第28話 吸血貴族と放浪者ツグミの小さな闇3
彼女の話しぶりを見るうち、ツグミはいつのまにか警戒心が解けていた。
いまだにこのイオネラとかいう人の正体は不明なままだ。
お姫様口調で、人の血を吸い、話すことは厨二病じみた中世ファンタジー的設定。
だがいつも他愛のない話題ばかりふってくる彼女が、今日はいたって真剣な顔つきで話すため、そのギャップにツグミは真実味を感じていた。
「……あなた、本当に吸血鬼なの? フリじゃなくて?」
「当たり前じゃ。だが――信じてくれなくともよい。もうその質問には慣れた」
達観したような表情でイオネラが目元をゆるめる。
ツグミは彼女の言っていることがとても信じられなかったが、ただ目の前で話す彼女がウソをついているわけではない、その一点だけは理解ができていた。
――この人は、私のことを正面から見ようとしてくれている。
「そういえば、以前おぬしが『どうせゲームなんて時間の無駄だ、それより学校に行って勉強しろって言いたいだけなの、見え見えだし』と言っておったが、ひとつ分からぬことがあるのじゃ」
「……何?」
「この時代では、ツグミやユウトのような年齢の者は、全員学校に行かねばならぬのか? 前にユウトにも同じ質問をしたのじゃが、ここはわらわの時代に比べ学ぶことが多いからと言っておった。それにしては、あやつは家でもぼけーっとしておるし、どうもよく分からぬ」
「ま、まって」ツグミが話を止めた。
「この時代、って――あなたはいつの時代の人なの?」
「わらわは西暦一四○八年に没した。いまから約六百年前じゃ」
「……またワロスな設定きた」
ツグミはなかばあきれたが、いちいち疑っていたらキリがないとも思い始めていた。
「まあ、そういうことにして話すけど……。日本だと中学三年生――十五歳までは義務教育。学校にいかないといけないって国が決めているの。お兄ちゃんの通ってる高校は義務じゃない。でもたいていの中学生はどこかの高校に進学してる」
「なるほど。じゃが、ツグミは学校には行っておらぬぞ」
「行かなくても別に罰があるわけじゃないし。普通だったら親が学校に行かせるか、学校が親に連絡とかすると思うけど――お父さんもお母さんも海外で、家にはいないから、なんとなくなあなあになってる感じ」
「要するに、おぬしは学校へ行く義務はあるが、行かなくても特にとがめられぬと、そういうことじゃな」
「まあ、そういうこと――かな」
ツグミがあいまいにうなずく。それへ、イオネラはさらに尋ねた。
「では、ツグミはもう学校に行かずともよいということかな?」
イオネラの言葉に、ツグミは複雑な表情になった。
「行かなくてもいいって――いうわけじゃないけど」
「……学校に未練でもあるのか?」
ツグミはイオネラの言葉に、眉をひそめた。
「未練っていうか……そもそも学校なんか、もう行けないし。一年も休んでるのに」
「一年休むと、もう学校には通えぬのか?」
「いや、そういうことじゃないけど……でも」
ツグミはイオネラの斜め後ろにある部屋の壁の方を見た。そしてその先にあるもっと遠い何かをながめるように、目を細める。
「行きづらい、っていうか……みんなから、一年間何してたんだ、っていう目で見られるし。それだけならいいけど……みんなきっと私のことを、哀れんだり、同情したりすると思う。そんな気がする。それくらいなら、CSOのみんなと付き合っていた方がずっと気楽だし」
「ふむ、なるほどな……。ところで、CSOのみんな、とは、放浪者どうしで組む戦闘パーティのことじゃな?」
「……どうしてそんなこと知ってるの。この間まで、放浪者っていう言葉も知らなかったでしょ」
「ミナミナに訊いたのじゃ。ほれ、あやつはCSOの声優をやっておると言ったじゃろう。だから電話で直接教えてもろうたのじゃ。もっとも、あやつもさほどCSOのことは知らなかったようじゃがのう。それでもわらわにとってはよい勉強になった」
「……それ、ほんとに? ほんとにあなた、ミナミナと友だちなの……?」
