第25話 男の娘は無気力男子がお好き
「――えっ?」
雄斗が急に後ろを振り返る。
「なに? どうしたの雄斗?」
「いや……なんか、だれかの叫び声が聞こえたような気がして――だれもいねえよな」
後ろを確かめるが、確かにだれもいない。
雄斗は頭をかきながら、正面にいた小詩にごまかし笑いをみせた。
「空耳、だよな。ツグミっぽい声だったけど」
「雄斗、大丈夫? 最近、学校でよく保健室に行ってるよね。どこか体の調子でも悪いの?」
心配そうに見つめる小詩。
プレハブ構造の一軒屋である家の玄関で、雄斗は小詩と話していた。
「いや、別に。体がだるいっつーか、重いっつーか……そんなとこ。運動してねえからかな」
「やっぱり。だから弓道部に戻ってくればいいのに」
「だから何度も言ってるけどな――」
「ああ、うん。分かってるよ。そういうつもりで言ったんじゃないから……ごめん」
あはは、と小詩はいつものように男とは思えないくらい愛らしい笑顔を振りまく。
やわらかな小顔の輪郭と青みがかった大きな瞳が、小詩の男としての要素を消し去り、女としての魅力を主張する。
……どうしても女に見える、という思いを雄斗は必死に頭からかき消す。
「――そういえばツグミちゃん、学校に復帰したの?」
上目遣いで心配そうに見上げる小詩に、雄斗は首を振った。
「まだあのままだ。一日中ずっとCSOやってるよ」
「そうなんだ……ごめん」
深刻そうな顔をして沈む小詩に、雄斗は少し焦った。
「いや、小詩が謝ることねえって。ってかそもそも謝る理由なんてねえし」
「でも、僕がCSOを紹介したから、ツグミちゃんは不登校になったんでしょ?」
「紹介したのは俺だって。それにツグミが勝手にハマっただけだから。小詩が気に病むのは筋違いだっつーの」
雄斗がツグミにCSOを紹介したのは、小詩の助言がきっかけだった。
「これといった趣味が無い」という帰宅部のツグミに、雄斗は何か助言できればと小詩に頼ってみた。
そこで彼が答えたのが、当時発表されたばかりの多人数参加型のRPGオンラインゲーム・CSOだった。
「あのときは僕も軽い気持ちだったんだ。実際、僕もそんなにプレイしてたわけじゃなかったし。でもまさかツグミちゃんが、学校を休んじゃうくらいのめり込むなんて……」
「だから、小詩が気にする必要ねえんだって。ってか俺は――」
雄斗はひとつ息をついてから答えた。
「ツグミが惰性でゲームをやってるわけじゃねえって……いつか自分で区切りをつけてまた学校に通い出すって、信じてるから」
「雄斗……」
雄斗の言葉に、小詩は苦笑した。
「雄斗はよくそんなに悠然としていられるね。実の妹が一年以上学校に通ってないんだから……僕にはマネできないよ」
「別に悠然としてるわけじゃねえけど……他にやりようがねえから、そうしてるだけだって。それに――」
雄斗ははっきりと答えた。
「学校に行くか行かねえかなんて、本人次第だろ。ツグミがそういうふうに決めたんなら、俺から口を出す必要はねえし。そもそも学校に行かないからって、本人の価値が下がるわけじゃねえから。元々、ツグミは言われたことに何でも頭から真面目に取り組むやつなんだ。そのことは俺が一番よく知ってるし」
「雄斗……」
小詩はまるで見たことの無い風景に感動したかのように目を見開いた。
「僕……雄斗の考え方、絶対変だと思うけど、すごいと思うよ。感心しちゃった」
「いや、誉めてないだろその言葉」
「ううん。誉めてるんだよ。僕に妹がいても、同じようにはできないもん」
小詩は小さく首を振りながら笑顔を返す。
「でも、僕なら自分の思いもちょっとは伝えるかな。雄斗ってあんまり自分の考えていることを口に出さないから、たぶんツグミちゃんに対しても、特別な話とかしてないんでしょ? でもこうしてほしいとか、こう思ってるっていうことを、はっきり伝えた方がいい場合もあると思うんだ」
珍しい小詩からの指摘に、雄斗は少しだけ戸惑った。
「……ああ、そうだな。そうかもしれない。ありがとう、小詩」
「あ、ううん。余計なこと言ったかも。ごめんね」
「いや、そんなことねえよ。俺も最近、イオネラの積極性を見てて反省することが結構あるから――」
「イオネラ?」
しまった、と雄斗は口をふさぐが、小詩は敏感に反応する。
「だれそれ? 外国の人?」
「え? あ、いや、だれ、っつーか……テレビで最近よく見るハリウッド女優、かな」
なんとかごまかそうとする雄斗。
