神降し
巫女さまは摘んだ塩をペロリと舐め、
「塩っぱ〜」
キュと目を瞑るなり湯冷しをガブガブ飲む。
それをなんどか繰り返したあと、口許を拭い、ひとつ息をついて語りはじめた。
「たぶん熱中症だと思う」
ねっちゅう⁇
「……昨夜、倒れられた理由を仰られてますか?」
表情豊かに喋る巫女さまの様子に戸惑いながらも、僕は確かめるべきことを確かめていく。
「そう。水分も摂ってなかったみたいだし、元から体調不良でフラフラなところに重労働して、儀式に失敗したのと突然の雷でびっくりしちゃったんじゃないかな。ソバツキさんから状況を聞いた限りの、想像だけどね」
話ぶりからして巫女さまは元気そうだけど、よくよく見れば、まだ目の下に疲れが残っている。
だが、これは側付きも同じくだ。
となると目許のくすみは倒れたからではなく、夜更けまで話し込んでいたからか?
「おほんっ」
思いつくまま早口で喋る巫女さまを、側付きは咳払いで嗜めた。
「うん。そうだよね。あたしとしても確かめたいことはいっぱいあるんだけど、でもその前に」
僕を映す眼差しには、少なくない覚悟が込められていた。
つられてこちらも強張ってしまう。
「「「…………」」」
しばらく三者三様の沈黙がつづいて、
「たっは〜あ。こういうのってなんか緊張しちゃうね。やっぱり秘密のままにしとこっかなぁ」
巫女さまは背筋をふにゃりと。
「なりませんよ」
「わかってますってば。ただ、どうやって説明したらいいのか決まりきってないんだもん」
「私にされたように仰ればよいのでは」
「それで信じてくれるぅ? あたしだって未だに現状よくわかってないし、いまも『実は夢なんじゃないか』って半信半疑なのに」
「だとしてもです」
いつまでも行ったり来たりな二人のやり取りに耳を傾けつつ、僕は僕なりに、これがどういう事態なのかと考えをまとめた。
といっても出せる答えなんてそう多くはない。
「もしや巫女さまは、神降しをされたのですか?」
「その心は!」
こ、こころ……⁇ ワケを言えばいいのかな。
「どう説明すればいいのか難しいのですが、だいぶ様子が変わられたことが一つ。他にも、先ほどから耳にしたことがない言葉を口にされています」
「あっ、ごめん。意味が伝わってないのあった? もしかしてオヒトくん、あたしに遠慮してる? そういうのいいから。次にわかんない言葉があったら聞いてね。あたしも聞くし。知らないことを知らないまんまにしておくのが一番よくないし」
いまだって疑問はいくつも湧いている。
だけどそれよりも、巫女さまの変わりっぷりに僕の気持ちが追いつかない。
「いっけない、また話のコシ折っちゃったね。つづけてつづけて」
つづけてと言われても……。
「ああ、こっちの番だっけ。たしか『神降し』って言ったよね。あたし目線だと『神隠しに遭った』なんだけど、まぁ似たようなもんなのかなぁ? ていうか、まずあたしが神さまじゃない時点でぜんぜん違うか」
巫女さまだけで納得されても困るんだが。
側付きの様子をチラリと見れば、呆れてるのか疲れ果てているのか、どちらとも判別つかない淀んだ目を遠くへ向けたまま。
ここまでの状況と、僕を長いこと引き止めていることから、
「……ここで見聞きしたことを黙っておけと?」
こう察した。
しかし、巫女さまは真逆なことを言い出すんだ。
「むしろ言いふらして。あたしが外を出歩いても、周りの人たちが不思議がらないように」
こ、これはとんでもない難問をふっかけられてしまったぞ。自分でも頬が引き攣ってるのがわかるくらいだ。
「すぐにじゃなくていいから。しばらく待つのはもちろん、最初は週イチとか月イチでもいいし。みんなにはだんだんと慣れていってもらって、最終的にはよくある光景、みたいなふうになるといいなって」
いちおう、めちゃくちゃを言っている自覚はあるらしい。だが諦めるつもりはないようで、
「ダメぇ?」
と、少しだけ僕に近づく。
そんな不安げに眉を寄せられても……。潤んだ目で僕を見ないでっ。