「ほんとじゃと言うておろうが。あいかわらず疑り深いのう。それより――そのCSOの放浪者仲間というのは、そんなに付き合いやすいのかえ?」
「うん……」
すると、ツグミの口元にやや笑みが差した。
「みんな優しいし、面白いし。趣味が同じだから、話していて楽しいの」
「仲間は何人じゃ?」
「三人。ふつつか、ノボル、シルフィ」
「ほう……たしか、どこのだれなのかは一切分からぬのじゃったな?」
「そう。でも、何となく文章とか態度とか、リアクションをみていたら分かるよ。
ノボルはたぶんもう成人してる男の人。パーティの中でも常識人で、よくちらかった話をまとめてくれる。ふつつかは『不束者』っていう名前なんだけど、たぶん女の人。年も若いと思う。ふだんはネガティブだけど、たまにテンションがすごく上がるの。シルフィはおっさんかな。ノボルと同じくらいか、それより年上。ちょっとキモオタっぽい。
でも共通しているのは、みんなゲームが好きで、生活のかなりの時間をゲームに割いてるってこと。まあ、CSOに使っているのは私が一番長いと思うけど」
楽しそうに話すツグミに、イオネラは得心した。
「なるほど。おぬしにとってはかけがえのない人間ばかりのようじゃな。ということは、逆に言えばこの一年間、付き合いがあるのはその三人だけということかな」
「まあ、そうだけど。三人だけで私にとっては十分。学校みたいにいろんな人と付き合うのは面倒だから」
「面倒……?」
イオネラの言葉に、ツグミは顔を隠すように三角座りになったヒザに額をつけた。
「面倒でしょ。話をするのは気心の知れた人だけでいいし。いろんな人とつきあうのは疲れるから。――もともと、学校のクラスでもそんなに交友関係は広くないし。それより、なんで理解できない人たちといっしょのクラスにいなくちゃいけないのかがわからない」
「仲のよい者はいなかったのか? 例えば、おぬしが引きこもってから連絡をよこしたものは?」
訊かれ、一瞬ツグミの中で、メガネをかけたおとなしそうな生徒の顔がよぎった。
だがツグミは頭から否定するように、すぐさま首を振った。
「いないよ。だれも」
そしてさらに、ツグミはうつむきながら言葉を重ねた。
「みんな何を考えているのかわからない。将来役に立たない授業を受けにわざわざ学校に通ってるだけなのに。ただ義務感だけで、そうするのが当たり前だから、そう教えられたから、毎朝学校に行ってるの。バカみたいでしょ。
理解できない。いま考えれば、みんなどうかしてると思う。それなら、気の合う人とだけ生活した方がいいに決まってる。社交的な生徒は学校でもうまくやっていけるけど、私みたいな生徒は家にこもっているくらいがちょうど居心地がいいの」
開きかけた彼女の心が、再びふさぎ始める。
学校生活の印象をかき消し、記憶から消し去ろうとするかのように、ツグミは矢継ぎばやに言葉を投げつける。
そんな彼女の言い分に、イオネラはやや眉をひそめた。
「そうか……。おぬしがそう考えるのならしかたあるまい。だが兄はどうなのじゃ?」
「お兄ちゃん?」
「あの下僕は殊勝なことに、毎日毎日おぬしのために夕飯をつくっている。それだけではない。おぬしが生活にどうしても必要なものはあやつが全て用意している。せめて兄とはまともに話をしてもよいのではないか」
言われ、ツグミはいっそう顔をくもらせた。
「お兄ちゃんはいつも、リポナミンKとかペカリスエットとか買ってきてくれるから、ありがたいとは思う。けど、それだけ」
「それだけ?」
「買い物はしてくれるけど……それ以外には何も。――だいたい、お兄ちゃんは私が引きこもったときにも、何も言わなかったし。ときどきしゃべることはあったけど、たいした話もしないし。たぶん私に関心がないんだと思う。はっきり言って何を考えているのかわからない。むしろいなくてもいい」
「……いなくても」
イオネラは声を低く下げ、目つきを厳しくする。
だがツグミはその変化に気づかず、顔をそらしてまくしたてた。
「お兄ちゃんがいたら気を使うだけだし。買い物くらい、いまどきネット通販で何でも買えるから、別にお兄ちゃんがいなくてもなんとかなるし」
