第26話 吸血貴族と放浪者ツグミの小さな闇1
「ツグミ!? なんで……」
言葉の出ない雄斗。
玄関にツグミがいたこと自体にも戸惑ったが、その見まがう容貌を見て雄斗はさらに驚いた。
まず、目元に張り付いていたクマがきれいに無くなっており、顔には健康的な生気が戻っている。
目にはいつものように両目で違う色のカラーコンタクトをはめていたが、その瞳には疲労感がみじんも残っていない。
そして何より目を引くのは、桃色の髪。
腰のあたりまで伸びっぱなしで緑に変色していた毛先はばっさりと切られ、耳の下あたりまでの長さのショートヘアになっていた。
髪の毛自体も乱れたぼさぼさ感はなく、見違えるくらいきれいに整えられている。
とても今朝までのツグミとは思えない変ぼうぶりに、雄斗はあ然とするしかなかった。
「ツグミ……一体なにがあったんだ……?」
「それが、その……私にもよく分からないんだけど、とりあえずこんなことに」
すると、ツグミが肩の生地を引っ張り、左の首筋を見せる。
そこには、二つ並んだ赤い点状の痕があった。
「まさか、ツグミ……」
「うん。吸われちゃった」
なぜか朗らかに微笑むツグミ。そこへ、リビングの扉が開き、イオネラが顔をのぞかせた。
「なんじゃユウト、帰っておったのか。ツグミも教えてくれればよかったろうに」
「イオネラ! お前、他人の妹になにしてくれてんだよ! なんでガマンできなかったんだ!?」
血相を変える雄斗に、イオネラは少し困った顔をした。
「どうしても血を吸いたいという衝動がおさえられなくてな。このままでは路上の人間を手当たりしだい襲いかねないと思い、やむなくツグミの血の世話になったのじゃ」
「だからって、よりにもよってツグミに……ってか、なんでツグミは髪切ってんの? それに顔も前より元気になってるし……」
「それは本人が説明するじゃろう。とにかくリビングへくるのじゃ」
そう言ってイオネラが手招きする。
雄斗がわけもわからず中へ進むと、木製のテーブルにはできたてのカレーが二皿、白い湯気をたてて置かれていた。
「……これ、どうしたんだ」
「もちろんわらわが――といいたいところじゃが、この『かれえ』とかいう代物は、ツグミがつくったのじゃ。どうじゃ? 腰が抜けたであろう?」
ニヤニヤしてくるイオネラをよそに、雄斗は後ろにいたツグミを振り返った。
ツグミは若干目をそらしながら、恥ずかしそうにうつむいている。
「ツグミ……?」
「い、いつもお兄ちゃんにつくってもらってるから、今日くらいは、って……そ、それだけ」
頬を赤くしながら、ツグミは兄に顔を合わせるのをためらう。
雄斗は再び、イオネラに向き直った。
「――いったい、なにがあったんだ? 血を吸っただけじゃねえよな?」
「察しがよいな。さすがわらわの優秀な下僕じゃ。誉めてつかわすぞ」
「だから下僕になった覚えはねえって……」
「うむ。ま、ツグミに話してもらおうか。わらわがどうにもガマンできなくなり、ツグミの血を吸ったところからじゃ」
「……わかった」
ツグミは色の違う左右の目をようやく兄に向けると、事のてん末を静かに話し始めた。
「――すまぬ、ツグミ」
床にひざをつき、うなだれるイオネラ。
その前で、ツグミはぼう然としていた。
ベッドにいたツグミに襲いかかり、無理やり血を吸ったあと、イオネラはだんだん胸の動悸が静まっていくのを感じながら、脱力感とともにベッドの下に転げ落ちた。
ツグミの方は何が起きたのか分からず、半分自失した状態で、何とか上体だけを後ろ手に起こしていた。
落ち着きを取り戻したイオネラはその後、少しずつ自己嫌悪にさいなまれ、ツグミの前でガックリと首を垂れたのだった。
「仮にも貴族のはしくれであるわらわが、一も二も無く下僕の親族を襲ってしまうとは……我ながら恥ずかしい。本当に、すまぬことをした」
「あ、うん……」
「……怒っておらぬのか?」
「いや、その……ほ、ほんとに血を吸うなんて、思わなかったから……ちょっとビックリしてるだけ」
ツグミはこわばった表情のまま、自分の首筋を左手でなでる。
そこにはイオネラがかみついた二つの赤い点が、くっきりと浮かんでいる。
「血はもう止まってるみたいだけど……どんなふうになってるんだろ」
そうしてツグミは近くのテーブルにあった小さな鏡を手に寄せて、映してみる。
「……えっ」
その瞬間、こわばっていたツグミの表情が、みるみる驚きに変わる。
「なんで……どうして……?」
「どうしたのじゃツグミ。わらわのかんだ痕に異常でもあったか?」
「いや、かまれた痕より……私……顔が……」
