アカホヤ
翌朝、僕らはユヒの津を出た。
あまり交易はできず、運んできた品をほとんど持ち帰るかたちで。
行きは流れを利用できた川も、遡るときは舟を川岸から引かなくてはならない。
もちろん僕も手伝ったけど、巫女さまが余裕のない顔で縄を引く姿は見ていられなかった。
どれだけ止めてもムダで、
「いまはなにかしてないと、ちょっとムリかも。ごめん。邪魔にならないように気をつけるから、お願い」
こう言われてしまったら断ることもできず……。
僕が近くで大きな怪我だけはしないように見ておくことで、彦らを安心させた。
そうして長い長い川登りの末に集落まで戻った。
だが、巫女さまが留まることはせず、
「カワタビさん。申し訳ないんだけど」
いますぐセノ海を渡ると言い出したんだ。
ダメなら一人でも行きかねない勢いだったので、僕は手を掴み、
「どこへ向かうつもりですか」
強めに引き止めた。
「古関。その手前の崖まで。悪いけどオヒトくん、一刻を争うの! ぜんぜん手遅れかもしれないし思い違いかもしれない。けど、確かめておかないと! じゃないとあたしは絶対に後悔する。だから……手を」
「わかりました」
「え? だから放してって」
僕は巫女さまを水辺の舟に乗せた。
そこで手を放し、力いっぱい舟を押す。本来なら僕一人の力ではびくともしない。でもコロという知恵のおかげで、舟は滑るように、セノ海に浮かんだ。
「今日はショウジまでです。夜の山は危ない。それに『ちそう』でしたか、崖の色の違いを見たいのでしょう? であれば、いまから向かっても大事なことを見落としてしまいますよ」
「……うん。そうかも。オヒトくんの言うとおりだね」
落ち着いたふうに喋るが、でもまだだ。
「僕が漕ぐので櫓を渡してください」
「あたしも——」
「その手でですか?」
ようやく自分の手が血塗れだと気づいたようだ。
「怪我をしたらすぐに湯冷しで洗えと教えたのは、巫女さまですよ。そのあと清潔な布を当てろと教えたのも」
「……ごめん」
「いえ。謝ることではありません。ショウジに着いたら『しみるしみる!』と、涙目になってもらいますので」
こくっと頷いたあと、巫女さまは自分の手とばかりを見ていた。
◇
「眠れませんでしたか?」
「……平気」
次の日、あとから追いかけてきた山辺ノ彦らも連れて、僕らは巫女さまが気にされている崖へ向かった。
「なにか不便があれば言ってください」
「……うん」
巫女さまの両手には、布をこれでもかとグルグル巻き。
調査ができないと言い張っていたけど、こればかりは僕が譲らなかったんだ。
それぞれに堀り棒と石鍬を持ち、いつもとは違う雰囲気でミサカの山々を進んでいく。
そして陽が昇りきる前に、崖に着いた。
しばらく下から眺めていた巫女さまだったが「こんどは上から」とムチャを言い出す。
「いくらなんでも——」
「木に括りつけた縄を降りてくだけだし。あたしじゃないとアカホヤは見分けつかないでしょ」
「アカホヤ?」
山辺ノ彦が訳してくれと振ってくるんだけど、僕も聞いたことない言葉は理解のしようがない。
「火山灰によってできた地層で、ガラス質を含んだ淡い黄褐色からオレンジ色というのが特徴。ね、ぜんぜん意味わかんないよね。だからお願い!」
「その手でですか?」
「腰に命綱も巻くから!」
よほど大切なことなのだろう。それはひしひしと伝わってくる。いまだけじゃなく、ユヒの津を出て以降ずっとだ……。
「わかりました。巫女さまが落ちたら僕が下で受け止めます」
「——そんな! いくら女子の体重でも怪我じゃ済まないって」
「でしたら落ちないように気をつけてください」
「……うん。気をつける」
それから皆は僕を崖下に残し、上まで迂回。
ややあって、巫女さまが縄を掴んで崖を降りてきた。
地層——土の色な差を食い入るように見ながら、ゆっくりと。
力尽きる前に崖上へ戻り、腕を休めたらまた再び。
なんどもなんども繰り返し……。
「ホント申し訳ないんだけど、まだ付き合ってもらってもいいかな」
こんどは山中を移動して穴を掘った。
腰ほどの深さの穴を、いくつもいくつも、あちこちに。
そのすべてに巫女さまは自ら入り、しばらく調べたのち、まいど深刻な顔をみせた。そのたびに陰りは増していく。
ここまでくれば、僕らにも『本来あるべきものが見つからない』ということくらいは理解できた。
そろそろ陽暮れ。
「……帰ろっか」
そう言ったのに、なおも巫女さまの足は進まず。ただただ赤焼けに染まるフシの大山を悲しげな目で眺めてたまま。
あまりの様子を見かねた山辺ノ彦らは、
「男弟どの」
僕に任せて離れた場所へ。
巫女さまへの気遣いなんだろうけど、僕はいったいどう声をかけていいのやらだ。
巫女さまの背は拒むでもなく、でも躊躇わせる雰囲気を醸している。
「フシの大山がなにか?」
「ここじゃないの」