それを聞いて小詩は、なぜか両手で顔を覆い始めた。
「ひどいよ雄斗。僕からそのコに乗り換えたんだね……」
「一度もお前に乗った覚えはねえけどな」
「雄斗。その言い方、変な誤解を生むから気をつけた方がいいよ」
「お前が言わせたんだろうが!」
一気に力の抜ける雄斗。
小詩は両手を下ろしてまた天使のような笑顔を披露する。
「僕はいいんだよ、いつでも。あ、明日休日だから泊まっていく? ちょうど親も外出してていないから」
「どういう意味だよそれは……。俺、もう帰るから」
「えー、帰っちゃうの? せっかく雄斗と一晩過ごせると思ったのに、どうしてそんなこと言うの?」
「今日はマンガを返しに来ただけだっつーの! 用事が無けりゃわざわざここまでこねえし」
「じゃあまたマンガ貸すよ。だからまたそれを返しにウチに来てよ」
「小詩、なんか目的違ってきてねえか……?」
「そんなことないよ? 僕は純粋に雄斗と遊びたいだけ」
屈託の無い笑顔を見せる小詩。
その笑みが真意なのかどうなのか、雄斗は自信が持てなくなっていた。
「小詩……前から聞きたかったんだけど」
「うん?」
「小詩は、もしかして男が好きとか、そういうんじゃないよな……?」
雄斗のおそるおそるの問いに、小詩は困ることもなく即答した。
「まさか。僕だって女の子が好きだよ。アイドルのミナミナとか、ユウたんとか、よくテレビでチェックしてるし。ただ雄斗が特別なだけだよ」
「ああ、そうなのか。よかった……えっ」
ひっかかる言葉が、最後にあった。
「小詩。俺が特別っていうのは、どういう……?」
「どういう、って、そのままの意味だよ?」
「そのまま……」
雄斗はやたらとニコニコしてくる小詩に、顔を引きつらせた。
だが、小詩にそれ以上のことを問う勇気が、雄斗には無かった。
下校途中に小詩の家に寄り、借りていたマンガを返し、その際「雄斗は特別な存在」と小詩に謎の告白をされてから、雄斗は色々と複雑な心境で自宅まで帰り着いていた。
小詩の態度は以前から怪しかったが、それがよりはっきりしたような状況。
男が惚れそうなあどけない顔に、ほっそりした容姿。実際、小詩には女友達の方が多かった。
「じつは僕、男の子の方が……」と言われても残念なくらい違和感が無い。
(だからといって、俺には全然その気はねえし……ってかなんで俺は小詩のことで悩まなくちゃいけないんだよ)
自己嫌悪に陥りながらも、雄斗はふと別の言葉を思い出した。
「でも、僕なら自分の思いもちょっとは伝えるかな。雄斗ってあんまり自分の考えていることを口に出さないから、たぶんツグミちゃんに対しても、特別な話とかしてないんでしょ? でもこうしてほしいとか、こう思ってるっていうことを、はっきり伝えた方がいい場合もあると思うんだ」
――小詩の言葉は、一理ある。
雄斗はツグミが引きこもり始めてからいままで、まともに会話を交わしたことが無かった。
元々黒かった髪をツグミがあざやかな桃色に染め、色の違うカラーコンタクトを両目につけて帰宅したときも、雄斗は「どうしたんだ、それ」とあっさり声をかけるだけだった。
それに対し、ツグミからの返事は「うん、ちょっと……」だけだった。
そんな淡白なやりとりだけがここ一年間、雄斗とツグミの間で続いていた。
「夕飯、置いてるから」
「今日はいらない」
「疲れてんじゃねえの。目のクマ、ひどいぞ」
「別に、大丈夫」
「冷蔵庫にリポナミン入れといたけど」
「ありがとう」
「ツグミ、おかずも冷蔵庫にあるぞ」
「うん……気が向いたら食べるけど」
会話にもならない言葉。
それすらも徐々に少なくなっていき、いまはほとんど会話を交わさない。
はっきり言葉に出して、想いを伝える。
そのことを、俺はいままで怠ってきたのかもしれない――。
今日はツグミと話をしてみよう。それが何につながるのかは分からない。
けれど、何かが変わるきっかけになるかもしれない。
雄斗は自宅の前で、そう決意した。
大きな取っ手を握り、雄斗は白い玄関の扉を開ける。
「ただい……ま?」
そこで、雄斗の目に思いもかけない光景が見えた。
玄関に人が一人、立っている。よく見ると、それはひきこもりの妹、ツグミ。
だが――
彼女はいつものくずれた赤色のジャージではなく、きれいな桃色のチュニックに身を包み、驚くくらい健康的な色の顔で兄を出迎えていた。
そしてやや恥ずかしげな面持ちで、戸惑っている兄を上目づかいに見る。
「――おかえり、お兄ちゃん」