「…………」
「それに親だって――親だっていなくなれば、私はCSOに集中できる。お父さんはときどき電話くれるみたいだけど、それくらいならお金だけくれたらいい。私の人生だし。私はずっとCSOの放浪者として生きていたいの。CSOの仲間以外、だれもいらない」
「…………」
「っていうか、お兄ちゃんはなんで毎日勝手に夕飯をつくるのか、意味分かんない。私はいらないって言ってるのに……私が食べに来るみたいに、いつも台所におかずを置いて。正直ちょっと怖い。お兄ちゃん、ちょっと心が病んでるんじゃないかって思う。私が学校に行かないからって、何がしたいのか――気味が悪い。だからよけい、お兄ちゃんなんかいない方が――」
「バカ者!!」
その瞬間――
イオネラがテーブルを強くたたき、大きな声でツグミを叱咤した。
言われたツグミの方は、とつぜんのイオネラの怒りに表情を固まらせる。
それへ、イオネラはテーブル越しに前のめりになりながら、強い調子で告げた。
「ユウトの心が病んでいるなどと、気味が悪いなどと……。ユウトは無気力で怠け者の、どうしようもない下僕じゃが、決して頭がおかしくなどない。むしろそなたを立ち直らせたいと毎日真剣に願っておる。
じゃがあやつは極度の口ベタじゃから、ああして毎日そなたのために夕食をつくるという行為でしか、そなたへの思いを伝えられぬのじゃ。それくらいのこと、どうして生まれてからともに生活しているおぬしが分からぬのじゃ!」
「お兄……ちゃんが……?」
ツグミは打たれたように目を見開き、ぼうぜんとする。
イオネラは再び表情をやわらげると、そのまま立ち上がり、自分の実の妹に対するように優しく諭した。
「ユウトは不器用な男じゃ。おぬしに目にみえた変化があっても、いちいち深くせん索しようとはせぬ。それがあやつの魅力でもある。そしてだれよりも、あやつはおぬしの力になりたいと考え、自分にできることをただひたすら続けておるだけなのじゃ。
仮想空間での活動を止めろとは言わぬ。目に見えぬはるか遠くの者とできる絆もあるじゃろう。じゃが、そなたのために毎日働いている者の気持ちも少しは理解してはどうか? 毎日料理をつくるということは、並大抵のことではないのじゃぞ? もちろん、そなたの体を気づかってのことじゃ」
そこまできて、ツグミは、そもそもCSOを紹介したのは兄だったことを思い出した。
あの日――
隣の席だった男子にひどい言葉をぶつけられ、女子トイレに駆け込んでから廊下に戻ろうとしたときに、とつぜん兄が弁当を届けに現れた。
そのときに勧められたのが「クライシスソード・オンライン」。
それから、私はパソコンでゲームのことを調べ、しだいにのめりこんでいった――。
だからお兄ちゃんは、私のことをよけいに心配しているのかもしれない。
自分の責任だとすら、思っているかもしれない。
お兄ちゃんが口ベタなのはずっと以前から知っていた。
私はそれを言い訳に、お兄ちゃんと話すことを自分から避けていた――。
「お兄ちゃん……」
ツグミは小さくつぶやきながら、この一年間の光景を思い返した。
夕方ごろリビングに下りてくると、テーブルに置かれた自分の分の夕飯を目にする。
夜中、冷蔵庫をあけると、余った自分の分の夕食が入れられている。
毎日、毎日。それは一日も途切れることなく、今日までずっと用意されていた。
たとえツグミが一切手をつけることはなくても、兄は夕食づくりをやめたりしなかった。
兄は気が病んでいるのではとツグミは思っていた。だがその夕飯こそ――その行為こそ、口ベタな兄が伝え続けた唯一のメッセージだったことに、ツグミは気がついた。
ツグミの帰ってくる場所は、いつでも用意しているから。
「ゲームは続けてもよい。わらわに止める権利は無い。じゃが、実の兄がいなくてもよいなどと思うことだけはやめよ。ユウトはおぬしにとってかけがえのない家族であり、おぬしのことを一番近くで応援している人間じゃ。
そしてそれを認めたなら、今度は、本当におぬしがこれからやりたいことを、もう一度自分自身に問いかけよ」