「では、ヒムカの州ですか」
こう聞いて、ようやく僕の方を向いてくれた。
「もう少し南の沖合い」
「そこに『火の柱が立つ』という話でしたね」
「……うん」
「海にはたくさんの水がありますが」
「消えないよ。海の上を噴き出したマグマが流れるの。その溶岩は南九州を壊滅させて、噴火に伴う津波は西日本沿岸を襲う」
抜け落ちた表情で淡々と、過去の出来事を語るように。
しかし巫女さまが話しているのは、これから起こることで……ん? ではなぜここを掘った⁉︎
「届くよ、噴煙はここまで届く。んーん、もっともっと北まで。たぶん一〇日くらい太陽が隠れて暗い日がつづく。そのあいだずっと火山灰が降り注ぐ」
だからか。
にわかには信じられない話だが、他でもない巫女さまの口から聞かされたのだから……。
「信じられないよね。あたしだって信じたくないよ。はっきりいついつとは言い切れないけど、でもこの先、必ず起こる大災害ってことだけは確か」
「でしたら、逃げる支度をしなければなりませんね——」
「これから被災する人たちを見捨てて⁉︎」
やはり巫女さまは優しいな。会ったこともないヒムカの州の住人を案じているんだ。
「あ、違くて、ごめんっ。大きな声だしちゃって。オヒトくんは悪くないのに」
僕らのことも。
「あの、とりあえずは安心して。富士山近郊にも火山灰は振るけど、住めなくなるほどじゃないから」
「……巫女さま」
「はい!」
いけない。分を弁えないことを言おうとしたから声が強張ってしまった。
改めて喉を整え、僕は疑問を口にする。
「教えてやればよいのでは?」
「……は⁇」
「ですから、フシの地からヒムカの州までの者らに『海から火柱が立ち大変なことになるぞ』と」
「いやいやいやいや、いくなんでもめちゃくちゃ言いすぎ! どうやって行くの! 歩いて? 丸木舟で? そもそも話してどうなるっていうの。信じてもらえるわけないじゃん。オヒトくんも見たでしょ、由比の港で会った日向のお兄さんの反応を」
たしかにまるで信じていなかった。だが、それがなんだと言うのだ。
「では、力尽くで連れてくればいいのでは?」
「……あのさぁ、この時代に、縄文前期にどれだけの人がいると思ってるの? いくつ集落があるか想像つく?」
「僕にわかるわけないじゃないですか」
「だったら——」
「ご存知なのでしょう?」
だからこそ苛まれているんだ。
僕が行ったことも見たことない土地を、そこに生きる者らの暮らしぶりを、巫女さまは知っている。だからこそ悩み、苦しんでいる。
「あたし、ただの学生で、説得なんてできそうにないし……」
「巫女さま」
「……なに」
「巫女さまは、どうなさりたいのですか」
本当に言ってもいいの? そんな顔をされた。
だから僕は強く頷く。
「……助けられるなら、助けたい」
「ではそうしましょう」
「そんな簡単に言わないで‼︎ わかってるの、それがどういう意味か!」
「もちろんです。巫女さまの『フィールドワーク』がヒムカの州まで広がるのでしょう」
「——ッ。そんな単純な話じゃないってば! オヒトくんだけじゃなくて、集落のみんなも巻き込んで、乱暴なこともしなきゃいけないかもしれなくて、それでも助けられないかもしれなくて!」
おそらく巫女さまは、無理強いを好まれないのだろう。そのくせ僕にはあれこれ構ってくるけど。
「助けるのは善いことです」
「……だから?」
「無理強いが嫌ならば、喜んで従うようになさればよいかと」
「そんなことあたしに——」
「できます」
「できな——」
「できる! やるのです! この冬に一人の童も死なせないと言ったのは巫女さまで、そのために皆は汗を流しています。ですから、もうできていますよ。あとは、それがセノ海からもっと外へ向かうだけだ」
と、僕なりにムチャを言った自覚はある。だけど本心だ。正直、慰めのつもりも多少はあった。
だというのに巫女さまは、すごく恨めしい目つきで、
「恨むからねっ」
と、本当に恨まれてしまった。
「あぁあ〜、楽しい縄文スローライフもここまでかぁ」
「事のあとにゆっくりされたらよいのでは」
「だねぇ。あとあと後味悪くならないのように、なるべく穏便にやらないと。はぁ〜あ……、さすがに無理ゲーすぎるって」
「ですが巫女さまにしか為し得ません」
「まったくぅ。いつからそんなに口が上手くなったのさ、ホントもう。いぃい、オヒトくんには最後の最後まで付き合ってもらうからねっ」
この時より、巫女さまは征服者となった。
そして僕は、巫女さまの剣となった。
第一章はこれにて。ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
次の投稿は「巫女さまレポート③」を挟み、第二章となります。
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