カヒの地
「やっと甲府!」
と巫女さまが呼ぶ——カヒの地。ミサカの山々を越えた先に広がる湿った土地だ。
至るところに水辺の草が生い茂り、いくつもの川が合間を縫うように交わっている。
その手前、小高い丘に目的の集落はあった。
「おお、フシの地の者らか。よく来たなぁ」
「どうもぉ」
「いいところに! ちょうどさっき泥魚が取れたんだ。前みたいに焼いてくれよ」
……巫女さまが、巫女さまと思われていない。
「オヒトくん、どぉどぉ落ち着いて。そもそも甲府の集落はヒメヒコ制じゃないっぽいし、うちがレアなだけなんだよ」
「たしかに中つ海にもウツ海にも、巫女さまのような役目の方はいませんでした」
「でしょ。だからさ、細かいことは気にしない気にしなぁい」
いや、そもそも巫女さまの装いがいけないんだ。
丈の長さは媛のものと同じだけど、あとは他の彦と変わらず、飾り気もない。
「媛らも呼んでいいか?」
「いいけど、なんで?」
「こないだ見せてもらったとおりに手順を教えたんだがな、ちっとも美味くねぇんだ」
巫女さまは快く頷く。
「なんなら一人二人はそっちの集落に連れてってもいいぞ。代わりにヌシか、そっちの童が来てもらうってことで」
——わ、童だと! 僕を指して童と言ったか!
「あ、あはははっ。ほらほら、オヒトくんとはこういう関係だから」
なぜか巫女が腕を組んでくる。
するとカヒの彦は、
「ああ〜あ、そういうことかい。まぁ若いんだ、そういうこともあらぁな」
訳知り顔。
よくわからないな。でもだ。
「もしや巫女さま、彦だと思われていませんか?」
「そりゃあこの格好だし」
耳打ちすると、この調子。
「ですから——」
「いいのっ。女の子と思われるより、よっぽどやりやすいから。ていうか縄文時代の人の多様性って、パないね。あっさりBLを受け入れちゃったよ」
また難しい常世言葉で煙に撒こうとして。
「なんにせよです、巫女さまには相応しい装いをしていただかないと」
「だからだって。ただでもバリバリ自由恋愛な価値観なんだし、もしも女の子ってバレたら、そういうリスクもあるかもでしょうが」
「そんなもの、僕が守ればいいことです」
「………ふ、ふぅん。あたしのこと守ってくれるんだぁ」
「役目ですので」
「へえ〜、便利な言い訳ぇ」
巫女さまの見透かすような眼差しに、僕はもうなにも言えなくなってしまった。
◇
「ホントはもっといい捌き方があるんだけどね」
とは言うけど、相変わらず巫女さまの手際は見事だ。
泥抜きをした泥魚の頭をストン落とし、血抜きを済ませると腹に切れ目を入れて腑を取る。
それから炭に火をつけ、串を打ち平たくした泥魚を炙っていく。
「そっちのウナギ焼けたから、お好みで塩かけて」
パタパタと布を振り炭火を煽る、手慣れたさま。
この、他では見かけない類の雰囲気に物好きな媛らは惹かれ、
「こんな彦がいるなら、フシの地に行くのもいいかもしれな〜い」
「ワタシも行きた〜い」
うっとりと。でも巫女さまには聞こえるように。
「あっはは。ボクには、オヒトくんという心に決めた人がいるんだ」
「「「——そ、そういうこと‼︎」」」
「だから、ごめんね」
「「「きゃあ〜ん!」」」
な、なんなのだいったい。
どうして巫女さまは彦のように振る舞う? わざとらしく声を低めにして。
あと、僕に向けられる媛らの視線に変なものが混じっているのはなぜだ⁇
とにかく、こうやって巫女さまはカヒの地の彦とも媛とも仲を深めていった。
ようやく炭の火も落ちたころ——
「ちょっと! なんでお酒飲んでるのさ。これから金峰山まで行く予定なのに!」
山辺ノ彦はじめ、彦らは酒に手をつけていた。
「まぁまぁ巫女さま、焦るなって。石ころが足はやして逃げるわけでもねぇだろ」
「おい山辺ノ、いくらなんでも巫女さまにその言い方はないぞ」
いちおう嗜めた川渡ノ彦だが、
「あら、立派な彦。隣いい? ささっ一杯どうぞ」
「おおっとこいつはすまねぇ」
媛の惑わしを受け、さらに酒を重ねた。
こうなったらもうダメだ。今日は押しても引いても動かないだろう。
「オレは控えておく。男弟どのは巫女さまのそばにいろ」
周防ノ彦はそれだけ言うと、焼き魚の串を何本か取り、離れたところへ。
「……ん? スオウさんってこういう席が苦手?」
「違う違う、周防ノは酒に弱ぇんだ」
「こないだも一杯でヘロヘロになってたぜ」
「ええ〜っ。めちゃくちゃ怪物退治しそうな見た目なのに、下戸って……。人は見かけによらないねぇ」
偽りの装いでカヒの者らを誑かしておいて、どの口が言うんだか。
「そういえばお土産渡すの忘れてた。よかったら、これどうぞ。試供品ってことで」
「「「しきょう……?」」」
知らない言葉と黒焦げになった薪。なにがなんだかだよな。気持ちはよくわかる。
「これは、巫女さまから授かった『常世の知恵』により、僕らの集落で作った強く長く燃える薪です。名を『炭』といいます」
「たしかさっき、これで泥魚を焼いとったな」
「そうそう! 火の加減がしやすくて煙も少ない。しかも火力あげるのもすぐだから一気に焼けるの。とくに脂の多いお魚なんか焼いたら、皮パリパリの身ぃフワフワ!」
カヒの者らが首を傾げるたび訳していくと、
「で、交換になにが欲しい? 泥魚だとフシの地までは保たんだろう」
当然の疑問を。
「ウナギっていうのも嬉しい提案なんだけど、やっぱりあれかなぁ」
巫女さまは遠くの山を指差す。
「どれだ?」
「あの山にある鈍く光る石。もしくは濁ってて透きとおる石でもいいけど」
「漆石のことか?」
僕らは巫女さまの影響で黒曜石と呼ぶようになったけど、同じものだ。たしかに交易品としての値は高い。
「あれはもっと奥の谷まで行かないと見つからん」
「光る石ならあったぞ。色がついとるのだろ?」
「——たぶんそれ! どこどこ?」
「美味い泥魚の礼だ。明日、案内する。ワシらが同じものを拾い集めたとしても、その『すみ』と言ったか、黒い薪と交換してくれるのかい?」
「もちろんだよ! そのための探索だもん」
正しくは『そのために炭を贈ったんだもん』ではないか。
これまでの交易に別の物を加えるなら、こちらからも新しい物を出さなければならない。となると、炭は打ってつけなんだろう。




