祀り
天まで届くフシの大山——その麓に広がるセノ海のほとりは、祀りの準備で賑々しい。
彦たちがせっせと薪を焚べると、そのたびに篝火の炎は揺れ、パチリパチリと火の粉を舞い散らす。
「せっかく満ちているというのに……」
今夜の月は、いつも隠してばかりの姿を晒してくれている。だというのに水面に映り込む焔が、淡白く丸い姿を赤く染めてしまうんだ。
それを残念に思いつつ、手持ち無沙汰な僕は未練がましく眺めていた。
祀り支度の喧騒のなかから一人の男がこちらへ。
「ふぅ。今日は陽が沈んでも蒸すな」
祭祀や火種を司る彦、火守ノ彦が話しかけてきた。
でも、僕に求めているのは頷きではなく、
「ところで男弟どの、巫女さまはまだかかりそうか?」
こっちだ。
「聞いてきます」
「すまんがそうしてくれ。祀りのあいだくらい保つとは思うが、ひと雨きそうな湿り気だ」
というわけで僕は僕のするべきことを。
巫女さまの住まう室は、祀りを行う広場を見下ろす位置にある。
そこへとつづく五〇の階段。ここを行き来をするのが僕に与えられた役目で、今回みたいな伝言に限らず、食事を運んだりも僕がやる。
「巫女さま、男弟です」
登りきった先の戸は閉められていたので、外から声をかけた。
「どうぞ」
返ってきたのは側付きの冷ややかな声。そういえば、いままでほとんど巫女さまの声を聞いたことがない。
こんな微かな引っ掛かりは、室に足を踏み入れるなり消え失せた。
あきらかに二人は、五〇段を登ったばかりの僕より暑そうなんだ。
額には汗の玉をいくつも浮かべていて、頬も耳も火照りで真っ赤。座っているのにやや息も荒い。
「白湯をお持ちしましょうか?」
「……」
やはりこちらの勧めに巫女さまは応えず、隣に控える側付きにそっと耳打ちをした。
「巫女さまは『このような蒸す日に白湯など欲さぬ』と仰せです」
「ですが——」
「男弟どのは、巫女さまの支度についてを訊ねにきたのでしょう? ご覧のとおりお召し替えの途中ですので、彦らにはもうしばし待つよう伝えてください」
「では、せめて戸だけでも——」
「巫女さまの肌を晒せと?」
善かれと思って言っただけなのに、側付きから睨まれてしまった。
というか、こんな高いところに室はあるんだから、外から見えたりしないと思うんだけど。それを口に出したら余計にガミガミ言われてしまいそうなので、
「火守ノ彦は『もうじき雨が降るかもしれない』とも言ってましたので。それでは」
僕は伝えるべきことだけを伝え、いったん巫女さまの室をあとにした。
「ハァ……、あとなんど登り降りするハメになることやら」
誰にも聞かれない二五段あたりで、少し溢す。それから気を引き締めて、心を覆い、再び火守ノ彦のところへ。
結局、登り降りは三度。
思いのほか少なく済み、僕の足腰が悲鳴をあげる前に祀りは執り行われた。
広場には、彦だけなく媛や童まで集まっている。だからか蒸しっ気がひどい。いるだけで汗が滴るほどだ。
いくつもの篝火に囲まれた祭壇の暑さは、もっとだろう。僕の立つ祭壇の手前だって姿勢を保っているだけでしんどい。
本当に、巫女さまは大丈夫なのか?
そんな僕の心配をよそに、祭祀は厳かに進められていった。
形代として並べられた土偶は、乳子と同じ九つ。それらを巫女さまは一つ一つ、祈りの神言を唱えてから石剣で叩き割っていく。
数もさることながら、土偶はしっかりと焼き固められているので簡単には割れたりしない。巫女さまの細腕では尚のこと負担だろう。
そして残り一体となったとき、それは起こった。
瞬く間——あたりは真っ白に。
遅れて天が鳴る。雷だ。間違いない。
驚いた童たちも一斉に泣きはじめ、媛たちがよしよしと宥める。彦らは、予感していた雨の訪れかと空を向く。
そんななか、僕と側付きだけは見逃さなかった。土偶を割り損ねた巫女さまが、パタリと倒れる姿を。
「巫女さま‼︎ 巫女さま巫女さま!」
伏したままピクリともしない巫女さまの肩を、側付きはなんども揺さぶる。
ここに至り、ようやく皆も事態に気づいた。
不思議なことに童も乳子も事情を察したか、スンと黙り、またすぐうわんうわんと泣き喚く。
とにかく駆けつけなければという一心で、僕も巫女さまに近づいた。だというのに、
「男弟どの!」
側付きから甲高い声音で怒鳴りつけてしまう。
「お叱りはのちほど」
「なにをされるおつもりか!」
「じきに雨が降ります。早く巫女さまを室へ——」
「なりません! 男弟どのとはいえ、婚儀も済んでいない巫女さまに彦が触れるなど、あってはなりませんよ!」
そんなことを言ってる場合ではないでしょうに。
火照りが原因で倒れたかもしれなくて、さらに雨に打たれてしまっては余計に体調を崩しかねない。
「僕は『お叱りはのちほど』と言いました。あとにしてください」
僕と側付きの押し問答など空は待ってくれるはずもなく、雨粒がポツリポツリと。
「媛らで運べばよいでしょう!」
「雨のなか五〇の階段を、媛らの細腕で? みんなして転げ落ちてしまいますよ」
これで話はお終いですとばかりに僕は巫女さまを背負い、祭壇から室へと向かった。
後ろをついてくる側付きの視線が鋭くて、これは明日が怖い、そういう重みを胸あたりに感じながら……。
◇
そして翌日の昼過ぎ——
「巫女さま、男弟どのが参りました」
「……うん。入ってもらって」
お咎めを覚悟して室を訪れた僕はあんぐりさせられた。
すっかり体調を戻されたことにも驚いたが、なにより僕をびっくりさせたのは——
「オヒトくんイメージより若っ。まだ少年じゃん!」
まったくもって理解できない発言と、
「おっとそうだったそうだった、まずはお礼を言わなきゃ。んと、昨日はありがとね。てへへっ」
まるで別人みたいな照れ隠しの笑みを向けてくる巫女さまの態度だった。