言われ、ツグミは光に濡れた目をイオネラに向けた。
「本当にやりたいこと……?」
「本当に今の生活のままでよいのか。さきほどからのおぬしのセリフは虚栄にしか聞こえぬ。できるかではなく、どうしたいのか、自分の心にもう一度尋ねてみよ。そうせねば、いつか本当に自分の心の声が聞こえなくなるぞ」
「心の、声――」
ツグミはそっと胸に手を押し当てた。そうして思い出されたのは、学校の風景だった。
何となく通っていた学校。
勉強はつまらないし、人間関係も面倒だった。
部活をやっているわけでもないし、学園生活にたいした面白みは感じられない。
だがツグミにも、いくらか気の合う友人はいた。そうした生徒と勉強の愚痴や生活のことを話している時間は、それなりに楽しかった。
たしかに学級には趣味の合わない人も多くいた。おしゃべりの過ぎる女子、なにかと粗暴な男子、不合理な理屈で怒る先生など。
だがそれらは表現を変えれば、彼女にとってある種の刺激でもあった。
なじみのない人間の行動に触れ、自分とは違うその人の考え方に触れる。
自分ならこう考えるのに、なぜあの人はそんなふうに考えるのだろう。
思わぬ他人の言葉に、ときには悩み、傷つくこともある。
それは友人らの間で話題にし、共有することによって「楽しみ」に変換していた。
そうした思考を繰り返す過程で、ツグミというひとりの人間の自我が形成されていたはずだった。
もちろんそんなことを、ツグミは自覚していない。
だがオンラインゲームをやり始め、その面白さにのめり込み、家にひきこもるにしたがい、なぜか心の中のわだかまりが少しずつ大きくなっているのを、ツグミは確かに感じていた。
そのわだかまりの原因は分からなかった。
いや、本当は真剣に自分と向き合っていれば、案外早く理解できたことなのかもしれない。
だがツグミはそのわだかまりを解決する選択を捨て、CSOで放浪者となることを決めた。
戻る道はいつでもツグミのそばに開かれていた。
兄が夕飯をつくってくれていたし、仲の良い友人からはメールが届いていた。
だがそれを振り切るように、ツグミはCSOに没頭した。
決して振り返らないよう、コミュニティの仲間とCSOをクリアすることだけに四六時中意識を集中させた。
ふと気がつくと、いつのまにか彼女はCSOでも一、二を争う魔術師になっていた。
ツグミはわだかまりをかき消そうとよりいっそうゲームにのめりこんだ。
だが、ツグミの住んでいる家は自分の家ではなかったし、ツグミの食べているものは自分が用意したものではなかった。
それが気にならないほどぞんざいな人間でいられればよかったが、そうなるにはツグミはやや自己に対し客観性を持ちすぎていた。だからこそ、CSOで最高の魔術師になれたともいえた。
このままで、いいんだろうか。
ときおり響く心の声から逃れるように、ツグミはCSOをやり続ける。
学校に戻る勇気はない。いまさら戻ることなんてできない。みんなの哀れむ表情が目に浮かぶ。影でバカにする者だって、いるかもしれない。
そんな場所に戻るくらいなら、パーティのみんなと話していた方が楽に決まってる。
それでもなお、その日のプレイが終わり、疲れ切った体でベッドに横たわったときに目に浮かぶのは、学校にいた頃の自分と、クラスメートのいる教室の風景だった。
可笑しさと、驚きと、悩みと、面白さと、理不尽と、わかちあいが入り混じった「学校」という空間が、ツグミは好きだった。
「私――」
ツグミは心に残った真実のしずくを、ゆっくりとしぼりだした。
それは聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声になり、彼女の口をついて出た。
「私……戻りたい。元に戻りたい……。元の学校生活に……」
ツグミのわずかな、だがはっきりとした言葉。
「事実を消せるなら……みんなから、あの記憶を消せるなら……記憶を消して、またやり直したい……」
