
一瞬で立ち上がったエリは、極度の緊張に顔をこわばらせながら、直立不動でイオネラの前に固まる。
それへ、イオネラはやや険しい顔で告げた。
「――おぬしは、相手の位や身分によって、もてなし方を変えるのか」
「……え」
エリが顔を上げる。イオネラは腕を組み、エリの表情を見つめた。
「わらわの高貴で尊い身分をユラから聞かされたのか。ならば、わらわの前で緊張するのも分からぬではない。じゃが、それによっておぬし自身が客へのもてなし方をすっかり変えてしまうのは間違っておる。おぬしはその程度の気持ちで、メイドを務めておったのか」
「はっ……!」
エリは気がついたように目を見開く。奉仕の精神で、ご主人様に最上のやすらぎを与えるというメイドカフェの仕事を、それに対する自分のプライドを、思い出したように。
「貴族だから、平民だから、というのではない。人にはそれぞれ、与えられた役割というものがある。おぬしがメイドという、主に仕える職を選んだのであれば、相手によって自分の考える最上のもてなしを簡単に曲げてはならぬ。おぬしがやってきた奉仕に、もっと誇りをもて」
「……は、はい、イオネラ様!」
エリはなぜか感動したように瞳をうるませながら、すばやく水のこぼれたテーブルをふきあげ、新しいお冷を持ってくると、深く一礼してテーブルを去っていった。
置かれた水を平然とひとくち飲むイオネラに、ミナミナは感心したようにため息をつく。
「さすがだよねー。さっそく一人、イオちゃんの虜にしちゃったよ……。ミナミナにもそんなカリスマ性があったらなぁ……」
テーブルにひじをついた両手に顔をおき、うらやむようにつぶやくミナミナ。
「なにを言っておるのじゃ、ミナミナよ。メイドとして当然のことを、わらわは教えただけじゃ。わらわのいた宮殿では、メイドはみなかいがいしく働きながらも、自分の仕事にはプライドを持っておったからのう」
「メイドを使いこなす人なんて日本にはそうそういないよ。やっぱりイオちゃんすごすぎ……」
そんな会話を続けている中、雄斗が口を開いた。
「あの、さ。話を変えて悪いんだけど、とりあえず今日の番組で何が起きたのか教えてくれねえかな。一応、妹にも説明しとかないといけないから」
「あ、うん。そうだね。まず生放送を中断したところからなんだけど――」
それからしばらく、ミナミナは生放送の状況とてん末を、雄斗に説明した。
「……ってことは、やっぱりイオネラの顔は、カメラを通すとバイオロイドの顔になるってことか」
「わらわも驚いておる。『カメラ』というものがどういった機構で成り立っているものなのか、わらわとしてもぜひ知りたいのじゃが、あいにく日本語が読めぬのでな。だれかに教えてもらわぬことには理解できぬ。ユウトよ、カメラについて説明せよ」
「いや、俺の方が説明してもらいたいくらいなんだけど……」
「なに? おぬし、中身がどうなっておるのかも分からずに、カメラを使っておるのか? 自分の使うものくらいどうやってできておるのか、理解しておくのが当然じゃろうに」
「六百年前はそうだったかもしれねえけど、いまはそういう世の中じゃねえんだよ」
「まったくこの下僕は……使えぬのう」
「んだと。もう一度言ってみろ――」
「はいはい! ケンカはやめましょ! ――とりあえずそういうわけで、イオちゃんをカメラには映せないのです」
「でも――それじゃあ、いまのこの状況も、結構やばくないか? ほら、防犯カメラとかに映っていたら」
「大丈夫だよ。この店には防犯カメラは無いし。あったとしても、いまはばっちり変装してるから」
「変装?」
雄斗が言うと、ミナミナは自分のスマートフォンをカメラモードにして、雄斗に手渡した。
スマホをイオネラに向けて画面をみつめる雄斗。
そこには、ショッキングピンクの髪に、不自然なくらい大きな茶色いサングラスをかけたイオネラが映っていた。
「ね? これなら絶対バレないでしょ」
「そうだな。これなら絶対バイオロイドだとは思われない……って、これ逆に目立ちすぎないか?」
「そうかな~。ピンクのかつらはうちの事務所にあったれっきとした衣装だし、サングラスはミナミナがいつもかけてるものだから、絶対大丈夫だよ」
ミナミナはいつもあんなサングラスをかけているのかとある意味感心しながら、雄斗はスマホをミナミナに返した。
「でも結局、イオネラの顔がネット上にさらされたんだよな。ツグミ――妹から聞いたんだけど、ネット上にいったん顔が出たら、そこから画像が拡散されるかも、って」
「うん……。それについては、ミナミナには弁解の余地はないよ。本当にごめんなさい。ディレクターは、もしかしたらイオちゃんを捜している大学とかから問い合わせがくるかも、って言ってたけど、みんな黙っててくれるし、ミナミナももちろん、バイオロイドのことはだれにも言わないから」
「その話はもうよい。そもそもわらわに非があることじゃからな。ユウトも、ミナミナをそれ以上責めることは許さぬぞ」
「別に責めてるわけじゃねえって。ただどういう事情か訊きたかっただけで――ああ悪かったよ! 俺が悪かった!」
両手を挙げて雄斗は降伏の意を示す。イオネラはそれを見て、鷹揚にうなずいた。
「いつもこれくらい素直でいてくれればよいのにのう。全く、世話のかかる下僕じゃ」
「んだと。もう一度言ってみろ」
「はいはい! ケンカはやめましょー♪」
「お待たせしました~♪ 『自家製もものいろケーキ』三つと、キャラメルマキアート、プレミアムレモンティー、そしてエリ特製LOVELOVEデザインカプチーノでーす!」
またミナミナが慌ててケンカを止めようとしたところで、エリがタイミングよくドリンクを運んできてくれた。