ツグミは首よりも、自分の顔に鏡を向けていた。
「目のクマがとれて、カサカサも無くなってるし……どうなってるの……?」
「なんじゃ、そのことか。吸血鬼は不健康な人間の血を吸うと、そやつの体内の毒素も一緒に吸うてしまうのじゃ。おぬしは相当疲労がたまっておったようじゃから、わらわが血を吸うことによりそれが取り除かれたのじゃろうな」
「うそ……ほんとに……?」
だがツグミに見えている鏡には、ひきこもり生活に入る前の健康的だった自分の姿が、確かに映っていた。
容姿だけではなかった。さきほどまで極度の眠気に襲われていたツグミが、いまは目が覚めたように意識がはっきりし、体にたまっていた疲労感もウソのように消え去っていた。
「すごい……元に、戻ってる……。あなた、本当に人間じゃな――」
そうしてイオネラに目を移したとき。
イオネラは苦しそうに、激しく咳き込んだ。
「あっ、だ、大丈夫? どうしたの……?」
「ごほっ! ああ、いや、気にするな……。いつもと違い、なれぬ味の血を吸ったものでな。少々気分が……」
「……やっぱり、私の血は不味かったんだね」
「まあ、ごほっ……ひらたくいえば、そうなる、のう。おぬしにはすまぬが」
「いや、いいよ。私だって健康的な生活を送っていたとはとてもいえないし」
そう言ってツグミはするりとベッドから降りると、床に捨てられていた赤いジャージをそろそろとはき始めた。
「……お兄ちゃんの血は、私のよりもおいしい?」
「うむ。ユウトは非常に優秀な血の持ち主じゃ。あれほどの味を有する者は、この現代ではそうはおらぬじゃろうな。わらわがこの家にとどまっている理由もそこにある」
「ふーん……じゃあお兄ちゃんは毎日、あんな気持ちのいいことしてるんだ……」
「気持ちのいいこと?」
「う、ううん! な、なんでもない!」
あわててごまかし笑いのまま首を振るツグミ。それを見て、ようやくせきも収まってきたイオネラが微笑む。
「今日のおぬしはいつもより優しいな。わらわが血を吸ったせいでもあるまい。なにか良いことでもあったのか?」
「……別に、何も無いし」
指摘され、はっとしたツグミはまたいつものツンツンした態度に戻ろうとする。それを見て、イオネラはいっそう笑みを深くした。
「ほう。本当に何も無いのか」
「何も無いったら」
「本当に……?」
「しつこいって」
そこで、イオネラは対抗するかのようにびしっ! とツグミを指差した。
「なぜわらわに、CSOの第三部を世界中のだれよりも早くクリアしたということをだまっているのじゃ!!」
「なっ!?」
オッドアイの目を見開き驚くツグミ。
「なんで……どうしてそれを……? あなた、CSOなんてやってないんでしょ!?」
「うむ。わらわもビックリじゃ」
「……えっ」
けげんな顔をするツグミに、イオネラは平然と告げた。
「つい先日、テレビでCSOの第三部がもうすぐ終わるというニュースを見たので、あてずっぽうで言ってみたのじゃが……まさか本当に当たるとはな。
――いや、これは偶然ではない。わらわの吸血貴族という高貴さゆえじゃ。フフ、自分の才能が怖い……フフフ……フハハハハハ!」
「……ワロスな人間に本気になったりして損した」
完全にあきれた表情で、ツグミは小さくため息をついた。
そんな彼女の様子を意に介すことなく、イオネラは尋ねた。
「で、CSOをクリアした感想はどうじゃ? 聞くところによると、『放浪者』とかいう空想世界に住まう者は百万人を超えるというではないか。その中でのトップというわけじゃな? さぞ感慨深いものであろうのう」
期待に満ちた猫目で見つめるイオネラに、だがツグミは浮かない顔をした。
「――まあ、うれしいよ。頑張ったかいがあったし」
「ふむう。それにしてはあまりうれしそうではないな。何か気に食わぬことでもあったのか?」
「別にそういうんじゃないけど……ってか、なんであなたにそんなことまで告白しないといけないの?」
「同居人だからじゃ」イオネラは答えた。
「同じ家に住まう者である以上、相手の暮らしは否応なしに見えてくる。ならお互いが気持ちよく過ごせるよう取り計らうのが同居人としての務めじゃ。それにそもそも、わらわはユウトの主じゃからな。下僕の親族のことを知るのは主として当然じゃろう」
「……なにそれ、キモい」
「きもい? きもいとはどういう意味じゃ? 言霊がうまく変換できておらぬぞ?」
「だから、『気持ち悪い』ってこと」
「気持ち悪い? なんじゃ、おぬしも気分がすぐれぬのか? 早く言ってくれれば……とりあえずそこにあるベッドで休んだらどうじゃ?」