「ツグミ。人の記憶を自分の意思で消すことはできぬ。じゃが、『上書き』ならできる。おぬしを悩ませている記憶をぬりつぶせるよう、おぬし自身が新たな記憶を周りのみんなに与えるのじゃ」
言われ、ツグミは数秒だまったあと、静かにつぶやいた。
「……わかった」
その言葉に、イオネラはゆっくりとうなずいた。
「なら、それを実現するために、できることをひとつずつはじめよう。まずはユウトと話をすることじゃ」
「お兄ちゃんと……?」
「おぬしに一番近い同居人じゃ。あやつがいなければ、いまのおぬしはない。変えるならば、まずそこからじゃ。なに、わらわがついておるから心配するな」
ツグミは三角座りのまましばらく考えに沈んだ。
それは決心がつかないというよりも、これまでの自分の態度を思い返していたからだった。
「そう……だよね。うん。そうする」
その答えを聞き、イオネラは表情を一気に明るくした。
「よーし。どうせならあのつねに無気力で無感動な下僕がひっくり返るくらい驚かせよう。すでにわらわが毒素を吸ったからツグミの容姿は変わっておるし、それだけでもよいが――その変色しておる毛先は切ったほうがよいな。せっかくじゃ。イメージを変えるために耳の下あたりで短く切りそろえてはどうじゃ」
「ショートヘアにするの? う、うん。わかった」
「料理はできるか?」
「……カレーくらいなら」
「よし。髪を切ったら、すぐに台所で準備じゃ。ユウトが戻ってくる前にツグミの手で夕飯をつくってやるのじゃぞ」
「……そんなことがあったのか」
ツグミの一連の話が終わり、雄斗はあぜんとした。
ツグミがイオネラに血を吸われ、それにより体にたまっていた疲労が全て抜け、まるで別人のような姿で目の前にいる。そのことも驚きだったが、それよりツグミが一年前に学校で遭遇していたできごとの方が、彼にとっては衝撃が大きかった。
「俺が弁当を届けたあの日に……ツグミは大変な思いをしていたんだな」
「お兄ちゃんごめん。私、どうかしてた。毎日ご飯をつくってもらってるのに、いらないとか、なくてもいいとか――。リポナミンKだっていつも買ってきてもらってるのに、ありがとうもいわずに、毎日――」
「なにいってんだよ。俺のほうこそ、ツグミのこと、なんにも知らずにいたし……。俺、だめな兄だな」
「ううん、お兄ちゃんが謝ることない。全部私が悪いから」
自分を恥じ、気をつかった言葉をかけてくれる。雄斗は、ひさしぶりに感情をあらわにした表情を見せる妹に、安どと喜びを感じていた。
「――カレー、食うよ」
「うん」
二人はテーブルにつくと、まだ温かいカレーを目の前に置いた。
雄斗はスプーンを拾い、牛肉と野菜の入ったごく普通のカレーをひとすくいすると、ゆっくりと口に運んだ。
「うん、おいしい」
「あ、ありがとう……。こ、これからは私がつくるから、夕飯」
「無理しなくていいよ。俺が作るって。でも体調悪いときとかにつくってもらえると助かるかな」
「うん……」
そしてお互いにカレーをほおばる。
ひさかたぶりの二人でとる夕食には会話もなく、ただ沈黙だけが降りた。
だがそこには、一年間というこれまでの長い空白を埋めるような、濃密な時間が流れていた。
雄斗はふと妹の方を見た。するとツグミも兄の方を見ていて、目が合うと、恥ずかしそうに二人ともまたカレーを食べ始めた。
言葉は交わさずとも、兄妹の間には、以前と同じ状態に戻ることができたという大事な感覚があった。それだけで、二人には十分だった。
「つまらぬ」
とはいえ。
あまりにしゃべらない二人をみかねて、テーブルの脇に立っていたイオネラがため息とともに口を出した。
「おぬしらはホントに会話がはずまぬのう。同じ屋根の下で暮らす者どうし、もう少し雑談で話を盛り上げる術を身につけよ」
「いや、なんでイオネラにそんなこといわれなきゃいけねえんだよ」
「はい、イオネラ姉さま」
「姉さま!?」
ツグミの唐突な発言に、雄斗は思わず立ち上がりながら戸惑った顔を妹に向けた。
「ツグミ。こいつのこと……」
「うん。だってお兄ちゃんと同い年みたいだし。それに同じ家に住むなら、姉さまって呼んだ方がいいと思うんだけど。おかしい?」
