炭焼き
やはりショウジで一泊することになった。
その夜、僕は巫女さまがお休みの室の前で控えていたんだが、同時に頭を抱えてもいた。
というのも、せっかく『カタカナ五〇音表』をもらったので、なにか書いてみようとしたのに、一文字目からつまづいてしまったんだ。
というか、ない。どれだけ探しても五〇音順を口にしてみても、ぜんぜん見つけられない。
「…………。ねぇオヒトくん」
「アイ——エエエッ! み、巫女さまいつの間に⁉︎」
「いやいや『忍者なんで⁉︎』みたいな反応しないでよ。家の前であれだけアイウエオ喋ってたら気になるでしょうが」
にん……⁇ は、まぁいいか。しかしそうか、うるさくしてしまっていたか。
「すみません」
「んーん。で、どんなお悩み?」
「僕の『ボ』が……、見つけられないのです」
「あぁあ、そういうこと——うええっ。そこまで⁉︎ 両手ついてガックリ項垂れちゃうほどショック?」
それはそうだろう。
「なんとなぁくヘコんでる理由はわかったかも」
「説明からして、カタカナ五〇音表は童でも扱えそうなのに」
「だねぇ」
やはりか。クッ……。
「でも今回は、あたしの教え方がよくなかっただけ——って、だからオデコ地面にグリグリしないでってば!」
どうやらコツの伝え忘れがあるとのことで、僕は額の土を払い、
「で」
と聞いてみると、
「濁点っていって『ホ』に点々をつけると『ボ』になるの」
他にも半濁点や拗音があるとのこと。
そんなことだったのか、とホッとしたところへ、
「で?」
こんどは巫女さまが。
なにを聞きたいのかは、隠しきれていない口許の笑みから想像つく。
「なに書くつもり?」
ほらやっぱり。
「『ボク』と書くつもりでしたよ」
「ええ〜、それだけぇ? つづきはつづきは〜?」
「とくに決めてません」
ここで巫女さまなら食い下がりそうなものを、
「ふぅん」
と、お澄まし。
この顔を見て僕は、はたと気づく。カタカナを教えたのが巫女さまなら、それを読めるのも当然だと。
「読まない読まない」
……嘘だな。
「ホントだよぉ。赤ペン先生はするかもだけど」
それがなにかは知らないが、危うく恥ずかしい思いをさせられるところだったのだけは、確かなようだ。
◇
フルセキに着いたのは翌日の昼ごろ。
先行していた山辺ノ彦たちは、食を用意して待っていた。
「こんなところなんで、お出しできるのは鹿の肉と山の菜くらいなもんですが」
「ぜんぜんっ。めちゃくちゃご馳走だよ!」
そうか、ここにずっと居る彦たちは栗を食べられないのか。次に来るときは持ってきてあげよう。
「これはこれは巫女さま、いらしてたのですか」
この地の長である古関ノ彦が、やってきた。
ちなみに呼び名は巫女さまが付けた。土地の名が由来で、
『古くからある出入り口、って意味かな。精進道が通れるようなったの最近だけど』
と言っていた。
「予定ズラしちゃって、ごめんね」
「お気になさらず。ショウジでもあれこれやっておられるのでしょう」
「その様子だとこっちの炭焼きもイイ感じ?」
「はい。炭というのはスゴイものですな。焼き石もあっという間ですぞ」
「おおっ」
「詳しくは食でも摂りながら」
ということで、皆で焼き石を囲む流れに。
焼き肉なんて肉を焼くだけだ。だからすぐに肉にありつけると思っていたのに、
「巫女さま、どうして脂身を擦りつけているのです?」
「この方がカリッと焼けるからっ。はい、そっちのもうイケるよ。いまいま、いまが一番美味しいタイミング!」
前も思ったけど、ものすごく大人数での食に慣れているな。
「オヒトくん、そっちはまだ! こっち食べてて」
分厚く大きな肉に串を刺そうとしたら、止められた。代わりは薄い肉の串だ。
見れば、片面ばかりを焼いて、反対側からは肉汁が滴っている。しかし食べてみると——
