三日月
「オヒトくん!」
巫女さまが駆け寄ってくる。起きなくてはと思ってみても、身体が言うことを聞いてくれない。
「み、巫女さま……」
「そのまま。寝てていいからっ」
やっと背を浮かせたのに、そっと地面に戻された。
彦らは、山辺ノ彦を中心に大熊の処理をはじめた。
だがそれも全員ではなく、周防ノ彦は手を水に浸けていて、怪我を負った者らも傷口を洗ったのち布で覆っている。
「こら、他の人の怪我を心配してる場合じゃないでしょ。オヒトくんが一番重傷なんだからねっ」
「す……すみま、せん」
「ホントだよ。帰ったらこってりお説教っ。ソバツキさんにもキツく言ってもらうし」
それは容赦ないな。
「はぁ〜……。でも、無事でよかったぁ」
安堵の息をつく巫女さまを見てみれば、その手は炭と貝殻チョークの粉で汚れていた。
もしかしたら、巫女さまが彦たちに策を授けたのかもれない。その説明のために書き殴り、いざ実行となったら自ら手を動かしたのではないか。
「どこか痛む?」
「……どこも、かしこもです」
「骨が折れてたりは?」
「か、肩と脚が……」
「言ったと思うけど、あたしはお医者さんじゃないから。我慢してね」
どういう意味——ぃいいいいい〜ッ‼︎
「ホッ……。たぶん折れてはないかな。ヒビくらい入ってそうだけど」
くぅゔゔぅ。痛すぎる。思わず泣いてしまったではないか。
「寝てて。みんなの手が空いたら担架を作ってもらうから」
「…………はい」
ここで僕の意識は遠のく。
「ダメだ男弟どの、まだ起きておけ。言いたいことが山ほどある」
「オヒトくん怪我してるんだよ! 小言はあとででいいでしょ」
「なりません——って、こら男弟どの寝るな!」
覚えてるのはここまで。
起きたら、山辺ノ彦はもちろん他の彦たちにも叱られるのだろう。もしかしたら周防ノ彦からも苦言があるかもしれない。
それだけのことを僕はした。いいや、男弟の役目を果たさなかった。巫女さまも皆も危うくさせた。
本来は省みるべきで深く落ち込むべき……。
なのに僕ときたら、満たされてしまっているのだから、困りものだ。
◇
「やはり他の大熊は見つからなかったそうです。巫女さまの見立てでは『別の場所から流れてきたのでは?』とのことでした」
教えてくれたのは、側付きだ。
「うむ」
この返事は僕ではなく、周防ノ彦だ。
「…………あの、どうして僕の室に二人がいるのです?」
「三人でも持て余す広さ、とくに困ることはないでしょう。それに私は『男弟どのの看病を』と巫女さまより仰せつかっておりますので」
だからって一日中ここにいる必要はないと思う。
「それに、周防ノ彦も手に酷い火傷を負いましたから」
二人を世話するなら同じ室の方が、という理屈か。わからなくもない。でも、それは半分本当で半分は……。
「まだなにか?」
「い、いえ」
薄々わかってはいたけど、やはりそういうことか。
起き上がるのもやっとな僕より、
「ささっ、周防ノ彦」
「う、うむ」
なにかと手厚く、それでいてぎごちない。
ただ食を口に運ぶだけではないか。なにを大仰にしているんだ。
ちなみに巫女さまは、この所作を『あーん』と言っていた。そう言われたら乳子扱いにも見えなくはない。
「やはり腫れも引いてきたゆえ」
「——な、なりません。治りかけが一番の大事。なりませんよっ」
かれこれ二週間。飽きずに似たようなやり取りをつづけている。
せめて、なにかしらの進展でもあれば、横になってばかりの退屈も少しは紛れるのに……。
周防ノ彦はよく寝る。食と手当てが済むなり寝息を立てるほどだ。
起きていると側付きに構われるから、という線もありそうだけど、それよりも早く身体を癒すためなのだろう。
では『ここは僕も見習って』と、目を瞑ろうとしたとき、
「男弟どの」
側付きが改まった雰囲気で話しかけてきた。
これはさすがに横になったまま聞くような話でもなさそうなので、身体を起こそうとしたら、
「眠ければ寝てしまって結構ですので」
そっと止められた。
「男弟どのは、語部ノ彦と語部ノ媛を覚えておられますか?」
なぜ父さまと母さまのことを?
「……まだ幼かったので」
「では、共にこの集落へ移った姉のことは?」
「いったいなんの話ですか」
僕の困惑に返されたのは——
「神降しさえ在らなければ、口にすることは一生なかったことでしょう」
「巫女さまとなにか関係が⁇」
「余計なことを言いました。つまらない思い込みと、人の間のこと。いまの言葉は忘れてください。けれど、一つだけ伝えたいのです。聞いてくださますか」
「……」
「男弟どの、これで父さまも母さまも、中つ海の者らも浮かばれます。よくぞ、よくぞ大熊を討ち果たしてくれました」
いろいろな引っかかりが解けて、でも新たに確かめられない疑問も沸く、そんな話だった。
側付きの垂れ目は潤み、唇が微かに震えている。目尻から溢れる涙の、その先を見るつもりはない。
「僕一人でやったことではありません。では、そろそろ」
目を瞑ると、近くで忍び泣く気配がした。
微睡みの先で見た夢は、中つ海での暮らし……。
忘れていた父さまと母さまがいた。
そして、幼い僕を懸命におぶる小さな童の背。こちらを振り返る横顔には、側付きの面影があった。
◇
いまさら側付きを姉とは思えないが、それでも周防ノ彦とは堅物同士お似合いだと思う。なので、
「涼んできます」
僕は気を利かせた。
二人きりにしたところで仲が深まるとは思えないが。それでも。
「もう日暮れですよ」
「ほんの少しだけ」
「わかりました。ではお気をつけて」
だいぶ身体も癒えたので、散歩くらいで煩くは言われない。さすがに剣を振ったときはこっぴどく叱られたけど。
足の向くまま歩いていった先は、セノ海だ。
「隠れている姿も悪くない」
広がる水面に映る月は弓のようだった。それでもキレイだと思えるのだから、不思議だ。
しばらく眺めて、そろそろ帰ろうとしたとき、ふと、足元に転がる棒きれが目につく。
なんとはなしに、拾って——ビュンと振ってみた。
「想い描くのとは程遠いな」
僕はまだまだ弱い。より速く、もっと強くならなければ。
もう一度と、振りかぶったとき——
「こらオヒトくん!」
茂みから巫女さまが現れた。
「どうしてそんなところに?」
「どうしてもこうしてもないでしょうが! まだ療養中なのにチャンバラなんかしてっ」
「そ、側付きには黙っていて……」
「ダァメ。きっちり叱ってもらわないと」
諦めた方がよさそうだ。
それにしたって、もう夜だぞ。なぜ巫女さまは茂みにいた?
「たまたまセノ海に歩いてくオヒトくんを見かけて、こっそり跡つけてきたの」
「声をかけてくださればいいものを」
「びっくりさせたくて」
だから隠れていたと。まったく巫女さまは……。
「そろそろ戻りましょう」
「そだねっ」
まだ身体は癒えきっていないようで、動かすと痛めたところがすぐに熱を持つ。そこに当たる夜風は、すごく心地がいい。
「夏の終わりも近いですね」
「もうじき実りの秋かぁ」
その前に嵐の季節くる。