「まあ、べつにおかしくはねえけど……それなら『お姉ちゃん』とかでもいいんじゃ……ブツブツ」
不承不承といった様子で、雄斗は再びイスに座る。対してイオネラは腕組みをしながら、満足そうにうなずいた。
「うむ。ツグミも我が妹となり、さぞ幸せじゃろう。二人とも、これからはわらわの手足として、世界征服のため存分に働くのじゃぞ」
「いや、なんでイオネラのために俺たちが働かなきゃいけねえんだよ――」
「はい。私、柊ツグミは、イオネラ姉さまの忠実な下僕として、未来永劫末代に至るまで心も体もお仕える所存です」
「下僕!? 待て待て!! ツグミ、それはおかしいだろ!」
またイスから立ち上がり、テーブルに両手をつく雄斗。だがツグミは平然とした顔で、むしろどこか心地よさそうにのぼせた口調になっていた。
「でも、姉さまは私の血を吸ったから、私はもう姉さまには逆らえないの。体が勝手に動くの。心がそうさせるの。そういう設定なの」
「設定!?」
「うむ。ツグミは自分の立場をよく理解できておるようじゃな。さすが忠実なるしもべじゃ」
イオネラがツグミの頭をなでなでする。どちらかといえば高慢な人間には反抗しがちな性格だったツグミだが、イオネラに対してはなぜかうれしそうになでられるがままに従っている。
「お褒めに預かり恐縮です、姉さま」
「おぬしが健康になれば、第二の雄斗として血を吸ってやらんでもない。いまから精進するのじゃぞ」
「ほんとに? また血を吸ってくれるの? じゃあ私、今日からベジタリアンになる!」
雄斗は眉間のあたりを押さえながら、頭痛の種が増えたことを実感していた。
ツグミが元の生活に戻ってくれそうなのはよかったが、まさかイオネラに心酔してしまうとは……。
そんな雄斗の悩みをよそに、イオネラはご満悦な様子で二人を交互に眺めおろした。
「さて、兄妹愛が確かめられてめでたしめでたし。これからは二人とも仲良く暮らしてゆくのじゃ――」
そのとき。
とつぜんイオネラが、体を不自然に傾ける。
そしてふらふらしたかと思うと、すぐにヒザから崩れ落ち、その場に倒れ込んだ。
「――!?」
「姉さま!?」
一瞬前とはまるで異なり、フローリングの床に力なく横たわるイオネラ。
雄斗はすぐにかけよると、イオネラを介抱する。額に手を当てると、人間の体温ではまずあり得ないほどひどく熱かった。
「ど、どうしたんだよ急に……それになんだよこの熱は!」
うろたえる雄斗とツグミに、イオネラは笑顔を見せたままかすれるような声を出した。
「大丈夫。ちょっとぼーっとするだけじゃ。大丈夫……」
「どこがだよ! 全然大丈夫じゃねえだろ!」
「姉さま、どうしたの、姉さま!!」
しかしそれからすぐ――
イオネラはまぶたを閉じると、そのまま意識を失った。
雄斗はとりあえずイオネラを寝室まで運ぶと、そのままベッドに寝かせた。
もう一度彼女の額に手を当てると、触れていられないくらいひどく熱をもっていた。頭だけでなく、イオネラの体全体が火照っているようで、それは明らかにいつもと違う状態だった。
あまりに急なことで、雄斗は気が動転していた。
普通の人間なら救急車を呼ぶなり、病院に連れて行くなりすればよかった。
だがイオネラの体はバイオロイドのそれであり、普通の医療が通用しないのは明らかだった。だからといってどこに連れて行けば彼女を治してくれるのか、彼には検討もつかなかった。
唯一思い浮かぶのは、彼女の体を開発した大学だったが――連れて行けたとして、それこそ治療どころか、何をされるか分かったものではなかった。
とりあえず氷のうを頭においたものの、できることはそこまでだった。
医者に見せるわけにもいかず、薬もへたに使えず、まごまごする時間。
だが、それからほどなくして――
イオネラが、ゆっくりと目を覚ました。
「大丈夫か、イオネラ!」
雄斗の言葉とともに、ツグミも彼女の顔を心配そうにのぞきこむ。イオネラは薄く目を開いたまま、さきほどまでとはうってかわって弱々しい声を発した。