「美味い」
「ええ? なんてなんてぇ?」
「美味いです」
「んん? 聞こえなぁい」
「熱いです! と言いましたっ」
「美味いと熱い、ぜんぜん違うじゃん」
……聞こえてたんじゃないか。
「巫女さま、焼き石を替えましょうか」
「お願いしまぁす。あ、オヒトくん野菜も食べないとだよ。このお漬け物も美味しいから、食べなって」
山の菜の塩漬けを器ごとよこしてきた。
これ、癖が強くて苦手。でも、そんなことを言ったらまた童扱いされてしまう。
「大丈夫っ。灰汁水でアク抜きしてたから」
「灰汁水を? 鞣しや蔓ほぐしに使うのは知ってますけど」
「そっ。アルカリ水はあれこれ便利だからね」
「もしや肉を浸けたら柔らかくなるのでは?」
「それはやめといた方がいいかなぁ。濃度にもよるけど、リアルに物騒な意味で『舌が蕩ける味』になるかもしれないし。たぶんお肉自体がドロドロになって不味くなると思う。あっ、でも安心して。そのお漬け物の山菜は、ちゃんと水洗いしたあと茹でてあるから」
よくわからないが、そこまで巫女さまが言うなら試しに……。……ん? んん‼︎
「美味い」
「ええ? なんだって?」
「……すごく美味いです」
「ふふっ。お野菜も食べるお利口さんには、こっちのデッカいお肉もあげよぉう」
と言うなり、巫女さまは分厚い肉にヘラを——カツンと突き立てた。それを繰り返して一口大に切っていく。
まず、肉がヘラで簡単に切れていくことに驚きだ。
「あとはみなさんお好みで。中身は赤いけど、もう火ぃ通ってるから、焼き目を入れたいなら入れてちょうだい」
巫女さまが皆にも勧めると、我先にと串が伸び、
「「「うんめぇえぇぇ」」」
「「「やわっこぉぉぉ」」」
揃ってだらしない顔つきになった。
そうなるのも納得の味。きっと僕も似たようなものだろう。
腹も膨れたころ——
「古関さん。なにか困ったことはない?」
「とくに、と言いたいところですが……」
おや、古関ノ彦の歯切れが悪いな。
ははぁん。僕はわかってしまったぞ。
「巫女さま、これからは土産に栗を持ってくるようにしましょう」
うんうん。我ながら役目に相応しい助言ができたぞ。
「ククッ。違うって男弟どの」
「さすがに巫女さまには言いづらいか」
山辺ノ彦に川渡ノ彦も。なんの話だ?
「あ、そいうこと。こんど炭焼きに興味ありそうなコがいたら、声をかけておくね。集落に戻ったときに自分でナンパしてもいいし」
巫女さまも察している様子。
「オヒトくんは知らなくてもいいのっ」
なんだよ、それ。
いまのは間違いなく童扱いされた。他の彦らも笑ってるから絶対そうだ。
「いやはや、しかし炭は使い勝手のよいものですな。未だに燃えておる。しかも煙も少ない」
「巫女さま曰く、薪木を火で乾かして燃える元だけを残したもの、だったか」
「そのうち日常使いする炭は別に用意するけど、当面はいろいろ試してみてね」
皆、よく喋る。ウヤムヤにしようとしてないか?
それはそれとして、巫女さまはいつもこうだ。
「な、なに。あたし、オヒトくんにはまだ早いっていう教育的な側面から判断しただけでっ」
「その話ではないです。これまで巫女さまは『常世の知恵』のうち、作り方しか教えていないなと思いまして」
「ん? 他になにかある?」
「使い方が抜けています」
「まだカタカナ五〇音表のこと根に持ってるのぉ」
「いえ、そうではなく」
なんと言えばいいんだろう?
「この時代の人たちって手作業で翡翠に穴を開けるような人たちだし、なら丸投げしちゃっても大丈夫かなって」
カタカナもだけど、レンガ作りも炭も作りも、巫女さまは人任せが多すぎる。ああ、あと日時計カレンダーも貝殻チョークもだ。
——考えてみれば、ほとんどぜんぶじゃないか!
そんなふうにパチリと片目を瞑られても、僕は誤魔化されませんからねっ。