「……もういい」
兄と同様に顔をうんざりさせつつ、ツグミはイオネラの前にようやく座った。
「また機嫌が悪くなったのう。わらわはツグミと話をしたいだけなのじゃがな」
「なにそれ。別に私はあなたと話なんてないし」
「それより、CSOはどうだったのじゃ? クリアしてからの感想を聞かせてくれぬかのう」
「……話があっちこっちへ飛ぶのね」
ツグミはまた小さくため息をついて、つぶやくように言った。
「感動は、したけど……クリアして。だれよりも早くエンディングにたどり着けたし、そこまでの仲間の頑張りとか考えたら、すごく胸が熱くなる……」
「じゃが、それだけではないのか」
イオネラが相づちを打つ。ツグミは、この正体不明の自称吸血鬼を前にして、自分をさらけ出すことに抵抗を覚えた。
だが、イオネラの目が――純粋な好奇心に満ちた紅い瞳が、ツグミに信用を強要していた。
そこには、彼女の「誰かに話したい」という欲求も、後押ししていたに違いなかった。
ツグミはそっと、独りごちるようにつぶやいた。
「なんか……達成感もあるんだけど、それが過ぎたら……虚脱感っていうか、ただ寂しいっていうか……なんだろ。ちょっと疲れてたからかもしれないけど」
ツグミは三角座りになり、ヒザにアゴを乗せる。そして思いにふけるように、まぶたを少しだけ下げた。
「……正直、もう少しうれしいかな、って思ったんだけど……眠気と一緒に冷めてきたっていうか……CSOの公式サイト見ても、興奮したのは最初だけで……まだ実感がわかないだけかな」
最後は完全に独り言のように沈むツグミ。それへ、あぐらをかいてツグミに対していたイオネラは、何も悩まずに答えた。
「それは実感とかいう問題ではなかろう。単に、仲間と喜びを分かちあっていないからじゃ」
イオネラの言葉に、ツグミは顔を上げた。
「仲間……?」
「ツグミはCSOを仲間とともにやってきたのじゃろう? であれば、達成した感動をその仲間と分かち合わなければ、実感はついてこぬ。喜びというものは独りで味わうよりも、他人と味わう方が何倍にも心に響く。それがいままで連れ添った者であればなおさらじゃ。その大切さは、おぬしには十分わかっておるじゃろう」
「感動を……分かち合う……」
ツグミはさきほどのコミュニティでのやりとりを、思い出した。
ひどい眠気に襲われて、まともにコメントも打てずに、他の三人とあまり会話を交わせずにいた。
それは自分が頑張ったせいだ。自分が悪いわけではない。
だから、感動を明日へ持ち越しただけ。
明日の、みんなが集まる時間になれば、きっと――
「……でも、私は盛り上がるタイプとかじゃないし……たぶん、話が弾まなかったらそのままだと思うけど」
「それは自分次第じゃ」イオネラは答える。
「タイプとか、キャラとかは関係ない。真に大事なのは、そのときにおぬしがどうしたいかじゃ。心からの態度で出れば、おぬしにずっと連れ添った仲間。きっと感動を共有してくれるじゃろう」
「……まるで見透かしたように言うのね。人の心を」
ツグミがまた少し警戒した目つきになる。だがイオネラはそれをも気にせず平然と告げた。
「おぬしはほんに疑り深いのう。見透かしてなどおらぬ。ただ、わらわならそうすると、そう言いたいだけじゃ」
「……そう。それならいいけど」
ツグミはぶ然とした表情で目をそらす。イオネラはローテーブルの向こうに座り、ツグミの方を興味深そうに見つめる。
「――おぬし、健康じゃとわりと可愛げのある顔をしておるのう。それに今日はわらわとよく話してくれる。いまのおぬしはなかなか人間的な魅力があるぞ」
「あ、あなたなんかにそんなこといわれてもうれしくないし。話すのは、あなたのせいで眠気がとんじゃったから、しかたなくそうしてるだけなんだから……」
「じゃが、わらわは感動しておるぞ。魔術師というものはとかく研究に没頭しがちで、おのれの容姿には気の向かぬ者が多いからな。オッドアイソーサラー・ツグミならば魔法を使ってそれなりの信者を集めることも可能じゃろう」
「信者ってなによ……新興宗教でも始める気?」
「それほどの魅力をおぬしは備えているということじゃ。ミナミナが言うておったぞ。CSOの三大魔術師は他の放浪者から尊敬の的になっておると。あのゲームはお金や時間をかけただけでは上位に上がれぬシステムらしいな。戦略に長けておらねば活躍できぬと。なれば、ツグミが尊敬を集める理由は、尊敬に足るだけの人を引きつける力がおぬしの中にあるということじゃ」
「……そんなんじゃない。単に私のキャラに力があるから、みんなすりよってきてるだけ」