「うむ……すまぬ。ユウトが運んでくれたのか」
「どうして……病気か?」
雄斗の言葉に、イオネラはごく小さく首を横に振る。
「――おそらく、ツグミの血を吸ったことの反動がきたのじゃろう。ツグミの中にたまっていた毒素をかなり吸い込んだからの」
ツグミがそれを聞き涙目になる。
「私の……私のせいで……」
「わらわの時代ではたまにあることじゃ。心配するな。それに、無理やり吸ったのはわらわの方なのじゃから。ツグミのせいではない。というより、おおもとの原因をたどれば、ユウトが今日保健室で薬をもらったためにわらわが血を吸えなくなったことに行き当たるのじゃがな」
「ぐ」
雄斗は言葉をつまらせた。
「……こんなときに皮肉を言う余裕があるんなら、元気だよな」
「フ。わらわはトランシルヴァニアで最も高貴な吸血貴族なのじゃぞ。この程度のことでくたばったりはせぬ」
「……治るのか?」
「案ずるな。一日経てばすっかり元通りになっておる」
それを聞き、雄斗はやや胸をなでおろした。
だが、このときはじめて雄斗は、イオネラが病気や怪我にかかった場合、医者にみせられない、薬も無い状態なのだということに気づき、やや恐怖を感じた。
そして今の今までそのことに考えが及ばなかった自分を、強く責めた。
ツグミは新しい氷のうをとりにいくため、いったん扉を出て行った。部屋には雄斗とイオネラの二人きりになる。
赤く上気した顔のイオネラに、雄斗はできるだけ静かに、優しく伝えた。
「……ありがとな、イオネラ。ツグミのこと。まさか、ツグミがこんなにすぐに立ち直ってくれるなんて、思いもしなかった」
彼の言葉に、イオネラは口元を上げた。
「血を吸ったのは不可抗力じゃったがな。なに、いつかこうしようと思っていたのじゃ。主として当然のこと」
「俺、イオネラのこと見直した。本当に、心からそう思う。これからは俺も血に気をつけるよ」
「なにをいまさら。下僕としてあたりまえのことじゃろうに。――それにしても」
と、イオネラは天井をながめながら、つぶやくように口にした。
「ツグミの使っておるインターネットとかいう代物。たしかにあれは、遠くにいてふだんは会えない者との『距離の壁』を無くしたという意味では興味深いものではあるが――その代わりに、『インターネットを使う者と使わない者』という新たな壁をつくっているような気がするのう」
イオネラの言葉に、雄斗は感慨深げに、小さくうなずいた。
「……そうだな」
そしてさらに言葉を続けようと、イオネラの方に目を落とした。
だが、イオネラはいつのまにか静かな寝息を立てて、眠りに入ってしまっていた。
彼女の寝顔を見つめつつ、雄斗は初めて、彼女に対して笑顔を浮かべた。
その胸の中に、大きな喜びと、一抹の不安を感じながら。
「おおっ? なるほど、このボタンで連続魔法が打てるのか! よし、一気に敵をせん滅じゃ!!」
「この水晶とこっちの杖を組み合わせることにより――なっ? 新たな扉が!?」
「こやつがおぬしの仲間か? 同時に攻撃して――おおお! すさまじい火炎攻撃じゃ!!」
「町で『すろっと』とかいうのを回して……大当たりじゃ! お金が山のように出てくるぞ!?」
「好きな職業にチェンジできるのか? ならばわらわはもちろん『ヴァンパイア』じゃろう!!」
「フハハハハ! 敵も味方もわらわの『魅力』と『恐怖』で混乱するがよい! この支配感たるやまさに最上の心地じゃのう! フハハハハハハハ!!」
次の日。
雄斗が学校から帰ると、すっかり回復していたイオネラがCSOにハマっていた。
いっしょになって楽しんでいるツグミを従え、イオネラは興奮しきった表情で後ろにいた雄斗を振り返った。
「ユウト! インターネットというのは面白いのう!! これだけの放浪者の中から自分だけのパーティをつくり、いっしょに仮想世界を冒険できるとは! さすがにツグミがのめり込んだだけのことはある!! さあ、ユウトもいますぐに放浪者登録せよ! ともに第四部の冒険の旅へ出発じゃ!!」
「あ、そう」
心配して損したと、雄斗は心から思った。




