猪狩り
「念のため一泊二日ぶんの準備はしてあるけど、今回は、昼過ぎには折り返して戻ってこれる範囲での調査となりまぁす」
巫女さまは「ここまではオッケー?」と同行者を見まわした。
僕以外は、やや首を傾けてながらも頷く。
「ルートはセノ海沿いに東へ進んで、中つ海こと河口湖の手前まで。いけたらグルっと回った対岸、御坂山地の麓あたりまでを調査できたらなって感じで。今回は安全な行き来が主な目的だから、なにか特別な発見はまたこんどっ」
とうとう三人ともこちらへ目線をよこすようになった。
そんなふうに困った顔を向けられても……。僕だって、なにを言われたのかさっぱりなのは同じなんだぞ。
「巫女さま、とりあえず日が真上を過ぎるまで進んで、沈む前に戻るということでいいですか?」
とにかくわかるところだけを掻い摘んで聞き返すと、
「そうそう。じゃあそういうことで推定縄文時代中期のセノ海周辺探索に、巫女さま探検隊しゅっぱーつ!」
もっと意味不明な言葉が返ってきた。
ちなみに今日も巫女さまの装いは、下穿きを履いて脛巾をグルグル巻き。
こないだと違うのは、髪をしっかり束ねていることと媛の衣を着ていて丈が長いこと。
さんざん側付きが諌めたようだが、聞き入れる気はないらしい。
「ソバツキさんの足だと原野を歩きまわるのは厳しそうだからねぇ」
だから置いてきたと。それを言うなら巫女さまもだろう。
「くれぐれも気を抜かないでください。あと、どれほど興味を惹かれるモノがあっても、近づくのは必ず僕に確認してからで」
「オヒトくんうるさ〜——くないない、ないね。わ、わかったわかったホントわかったから」
……まったく。
もう集落を離れてずいぶんと歩いてるんだ。そろそろ慎重になってくれてもいいものを。
僕だって少し前までは、ズケズケ物を言いすぎかと思っていた。
だけど最近は気にならなくなった。巫女さまはいろんなことを知っているのに、当たり前を知らなすぎる。だからだ。
「さすがは男弟どの」
僕の物言いを、川渡ノ彦が揶揄っ……てはいないか。
つづいて山辺ノ彦が、
「安心しろ、ここらなら目を瞑ってても迷いはしない。それにこれがあるしな」
と。そして取り出した貝殻チョークで木に目印をつけていく。
「おおっ、さっそく使ってくれて嬉しい! 樹皮にキズをつけてくより見つけやすいよ。やるねワカタビさん」
「そんなそんな、恐れ多いこって」
口ぶりとは真逆で得意げといった様子。
しかし巫女さまは手提げから自分のチョークを取り出すと、
「でもバッテンより矢印かなぁ。方向もわかるし」
言われてみれば矢に見える線を引く。
「こいつぁいい!」
「どういうルールで書くかをみんなで共有しておけば、場所の特定に取られる時間も減ると思う」
「へえ。常世の知恵はスゴイもんだな」
「だな。オレも川で使えないか考えてみるか」
左手側はセノ海で視界が開けていることもあって、気を配るのはフシの大山側だけ。だからか道中は思っていたほど気を張らずに済んだ。
そして日はだんだんと昇り、額に汗が浮かびはじめたころ、
「男弟どの」
ここまで黙っていた周防ノ彦が、小声で、でも腹まで響く低い声で注意を促してきた。
「なにか?」
「猪だ」
「——いま獅子って言った⁇ まさかのライオン⁉︎」
巫女さまの狼狽えに、周防ノ彦は指差しで応える。
「なぁんだイノシシかぁ。驚かせないでよ——って、ヤバイヤバイ、ヤバイって。成獣だと人間より重いんだからね、ナメてかかるとケガしちゃうんだから!」
「狩ること自体に困りごとはない」
「……あ、そっか。みんな弓を持ってきてるもんね」
「猪狩りに弓など無用」
「そりゃあ周防ノだけだろ」
「まったくだ」
なにを笑ってるんだと巫女さまは混乱している。
かくいう僕も、狩りをしたことがないから不安なのはいっしょ。
「周防ノ。セノ海に沈めて血抜きするから、大丈夫だ。持ち帰るまで傷まんぞ」
「そうか」
それだけ応えると、周防ノ彦は近くの木を登った。
まだ巫女さまは不安げにしているが、山辺ノ彦と川渡ノ彦は、
「「まぁ見とけって」」
と楽しげ。
あっという間に登りきった周防ノ彦は、並ぶ木々の枝を伝って猪を見下ろせる位置まで。
そして腰裏から石斧を引き抜くと、
「嘘でしょ‼︎ あんな高さから⁉︎」
躊躇うことなく飛び降りた。
つづく、地面に降り立つ足音を掻き消す——鈍い響き。
たった一振りで終わらせたんだ。
周防ノ彦はクタリと倒れた猪を引きずり、セノ海のほとりで待つ僕らのところへ戻ってくる。
「いやいやいや、ホントどうなってんの⁉︎ 一〇〇キロ近い猪を片手で引きずるって、どんな腕力してるのさ!」
さっきから巫女さまは騒いでばかりだ。
僕も運ぶのを手伝い、処理は山辺ノ彦と川渡ノ彦がテキパキと済ませてくれた。
「こうやって石を重しに括っておけば、浮いてこないだろ。あとは帰りに持ってけばいい」
「おう山辺ノ、下向きの矢印を書いといたぞ」
「それなら『どこだっけ』にならずに済むな」
思わぬところで初めての狩りに居合わせてしまったけど、いい経験だった。次は僕も……んん⁇
「巫女さま?」
「んーん、なんでもないよ。ただ知ってるのと実際に目にするのとで、ぜんぜん違うんだなぁと思って。……さっきからあたし狼狽えてばっかり。巫女なんだから、もっとしっかりしないといけないのにね」
そんなことを気にしていのか。
なら、僕が言うべきことは一つだ。これまでもさんざん言い訳にしてきた言葉で、あまり好きにならない言葉。
「役目ですので。彦らには彦らの、巫女さまには巫女さまの役目があります。もちろん男弟にも。彦は猪を狩れても、貝殻チョークの作り方なんて思いつきませんよ」
「……そっか」
「そうです」
今回だけは、イヤな気持ちにならずに『役目』を使えた。
と、せっかく晴れやかな気分だったのに、ニタニタと僕らに向けられる視線が二つ。山辺ノ彦と川渡ノ彦だ。
「……なんですか?」
「べつになにも。なぁ川渡ノ」
「おうよ。童が彦になっていく、美味い酒が飲めそうな眺めだと思っただけさ」
この二人は立派な彦だけど、こういうふうにはなりたくない。
やっぱり僕は——
「行くぞ。日が傾くまでそう長く時は残っていまい」
周防ノ彦のような強い彦になりたい。改めてそう思った。