「そうかな。尊敬というものはただ力があるだけでは形成できぬ。それが何万、何十万という人間を相手にしているならなおさらじゃ。――ま、CSOをやっていないわらわがいくら言っても説得力が無いかもしれぬが」
「……そうよ。放浪者でもないくせに」
「じゃが、だからこそ見えるものもある」
イオネラは視線をツグミに注ぐ。
「おぬしには勝負心がある。やるからには頂点を極めたいという志が。その思いが、他人を引きつけるのじゃ。たとえそれがどのような形で引き起こされたものであるとしても」
「どのような形でも……?」
ツグミは怪しむような目で見つめる。あなたが私の何を知っているの、という目つきで。
イオネラはそれに、曲げていた足を組みなおして答えた。
「わらわが前々から訊きたかったのはな。おぬしがなぜCSOにここまでのめりこむようになったのか、そのきっかけについてなのじゃ」
イオネラの口調が少しやわらかくなる。まるで自分の妹に対するかのように、イオネラの目はやさしい色に変わっていた。
好奇心旺盛な子供のような目を向けてきていたさっきまでのイオネラとは違う。そのことに、ツグミは少し戸惑った。
「……だから単に、お兄ちゃんの紹介してくれたCSOがすごく面白かったから、ハマっただけで――」
「それはウソじゃろう」
イオネラの言葉に、ツグミは「えっ」と小さく声を発する。
「――な、何で私がウソなんか……ほんとにCSOが面白かっただけだから」
「それも理由の一部ではあるじゃろうが、それだけではないはずじゃ。ツグミの姿を初めて見たときから感じておった。おぬしは心に暗い影を落としておると。だからわらわは訊きたい。おぬしが学校へ行きたくなくなり、部屋にこもりきりになった本当の理由――真のきっかけを」
「真の――きっかけ……」
イオネラの問いに、ツグミは顔をうつむかせる。そしてつぶやくように声を発した。
「理由なんか……ないよ。ただCSOが楽しくて、仲間と冒険できるのがうれしかっただけだし――」
「ツグミ。本当のことを言うつもりはないか。わらわはおぬしのことをとがめたりもせぬし、おぬしの意志を曲げるつもりもない。ただわらわは同じ家に住まう者として、おぬしとこれからもよい関係でありたいと思っているだけなのじゃ」
イオネラの紅い瞳が、ツグミの視線と交差する。ツグミが見返すと、イオネラの大きな瞳には自分の表情が映り込んでいた。
全てに対して真実を塞いでいる、自分という人間の虚ろな表情が。
「できれば、ツグミとはいつも笑顔で過ごしたい。わらわの気持ち、察してくれぬか……?」
イオネラの神妙な顔に、ツグミの胸の中で氷付けにされていた心が、少しだけ揺れる。
さっきまで、厨二病的なわけのわからない発言ばかりしていたはずの吸血鬼が、いまはウソのように真剣な顔でツグミの反応をうかがっている。ツグミが背中の後ろに隠して持っている記憶を、その奥深くにある闇を、彼女はツグミ自ら目の前に出してくれるのを待っていた。
ツグミは、葛藤した。
この人は、本当に私のことを心配してくれているんだろうか――。
心配してくれていたとして、私が話す理由はあるんだろうか――。
話したところで何も変わらない。変わるわけがない。
話したところでこの人に、何ができるっていうの。
私の部屋に入ってきて、エラそうな態度で私の心を探ってこようとして。
こんな人に、私の何が分かるっていうの。
「…………やっぱり、あなたになんか言いたくない」
ツグミはじっと見つめてくるイオネラから逃げるように、視線を外した。
それを見たイオネラは、残念そうに微笑みながら眉を寄せる。
「……そうか」
イオネラは、沈み込んだツグミに優しい調子で言葉を投げた。
「ツグミがそう言うなら、わらわからはもう何も訊かぬよ。邪魔したな。いきなり血を吸ったりして、すまなかった」
そうしてイオネラはおもむろに立ち上がろうとする。
「待ってよ」
そのとき――
ツグミは、あいかわらず不機嫌そうな顔のまま、口を開いた。
イオネラは気がついて動きを止めると、ツグミがうつむいたままの顔で小さく告げる。
「……ひとりごと、だけど。勝手に聞くなら聞いてもいいけど」
ツグミのようやく発した、消え入りそうな言葉に――
イオネラは得たように口元を上げ、再び床に腰を下ろした。
「うむ。わらわは勝手に聞いておるぞ。なんなりと好きなように話すがよい」
「……なら、話すけど……」
そうしてツグミは、いままで心の奥で固く閉ざしていた記憶への扉を開き、ゆっくりとその道をたどっていった。