昨日までは土偶と同じくらい表情がなかったのに、突然そんな顔をされたら僕は、僕は僕は、くうう。いったいなんなんだ、落ち着かない気分にさせるモヤモヤは⁉︎
「……わ、わかりました」
「ホント‼︎」
巫女さまはパッと華やぐ笑みを浮かべ、あろうことか、
「ありがとありがとホントありがと! 絶対ダメって言われると思ってたぁ」
僕の手を握り、ブンブンブンと。
「——ッ。みみ、み、巫女さま! その、僕らはまだ婚儀の前なのでっ」
「そうですよ。彦に触れるなどいけません」
驚きだ。はじめて側付きの言葉を頼もしく思えた。いつもはトゲトゲしく聞こえるだけだったのに。
「べつにいいでしょ、このくらぁい。そんなに古代の貞操観念ってガチガチなの?」
「巫女さまは特別ですので。他の媛らのように奔放な振る舞いをされては困ります」
「なに奔放って……。それ、だいぶ気になるんだけど」
結局、詳しい事情や本当のところはわからないまま。
でもそれで構わない。僕の役目は、巫女さまのお言葉を彦たちに届けること。
祀りで倒れたのは『神降しをされたから』と、そのままを伝えればいいんだ。たぶん誰も細かいことなんて気にはしない。
話も終わったようだ。
では「そろそろ僕は」と腰を浮かしかけた、そのとき、
「ねぇオヒトくん」
巫女さまが少し改まった口調で止めてきた。若干の戸惑いとも取れる声音で。
「オヒトくんは、どうしてそこまであたしに興味なさげなの?」
この問いに僕は、ちっぽけさを見透かされた、そんな恥ずかしい気分にさせられた。
だからつい——
「皆が巫女さまの容態の報せをまっておりますので」
話を打ち切り、室を飛び出してしまった。
五〇の階段の半ばまで駆け降りて、ふと気づく。
これまでまるで僕に興味をもたなかった巫女さまから、いきなり心の内を覗かれ、実はそれを喜んでしまっている。そういうみっともなさを知られたくなかったんだと。
と、まとめてはみたものの、これは僕自身にもよくわからない感情で……。
「おお。男弟どのー」
室の階段下で待っていた彦たち媛たちが、巫女さまの容態を聞いてきた。
この人たちは僕のモヤモヤなど気にもしないから、そういう意味で心穏やかでいられる。
「巫女さまは無事です」
これで終わりでもよかったんだけど、まだ頼まれたことが残っている。
皆が集まってきてるのは好都合。なので、この場で話してしまうことにした。
「喜んでください。巫女さまは『神降し』をなされました。僕が長く室にいたのは、常世の知恵を聞かせてくれていたからです」
「「「おおおおっ!」」」
どよめきは、すぐに歓喜の声へ。
「めでたいな!」
「こりゃあ宴だろ」
騒ぐ理由ができれば、彦たちも媛たちも、その支度に走る。
こうなると嫗が童たちの面倒をみることに。
そのなかから、しれっと抜け出した幼い童が、てくてくこっちへやってきた。
「おひとどのー」
僕を呼ぶと、くいくい下穿きの裾を引く。
「なんだい」
「みこさまもー?」
「巫女さまが宴にこられるか知りたいの?」
「でぃひひ〜」
どうだろう……。
いまの巫女さまならあり得ない話じゃない。むしろ参加したがりそうな気さえする。その方がしっくりくるほどだ。
とはいえ、神降しがいつまでつづくかもわからないし、側付きがなんて言うかもわからない。
期待させるようなことを言って童をガッカリさせるのはイヤだ。
なので、
「わかったよ。聞くだけ聞いてみる」
男弟として答えられるのはここまで。
そして僕は降りたばかりの階段をまた登る。
こんどは、たったいま逃げるように出てきたばかりの室に戻るわけだから、そういう意味でも気が進まない。
だけど、
「みこさま、いるってー」
「「「わぁああ〜い!」」」
童らには応えたい。
だからここは、間を置いて余計に気まずくなるよりマシ、いますぐ話すキッカケをもらった、こう前向きに捉えておこう。
そうしたら、残りの階段を登る足取りが少しだけ軽くなった。




