震える唇
嵐が過ぎ、実りの季節。この時期になると遠方から交易者が訪れる。
これを知った巫女さまが黙っているわけもなく、
「いざ、縄文時代中期の九州の人とのコミュニケーションに、巫女さま探検隊しゅっぱーつ!」
身体が癒えた僕はお供することになった。
一行はセノ海西のテンシの山々を越えていく。
そこ途中にあるミノブの地を経由して、大きな川——
「富士川を下って駿河湾!」
「ユヒの津まではかなり遠い道のりです」
「ここまで来てまだ『やはり巫女さまは』って言いたいの? やだ、絶対いくもん。あたしも交易してみたいし」
ムダとわかっていて言ったんだけど。
「それほどヒムカの州の者が気になりますか」
「なぁに? オヒトくん妬いちゃった?」
「いいえ。交易というからには、物が目当てとなるのが普通かと」
「もちろん交易品にも興味あるけど、やっぱり丸木舟で海を渡っちゃう人の話は聞いてみたいじゃん。どれだけの好奇心があれば、そんなことできちゃうのかって」
無謀とでも言いたそうな口ぶりだ。
「その者らはイヅの津やアツウミの津を巡って冬を越します。そして春になると北へ向かうのだそうですよ」
「ふぅん。それってソバツキさんからの受け売りでしょ。あたしも聞いたから。てか、看病してもらってるあいだにずいぶん仲良くなったんだねぇ」
「……どうなのでしょう?」
なんとなく気恥ずかしくて惚けてしまった。それが良くなかったようで、なおさら巫女をツンとさせてしまう。
こんなふうに僕らが呑気に喋っていられるのも、山を登ったところからミノブまで舟で川を下るから。
「さぁ乗ってください」
巫女さまのために、川渡ノ彦がいつもより上流まで舟を運んできたのだ。
僕は一足先に乗り、舟ベリから手を差し伸べる。
「これくらいじゃ帳消しにならないし」
なにやらブツブツ呟いているけど、気をつけてもらいたい。
もし転んで川に落ちようものなら、衣が乾くまでここで足止めされてしまう。
「オレらは先に行く。荷を頼むぞ」
「任せておけ。川渡ノ、くれぐれも巫女さまを川に落っことすなよ」
「ほざけ。オレがそんなヘマするかってんだ」
川渡の彦が先頭に乗ると、岸の彦らが舟を押し出した。すると舟は、川を流れに任せて進みだす。
「こんなスリリングな川下り、あたしはじめて!」
おかげで巫女さまはすっかり上機嫌。
◇
聞くところによると、舟の揺れに弱い者も少なくようで、川渡ノ彦は「二人とも大したもんだ」と、なんともない巫女さまと僕を珍しがった。
「もう身延かぁ。帰りに余裕あったら温泉でも探してみよっかな」
「湯が湧く土地のことですよね」
「そう。全身ポカポカになって気持ちいんだよ」
「もしやあれに浸かるつもりですか?」
「……んん。その言い方だと、浸からないのは知ってる感じ?」
首を傾げた巫女さまは、すぐ顔をハッとさせ——
「鳴沢! そっか、オヒトくんは河口湖の近くに住んでたんだから、鳴沢温泉を知ってても不思議じゃないよね!」
「朧げに、童のころ『湯が沸く不思議なところ』を見た覚えがある程度で、詳しい場所までは……」
ここで僕は余計な一言になりかねないのをわかったうえで、もしかしたらを話しておくことにした。
「側付きなら覚えているかもしれませんよ」
「覚えて?」
「僕も最近知ったことですが、側付きと僕は同じ集落に住んでいたそうです」
「なるほどぉ。だから『覚えている』なんだね」
巫女さまがこちらをジッと見てくる。僕の顔にはなにも書いてないぞ。落ち着かなくなるから、そういうのはやめてほしい。
「まっ。その話は、こんどソバツキさんと裸のお付き合いするタイミングにでも詳しく聞かせてもらうとして——」
後続の姿が見えたので、休憩はここまで。
「そろそろ行こっか」
僕らは再び川渡ノ彦の操る舟に乗り、フシの川を下っていく。
◇
たびたび休みを挟みつつ進んだけど、日が暮れる前には、フシの大川河口の西——ユヒの津についた。
この地に住む者や遠出してきた者など、交易のために集まった人々で祀りのような賑わいだ。
「すごいすごぉい、一〇〇人は超えてるね! カワタビさん、ここにいる人たちって、みんな交易が目当て?」
「だいたいがそうです。だがヒムカの州の彦は、こっちとはまた違った空気を醸してるんで」
「なぁるほど。出会いが目的の女子もきてるってことかぁ」
そういう媛らと同じように見られないといいんだけど……。大丈夫か。たぶん巫女さまの装いを見ても媛だとは思うまい。
「とりあえずキャンプするところを決めちゃおっか。滞在するのに決まりごとってあるのかな?」
「邪魔にならないところなら、誰もなにも言ってきませんよ」
「じゃあ、あのあたりは?」
「よいかと」
交易の荷を置き、拾ってきた棒と持ってきた葛布を組み、しばらく過ごす場所を作った。
かなり贅沢な布の使い方だと思うけど、これは巫女さまの発した案だ。
「せめてタープテントくらいないと落ち着かないし。それに——」
「見事ん布じゃどな。ちっとばっかい拝ませちくいやんせ」
こうなることを見越して。
しかし聞き慣れない言葉遣いだ。
だというのに巫女さまときたら、少し言葉数を減らしたくらいで、ほとんど気にせず話す。
「ヒムカの州から?」
「おう、そうじゃっど。ヌシらぁ、どっかい来もした?」
「あのフシの大山の向こうから」
「ほええ。見事ん大山じゃあ。じゃっどん、タカチホん大山も負けちょらん」
僕は大山をそういうふうに思ったことはないけど、この彦にとっては自慢の山らしい。
巫女さまが聞き上手なのもあり、彦は次々とヒムカの州の話をしてくれた。
もちろん交易の品を説明することもお互いに忘れない。
そんななか、
「地揺れん多か土地じゃあ」
この話を耳にしてから、巫女さまの顔色が変わった。
とくに際立ったのは、
「南ん海は屁んこっど。おもしれぇじゃろ?」
こんな笑い話。
なのに耳にした途端、巫女さまは青ざめ、声を荒げたんだ。
「——いつから! いつからヒムカに住んでるの!」
「おお? 嫗の嫗のまた嫗のずっとずっと昔ん頃かい、ヒムカん住んじょっど」
「そんなわけ……。そうだ——噴火! ものすごい噴火があったはず!」
「噴火? 山かい煙ん上がっちょっどが……」
「山じゃなくて、海! 海の火山が噴火して、マグマが押し寄せたって言い伝え、聞いたことあるでしょ!」
「はっはっ、海かい火ぃが吹っちゅう話ぁ、聞いたこっがなか」
ここは止めるべきだな。
「川渡ノ彦。あとの交易をお願いします」
「こっちはいいから、早いところ落ち着かせてやってくれ」
仕切りの奥まで連れていっても変わらず、巫女さまは怯えた目をフシの大山に向けたまま。
いつもの快活さなど見る影もなく、
「違う違うそんなわけ……ないよ。ないない、いまが紀元前五三〇〇年前後なんて……ないってば。そんなのあり得ないし」
震える唇は、うわ言のように同じことばかりを繰り返していた。




