発芽ドングリ糖化液
「置いとく時間とか混ぜる割合とか、いろいろ試しながらだから」
と、巫女さまが案内してくれる室には、壺がズラリと並んでいた。
「こっちが発芽ドングリの元。殻がひび割れて根が出始めたのを集めたんだぁ」
「では隣が」
「発芽ドングリ! 殻を剥いて細かく砕いたものを灰汁水に浸けてるの。アクが抜けるまで時間を確めたいから、時間差にしてる」
「やたらと多いのはそういう理由ですか」
「そうだよ。アク抜きのタイミングもそうだけど、そのあとも加熱したりデンプンと混ぜたりいろいろ試すから、もっと多岐に渡るってわけ」
これほどまで手間をかけて、巫女さまはいったいなにを作るつもりなんだ?
「じゃあ、そろそろ試食してみよっか」
小さな皿で渡されたのは、とろみのある琥珀色の水だった。
ゆっくり口へ運ぶと、ほんのり木の実の香り。
つづいて、舌先が触れた途端——
「栗より甘いだと‼︎」
僕は思わず声をあげてしまった。
「いいリアクションするなぁ」
「巫女さま、これは……」
「ドングリ印の甘味料っ。正式には『発芽ドングリ糖化液』とでも呼ぶべきなのかな」
「かんみ⁇」
「甘い味と書いて甘味。発芽ドングリの酵素で葛粉を糖化させるって理屈で、ものは試しでやってみたら思いのほか上手くいっちゃって。でもまだまだ試作段階なんだけどね」
……常世の知恵か。凄まじいな。
「まさかもっと甘くなったり」
「なるはず。工程が多いから総当たりで作ってみてるけど、冬のあいだには必ず満足いくところまでもっていくつもり」
まだ舌の上には甘さが残る。だというのに、いいや、だからこそかもしれない。僕は、僕は……。
「あ、あの巫女さま!」
「ダァメ」
「まだ僕はなにも——」
「どうせおかわりが欲しいんでしょ」
見抜かれてしまった。恥ずかしい。
「言ったよね、究極の侵略兵器だって」
「甘味の液がですか」
「オヒトくんは、栗が食べられない生活って考えられる?」
そういうことか!
「甘味の虜にして従わせると、巫女さまはそうお考えなのですね」
「違ぁう。でも惜しい。大量に生産できて時間もかけられるなら、それもありなんだけど……」
では、どう使う。
「一方には与え一方には与えない、というのは?」
「オヒトくん怖っ。素で『分断して統治せよ』って考え方が出てくるのヤバイって。あたしそんなふうに育てた覚えないからねっ」
こちらも育てられた覚えはない。
「分断を煽るのは、たしかに手っ取り早いよ。でもそれって敵に対してやるべきで、味方にしたい人たちにするのは下策も下策。それをやった国は必ず落ちぶれていく」
「……くに?」
「国っていうのは、たくさんの集落をまとめて治める共同体のこと。どうやってまとまるかで、いろんな呼び方があるの」
「巫女さまが治めるクニは?」
「フシノイツキの国、かな。フシの地にある巫女が治める国って意味からして」
「フシノイツキ……フシノ、イツキ……」
僕はクニの名を口のなかでなんども転がした。
「でっ、話は戻るけど、ざっくり言うと『フシノイツキの国の従え』みたいに強気にでて、できれば武器の差を見せて威嚇で済ませたい。そのあとに——」
「甘味!」
「大正解っ。ひどいことされるかもって不安なところに、甘いモノは心に響くと思うんだぁ」
「巫女さまの印象がガラリと変わりそうですね」
「それそれ。認知的不協和とか期待違反交換とか返報性の規範とか、他にもハロー効果とかいろんな心理的な理由があってね、こういう侵略者の懐柔方法をまとめて『ハートアンドマインド』っていうの」
詳しくそれぞれを聞いていくと、どれもなかなかに狡猾。
悪者という印象と真逆の態度を取られた際、実は善人だと思い込んでしまう。または好意を覚える。
また、人は物を受け取ると返したくなり、ついでに相手の印象もよくなる。などなどだ。
「でしたら、まずは抗うこと自体が愚かに思える強さを見せつけなくてはなりませんね」
「いちおう考えてあるし動いてもいるけど、オヒトくんもなんかアイディアあるの?」
まだ僕はそれを口にできる域にない。
「いずれお話します」
「そっか。じゃあ考えがまとまるのを楽しみにしとくよ」
この日以降、集落の端から届く香りが気になって気になって……。
グツグツと甘味が煮詰められ、もっと甘くなるとのことらしいが、それを想うだけでソワソワしてしまう。
たくさん作れるようになる日が、いまから待ち遠しい。
いつか、甘味をかけたホクホクの焼き栗を食べてみたいものだ。
◇
冬支度も進み、巫女さまはフシの地にある集落のほとんどを巡った。
南はアシタカの山麓からはじまり、西のウツ海、近くの中つ海の順で。
目的は、回答の期限を春までとした事前通告だ。
だいたいどの集落も『従え』というこちらの言い分を理解しかねたようで、首を傾げるばかりだった。
なかには追い返されることもあり、とくにアシタカの山あたりは集落同士の諍いも多く、矢を番て威嚇されたほど。
なんどかに分けての事前通告もすべての集落を回り終え、僕らは中つ海の集落跡に立ち寄った。
はじめ巫女さまは遠慮ぎみだったけど、ここにもまた人が住むかもしれないと僕が勧めたんだ。
「オヒトくん。いろいろ見てまわってもいい?」
「もう誰も住んでおりませぬゆえ、巫女さまのご自由になさってよいかと」
側付きが代わりに答えた。
珍しく同行を申し出たのだ。
どうやら今後、巫女さまの代理として出向くことを見越してとのこと。
かなりの徹底ぶりで、周防ノ彦が常に寄り添い、その強者ぶりが側付きを目立たせていた。
そもそも巫女さまの装いが装いというのもあって、余計にそう見える。
「よろしければ案内しましょうか」
これも側付きの言。
「お願いしていい。ひと通り見終えたら、最後に『うの島』によってもいいかな?」
「うの……。ああ、中つ海に浮かぶ島のことですね」
「もしかして別の呼び名があるの?」
「ある翁は島を『ウガヤ』と呼んでおりましたよ」
「え…………っと、意味は?」
「当の翁も知らずに呼んでいたそうで、語部ノ彦ですら由来については『囲まれた土地、または聖域という意味らしい』と曖昧でした」
「な、なるほどぉ。ヤバイもんが見つかりそうな気配がプンプンするね」
この驚きぶりからして、ウガヤという呼び名は常世の知恵にはないものなのか、もしくは由来に深刻なズレがあるのか。
「なんなのホントに。出土品と信仰と地名、定説も時代観も時系列もオカルト史観も、ごちゃ混ぜのめちゃくちゃだよ」
巫女さまは誰ともなくボヤく。
でも、その口ぶりの割にすごく楽しげで、最近の無理をした明るさとはまったく違った。




